十三時の鐘と影の地図

十三時の鐘と影の地図

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僕、海野カイトの部屋の壁には、一枚の古びた地図が貼ってある。それは、この港町『汐ノ見』の古い地図で、今はもうない建物や道が細かく描き込まれていた。半年前に亡くなった祖父の遺品で、地図の隅にはインクでこう書かれていた。

『真夜中の鐘が十三回鳴る時、賢者の影は道を示し、忘れられた時計塔への扉が開く』

「またそれ見てるのかよ、カイト」
ベッドに寝転がってスマホをいじっていた親友の陸(リク)が、呆れたように言った。リクは僕と正反対だ。考えるより先に体が動く猪突猛進タイプで、僕のこういう空想じみた趣味にはいつも茶々を入れてくる。
「ロマンがあるだろ。失われた時計塔だぞ」
「はいはい、ロマンね。で、十三回鳴る鐘は見つかったのかよ?」
リクの言う通り、それが最大の謎だった。真夜中に十三回も鳴る鐘なんて、この町のどこにも存在しない。僕はため息をつき、椅子に深くもたれた。その時だった。

ゴーン、ゴーン……。

遠くから、丘の上の古い教会の鐘が鳴り響いた。十二時を告げる鐘だ。僕は窓の外を眺めた。リクもスマホから顔を上げる。十二回目の鐘が鳴り終わり、町が静寂に包まれた、その直後。

ブォォーーーン……。

港から、深夜に出航する大型フェリーの低い汽笛が、まるで鐘の音に応えるかのように響き渡ったのだ。鐘と汽笛。全く違う音が、偶然にも重なり合って、まるで十三回目の鐘のように聞こえた。
僕とリクは顔を見合わせた。
「……まさか」
「……まさか、な」
僕らは同時に立ち上がった。祖父のメッセージが、急に現実味を帯びてきた。

『賢者の影は道を示す』
賢者とは誰だ? 僕らは地図を睨みつけた。
「この町の賢者って言ったら……」とリクが指さしたのは、中央広場にある初代町長の銅像だった。彼は町に図書館を建てたことから『汐ノ見の賢者』と呼ばれている。
「行こう、リク!」
「おう! なんか面白くなってきた!」

僕らは家を飛び出し、真夜中の町を疾走した。ひんやりとした潮風が頬を撫でる。中央広場に着くと、月明かりに照らされた銅像が、長い影を地面に落としていた。影の先端は、一本の細い路地を指し示している。地図には載っていない、忘れられたような路地だ。
「こっちだ!」
リクが先に駆け出す。僕も後を追った。錆びたトタンの壁と、古びたレンガ塀に挟まれた薄暗い道。その突き当たりに、それはあった。蔦に覆われた、古めかしい木製の扉。取っ手には、時計の文字盤を模した奇妙な装飾が施されている。

「これか……忘れられた時計塔への扉」
ゴクリと喉が鳴る。リクが躊躇なく取っ手に手をかけ、力を込めて引いた。ギィィ、と重苦しい音を立てて扉が開く。
そこにあったのは、下へ続く螺旋階段だった。そして、カチ、カチ、という無数の歯車が噛み合うような微かな音が、地下から響いてくる。

階段を降りた先は、信じられない光景が広がっていた。
ドーム状の巨大な空間。壁一面に、大小様々な歯車が複雑に絡み合い、ゆっくりと回転している。天井はガラス張りになっていて、満天の星が降り注ぐように輝いていた。そして、その中央に、巨大な振り子を持つ壮麗な時計塔が静かに鎮座していた。止まっているはずなのに、その威容に圧倒される。
「すげぇ……」
リクが感嘆の声を漏らす。
時計塔の足元には、祖父が使っていたのと同じ型の机と、一冊の日記が置かれていた。僕はそれを手に取った。

『この時計塔は、町の“時間”そのものを調律している。人々の心のテンポ、季節の移ろいの心地よさ。だが、歯車が一つ、ずれてしまった。私にはもう、それを直す力がない。もしこのメッセージを解き明かした者がいるのなら、それはきっと、私の意志を継ぐ資格のある者だ。カイト、お前なら。そして、お前の隣にいる最高の相棒となら』

日記の最後には、ずれた歯車の場所と、それを直すための手順が記されていた。それは、一人では到底不可能な作業だった。一人が巨大なクランクを回して全体の動きを止め、もう一人が塔の内部に潜り込んで、特定の歯車を正しい位置にはめ直す必要がある。
「……やるぞ、リク」
僕が言うと、リクはニヤリと笑って拳を突き出した。
「当たり前だろ! 俺がクランクを回す。お前は、一番難しいとこ、頼んだぜ、相棒!」

僕は頷き、リクに合図を送った。リクが渾身の力でクランクを回すと、空間を満たしていた歯車の駆動音が止まる。僕はその隙に、指示された場所へ駆け寄り、身を滑り込ませた。オイルと金属の匂いの中、僕は震える手で、わずかにズレていた黄金の歯車を掴む。カチン、と心地よい音を立てて、歯車が正しい位置にはまった。
その瞬間、時計塔の巨大な振り子が、ゆっくりと動き始めた。

カチ、カチ、と規則正しく、それでいて力強い音が空間に満ちていく。壁一面の歯車も、以前より滑らかに、そして楽しげに回転を始めた。天井から差し込む星の光が、まるで祝福するかのように僕らを照らした。
僕らは、この町の秘密の守り人になったのだ。

地上に戻ると、東の空が白み始めていた。僕とリクは、どちらからともなく顔を見合わせて笑った。
「疲れたー! けど、最高だったな!」
「ああ。でも、これは始まりな気がする」
祖父は、僕らに最高の冒険を残してくれた。そして、僕とリクの間には、誰にも言えない秘密の共有という、今までで一番強固な絆が生まれた。

僕らの日常は、また始まる。でも、それは昨日までとは少しだけ違う。僕らの足元には、まだ誰も知らない、ワクワクするような未来へと続く道が、確かに示されているのだから。

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