「またその非科学的な勘か、リク」
カイトは、古びた地図を睨みつけながら吐き捨てた。隣で気の抜けたサイダーみたいな顔をしているのは、幼なじみの桜井陸(さくらいりく)、通称リク。俺、橘海斗(たちばなかいと)とは、知能指数で言えば天地ほどの差があるはずの男だ。
俺たちが今挑んでいるのは、百年の歴史を持つこの港町で開催される『開かずの時計塔』の謎解きコンテスト。優勝賞品は、町の創設者が遺したという伝説の秘宝『時の羅針盤』。論理と知識こそが至上と信じる俺にとって、これ以上なく魅力的な挑戦だった。
「だってよ、カイト。この路地の入り口、なんか俺を呼んでる気がするんだって」
「呼ばれてるのはお前じゃなくて、そこの角のたこ焼き屋のソースの匂いに釣られたハエだろ」
皮肉を込めて言ったが、リクは「それもそうかも!」と笑うだけ。こいつの能天気さには、時々、殺意すら覚える。
コンテストの第一関門は、町中に隠された五つの古文書の断片を集めること。俺は図書館の郷土資料を解析し、四つの断片の在り処を完璧に割り出した。だが、最後の一個がどうしても分からない。地図上のどのデータとも一致しないのだ。
「いいから、一回信じてみろって。俺の直感、的中率五割は超えるぜ?」
「残りの五割で遭難する確率を考えろ」
ため息をつきながらも、俺はリクの指さす薄暗い路地へ足を踏み入れた。レンガ敷きの道は湿っており、潮の香りが濃くなる。行き止まりかと思われたその先に、忘れ去られたように佇む小さな地蔵があった。そして、その足元に、探していた最後の断片が風に揺れていた。
「……ありえない」
「だろ? 俺のセンサー、結構イケてんだよ」
得意げに胸を張るリクを横目に、俺は古文書の羊皮紙を手に取った。そこには、不可解な図形と、こんな一文が記されていた。
『街で最も賢き巨人が、最も長く腕を伸ばす時、道は開かれん』
「賢き巨人って、カイトのことか?」
「俺は巨人じゃない。それに腕も普通だ」
俺たちは時計塔の下に戻り、集めた五つの断片を並べた。浮かび上がった暗号は、やはりあの「なぞなぞ」だった。他の参加者チームも続々と集まってきている。皆、頭を抱えているようだ。
「巨人は時計塔そのものだ。それは分かる。だが『最も長く腕を伸ばす時』が分からない。時計の針か? 一直線になる時間? それとも……」
俺の頭脳が、あらゆる可能性を計算し、そしてショートする。データが足りない。論理的な解が存在しない。焦りが思考を鈍らせていく。
その時、リクが空を見上げて呟いた。
「なあ、カイト。子供の頃、よくやったよな。影踏み」
「はあ? 何の話だ、今はそれどころじゃ……」
「夕方になるとさ、俺たちの影がすっげー伸びて、まるで巨人になったみたいだった。時計塔の影も、今が一番長いんじゃないか?」
リクの言葉に、雷に打たれたような衝撃が走った。
影。そうだ、時計塔が落とす影だ。太陽が最も低い位置にある、日没直前。その時、時計塔の影は、まるで巨人の腕のように、東へと長く長く伸びる。
「リク、お前……天才か!」
「え、今さら?」
俺たちは走り出した。夕日に赤く染まった街を、一直線に伸びる時計塔の影の先端へと向かって。そこにあったのは、何の変哲もないマンホールだった。だが、リクがその縁をなぞると、指先にカチリと硬い感触が伝わった。隠されたレバーだ。
二人で力を込めてレバーを引くと、ゴゴゴ……と地響きのような音を立てて、時計塔の足元に隠された扉が姿を現した。
塔の内部は、巨大な歯車が複雑に絡み合う、まさに時計仕掛けの世界だった。螺旋階段を駆け上がり、最上階の小部屋にたどり着く。そこには、豪華な宝箱ではなく、一台の古びた机と、その上に置かれた一通の手紙があるだけだった。
俺は、震える手でその封蝋を解いた。
『この謎を解き明かし、ここまでたどり着いた若き友へ。
おめでとう。君たちは、この町で最も価値ある宝の在り処を見つけ出した。
だが、その宝は黄金でも宝石でもない。
論理と直感。知恵と勇気。異なる才能を持つ者が、互いを信じ、手を取り合うこと。それこそが、未来を切り拓く力であり、この町が百年先も輝き続けるための、真の『時の羅針盤』なのだ。
羅針盤は、君たちの心の中にある。
さあ、顔を上げて、君たちが創るべき未来を見るがいい』
手紙を読み終えた俺とリクは、顔を見合わせた。そして、どちらからともなく、吹き出した。
「なんだよ、秘宝って俺たちのことかよ!」
「……非論理的だが、最高の結末だな」
窓の外には、一番星が輝き始めていた。眼下に広がる、俺たちの愛する港町の灯りが、まるで宝石のように瞬いている。
賞品は手に入らなかった。だが、俺たちはそれ以上にかけがえのないものを確かに手に入れていた。俺の論理と、リクの直感。二つが合わされば、解けない謎なんて、この世界にはないのかもしれない。
「さて、次の冒険はどこにする?」
リクがニヤリと笑う。俺は空っぽの宝箱に背を向け、最高の相棒の肩を叩いた。
「とりあえず、あのたこ焼き屋だ。腹が減っては戦はできん」
時計塔の鐘が、新たな始まりを告げるかのように、高らかに鳴り響いた。
クロックワーク・フレンズ
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