スティール・シンフォニー

スティール・シンフォニー

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「歌の時間だ、エコー」
通信機から響くリツの軽薄な声に、カナデは舌打ちで応えた。眼前にそびえ立つのは、敵国アークライトの移動要塞『レヴィアタン』。全長三キロに及ぶ鋼鉄の鯨は、空を覆い尽くす絶望の象徴だ。通常の兵器では、その装甲に傷一つつけられない。

「こっちは命懸けだってのに、呑気なもんだ」
「最高の舞台じゃないか。君の美声で、あの鉄クズを内側からシェイクしてやれ」

カナデのコードネームは『エコー』。彼の声帯と耳は、軍事技術の粋を集めたインプラントによって、常人には知覚不能な音を捉え、発することを可能にする。都市一つを瓦礫に変える衝撃波から、ガラスを分子レベルで共振させ粉々にする超高周波まで、彼の声は万能の兵器だった。

今回の任務は、レヴィアタンの内部に潜入し、その心臓部である量子AIコアを『歌』で破壊すること。解析によれば、コアは特定の複雑な共振周波数にだけ、致命的な脆弱性を持つ。

「潜入を開始する。リズム、誘導を頼む」
カナデは身を屈め、闇に溶けるようにレヴィアタンの排熱ダクトに滑り込んだ。網の目のように張り巡らされた通路。無数の自動迎撃ドローンが、殺意の音を立てて巡回している。だが、カナデの耳には、その駆動音、センサーが発する微弱な電磁波ノイズまでが、立体的な地図として脳内に描かれていた。

「右へ。三秒後に巡回ドローンが通過。その背後をつけ」
リツの的確な指示が飛ぶ。カナデは息を殺し、音の死角を縫うように進む。まるで、複雑怪奇なオーケストラの指揮者が、完璧なタイミングでタクトを振るうように。

心臓部まであと僅か。巨大な隔壁の前に立った時、空気が揺れた。
否、揺れたのではない。全ての音が、唐突に『死んだ』のだ。
リツの声が途絶え、機械の駆動音も、自身の心音さえも聞こえなくなった。完全な沈黙。それは安らぎではなく、絶対的な捕食者の接近を意味していた。

隔壁の影から、漆黒の装甲をまとった人影が滑り出てくる。敵の特殊工作員、『サイレンス』。音を吸収・無効化する量子フィールドを操る、カナデの天敵だ。

「見つけたぞ、連邦の歌鳥」
サイレンスの声だけが、奇妙にクリアに鼓膜を打つ。フィールドの内側から直接、カナデの脳に語り掛けているのだ。
カナデは舌打ちし、音響増幅器を兼ねたグローブを構えた。だが、彼が放った衝撃波は、サイレンスに届く前に霧散していく。自慢の『歌』が、完全に封じられた。

「無駄だ。お前の声は、誰にも届かない」
サイレンスが高速で距離を詰めてくる。万事休すか。
その時、カナデの視界の端で、小さな配管がリズミカルに震え始めた。モールス信号だ。
『――・ ・――・―― ・――・―― ・・――』
『ウ・シ・ロ・ダ』

リツだ! カナデの通信が死んでも、彼は諦めていなかった。外部からレヴィアタンの構造データにハッキングし、配管のバルブを微細に開閉させて振動を起こしているのだ。
カナデは笑みを浮かべた。音は消せても、振動までは殺しきれない。
彼は床を強く踏みしめ、その反響からサイレンスの正確な位置を割り出す。そして、声を出す代わりに、背負っていた音響増幅装置を最大出力で『共鳴』させた。目標はサイレンスではない。彼の背後にある、巨大な冷却液パイプだ。

キィン、と金属が軋む悲鳴が上がり、次の瞬間、パイプが内部圧力に耐えきれず破裂した。高圧の冷却液が噴出し、サイレンスを直撃する。量子フィールドが乱れ、一瞬だけ世界に音が戻った。
その隙を、カナデは見逃さない。

「――お喋りは終わりだ!」

凝縮された音の弾丸が、サイレンスの装甲を撃ち抜いた。

隔壁を突破し、ついに量子AIコアが格納されたチェンバーに到達する。ガラス張りの向こうで、青白い光を放つ巨大な結晶体が、不気味に脈動していた。
だが、先ほどの戦闘で音響増幅装置は半壊していた。これでは、コアを破壊するための精密な周波数を生み出せない。

「クソッ、ここまで来て……!」
『エコー、聞こえるか!』
リツの声が、ノイズ混じりに復活した。
『装置がダメなら、即興でやるしかない!』
「無茶を言うな! あの周波数は、複数の音波を寸分の狂いなく重ね合わせないと……」
『君は天才指揮者だろ! 周りの音を全部使え! 僕も手伝う!』

リツの言葉に、カナデは覚悟を決めた。目を閉じ、全神経を聴覚に集中する。
コアの脈動音。換気ファンの低周波。壁を伝わる艦全体の振動。遠くで鳴り響く警報。それら全てが、バラバラな音の奔流となってカナデに流れ込んでくる。

「いくぞ、リツ! 最高のシンフォニーを奏でてやろうぜ!」

カナデは喉を震わせ、第一の音を発した。基礎となる旋律だ。
『了解! パーカッション、投入!』
リツが外部から隔壁をハッキングし、リズミカルに開閉させる。ガシャン、ガシャン、という無骨な打楽器の音が加わった。
カナデはそれに合わせ、第二、第三の声を重ねていく。高音と低音、倍音を複雑に絡み合わせ、不協和音だったはずの環境音を一つずつ調律していく。
警報が、戦闘ドローンの駆動音が、彼の『歌』に飲み込まれ、完璧なハーモニーの一部へと変貌していく。

チェンバー内の空気がビリビリと震え、ガラスが悲鳴を上げる。AIコアの青い光が、苦しげに明滅を始めた。
あと一手。最後の仕上げが必要だ。

「リツ! 最大級の『ノイズ』をくれ!」
『お安い御用だ!』

次の瞬間、レヴィアタンの主砲が暴発した。リツが仕掛けた最後のハッキングだった。凄まじい爆音と衝撃が艦内を駆け巡る。
カナデは、その混沌の全てを飲み込み、解き放った。

「――聴け! これが俺たちの、鋼鉄の交響曲(スティール・シンフォニー)だ!!」

声、機械音、爆音。全てが一つに調和した究極の共振周波数が、AIコアに叩きつけられた。
結晶体が甲高い叫びを上げ、内部から亀裂が走る。そして、閃光と共に砕け散った。

「やった……!」
『喜ぶのは後だ、エコー! この鉄クズ、崩れ始めるぞ! 脱出路を拓く!』

鳴り響く崩壊音の中、カナデはリツが誘導する脱出艇に向かって全力で疾走した。背後で、彼らが奏でたシンフォニーの余韻が、巨大な鋼鉄の鯨を内側から食い破っていく。炎と黒煙の向こうに、新しい世界の夜明けが見えていた。

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