僕、アキトの親友であるハルトは、一言で言うなら「嵐」みたいなやつだ。僕が図書館の隅で古地図のインクの匂いを嗅いでいるとき、ハルトは校庭の木の一番高い枝から世界を見下ろしている。そんな正反対の僕らが、なぜ親友なのか。それはきっと、互いに自分にはないものへの憧れがあったからだと思う。
「アキト、行くぞ!」
ある晴れた放課後、ハルトは僕の肩を叩いて言った。その目には、いつものように冒険の色が宿っていた。行き先は、町の外れにそびえ立つ「鳴らずの鐘楼」。言い伝えによれば、『真の友情を持つ者だけが、その鐘を鳴らし、空飛ぶ島への道を開くことができる』らしい。
「また無茶なことを……。今まで何人も挑戦して、誰も鳴らせなかったんだぞ」
「だから面白いんじゃんか! 俺たちならできるって!」
ハルトの根拠のない自信に呆れながらも、僕は結局、彼の隣を歩いていた。彼の隣は、いつも退屈から一番遠い場所だったから。
鐘楼は、蔦に覆われた石造りの古びた塔だった。中に入ると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。最上階の鐘へと続く道は、巨大な円形の扉で閉ざされていた。
「さて、どうするかな」ハルトが腕を組む。
僕は床に描かれた奇妙な紋様に目をやった。太陽と月が絡み合うようなデザイン。壁には、古代文字でこう刻まれていた。『二つの影が一つとなりて、道は開かれん』。
「影のパズルだ」僕は呟いた。「天井の灯りから落ちる僕らの影を、この紋様にぴったり重ねるんだ」
「なるほど、面白そうじゃん!」
そこからが悪戦苦闘の始まりだった。僕らは並んだり、肩を組んだり、ハルトが僕を肩車したりと、あらゆる体勢を試した。影は伸び縮みし、なかなか紋様に合わない。
「だめだ、もう無理だよ」僕が弱音を吐くと、ハルトはニヤリと笑った。
「アキト、お前が持ってた古文書にヒントはなかったのか? ほら、太陽と月の神話がどうとかってやつ」
ハッとした。僕は記憶の引き出しを漁り、ある一節を思い出す。
「……『太陽は月に寄り添い、その身を捧げて光を成す』。そうだ、ハルト、僕の前に立って、両腕を大きく広げてみてくれ!」
ハルトが指示通りに動くと、彼の影が太陽の紋様を覆う。そして、その影の中にすっぽり隠れるように僕が立つと、二つの影は完璧に一つとなり、床の紋様と重なった。ゴゴゴ、と地響きを立てて、円形の扉がゆっくりと開いていく。
「やったな、アキト!」
「君のおかげだよ」
僕らはハイタッチを交わし、螺旋階段を駆け上がった。
次の階で僕らを待っていたのは、二つの石板が並んだだけの何もない部屋だった。扉の横には『心を一つに、時を刻め』とのみ記されている。
「同時に踏めってことか」
ハルトが言い、僕らは頷き合った。「せーの!」で石板を踏む。しかし、扉はびくともしない。何度やっても結果は同じだった。
「お前のタイミングが早いんだよ!」
「そっちこそ、一瞬ためらうだろ!」
些細なズレが、やがて苛立ちに変わり、僕らは初めて本気で口論した。冒険のワクワクは消え失せ、気まずい沈黙が部屋を支配する。僕はうつむき、もう帰ろうかと考え始めていた。
その時、ハルトがぽつりと言った。
「なあ、アキト。目を閉じてみないか」
「え?」
「いいから。俺の声だけ聞いてろ。俺もお前の呼吸だけ聞く。それで、いけるって思った瞬間に飛ぶんだ。俺は、お前を信じるからさ」
ハルトの真剣な声に、僕はゆっくりと目を閉じた。聞こえるのは、自分の心臓の音と、ハルトの静かな呼吸音。トクン、トクン……。不思議なことに、二つの鼓動が次第に重なっていくような感覚に陥った。僕の中にあった疑いや苛立ちが、すうっと消えていく。
「……今だ!」
ハルトの声と、僕が「いける」と思った瞬間は、寸分の狂いもなく同じだった。僕らは同時に宙を舞い、石板に着地した。カチリ、と小さな音がして、目の前の扉が静かに開いた。
最上階。そこには、天井から吊るされた巨大な青銅の鐘があった。しかし、鐘を鳴らすための綱は、か細いものが一本垂れ下がっているだけ。二人で引くにはあまりに頼りない。
「どうするんだ、これじゃ……」僕が途方に暮れていると、ハルトが空を見上げて笑った。
「アキト、俺たちが『鐘を鳴らす』んじゃない。俺たちが『鐘になる』んだよ」
意味が分からなかったが、ハルトは僕の前に屈み、背中を向けた。
「乗れよ。お前の知識と、俺の力。どっちが欠けてもここまで来れなかった。最後も、二人で一つになるんだ」
僕はハルトの肩に乗り、よろめきながら立ち上がった。手が、鐘の内側にある鐘舌(しょうぜつ)と呼ばれる突起にギリギリ届く。
「いいか、アキト! 俺が合図する! 全力で揺らせ!」
ハルトが大地に根を張るように踏ん張る。僕は鐘舌を固く握りしめた。
「いっせーの……で!」
ハルトが叫ぶ。僕は全体重をかけて鐘舌を揺らした。ハルトの体がぐらりと揺れるが、彼は歯を食いしばって耐えている。僕らの力が、友情が、一つの塊となって鐘に注ぎ込まれる。
——ゴォォォォン……!
今まで聞いたどんな音よりも、重く、清らかで、美しい鐘の音が世界に響き渡った。振動が僕らの体を震わせ、鐘楼全体が共鳴している。
その瞬間。僕らの頭上の天井が、花が開くように解けていった。眩い光が差し込み、僕らが見たのは、青空に浮かぶ雄大な緑の島だった。滝が流れ、虹がかかり、見たこともない鳥たちが歌っている。そして、鐘楼からその島へ向かって、キラキラと輝く雲の階段が伸びていた。
「すげえ……」
「本当だったんだ……」
肩車から降りた僕とハルトは、顔を見合わせた。そこにはもう、臆病な僕も、無鉄砲なだけのハルトもいなかった。互いを信じ、一つのことを成し遂げた、最高の相棒がいただけだ。
「行くぞ、アキト!」
「ああ!」
僕らは笑い合い、新たな冒険の始まりを告げる雲の階段を、一歩ずつ、力強く駆け上がっていった。
空飛ぶ島と鳴らずの鐘
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