『記憶の灰、愛の形』

『記憶の灰、愛の形』

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第一章 忘却の対価

「火を灯すだけだ。それだけで、昨日の晩飯の味を忘れる」

エララは震える指先で、枯れ木に杖を向けた。

凍てつく洞窟の中。吐く息は白く、感覚は指先から失われている。

「やめておけ、エララ。俺の油ならまだ持つ」

錆びついた鉄の塊――自動人形(オートマタ)のラスティが、軋む関節を鳴らして制止した。

「いいえ。あなたが凍り付いたら、誰が兄さんを運ぶの?」

エララは奥歯を噛みしめる。

この世界の魔術は、等価交換ではない。

残酷な『徴収』だ。

魔力を行使すれば、記憶が燃える。

小さな火花なら、道端の小石の記憶。

嵐を呼べば、故郷の風景。

そして、死者を蘇らせるほどの奇跡には――。

「……《イグニス》」

呪文と共に、杖の先から赤い炎が弾けた。

枯れ木がパチパチと音を立てて燃え上がる。

暖かな熱が広がる。

と同時に、エララの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。

「……あれ?」

彼女は涙を拭う。

「どうした、エララ」

「わからないの」

彼女は焚き火を見つめ、虚ろに呟いた。

「昨日、この洞窟に入る前に……私、どんな花を見たんだっけ?」

青い花だったはずだ。とても綺麗な。

だが、その「青」という色彩の記憶だけが、灰になって消えていた。

ラスティは沈黙し、ただ背負った棺桶を――石化の呪いを受けた彼女の兄が入っているそれを、優しく撫でた。

第二章 硝子の迷宮

旅の目的は、大陸最北端にある『永遠の井戸』。

そこにある聖水を浴びれば、あらゆる呪いが解けるという。

だが、井戸への道は『硝子の迷宮』によって閉ざされていた。

「右だ、エララ。左の道は……匂いが悪い」

ラスティが先導する。

「匂い? あなたに嗅覚なんてないでしょう」

「俺の製作者が、そういう機能をつけたのさ」

ラスティは、どこか誇らしげに胸を張る。

襲い来る魔獣たち。

エララはそのたびに魔法を使った。

氷の槍で敵を貫けば、幼い頃に習った歌を忘れた。

風の障壁を展開すれば、母の焼いたパンの香りを忘れた。

「エララ、もういい! 俺が盾になる!」

「だめ! あなたが壊れたら……」

彼女は叫ぶ。

彼女は天才的な魔導師だった。

だがそれは、膨大な記憶力――『完全記憶』という特異体質のおかげに過ぎない。

人より多くの思い出があるから、人より多くを燃料にできる。

ただそれだけの、悲しい才能。

迷宮の主、巨大なクリスタル・ゴーレムが現れた時、エララは覚悟を決めた。

あの怪物を倒すには、上級魔術が必要だ。

代償は、たぶん「一年分」。

(私の、十歳の時の一年をあげる)

