縁石の天秤
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縁石の天秤

第一章 肩に積もる優しさ

僕、カイの体は、奇妙な天秤のようなものだ。他者の「存在」を、物理的な「重さ」としてその身に受ける。誰かと心が通い、友情と呼ばれる関係を築くと、その絆の深さに比例して、相手の存在が心地よい重みとなって僕の肩に降り積もるのだ。

「カイ、またそんな難しい顔して。眉間にシワ、寄ってるぞ」

快活な声と共に、ぽん、と背中を叩かれた。振り返るまでもない。この陽だまりのような重さは、リアのものだ。彼女の屈託のない笑顔が、僕の肩にかかる重さをさらに数グラム、温かくする。

「別に。空の色を考えてただけだ」

「またまたー。どうせ、私たちの『重さ』のことでも測ってたんでしょ」

隣に並んだアレンが、冷静な声で茶化す。彼の知的な探究心がもたらす重みは、リアとは少し違う。それはまるで、古書のページを一枚一枚めくっていくような、静かで確かな重さだった。

僕たち三人の胸元では、体内に宿る「縁の石」が、それぞれの鼓動に合わせて淡い琥珀色の光を放っている。生まれて初めて真の友情を結んだ相手とだけ共鳴するというこの石は、僕たちの場合、三つが全く同じ、複雑で美しい幾何学模様を共有していた。それは、僕たちの絆が視覚化された、かけがえのない証だった。

リアの快活さ、アレンの理知、そして二人から向けられる信頼。それらが混じり合った重さは、僕を地面に縫い付ける鎖ではなく、むしろ僕がこの世界に確かに存在しているのだと教えてくれる、優しい錨のようなものだった。この重さがある限り、僕は決して独りにはならない。そう、信じていた。

第二章 未知の天秤

異変は、ある月のない夜に、静かに始まった。

眠りから覚めた僕の体に、覚えのない重さがのしかかっていたのだ。それはリアやアレンから感じる温かい重さとは全く異質だった。氷のように冷たく、鉛のように無機質で、まるで僕という存在そのものを否定するかのように、体の芯を軋ませる。

最初は気のせいだと思った。だが、その「未知の重さ」は日増しにその質量を増していった。一歩足を踏み出すごとに、見えない巨人に肩を押さえつけられているような感覚。呼吸をするだけで肺が圧迫され、息が浅くなる。

「カイ? 顔色が悪いぞ」

アレンの鋭い視線が僕を射抜く。

「大丈夫か? 最近、ずっと辛そうだぞ」

リアの気遣う声が、僕の肩の温かい重さを少しだけ増すが、それ以上に、未知の重さが僕の体全体を支配していた。

彼らに心配をかけたくなかった。この不快な重さが、僕たちの大切な友情の重さと混ざり合ってしまうのが、何よりも恐ろしかったのだ。

「少し、寝不足なだけだよ」

僕は乾いた唇で嘘をついた。だが、その嘘さえも、未知の重さに押し潰されてしまいそうなほど、か細くしか響かなかった。

第三章 欠けたる共鳴

僕の嘘は、長くは続かなかった。ある日の放課後、研究室で僕を待ち構えていたアレンが、厳しい表情で三つの縁の石を並べた。特殊な光を当てるための拡大レンズの下で、僕たちの石はいつもと同じ琥珀色の光を放っているように見えた。

「カイ、正直に話してくれ。君の体に何が起きている?」

アレンはレンズを覗き込みながら言った。その声には、ただならぬ緊張が滲んでいた。

「何も……」

「嘘だ。見ろ」

アレンが指差すレンズの先を、僕とリアは息を飲んで覗き込んだ。そこに映し出されていたのは、信じがたい光景だった。僕たちの石に寸分違わず刻まれていたはずの、あの美しい幾何学模様。その緻密な紋様の一部が、まるで黒いインクを染み込ませたかのように、光を失っていたのだ。それは「欠落」と呼ぶのが最も相応しい、不吉な空白だった。

「どうして……」リアが震える声で呟いた。「私たちの友情が、壊れかけてるってこと……?」

その言葉は、僕の胸に鋭く突き刺さった。僕の体にのしかかる未知の重さのせいで、僕たちの絆に亀裂が入ってしまったのだろうか。だとしたら、この重みは僕の罪の重さなのか。

僕たちの間に、重苦しい沈黙が落ちた。それは友情の重さとは似ても似つかぬ、ただただ冷たい、関係の死を予感させる沈黙だった。

第四章 痛みの幻影

アレンは諦めなかった。彼は街の歴史を記した古文書の山に埋もれ、数日後、一つの答えに辿り着いた。それは、友情が途絶え、光を失った「縁の石」からのみ採取できるという、「無色の結晶」に関する記述だった。

僕たちは、街外れの古物商の店で、埃をかぶった小箱の中にその結晶を見つけ出した。水晶のかけらのように透明で、何の変哲もない石くれだ。店主は「触れると、胸が張り裂けそうになる、悲しい記憶を視せられる」とだけ言って、奇妙なものを見る目で僕たちを見送った。

研究室に戻り、僕たち三人は覚悟を決めて結晶に手を伸ばした。アレンがアルコールランプで結晶をそっと炙る。すると、僕たちの手のひらの熱に反応したのか、結晶が淡い光を放ち始めた。

