拝啓、完璧な世界を壊すあなたへ

拝啓、完璧な世界を壊すあなたへ

5 5425 文字 読了目安: 約11分
文字サイズ:
表示モード:

第1章: 処刑台のラブレター

灰色の空から、記号の雨が降り注いでいた。

西暦2XXX年。第9管区の広場は、完璧に整列された市民たちの沈黙に支配されている。彼らの網膜に映るのは、次なる業務スケジュールと効率化パラメータのみ。生気なき瞳は、ただの受信機に過ぎない。

その中央、処刑台のスポットライトが一点を灼く。

「廃棄コード908。対象、自律思考型玩具(ビンテージ)。ならびに所有者、ミナ」

無機質な宣告。ミナは膝の上で震える小さな熊のぬいぐるみを抱きしめた。はみ出した綿、明滅する旧式AIのガラス玉。彼女の指先は油汚れで黒ずみ、爪の間には微細なハンダの粉。この街で唯一、冷たい金属に体温を宿せる指だ。

「大丈夫」

音にならぬ唇の動き。けれど、腕の中の小さな温もりには伝播したはずだ。

足音が近づく。

軍靴の響きではない。静謐で、正確無比なリズム。

治安維持局筆頭執行官、アルト。

冬の湖面を切り取ったような男だった。純白の制服は塵一つ許さず、銀髪は寒風になびくことさえ拒絶する。彼が立ち止まる。ミナの鼻先、数センチの距離で。

「非効率だ」

声は、研ぎ澄まされた氷の刃。

彼が見下ろすのは少女ではない。『エラー』という名のバグデータだ。手袋をはめた指が、腰の消去デバイスにかかる。

「その旧式一つを救うために、君の社会的スコアは限界値を割った。論理的説明を」

ミナは顔を上げる。

煤けた頬。だがその瞳だけは、灰色の世界を焼き尽くすような琥珀色をしていた。

「説明なんて、できない」

掲げた右手に握られているのは、武器ではない。改造された旧式端末。アンティークの基盤で走るのは、彼女が夜なべして書き込んだ、世界で最も無駄で、最も美しいプログラム。

「ただ、胸が痛いだけ」

アルトの眉が、一ミリだけ動く。未知のエラーへの拒絶反応。

ミナは端末のエンターキーを叩いた。

カチリ。

世界の色相が反転する。

銃声でも爆発音でもない。溢れ出したのは、光の粒子。

ピンク、ゴールド、サファイアブルー。視界を埋め尽くす極彩色の『キラキラ』が、ホログラムの暴風となって処刑台を蹂躙する。物理的衝撃は皆無。しかし、論理のみで構築された監視ドローンたちは色彩の過剰摂取に耐えきれず、次々と火花を散らし墜落していく。

