残響のモザ-イク
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残響のモザ-イク

第一章 混色の徴(しるし)

僕、ライアの身体は、友人たちの記憶でできた継ぎ接ぎの地図だ。

右目は、親友セナから譲り受けた夜空の色。星屑を溶かし込んだような深い瑠璃色が、僕自身の、ありふれた琥珀色の左目と奇妙な対照をなしている。風に揺れる髪の一房は、太陽を掴んだようなエリオの赤。肌に浮かぶかすかな斑点は、森で木苺を摘んだリアのもの。僕が誰かと強く心を通わせるたび、その絆の証として、友人の一部が僕の身体に根を下ろす。それは祝福であり、同時に僕という個の輪郭を少しずつ侵食していく呪いでもあった。

「ライア、見て。絆の花が、今年も綺麗に咲いた」

隣を歩くセナが、澄んだ声で言った。僕たちは今、風の谷に広がる玻璃草(はりそう)の野にいた。人々の友情が深まるほどに色を増すこの花は、今、僕とセナの穏やかな繋がりを映して、透き通るような青色の光を放っている。セナの瞳と同じ、静かで、どこまでも優しい青だ。

僕は自分の手を見つめる。少しだけ日に焼けた、関節の太い、僕自身の指。だが、その爪先に目をやると、かすかに真珠色の光沢が宿っている。これは、港町で出会った歌姫、マリーナの徴。彼女の歌声は、僕らの友情を育み、このささやかな輝きを僕に残していった。

友人が増えることは喜びだった。彼らの一部が自分と共にあることは、孤独を忘れさせてくれる温かい証だった。しかし、鏡を覗き込むたびに、そこにいる「誰か」が、元の自分がどれだったのかを思い出せなくさせていく。混ざり合い、上書きされ、失われていく僕の原形。この身体は、僕が失った僕自身の墓標なのかもしれない。

セナはそんな僕の葛藤を見透かしたように、そっと僕の手に触れた。彼の指先はいつも少し冷たい。けれど、その冷たさが、僕の内の熱を鎮めてくれる。

「君のその身体は、君がどれだけ多くの人を愛したかの証明だよ。僕にとっては、世界で一番美しい景色だ」

その言葉が、僕の世界をどれだけ支えてくれていることか。僕たちは言葉を交わさず、ただ青く揺れる玻璃草の海を眺めていた。友情が世界を彩る。それは、この上なく美しい法則のはずだった。あの『蒸発』が、始まるまでは。

第二章 陽炎の丘、空白の空

最初の異変は、三年前。僕の最初の親友、エリオが消えた日だ。

彼との出会いの場所だった『陽炎の丘』は、その名の通り、夏には揺らめく陽炎で黄金色に輝く場所だった。僕とエリオはそこで、他愛もない夢を語り合った。彼の燃えるような赤髪が、丘の光に溶けてきらめく光景を、僕は今でもはっきりと覚えている。僕の髪に、彼の赤色が初めて現れた時、エリオは「お揃いだな!」と、太陽みたいに笑った。

だが、ある朝、世界は変わってしまった。

陽炎の丘があったはずの場所が、ごっそりと抉り取られたように、ただの『空白』になっていたのだ。色も、音も、匂いも、風さえも存在しない、絶対的な無。空には大きな亀裂が走り、世界の肌が引き裂かれたような痛々しい傷跡を晒していた。

そして、エリオはどこにもいなかった。誰も彼を覚えていなかった。まるで、初めから存在しなかったかのように。

僕を除いては。

僕の髪には、彼の赤がまだ残っていた。けれど、それは以前のような鮮やかさを失い、まるで燃え尽きた後の熾火のように、か細く明滅するだけになっていた。そして、空白の中心には、小さな石がひとつ、落ちていた。掌に乗せると、虹色の微光を放ち、失われたはずのエリオとの記憶が、熱い奔流となって僕の胸を駆け巡った。

『残響石(エコー・ストーン)』。

友情が蒸発した跡に残される、悲しい置き土産。僕はそれを握りしめ、エリオの名を叫んだ。返事はなかった。ただ、世界の亀裂を渡る風が、虚しく応えるだけだった。

第三章 残響を辿る旅路

エリオの蒸発を皮切りに、世界中で同じ現象が頻発し始めた。深い友情が、何の前触れもなく世界から消え、美しい風景が醜い空白へと変わっていく。人々はそれを『嘆きの空白』と呼び、恐れた。

僕は、この現象が自分の能力と無関係ではないと直感していた。失われた友人たちの徴は、僕の身体から完全に消えることはない。それは、僕が彼らの存在を証明する最後の砦だった。

「行こう、ライア。何が起きているのか、突き止めなければ」

セナは、僕の旅に付き添うことを決意してくれた。彼の揺るぎない眼差しが、僕を奮い立たせる。僕たちは、各地の空白地帯を巡り、残響石を集める旅に出た。

港町に行けば、マリーナが歌っていたはずの広場が消えていた。彼女の真珠色の爪の輝きを宿す僕は、残響石に触れる。すると、一瞬だけ、僕の指先に鮮やかな光が戻り、耳の奥で彼女の優しいアリアが響いた。

森へ行けば、リアと木苺を摘んだ小径がなくなっていた。彼女のそばかすを宿す僕が残響石を拾うと、一瞬だけ、僕の肌の斑点が濃くなり、甘酸っぱい木苺の香りが鼻腔をくすぐった。

残響石は、失われた友情の断片だった。そして僕の身体は、その断片を一時的に蘇らせるための鍵。僕たちは、この旅の果てに、必ず答えがあると信じていた。セナの青い瞳を道標に、僕は歩き続けた。失った友人たちの想いを、このモザイクの身体に背負って。

第四章 満ちる器、砕ける絆

長い旅の末、僕たちは人々の記憶からも忘れ去られた古代遺跡にたどり着いた。世界の法則が刻まれているという、伝説の場所だ。苔むした石碑に刻まれた文字を、セナが静かに読み解いていく。

「『友情は世界に満ちる恩恵。されど、人の心という器は時に、その恩恵の重さに耐えきれず砕け散る』……」

砕け散る?

