共鳴するコンパス

共鳴するコンパス

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夏休みの最後の日、俺、ソウタと親友のハヤトは、町で一番の禁足地である「開かずの森」にいた。大人たちが眉をひそめるその場所には、昔、奇妙な研究施設があったという都市伝説がまことしやかに囁かれている。

「本当に何もないじゃないか。ただの森だ」

汗を拭いながら、先頭を歩くハヤトが悪態をつく。運動神経抜群の彼と違い、インドア派の俺はもう息が上がっていた。

「もう少し奥だって、噂では。古い地図だと、この辺りに……」

俺が古びた地図とコンパスを交互に見比べていると、ハヤトが何かに足を引っかけ、派手に転んだ。

「うわっ! 危ねぇな、なんだこれ!」

ハヤトが転んだ原因は、地面から突き出た金属の取っ手だった。苔と土にまみれているが、明らかに人工物だ。二人で夢中になって土を掘り返すと、そこには頑丈そうな鉄のハッチが現れた。

「ビンゴだ! ソウタ、お前の地図は正しかったな!」

興奮したハヤトが、錆びついた取っ手に全体重をかける。ギギギ、と嫌な音を立てて、ハッチがわずかに開いた。隙間から、カビ臭い空気が漏れ出してくる。その先には、闇へと続く螺旋階段があった。

ゴクリと喉が鳴る。恐怖よりも好奇心が勝った俺たちは、スマートフォンのライトを頼りに、一歩ずつ地下へと降りていった。

階段の終わりは、ドーム状の開けた空間だった。中央には、巨大な水晶玉を幾重もの金属リングが囲んだ、見たこともない装置が鎮座している。壁一面には、チョークで書かれたらしい数式や幾何学模様がびっしりと埋め尽くされていた。

「……なんだよ、これ」

ハヤトが呆然と呟く。俺は、まるで磁石に引かれるように、その巨大な装置に近づいていた。コンソールらしき部分に、一つだけ、青白く点滅しているボタンがある。まるで「押してくれ」と言わんばかりに。

「おい、ソウタ! 勝手に触るなよ!」

ハヤトの制止も耳に入らなかった。俺は、吸い寄せられるようにそのボタンに指を伸ばし――押してしまった。

次の瞬間、世界が裏返った。

耳をつんざくような高周波音と共に、足元がぐにゃりと歪む。目を開けていられず、強く瞑った。数秒か、あるいは数分か。やがて静寂が戻り、恐る恐る目を開けると、俺たちは同じ場所に立っていた。

「……なんだ、何も起こらないじゃないか」

ハヤトが安堵の息を漏らした、その時だった。俺は壁の小さな窓に気づいた。さっきまで土に埋もれていたはずの窓だ。

窓の外には、信じられない光景が広がっていた。紫色の葉を持つ巨大なシダ植物が鬱蒼と茂り、空には、二つの月が爛々と輝いていた。

「嘘だろ……」

俺たちは、自分たちのいた場所から、全く別のどこかへ「転移」してしまったのだと悟った。

コンソールの表示は、ほとんどが意味不明な記号に変わっていたが、一つだけ読める文字があった。『エネルギー残量:3%』

「どうしてくれるんだよ、ソウタ! お前が変なボタンを押すから!」

「ハヤトこそ、無理やりハッチを開けなければこんなことには!」

初めて、俺たちは本気でいがみ合った。未知の世界に放り出された恐怖と焦りが、友情にひびを入れる。

その時、研究所の分厚い扉の向こうから、カリカリ、と何かを引っ掻く音が聞こえた。音は次第に大きくなり、複数に増えていく。得体の知れない何かが、外にいる。

俺たちは同時に言葉を失い、顔を見合わせた。ハヤトの目に、いつもの自信と、俺への信頼の色が戻っていた。

「ソウタ。お前なら、何とかできるだろ? 壁のこれ、何かのヒントじゃないのか?」

ハヤトが指差した壁の数式。それは、物理の授業で習ったことがある共振の数式に似ていた。そして、数式の横には、楽器のパイプのような図と、音階を示す記号が描かれていた。

「エネルギー……そうだ、エネルギーだ! この装置、特定の周波数の音波をエネルギーに変換するんだ!」

俺は叫んだ。研究所の壁際に、長短様々な金属パイプが並んでいる。あれを正しい順番と強さで叩けば、装置を再起動できるかもしれない。

「正しい順番って、どれだよ!?」

「そこに書いてある! ド、ソ、ミ、シの和音だ! でも順番が……」

思考が追いつかない。その間にも、扉を引っ掻く音は激しさを増し、ガンッ!と強い衝撃が加わった。もう時間がない。

「俺が時間を稼ぐ!」

ハヤトはそう言うと、近くにあった鉄パイプを掴み、扉の前に仁王立ちになった。

「ソウタ、お前を信じる! だから、お前も俺を信じろ!」

ハヤトの言葉が、俺の脳を撃ち抜いた。そうだ。俺は一人じゃない。

俺は壁の図形と数式に意識を集中する。コンパス、螺旋、黄金比……バラバラに見えた情報が、頭の中で一つの線に繋がっていく。

「ハヤト! 聞いてくれ! パイプを叩く順番だ! 短いのを二回、一番長いのを強く一回、そして中くらいのやつを三回だ!」

「分かった!」

ハヤトが走り、俺の指示通りにパイプを叩き始める。カーン、カーン! ゴォン! カンカンカン!

澄んだ音がドームに響き渡る。すると、沈黙していた装置の水晶が、叩かれた音に共鳴するように淡い光を放ち始めた。

『エネルギー充填中……10%……30%……』

その時、とうとう扉が破られた。隙間から、カマキリのような鋭い鎌を持った、影のような生物が何体もなだれ込んでくる!

「ソウタ、まだか!」

ハヤトが鉄パイプを振り回し、化け物を叩き伏せる。しかし、数が多すぎた。

『エネルギー充填完了。座標ロックオン。』

「今だ!」

俺はコンソールに飛びつき、転移のシーケンスを起動させた。ハヤトが最後の化け物を殴り飛ばし、俺の元へ滑り込んでくる。再び世界が白く染まり、俺たちは強く抱き合った。

次に目を開けた時、鼻腔をくすぐったのは、懐かしい土と湿った草の匂いだった。見上げると、そこには見慣れた森の木々と、夜空に浮かぶたった一つの月。

ハッチは固く閉ざされ、まるで俺たちの冒険など最初からなかったかのように静まり返っていた。

「……帰って、きた」

「……ああ」

俺たちは、泥だらけの顔を見合わせ、どちらからともなく笑い出した。声も出さず、ただ肩を震わせて笑い続けた。

あの夜、俺たちのコンパスは、確かに同じ未来を指し示していた。二人だけの秘密を胸に刻んだ俺たちの友情は、もう何があっても壊れないと、確信していた。

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