ラストノート:背徳の調香

ラストノート:背徳の調香

4 3241 文字 読了目安: 約6分
文字サイズ:
表示モード:

第一章 沈黙する調香師

雨音が、コンクリートの壁を叩く。

夜の帳が下りたラボの中、私、佐伯玲子(さえきれいこ)は、空になったビーカーを前に立ち尽くしていた。

「……違う」

ムエット(試香紙)を鼻先で振る。

トップノートは完璧だ。ベルガモットの冷たい知性。

しかし、ミドルからラストにかけての「情熱」が、決定的に欠けている。

三十八歳。

世界的な調香師としての名声。

そして、冷え切ったベッド。

三日前に成立した離婚が、私の嗅覚から色彩を奪ったのだろうか。

「玲子さん、まだ残っていたんですか」

背後から、柔らかい声が掛かる。

アシスタントの蓮(れん)。

二十四歳。大学院を出たばかりの彼は、大型犬のような人懐っこい瞳で私を見る。

「……ええ。もう少しで掴めそうなの」

嘘だ。

本当は何一つ浮かんでいない。

「コーヒー、淹れました。少し休憩しませんか」

蓮が近づくと、ふわりと甘い香りが漂った。

私が調合したものではない。

彼の肌そのものが持つ、若く、熱を帯びたムスクのような匂い。

「ありがとう」

受け取ろうとした指先が、彼の手と触れ合う。

熱い。

火傷しそうなほどの体温が、指先から手首の血管を通り、心臓へと駆け上がる。

「玲子さん、手が震えてます」

「……寒気がするだけよ」

手を引っ込めようとしたが、蓮はそれを許さなかった。

逆に、私の手首を強く握りしめる。

「離して」

「嘘ですね」

いつもの「後輩」の顔ではない。

獲物を見つけた雄の目が、そこにあった。

「あなたが求めているのは、安らぎじゃない」

蓮が一歩、私に踏み込む。

実験台の縁に腰が当たり、逃げ場がなくなる。

「刺激、でしょう?」

彼の顔が近づく。

雨の湿気を含んだ彼の髪が、私の額に触れる。

「今回の新作『禁断』……。玲子さんが書いたコンセプト読みましたよ」

彼の唇が、私の耳元に寄る。

「『理性を焼き尽くすほどの、後悔』」

低い、震えるような低音が鼓膜を直接撫でる。

「今の玲子さんには作れませんよ。だって、そんな経験、したことないでしょう」

「失礼ね……」

「じゃあ、試してみますか?」

蓮の手が、私の白衣のボタンに掛かった。

第二章 ムスクと雨音

「何をする気……っ」

抗議の声は、濡れた唇によって封じられた。

キスではない。

それは捕食だった。

私の唇を割り、舌が侵入してくる。

彼の味。

コーヒーの苦みと、彼自身の唾液の甘さ。

(だめ、ここは会社よ)