その言葉が、僕の心に冷たい楔を打ち込んだ。その瞬間だった。僕とセナ、二人を繋ぐ絆が、これまでにないほど強く、熱く、輝きを放ったのだ。旅を通して僕たちは、唯一無二の存在になっていた。その感情の高ぶりに呼応するように、遺跡の床から、水晶でできたかのような無数の花が一斉に咲き乱れた。世界が、僕らの友情を祝福している。あまりにも、美しすぎる光景だった。

「ライア……」

セナが僕の名を呼ぶ。彼の声は、喜びと、そしてかすかな恐怖に震えていた。

僕は見た。セナの身体が、足元から徐々に透け始めているのを。

「そんな……嘘だろ、セナ!」

友情が深まりすぎると、消える? 人の心が、その純粋なエネルギーを受け止めきれず、器ごと壊れてしまうというのか? なんて残酷な法則だ。友情を育むほど、世界は美しくなる。だが、その友情が極まると、存在そのものが消滅してしまうなんて。

「ああ、そうか……」

セナは穏やかに微笑んだ。彼の瑠璃色の瞳が、僕を真っ直ぐに見つめている。

「これが、真実だったんだね」

彼の身体は、もう胸のあたりまで光の粒子となって霧散しかけていた。僕らの友情が生み出した水晶の花々が、皮肉にも彼への送別の花のように、きらきらと輝いていた。

第五章 星空の瞳に誓う

「泣かないで、ライア」

セナの指先が、僕の頬に触れる。もうほとんど実体がないはずなのに、確かな温もりを感じた。

「君がいたから、僕の人生は意味があった。僕のこの瞳が、これからは君の中で生き続ける。僕だけじゃない。エリオも、リアも、マリーナも……みんな、君の中で生きている」

涙が止まらなかった。彼を失いたくない。友情が深まったから消えるなんて、そんな理不尽があっていいはずがない。

「君の身体は、ただの継ぎ接ぎなんかじゃない。僕たちの想いを受け止めるために、境界線をなくした、たったひとつの特別な『器』なんだ。だから……君なら、きっと……」

セナの言葉は、そこで途切れた。彼の身体は完全に光となり、僕の右目へと吸い込まれていく。視界が、星空の光で満たされた。そして、僕自身の琥珀色だった左目もまた、セナの深い瑠璃色へと完全に染め上げられた。

両の目が、夜空になった。

彼のいた場所には、これまで見たどの石よりも強く、美しく輝く残響石がひとつ、静かに落ちていた。

僕はそれを拾い上げ、強く握りしめる。悟った。僕の身体は、無数の友人の『部分』を受け入れたことで、もはや個としての明確な境界を持たない。だからこそ、純粋な友情エネルギーが極まっても、器が砕けることなく受け止められる。

僕だけが、この連鎖を止められる。

セナの最後の言葉が、僕の中で確かな決意になった。僕は、僕という個を失う覚悟を決めた。

第六章 君が編む世界の名前

集めた全ての残響石を胸に抱き、僕は世界の中心、『友情の源泉』と呼ばれる場所に立った。ここは、全ての感情が生まれ、そして還る場所。絶え間なく純粋なエネルギーが、光の渦となって満ちている。

これが、友人たちを消し去った力。そして、世界を彩る力。

僕は、ゆっくりと光の渦の中へ足を踏み入れた。

「エリオ、リア、マリーナ……そして、セナ。みんなの想いは、僕が受け継ぐ」

身体が熱い。僕を構成していた友人たちの徴が、一つ、また一つと光の中に溶けていく。エリオの赤髪が、セナの星空の瞳が、リアのそばかすが、マリーナの真珠色の爪が、全てが混ざり合い、僕という輪郭を失っていく。僕自身の、琥珀色の瞳の記憶も、日に焼けた肌の感触も、遠くなっていく。

意識が薄れゆく中、無数の記憶が流れ込んできた。それは、僕がこれまで出会った友人たちの記憶だけではなかった。この世界に生きる、見知らぬ人々の、ささやかな友情の記憶。初めて交わした言葉。共に見た夕焼け。分かち合った喜びと悲しみ。

ああ、なんて温かいんだろう。

僕はもう、ライアではない。僕は、友情そのものになったのだ。僕という個の器は完全に消え去り、世界に満ちる全ての友情エネルギーと一体化した。

すると、世界を覆っていた『嘆きの空白』が、次々と色を取り戻していく。陽炎の丘には再び黄金の光が差し、港町の広場には潮風の歌が戻った。空の亀裂は癒え、世界は穏やかな光に満たされた。

もう、友情の重さに耐えきれず砕け散る者はいない。僕が、その全てを受け止めるから。

僕という個人は、もうどこにもいない。けれど、もし君が誰かと心を通わせ、その絆の温かさに頬を緩めるなら。もし君たちの笑い声に応えるように、足元に名もなき美しい花が一輪咲いたなら。

それが、僕だ。

君たちが紡ぐ友情の物語、その全てが、僕の新しい名前なのだから。


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