星屑の錆、ネオンの葬列

星屑の錆、ネオンの葬列

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第一章 霓虹と羊皮紙

「いらっしゃい。……生憎だけど、充電ステーションなら二軒隣だよ」

紫煙をくゆらせながら、私は言った。

細いパイプから昇る煙が、店内の埃っぽい空気の中で揺らめく。窓の外では、極彩色のホログラム広告が暴力を振るうように明滅し、酸性雨が窓ガラスを叩いていた。

ドアベルのカラン、という音が、この第13階層都市には似つかわしくない。

入ってきたのは、左半身を安っぽいクロームメッキの義体に変えた少年だった。フードを目深にかぶり、雨に濡れた合成繊維のジャケットが重そうだ。

「客だろ、ババア」

「あら。口の減らない客だこと」

私は椅子の背もたれに体重を預ける。軋む音。

この椅子は樹齢四千年の世界樹の根から削り出したものだが、少年にとっては粗大ゴミにしか見えないだろう。

私の尖った耳を見て、少年はわずかに眉をひそめたが、すぐに視線を逸らした。

「これを売りたい」

少年がカウンターにドン、と置いたのは、鉄の塊だった。

赤錆と油汚れにまみれ、刀身は半ばで折れている。柄の部分には何かの紋章があったらしいが、削れて判別不能だ。

「鉄クズの買い取りはやってないわ」

「鉄クズじゃねえ。……じいちゃんの遺品だ。『聖剣』だって言ってた」

私はパイプを置いた。

聖剣。

その安っぽい響きが、私の胸の奥にある、分厚い氷のような記憶をノックした。

カウンター越しに手を伸ばし、その錆びた鉄塊に触れる。

指先から伝わる冷たさ。

いいや、違う。

微かに、本当に微かにだが――脈動している。

「……名前は?」

「レン。レン・ウォーカー」

「そうじゃない。この剣の名前よ」

少年は鼻を鳴らした。

「『スターダスト』だとさ。笑えるだろ? こんな錆びた鉄の棒が」

私は息を止めた。

視界が滲む。

ネオンの毒々しい光が消え、瞼の裏に、あの日の突き抜けるような青空が広がった。

第二章 錆びない約束

「エララ! 見てくれ、これ!」

三百年前。

まだ空が青く、空気は甘く、魔法という非合理が世界を支配していた時代。

アリステアは、太陽そのものだった。

泥だらけの顔で、彼は輝く剣を掲げていた。

「ドワーフの鍛冶師が打ってくれたんだ。隕石から作った合金だってさ。『スターダスト』。これでお前を守れる」

私は本から顔を上げ、呆れたように彼を見た。

「私はエルフよ、アリステア。あなたより遥かに長く生きるし、あなたより強い魔法が使えるわ」

「そういう問題じゃないんだよ」

彼は剣を鞘に納め、真剣な眼差しで私を見つめた。

人間の寿命は短い。瞬きのようなものだ。

それでも彼は、その一瞬を燃やし尽くすように私に求愛し続けた。

「俺が魔王を倒したら、世界は平和になる。そうしたら、お前はもう戦わなくていい。ただの古書店主になれるんだ」

「……夢見がちな男」

「約束する。この剣が錆び果てても、俺の想いは消えない」

彼は笑った。

その笑顔が、私の永遠の中で最も鮮烈な傷跡になるとも知らずに。

アリステアは本当に魔王を倒した。

そして、世界を変えた。

だが、彼は戻らなかった。

最後の戦いで放った一撃が、魔力の大源(マナ・ソース)そのものを断ち切ったからだ。

世界から魔法が消えた。

彼も、その爆心地で消滅した。

残されたのは、平和と、科学という名の新しい理(ことわり)。

そして、私だけだった。

第三章 蒸気と忘却

「鑑定はどうなんだよ」

レンの声で、私は現実に引き戻された。

三百年。

アリステアが命を賭して守った世界は、蒸気機関の黒煙に覆われ、やがてシリコンと電子の網に囚われた。

私はルーペを目に当て、錆びた刀身を覗き込む。

間違いない。

折れた切っ先。そこには、魔王の心臓を貫いた時の溶解痕がある。

かつて星の光を放っていた刀身は、いまや見る影もない。

「……本物ね」

「は?」

「これは、かつて世界を救った英雄の剣よ。間違いなくね」

レンは呆気にとられ、それから自嘲気味に笑った。

「マジかよ。おとぎ話じゃなかったのか」

「で、いくらで売りたいの?」

「……3000クレジット」

安すぎる。

アンティーク・ドロイドの腕一本分にもならない。

「何に使うの?」

「妹の……肺フィルターの交換だ。この街の空気はクソだからな」

アリステア。

あなたが命を懸けて作った「平和な世界」は、あなたの血を引く子供たちが、息をするために先祖の遺品を売らなきゃいけない場所になったわ。

皮肉でしょ?