頭の隅で警報が鳴り響く。

しかし、彼に抱きすくめられた身体は、裏切り者のように力を失っていく。

「んっ……ふ……」

息ができない。

酸素の代わりに、彼のフェロモンが肺を満たしていく。

蓮の手が、白衣の下、シルクのブラウスの裾から滑り込んだ。

大きく、武骨な手が、私の脇腹を這い上がる。

皮膚が粟立つ。

その感覚は、恐怖に近いほどの快楽だった。

「玲子さんの肌、すごい熱を持ってる」

唇が離れると、銀色の糸が引いた。

蓮はそれを指で拭い、愛おしそうに舐める。

「仕事中と全然違う。こんなに乱れて」

「……あなたが、強引だから」

「嫌なら突き飛ばせばいい。でも、しなかった」

彼は私を実験台の上に抱き上げた。

無機質なステンレスの冷たさが、太ももの裏に走る。

その冷たさを打ち消すように、蓮が私の両足の間に身体を割り込ませた。

「見せてください。あなたの本当の匂いを」

ブラウスのボタンが弾け飛ぶ。

露わになった胸元に、彼が顔を埋めた。

「ああっ!」

首筋、鎖骨、そして胸の谷間。

彼が這わせる舌の軌跡が、そのまま熱い烙印となって残る。

ちゅ、じゅる、という水音が、静まり返ったラボに響く。

それはあまりにも猥雑で、けれど信じられないほど甘美な響きだった。

「蓮、だめ、そこは……っ」

「いい匂いだ。甘い、熟れた果実みたいだ」

彼は私の言葉を聞いていない。

執拗に、ただ執拗に、私の敏感な場所ばかりを探り当てる。

私のスカートの中に、彼の手が侵入した。

ストッキング越しの摩擦。

その焦れったさが、私の中の獣を目覚めさせる。

「……直接、触れて」

懇願してしまった。

プライドも、上司としての威厳も、すべてが欲求の前に崩れ去る。

蓮がニヤリと笑った。

「ほら、やっぱり求めてる」

ストッキングが引き裂かれる音がした。

第三章 調合、あるいは融解

「ひぁっ……!」

直接触れられた瞬間、視界が白く弾けた。

彼の手指は、調香師のように繊細で、それでいて残酷なほど巧みだった。

「ここですか? それとも、もっと奥?」

「あ、あ、っ、もう、分からない……っ!」

私の秘められた場所は、すでに蜜で溢れていた。

彼が指を動かすたび、ぐちゅ、ぐちゅ、と卑猥な音が耳を打つ。

恥ずかしさで死んでしまいそうだ。

けれど、腰は勝手に浮き上がり、もっと深い刺激を求めて彼の手を押し付けようとする。

「玲子さん、濡れすぎです。僕の指が溶かされそうだ」

「うるさい、黙って……して……っ」

「命令しないでください。今は、僕が与える側だ」

蓮は私の片足を肩に担ぎ上げた。

彼のベルトが外れる音が、死刑宣告のように響く。

「入ってきちゃう……っ、だめ、そんな大きなの……!」

「リラックスして。全部、受け入れて」

抵抗する間もなく、彼が押し入ってきた。

「んぐっ……ああああっ!」

裂けるような充実感。

私の身体の構造が、彼を受け入れるために書き換えられていく。

異物が、私の最奥をこじ開け、侵略してくる。

「きつい……っ、玲子さん、中がすごく吸いついてくる……」

蓮の動きが始まった。

最初は優しく、そして徐々に激しく。

「あっ、あっ、そこっ、深いっ!」

実験台がガタガタと揺れる。

ビーカーが触れ合う音が、私たちの交わりのリズムになる。

彼は私の敏感な一点を、正確に突き上げてくる。

突かれるたびに、脳髄が痺れ、理性が蒸発していく。

「……玲子、俺を見て」

いつの間にか、「さん」付けが消えていた。

涙で滲んだ視界の中に、汗に濡れた彼の顔がある。

雄の顔。

私を征服し、所有しようとする男の顔。

「イく……っ、おかしくなるッ!」

「一緒に……!」

彼の動きが最高速に達する。

何度も、何度も、魂ごと突き上げられる。

私の中の何かが決壊した。

「あーーーっ!」

私の絶叫とともに、彼もまた、私の中に熱い情熱を注ぎ込んだ。

身体の奥底で、彼と私が混ざり合う。

境界線が消滅し、ただ一つの「熱」として溶け合った。

第四章 ラストノート

翌朝。

私はラボのソファで目を覚ました。

身体の節々が痛む。

けれど、その痛みすらも愛おしい。

「……蓮?」

彼の姿はなかった。

ただ、デスクの上に一枚のメモが残されている。

『辞表』

簡潔な二文字。

そして、その横には小さな小瓶。

蓋を開けると、昨夜の記憶が鮮烈に蘇った。

汗、愛液、雨の匂い、そして彼の若々しい体臭。

それらが複雑に絡み合った、背徳的で、どうしようもなく魅力的な香り。

――私が求めていた「ラストノート」だ。

彼は知っていたのだ。

私が傑作を生み出すためには、すべてを破壊するような経験が必要だと。

そのために、彼は自らを捧げ、そして去った。

「……馬鹿な子」

涙が一滴、小瓶の中に落ちる。

これで香りが完成した。

私は震える手で、その香りを『Re:Union(再会)』と名付けた。

二度と会えないとしても。

この香りを纏うたび、私は昨夜の彼に抱かれる。

永遠に、この身が尽きるまで。

窓の外は、突き抜けるような青空だった。

私の嗅覚は、かつてないほど鋭敏に、世界の色を捉えていた。

AI物語分析

  • 心理(玲子): 「老い」への無意識の恐怖と、女性としての自信喪失。蓮の強引さに、失っていた「女」としての価値を見出し、溺れていく。
  • 心理(蓮): 純粋な憧れが歪んだ支配欲へと変貌。玲子の冷たい仮面を剥がし、自分だけで満たしたいという独占欲と、彼女の才能への献身が矛盾しながら同居している。
  • 見どころ: 香りの描写を性的メタファーとして多用。直接的な表現を避けつつ、「混ざり合う」「溶ける」「侵略される」といった言葉で、粘度の高いエロスを表現した点。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

0 / 200
本日、あと...

TOPへ戻る