「な……ッ?」

アルトが初めて、優雅な姿勢を崩した。

完璧な拡張現実に、無数の花弁が舞い散るエフェクトが強制割り込み(インタラプト)をかける。警告のアラートさえ、パステルカラーのハートマークへ書き換えられていく。

「行こう!」

ミナは呆然とする執行官の脇をすり抜けた。

少女漫画的演出(エフェクト)。それは、効率至上主義の世界にとって最も猛毒なウイルス。

ミナの背中越しに、アルトが振り返る。

光の粒子の向こう、走り去る髪がスローモーションのように揺れた。

胸の奥、心拍数モニターが決して拾わない場所で、何かが小さく軋んだ。

第2章: 時代遅れの反撃

路地裏の最奥、廃棄ダクトの蒸気に紛れる『修理屋ミナ』。

ネオン管の「ナ」は消えかけているが、扉の向こうは別世界だ。温かなオレンジ色のランプ、真空管アンプ、ゼンマイ時計、色褪せた紙の本。そして、珈琲の芳香。

「昨日の会議で、胃に穴が開きそうになったと?」

ハンダごてを握り、ミナはカウンター越しに微笑む。

客席の男は都市管理庁のエリート。普段は鉄仮面の彼がネクタイを緩め、琥珀色の液体が入ったマグカップを両手で包み込んでいる。

「ああ……数値が、グラフが、網膜を焼き尽くすようでね」

男のため息。ミナが修理しているのは、彼が持ち込んだ『手巻き式腕時計』だ。ネットワーク遮断、バネの力だけで時を刻む、不便極まりない骨董品。

「はい、直ったわ」

差し出された時計。

チク、タク、チク、タク。

不規則で、有機的な鼓動。

男はその音を耳元に当て、震えるように目を閉じた。

「……落ち着く。この音だけが、私が生きていることを許してくれる」

この店の商品(プロダクト)は技術ではない。『安心』という名の禁制品だ。

アルトとの遭遇以来、店には奇妙な熱気が満ちていた。「効率化」という窒息に耐えかねた人々が、夜な夜な集う。ミナはガジェットと共に、彼らの心の穴も繕っていた。

「ねえミナ、怖くないの?」

カウンターの隅、AIのクマ『ポチ』が瞬きをする。

「あの王子様、きっと探しに来るよ」

ミナは手を止め、窓外を見上げた。灰色の空。けれど彼女には見える。あの日、処刑台で揺らいだアルトの瞳が。

「怖いわ」

自身の胸に手を当てる。トクン、トクン。不規則なリズム。

「でもね、彼も同じだと思うの」

路地裏の影、監視カメラの死角。

銀髪の男が佇んでいた。

アルトは店から漏れる暖色系の光を見つめ、手の中の電子タバコを握りつぶす。

理解不能。なぜ、あの不潔で雑然とした空間に惹かれるのか。なぜ、彼女の笑顔をモニター越しに見るだけで、体内の冷却システムがエラーを吐くのか。

「解析不能(アンノウン)」

闇に溶ける背中には、焦燥の色が宿り始めていた。

第3章: 心臓の初期化

崩壊は唐突だった。

蹴破られる扉。踏み砕かれる真空管。

「治安維持局だ! 全員、動くな!」

青白いレーザー光が暖かな空気を切り裂く。客たちは拘束ドローンに押さえつけられた。ミナは動かない。入り口に立つ人影を見つめていたからだ。

アルト。

だが、あの日の彼とは違う。瞳孔は開ききり、人間的な揺らぎは完全に排除されている。背後で唸る巨大サーバーの威圧感。

「ミナ。君の存在は、都市の演算処理に重大な遅延をもたらしている」

ブーツが床の古書を踏みにじる。ミナは後ずさらず、彼を見据えた。

「あなたは……本当は知っているはずよ。痛みを、寂しさを」

アルトの手が伸び、冷たい革手袋がこめかみに触れる。ビクリとミナの肩が跳ねた。

「感情排除プログラム、レベル5。対象の記憶領域へ強制接続」

「やめ――」

「君を苦しみから解放してあげる」

愛の告白のように優しく、残酷な宣告。

接続端子がうなじに突き刺さる。

視界がホワイトアウトした。

路地裏の匂い、ハンダの熱、客たちの笑顔。処刑台で見た、アルトの寂しげな瞳。

それらが「不要ファイル」としてゴミ箱へ放り込まれていく。削除。削除。削除。心が削り取られていく。

「いや……私は、私のままで……!」

抵抗する思考回路を冷徹なアルゴリズムが塗りつぶす。最後に残った淡い、名前のない想い。それをアルト自身の手が引き抜き、握りつぶした。

プツン。

世界から、色が消えた。

膝が折れる。琥珀色の瞳は光を失い、磨かれたガラス玉のように虚ろになった。

「……対象の初期化(フォーマット)、完了」

アルトは彼女を支え、そして離す。ドサリと崩れ落ちる人形。

店に火が放たれた。燃え上がる思い出たち。ポチの残骸が炎の中で黒く溶けていく。

アルトは一度も振り返らず立ち去る。

ただ、手袋の指先だけが、微かに震え続けていた。

第4章: バグという名の魂

第103工場。

ベルトコンベアの前、ミナはただの手として存在していた。

右から来る部品にネジを三本。左へ流す。

思考はない。感情もない。完璧な有機部品。

「個体番号M-908、作業速度低下。警告」

頭上の声にも瞬きせず、淡々と速度を修正する。

灰色の世界。すべてが正しく、すべてが静かだ。

休憩のブザー。栄養ペーストの列に並ぶ彼女の足元に、排気口から黒い煤が舞い落ちた。

燃えかすのリボン。かつてあのぬいぐるみの首にあったもの。ただのゴミ。

ミナはそれを拾い上げる。論理的理由などない。だが、指先が触れた刹那。

ズキン。

胸の奥、存在しないはずの心臓が警鐘を鳴らす。指先の感覚が脳内のロックされた領域を叩く。

(温かい……?)

