ガラクタ市で手に入れた古い軍用無線機は、死んだ蝉のように静かだった。俺、高槻陸は、半田ごてを片手にその内臓をいじくり回していた。幼馴染の海斗からは「またガラクタ増やして」と呆れられたが、こういう無心になれる時間が好きなのだ。
その夜、事件は起きた。調整を終えた無線機のスイッチを入れると、ザーッというノイズの海から、溺れる者のような声が聞こえたのだ。
『……リクか……? 聞こえるか……俺だ、カイトだ……』
心臓が跳ねた。声は間違いなく相葉海斗のもの。だが、ひどく掠れ、絶望の色を滲ませていた。
『……未来の……俺だ……七日後……学校の屋上……あいつを……止めろ……!』
通信はそこで途絶え、再び耳障りなノイズだけが部屋を満たした。
翌日、俺は学校で海斗に昨夜のことを話した。活発で楽天家の海斗は、俺の話を一笑に付すかと思いきや、目を輝かせた。
「マジかよ! 未来の俺からのSOS? 面白くなってきたじゃねえか!」
こいつのこういうところが、俺とは正反対で、そして少しだけ羨ましかった。
「『あいつ』って誰だよ。それに、七日後に屋上で何があるんだ?」
「分かんない。でも、やることは一つだろ、リク」
海斗はニヤリと笑い、俺の肩を叩いた。
「未来の俺を救う、七日間の冒険の始まりだ!」
その日から、俺たちの奇妙な共同捜査が始まった。未来のカイトからの通信は、毎晩午前零時きっかりに、数秒だけ入る。だが、得られるのは断片的な単語だけだった。
二日目、『青い傘』。
三日目、『カラスのいたずら』。
四日目、『坂道の自転車』。
俺たちは手帳にキーワードを書き出し、校内や街を歩き回った。
「青い傘なんて、そこら中にあんだろ」
雨の日、海斗がぼやいた直後だった。校門を飛び出してきた青い傘の女子生徒が、急ブレーキをかけた車に轢かれそうになった。それを、海斗が驚異的な反射神経で突き飛ばし、救った。女子生徒は震えながら礼を言い、去っていく。
「……これか?」
「かもしれな」
俺たちは顔を見合わせた。
その翌日には、屋上の給水タンクの上で、カラスがキラキラ光るものを集めているのを見つけた。海斗が器用にタンクをよじ登ると、その中には生徒会長が失くしたと騒いでいた部室の鍵があった。
さらにその次の日には、商店街の急な坂道で、ブレーキがキーキーと嫌な音を立てている自転車を見つけた。俺が持ち主のおばあさんに声をかけ、自転車屋に駆け込ませたことで、悲鳴が上がるはずだった未来は、平穏なまま過ぎていった。
俺たちは、小さな悲劇の芽を確実に摘み取っているはずだった。だが、その夜の無線から聞こえてきた未来の海斗の声は、ますます苦しげになるばかりだった。
『……違う……もっと、根本を……』
何が違うんだ。俺たちは、未来を変えるために奔走しているじゃないか。焦りと苛立ちが募る。海斗の顔にも、初めて焦りの色が見えた。
そして、運命の七日目。放課後。
最後の通信に備え、俺は自室で無線機にかじりついていた。今日、屋上で何かが起こる。それを止めなければ。だが、誰を?何を?
午前零時を待たずして、無線機が不意に唸った。ノイズの向こうから、絞り出すような声が聞こえる。
『……犯人は……俺だ……』
「え……?」
意味が分からなかった。犯人は、海斗? どういうことだ?
頭が真っ白になる。その瞬間、パズルのピースが恐ろしい形に組み上がっていくのが見えた。
青い傘の女子生徒。生徒会長。自転車のおばあさん。海斗が助けた人々は皆、彼に感謝し、憧れの目を向けていた。そうだ、いつもそうだ。海斗はヒーローだ。
だが、もし、その状況が「作られた」ものだとしたら?
俺の脳裏に、一人の女子生徒の顔が浮かんだ。大人しくて、いつも少し離れた場所から海斗を見つめていた、クラスメイトの佐伯さん。
まさか。
俺は部屋を飛び出し、全力で学校へ走った。心臓が張り裂けそうだった。
未来の海斗が言った「犯人は俺だ」の意味。それは、彼女をそこまで追い詰めてしまったのは、無意識に期待を持たせてしまった自分自身だ、という罪悪感の叫びだったんだ。
未来では、きっと、海斗は間に合わなかった。そして、一生拭えない後悔を背負ってしまったのだ。
夕暮れの屋上に駆け上がると、息をのむ光景が広がっていた。フェンスの外側に立ち、虚ろな目で街を見下ろす佐伯さん。そして、必死に彼女を説得する海斗。
「やめろ!」
俺は叫んだ。二人が驚いて俺を見る。
「未来から、メッセージが届いたんだ! 佐伯さん、君がそこからいなくなったら、海斗が……こいつが、一生苦しむことになるんだぞ!」
俺は、途切れ途切れに未来の無線機のことを話した。俺の必死の形相に、佐伯さんの瞳が揺れる。
「俺のせいだ」
海斗が、震える声で言った。
「お前の気持ちに気づかないで……ヒーロー気取りで……俺がお前を追い詰めた。ごめん。だから……だから、生きてくれ。頼む」
その言葉は、いつものヒーローの台詞じゃなかった。ただの必死な一人の高校生の、魂の叫びだった。
佐伯さんはその場に崩れ落ち、嗚咽を漏らした。夕焼けが、三人の影を長く、長く伸ばしていた。
その夜、俺は無線機の前に座っていた。海斗も隣にいる。
スイッチを入れる。
ザーッ……。
聞こえるのは、ただのノイズ。未来からの悲痛な声はもう聞こえない。静かで、優しい、ただの雑音。ラスト・ノイズだ。
未来は、変わったのだ。
「サンキュ、相棒」
海斗が、ぽつりと言って俺の肩を叩いた。その手は、少しだけ震えているようだった。
俺は何も言わず、ただ窓の外の星空を見上げた。未来なんて見えなくていい。隣にこいつがいる現在が、俺にとってのすべてだった。
ラスト・ノイズ
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