次の瞬間、僕たちの意識は奔流に飲み込まれた。

目の前に、幻影が広がる。見知らぬ二人の若者が、笑い合っていた。彼らの友情は深く、濃密で、その絆の強さが幻影を通してさえ肌に伝わってくる。彼らの胸にも、美しく共鳴する縁の石が輝いていた。

だが、幻影の景色は加速していく。彼らの友情が極限まで成熟したとき、突如として、片方の若者が苦しみ始めた。見えない重さに体を苛まれている。僕と、同じだ。そして、彼らの縁の石にも、あの「欠落」が現れ始めた。

幻影の最後、二人は星空の下で寄り添っていた。彼らの体は透き通り始め、その存在が世界そのものに溶けていくようだった。

「これも……世界を支えるための……重さ、なんだ……」

途切れ途切れの声が、僕たちの脳内に直接響いた。

幻影が消えた後、僕たちは言葉を失っていた。結晶がもたらした記憶は、胸を抉るような喪失感と痛みだけを残していった。だが、僕は悟ってしまった。未知の重さの正体を。縁の石の欠落の意味を。

あれは友情の崩壊ではない。僕たちの友情が、世界が存在し続けるためにそのエネルギーを捧げ始めた、究極の熟成の証だったのだ。

第五章 決断の刻

「僕の体にのしかかる重さは、世界の重みだったんだ」

震える声で、僕はリアとアレンに全てを話した。僕たちの友情が、この世界を静かに支えるためのエネルギー源として選ばれてしまったこと。そして、このまま絆を深め続ければ、僕たちの友情は世界の理の一部となり、やがて他の人々からは認識されなくなってしまうだろうということを。

「……そんなの、あんまりじゃないか」

リアが唇を噛む。その瞳には涙が浮かんでいた。

アレンは黙って腕を組み、考え込んでいた。

僕が提示した選択肢は二つ。ここで友情の熱を冷まし、ただの知人に戻ることで、世界の理から逃れるか。それとも、三人でこの世界の重さを分かち合い、誰にも知られない「透明な絆」として共に歩み続けるか。

重い沈黙が、部屋を支配した。僕一人がこの重さを背負い、二人から離れるべきなのかもしれない。そう思いかけた時、リアが顔を上げ、涙を拭って力強く笑った。

「馬鹿言わないでよ、カイ。カイが一人でそんな重いもの背負うなんて、私たちが許すわけないでしょ!」

「そうだね」アレンもまた、静かに、しかし確固たる意志を瞳に宿して頷いた。「僕たちの友情が、世界を支えるほどのものだったとは。壮大すぎて、むしろ少し笑えてくる。こんな面白い探求、途中で投げ出すなんてできないよ」

二人の言葉が、僕の心の迷いを吹き飛ばした。そうだ、僕たちは三人で一つだった。この重さも、痛みも、そしてこれから訪れる運命も、三人で分かち合うべきなんだ。

その瞬間、僕は初めて、このどうしようもない重さを、誇らしいとさえ感じた。

第六章 透明な絆

僕たちが決意を固めた、まさにその時だった。僕の体を万力のように締め付けていた「世界の重さ」が、ふっと軽くなった。消えたのではない。その重さが三等分され、リアとアレンの肩にも確かに分配されたのだ。二人は一瞬、息を詰めたが、すぐに僕を見て頷き返した。一人で背負うには絶望的な重さも、三人で分かち合えば耐えられる。

僕たちは、それぞれの胸元にある縁の石に目を落とした。石に刻まれた「欠落」はさらに広がり、もはや元の美しい模様を思い出すことさえ難しい。だが、不思議なことに、石全体は以前よりも深く、温かい光を放っているように見えた。それは、完成された絆だけが放つことのできる、静謐な輝きだった。

翌日、僕たちは街を歩いた。すれ違う人々は、僕たち三人が一緒にいることに何の関心も示さない。昨日まで「いつも仲が良い三人組」と声をかけてくれたカフェの店主でさえ、僕たちを別々の客として扱い、視線を合わせることすらなかった。

僕たちの友情は、この世界の法則に組み込まれたのだ。他者からは決して認識されない、「透明な絆」として。

寂しくないと言えば嘘になる。だが、僕たちは独りではなかった。言葉は必要なかった。隣を歩くリアの気配、少し先で空を見上げるアレンの横顔。それだけで、僕たちは互いの存在を、その温かさと重さを、誰よりも強く感じることができた。

第七章 天秤の先で

僕は今、かつて感じていた友情の重さとは異なる、静かで、しかし揺るぎない「世界の重さ」を両肩に感じている。それは時折、僕の心を押し潰しそうになる。だが、そんな時はいつも、隣にいるリアがそっと僕の手に触れる。前を歩くアレンが、何も言わずに振り返り、小さく笑う。それだけで、重さは耐えられるものになる。

僕たちの友情は、もう誰かに認められるためのものでも、形あるものでもない。それはこの空を、街を、そして名も知らぬ誰かの営みを、人知れず支え続ける礎となった。

人々は僕たちの犠牲の上にある平穏を享受し、僕たちのことなど知らずに生きていく。それでいい。

僕はこの世界の重さを担う。隣には、同じ重さを分かち合う、誰よりも大切な友人たちがいる。

空を見上げ、僕はそっと微笑んだ。その微笑みには、世界を支える者だけが知る、静かな誇りと、誰にも奪うことのできない永遠の絆が、確かに宿っていた。

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