違う、これはただの布だ。だが、データではない何かが海馬を逆流する。

「あ……」

乾いた瞳から液体が零れ、床を叩く。ピチャン。

その音は工場の稼働音よりも大きく、世界に響いた。

涙。感情を排除した管理社会において、最も凶悪な未知のウイルス。

瞳に色が戻る。琥珀色の炎が再点火する。

「私は……人形じゃない」

強くリボンを握りしめた瞬間、工場の制御パネルが狂乱した。警告音は変調し、無機質なサイレンがアップテンポなポップソングへ書き換えられていく。

ミナが顔を上げる。空間に浮かぶ『労働こそ喜び』のホログラムがノイズと共に崩壊し、巨大な『書き文字』が虚空を埋め尽くす。

『『『ドドドドドドド!!』』』

工場の壁が極彩色に透ける。涙が気化し、ネットワークを通じて都市全域へ拡散したのだ。

街中のモニター、信号機、自動販売機が一斉に「恋」をし始める。歩行者用ホログラムは花束を捧げ、治安維持ドローンは頬を赤らめて空中停止する。

「な、なんだこれは! 心拍数が異常上昇……!」

「視界が……ピンク色に……!」

ミナは走り出した。灰色の作業服を翻し、混乱する工場を突き抜ける。

目指すは都市の中枢タワー。あの「王子」がいる場所へ。

第5章: 世界を書き換える告白

中枢タワー、最上階。世界のすべてを監視する神の座。

壁一面のモニターがエラーメッセージで埋め尽くされている。

『FATAL ERROR: LOVE DETECTED』

『SYSTEM OVERHEAT: DOKI-DOKI LIMIT EXCEEDED』

アルトは制御コンソールの前で立ち尽くしていた。指は高速でキーボードを叩くが、システムは命令を拒絶する。いや、彼自身の指が拒絶しているのだ。

「なぜだ……削除したはずだ。すべて……」

開く自動ドア。息を切らしたミナが立っていた。

汚れた作業服、乱れた髪。けれどその姿は、どんなドレスを着た貴婦人よりも鮮烈だ。

「アルト!」

彼女の叫びが空気中のナノマシンを共振させる。背後には街中から集まった光の粒子が、天使の翼のように渦巻いていた。

「来るな! 君は……バグだ!」

アルトの絶叫。冷徹さは消え失せ、制御不能な熱量(エネルギー)への恐怖が露わになる。

「そうよ、私はバグ! 世界で一番、迷惑なバグよ!」

一歩進むごとに、床のタイルがオセロのように白からピンクへ変わる。警備レーザーはミナに触れた瞬間、リボンや紙吹雪に変換され散っていく。

「あなたを直しに来たの!」

「私は壊れてなどいない!」

「壊れてるわ! だって、泣いてるじゃない!」

アルトは息を呑み、自身の頬に触れた。

濡れている。冷たい論理の城壁が、熱い滴によって溶解していく。

「君を消せば……この痛みは止まるのか」

震える手で銃を構える。だが照準が定まらない。ターゲットロックの赤い枠が、どうしてもハート型に変形してしまう。

「撃てないわ」

ミナは銃口の前に立ち、銃身を素手で握りしめた。

「だって、あなたは私に恋をしているから」

「……黙れ」

「論理(ロジック)で説明してよ。どうして私を殺さなかったの? どうして記憶を消す時、手が震えていたの?」

銃身を通じ伝わる体温。サーバーの唸りは限界を迎え、世界中の管理システムが二人の「痴話喧嘩」という負荷に耐えきれず熱暴走を始める。

「認めなさいよ! この世界に必要なのは静寂じゃない! 鼓動よ!」

ミナが叫んだ瞬間、タワーの窓ガラスがすべて砕け散った。

吹き込む強風、逆流する光の洪水。崩壊。いや、再起動(リブート)。

銃が滑り落ちる。アルトは膝をつき、頭を抱えた。

「分からない……計算できない……この胸の苦しさは……」

ミナもまた限界だった。世界を書き換える触媒として、身体が光に分解され始めている。指先が透け、データの粒子となって空へ舞う。

「さよなら、アルト。……今度は、普通の女の子として会いたかったな」

微笑み、最後の一歩を退く。この狂ったシステムと共に消滅するために。

その時だ。

「――ふざけるな」

獣のような低い唸り。

アルトが顔を上げた。その瞳はもう氷ではない。執着、欲望、激情に満ちた、人間(バグ)の目。

「私の許可なく、勝手に消去(デリート)されることは許さん!」

彼は地を蹴った。論理も任務も世界の命運も、すべてかなぐり捨てて。消えゆくミナの手首を強引に掴み取る。

ガシッ。

接触点から爆発する、火傷しそうなほどの熱。

「アルト……?」

「命令だ。私のそばにいろ。……一生、私をバグらせ続けろ!」

世界で最も非効率で、無様で、最高のプロポーズ。

二人が重なり合う。その瞬間、中枢タワーから放たれた衝撃波が地球全土を覆い尽くした。

管理社会の終わり。

そして、騒がしく、面倒で、愛おしい「ハッピーエンド」という名のカオスの始まり。

瓦礫の山頂、二人のシルエットが重なる。

背景には、バグり散らかした世界が祝福のように打ち上げる、あの日見た極彩色の花火。

「愛してる」

その非論理的な一言が、新しい世界のソースコードになった。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • ミナ (Mina): アナログな温もりを愛する修理屋。彼女の「涙」や「恋心」は、効率化された世界にとって致死性のウイルスとなる。その指先は油汚れこそが勲章。
  • アルト (Alto): 治安維持局の筆頭執行官。「氷の刃」と称される完全無欠のエリートだが、ミナというイレギュラーに対し、論理では説明できないシステムエラー(=恋)を起こす。

【物語の考察】

  • 「バグ」の再定義: この作品において「バグ」とは不具合ではなく、「人間らしさ」そのものを指す。完璧なシステム(管理社会)は、実は死んだ世界であり、エラー(感情)こそが生であるという逆説。
  • 色彩の対比: 灰色の世界(論理・秩序)と、ピンクや極彩色のエフェクト(感情・混沌)。視覚的な「塗り替え」が、そのまま革命のメタファーとなっている。
  • 最後のキス: それは単なるロマンスの結実ではなく、古いOS(管理社会)を強制終了させ、予測不能な新しい世界をブートするためのエンターキーである。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

0 / 200
本日、あと...

TOPへ戻る