杖を構える。

「させない!」

ラスティが飛び出した。

身を挺して、ゴーレムの拳を受け止める。

轟音。

鉄の体がひしゃげ、火花が散る。

「ラスティ!」

「行け……エララ……兄を……助けるんだろ……」

首だけの状態で、ラスティは笑った。

「なんで……どうしてそこまで……」

「約束、したからな。お前の兄と」

ラスティの眼光が消えかかる。

「あいつは言ってたよ。『エララが笑っていられるなら、俺は何もいらない』って」

エララの中で、何かが弾けた。

怒りと、悲しみ。

それが魔力へと変換される。

「……《フルグル・マキシマ》!」

雷光が迷宮を白く染め上げた。

ゴーレムが粉々に砕け散る。

エララは膝をついた。

十歳の記憶ではない。

もっと大切な、昨年の誕生日の記憶が、ごっそりと抜け落ちていた。

「ラスティ……?」

動かなくなった鉄の塊に縋り付く。

だが、直す魔法など使えない。

これ以上使えば、自分が誰かもわからなくなる。

第三章 空白の再会

『永遠の井戸』は、静謐な光を湛えていた。

エララは棺桶を引きずり、ようやくそこに辿り着いた。

石化した兄、アルドの顔は、眠っているように穏やかだ。

「やっと……着いたよ」

水を掬おうとする。

しかし、水面が揺らぎ、精霊の声が響いた。

『代償を』

『石化という“時”を止める呪いを解くには、お前の持つ“時”そのものを捧げねばならぬ』

エララは息を呑む。

「私の、時?」

『彼に関する、全ての記憶だ』

兄を救えば、兄を忘れる。

兄との日々。

優しかった笑顔。

喧嘩したこと。

頭を撫でてくれた手の温もり。

その全てを失う。

それは、エララという人格の半分を殺すことに等しい。

「……嫌だ」

「嫌だよ、そんなの」

彼女は泣き崩れた。

忘れたくない。

兄を助けたいけれど、兄を愛しているという記憶こそが、今の私を支えているのに。

その時。

壊れたはずのラスティの胸部パーツから、小さな音声記録が再生された。

ザザッ……というノイズの向こうから、懐かしい声が聞こえる。

『エララ。これを聞いているということは、俺は失敗したんだな』

それは、兄アルドの声だった。

『俺も、お前と同じ病気だったんだ。魔法を使うたびに忘れていく』

『俺は、お前を守るために魔法を使いすぎた』

『お前の名前を忘れるのが怖くて、俺はこのラスティを作った。俺の記憶を、こいつに移したんだ』

エララは目を見開く。

ラスティは、兄の記憶そのものだったのだ。

だから、あんなに優しかった。

『エララ。俺を忘れても、俺はお前を覚えている。ラスティの中にいられれば、ずっとお前を見守れる』

『だから、泣かないでくれ。お前の未来を、俺の過去に変えないでくれ』

音声が途切れる。

エララは立ち上がった。

涙はもう、涸れていた。

「……わかったよ、兄さん」

彼女は井戸の水を掬う。

「さよなら。私の大好きな人」

水を、石の唇へと注ぎ込む。

強烈な光が溢れ出した。

頭の中に白い嵐が吹き荒れる。

走馬灯のように駆け巡る思い出たちが、一枚ずつ燃えて灰になっていく。

名前を呼ぶ声。

手を繋いだ感触。

全てが、白に塗りつぶされていく。

終章 名もなき涙

鳥のさえずりで、青年は目を覚ました。

体が重い。長い間、眠っていたようだ。

「……ここは?」

アルドは身を起こし、周囲を見渡す。

美しい泉のほとり。

そして、すぐ傍らに、一人の少女が座っていた。

透き通るような銀髪の、美しい少女だ。

彼女は、壊れた鉄のロボットの頭を膝に乗せ、ぼんやりと空を見上げている。

「あの……」

アルドは声をかけた。

「君が、助けてくれたのか?」

少女はゆっくりとこちらを向いた。

その瞳は、澄んだ湖のように綺麗で、そして悲しいほどに空っぽだった。

彼女は小首をかしげ、不思議そうに彼を見る。

「わかりません」

「え?」

「気がついたら、ここにいました。あなたが誰かも、私が誰かも、わからないんです」

アルドの胸が締め付けられる。

彼は知っていた。

この状況が何を意味するのかを。

「……そうか」

アルドは涙をこらえ、立ち上がった。

そして、彼女の前に跪き、そっと手を差し伸べる。

彼女は怯える様子もなく、その手を見つめた。

「俺は、アルド。君の……」

言葉が詰まる。

兄だと言っても、彼女には伝わらない。

過去は消えたのだ。

だから、彼は精一杯の笑顔を作った。

「君の、旅の連れだ。これからよろしく頼むよ」

少女は少しの間、彼の手を見つめていたが、やがてふわりと微笑んだ。

それは、世界で一番無垢で、残酷な笑顔だった。

「はい。よろしくお願いします、アルドさん」

彼女の頬を、理由のわからない涙が伝う。

彼女はその涙を指で拭い、不思議そうに眺めた。

「あれ……? おかしいな。悲しくないのに」

風が吹き抜ける。

記憶の灰は彼方へと飛び去り、二人の新しい、真っ白な地図だけが残された。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • エララ: 完全記憶能力(ミスティック・アイ)を持つ魔導師。魔法を使うたびに大切な思い出を失う恐怖と戦いながらも、兄を救うという使命感に突き動かされている。
  • アルド: エララの兄。物語開始時点で石化している。かつてエララを守るために自身の記憶を犠牲にし、その記憶をラスティに移していた。
  • ラスティ: 錆びついた自動人形。アルドの記憶と人格の一部が移植されており、エララを献身的に守る。彼の「死」は、兄の過去の死を意味する。

【考察】

  • 魔法と記憶のメタファー: 本作における魔法は「成長」や「時間経過」のメタファーである。大人になるにつれて幼い頃の鮮烈な記憶が薄れていくように、力を得ることは純粋な過去を失うことと直結している。
  • 「灰」の意味: タイトルや本文にある「灰」は、燃え尽きた記憶の残滓を指す。形は残らないが、確かにそこにあったという痕跡であり、ラストシーンでエララが流す「理由のわからない涙」こそが、消えない感情の残響(灰)を象徴している。
  • ラスティの役割: ラスティは単なるサポート役ではなく、「過去の兄」そのものである。彼が壊れることは、過去への執着からの決別と、未来へ進むための痛みを伴う通過儀礼を表している。
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