でもね、私は知っている。

あなたが望んだのは「停滞した楽園」じゃなく、「過ちを繰り返しながらも進む人間の強さ」だったことを。

「3000じゃ足りないわね」

私は引き出しを開け、旧時代の金貨を取り出した。

純金だ。この時代のクレジットに換算すれば、一生遊んで暮らせる価値がある。

「これで買い取るわ」

「は、はあ!? 本気か!? こんな錆びたゴミに!」

第四章 英雄の成れの果て

「ゴミじゃないわ」

私は金貨をカウンターに置いた。

レンの手が震えている。

「でも、条件がある」

「な、なんだよ」

「その剣を、ここに置いていくこと。そして二度と、過去を振り返らないこと」

レンは金貨を掴み取ると、疑り深そうに私を見たが、すぐに頷いた。

「当たり前だ。あばよ、変なエルフの姉ちゃん」

少年は駆け出していった。

その背中に、かつてのアリステアの面影を見る。

彼は振り返らなかった。

それでいい。

店内に静寂が戻る。

私はカウンターに残された『スターダスト』を手に取った。

ずっしりと重い。

かつての輝きはない。

魔法も宿っていない。

ただの、汚れた鉄の塊。

「……馬鹿な人」

私はハンマーを取り出した。

裏の工房へ行き、炉に火を入れる。

この時代には無用の長物。

英雄の証。

私は剣を炉にくべた。

赤熱し、形が崩れていく。

あなたが守りたかったのは、伝説じゃない。

あの子たちの「明日」だ。

だから、この剣はもう役目を終えた。

形あるものは滅びる。

記憶もいつかは風化する。

長命種(エルフ)である私にとって、それは絶望的な孤独だった。

けれど、今は違う。

ドロドロに溶けた鉄を見つめながら、私は微笑んだ。

溶けて、形を変えて、別の何かに生まれ変わる。

そうやって巡っていくことこそが、あなたが私に見せたかった「美しさ」なのかもしれない。

最終章 永遠のさようなら

翌日。

私は溶かした『スターダスト』の鉄材を使って、小さなペンダントを作った。

ただの飾りだ。

何の力もない。

店の前を、新しい肺フィルターをつけた妹の手を引くレンが通り過ぎるのが見えた。

彼は店の方を一瞥もしない。

未来を見ている。

「さようなら、アリステア」

私はペンダントをショーケースの隅、一番目立たない場所に飾った。

『名もなき鉄の欠片:10クレジット』

店の奥で、私はまた新しい本を開く。

外は相変わらずの酸性雨。

けれど、私の心の中に広がる空は、三百年ぶりに澄み渡っていた。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • エララ: 800歳のエルフ。かつて勇者パーティの一員だった。不変を愛する種族ゆえに、変わりゆく世界と先に死んでいく人間たちに疎外感を感じている。「観測者」であろうとするが、本質的には世話焼き。
  • レン・ウォーカー: 英雄アリステアの血を引く少年。スラム街で生きるサイボーグ。過去の栄光には全く興味がなく、妹を救うための「金」として聖剣を見る。現代を生きる人間のリアリズムを象徴する存在。
  • アリステア(回想): 300年前の勇者。魔法に頼り切った人類の脆弱さを憂い、魔王ごと魔法の源を断つことで「人間の時代」を切り開いた。エララへの愛は本物だったが、彼女のためにこそ、彼女が特別でない世界を作った。

【考察】

  • 「錆」の美学: 本作における「錆」は劣化ではなく、平和の証明として描かれている。剣が錆びるまで使われなかったこと、あるいは武器としての価値を失ったことは、アリステアの願いが成就したことを意味する。
  • 長命種の視座: エララにとっての300年は昨日のことだが、人間にとっては歴史の彼方である。この認識のギャップ(断絶)こそがテーマであり、エララが剣を溶かす行為は、そのギャップを埋め、人間の時間軸(未来)に寄り添う決断のメタファーである。
  • Show, Don't Tellの技法: 冒頭の「充電ステーションなら二軒隣」というセリフだけで、ここがファンタジー世界ではなくテクノロジーの世界であることを示唆している。また、剣を溶かす描写は、彼女の中でのアリステアへの執着の昇華を言葉少なに語っている。
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