「なあミナト、本当に全部捨てちまうのかな」
カイが埃っぽい書架の山を見上げて言った。取り壊しが決まった旧図書館は、夏の終わりの西陽を浴びて、まるで巨大な生き物の骸のように静まり返っていた。僕、ミナトは相棒のカイに頷きながら、古い郷土史の本を段ボールに詰めていた。活字中毒の僕と、身体を動かすのが好きなカイ。正反対の僕らが親友なのは、学校中の誰もが知る事実だ。
その時だった。僕が手に取った一冊の本から、パサリと何かが滑り落ちた。羊皮紙のように黄ばんだ、古い一枚の紙。そこには手書きの地図と、奇妙な文様が描かれていた。
「なんだこれ?」
カイが身を乗り出す。地図の中央には、万年筆で書かれたような美しい文字があった。
『七つの星を辿りし者に、碧き月の雫を授ける』
「宝の地図だ!」カイの目が、まさに星のように輝いた。「碧き月の雫だってよ! すげえ宝石に違いねえ!」
僕の胸も、まるで古いゼンマイが巻かれたようにドキドキと高鳴り始めた。地図に描かれているのは、どう見ても僕らの通う高校の敷地内だった。最初の指令はこうだ。
『始まりは、時を忘れた巨人』
「時を忘れた巨人……?」僕が首をひねると、カイは「ああ、あれだ!」と指を差した。窓の外に見える、今はもう動かない旧校舎の時計台。僕らは顔を見合わせ、走り出していた。
時計台の裏側の煉瓦には、小さな星の刻印があった。その下をカイが力任せにこじ開けると、次の指令が記されたメモが出てきた。「歌なき海の王の腹の中」。
「海の王って、クジラか?」
「理科室だ! あの骨格標本だよ!」
僕のひらめきに、カイはニヤリと笑う。理科室に忍び込むと、天井から吊るされた巨大なマッコウクジラの骨格標本が、月明かりに白く浮かんでいた。カイが椅子を足場にして巨大な顎の骨に手を伸ばし、口の中から小さな木箱を取り出す。中に入っていたのは、古びたオルゴールだった。ネジを巻くと、物悲しいが美しいメロディーが流れ出した。
「この曲、聴いたことがある……」僕は記憶の糸をたぐり寄せた。「そうだ、音楽室のベートーヴェンの肖像画のプレートに、同じ楽譜が彫ってあった!」
僕らは音楽室へ急いだ。しかし、そこには厄介な先客がいた。学校の不良として有名な、三年生のタツヤ先輩とその子分だ。
「お前ら、何か面白いことやってるらしいじゃねえか。その宝、俺たちがいただくぜ」
タツヤ先輩がオルゴールを奪おうと手を伸ばす。その瞬間、カイが僕を突き飛ばし、叫んだ。
「ミナト、先に行け! ここは俺が引き受ける!」
「でも!」
「いいから行け! お前がいなきゃ謎は解けないだろ!」
カイの言葉に背中を押され、僕はベートーヴェンの肖像画に向かった。プレートの楽譜とオルゴールの音色を照合すると、特定の音符の下に小さな点が打たれていることに気づく。ド、レ、ミ、ソ、ラ……。
「音名じゃない……これは、図書室の本の分類番号だ!」
僕はカイに目配せし、全速力で図書室へ向かった。カイはタツヤ先輩たちを巧みにかわしながら、僕の後を追う。指定された番号の棚にあったのは、『天体観測入門』という一冊の本。その本の最終ページに、最後の指令が書かれていた。
『約束の丘で、友と月を待て』
「約束の丘……」
そこは、僕とカイが初めて出会った場所だった。学校の裏にある、桜の木が一本だけ立つ小高い丘。小学生の頃、いじめられていた僕を、カイが助けてくれた場所だ。
僕らが丘に着くと、満月が空高く昇っていた。タツヤ先輩たちも息を切らしながら追い付いてくる。
「宝はどこだ!」
その時、満月の光が桜の木の根元の一点を、まるでスポットライトのように照らし出した。そこだけ土が盛り上がっている。僕とカイは夢中で土を掘った。やがて指先に固い感触が伝わる。出てきたのは、小さな桐の箱だった。
カイが唾を飲み込み、ゆっくりと蓋を開ける。タツヤ先輩も固唾を飲んで覗き込んだ。
箱の中にあったのは、財宝ではなかった。二つの、透き通るような青いビー玉と、一枚の手紙。
がっかりしたタツヤ先輩が「なんだよ、ビー玉かよ」と悪態をついて去っていく。僕とカイは、手紙を広げた。
『未来の冒険家たちへ。
宝は見つかったかい? 残念ながら、ここには金銀財宝はない。本当の宝とは、誰かと力を合わせ、困難を乗り越えた『時間』そのものだ。このビー玉は、ただのガラス玉かもしれない。だが、月光の下で友と見つけたこれは、君たちにとって最高の『碧き月の雫』のはずだ。この冒険を、友情を、どうか忘れないで。
―五十年前の卒業生より』
僕らは顔を見合わせた。カイは少し照れくさそうに頭をかきながら、一つのビー玉を僕に差し出した。
「なんだかよく分かんねえけどよ……まあ、最高の宝探しだったな」
僕も頷き、青いビー玉を受け取った。月の光を反射して、それはまるで本物の雫のようにきらめいている。
「うん。カイがいたからね」
宝石よりも、大金よりも、もっとずっと価値のあるもの。僕らは確かに、この手で最高の宝物を見つけたのだ。夏の終わりの夜風が、僕らの頬を優しく撫でていった。
碧き月の雫と約束の地図
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