第1章: 処刑配信の開始
湿った石畳。肺から絞り出した呼気が、白く濁り消えていく。
伸びすぎた黒髪が、視界の半分を無遠慮に遮る。その隙間から覗く世界――極彩色の絶望。泥にまみれた革鎧、継ぎ接ぎだらけの胸元を、震える指で押さえる雨宮カイト。肋骨の軋み。鼓動の早鐘。SSランクダンジョン最深部特有の腐臭とオゾン臭が、乾いた喉にべたりと張り付く。
「残念ながら君の席はないの。でも、君の死体は最高のコンテンツになるわ」
頭上から降る、鈴を転がすような美声。
星川リア。透き通るような銀髪は、ダンジョンの燐光を吸い月光の如く輝く。純白の聖騎士装備。血の一滴、泥の跳ね返りさえ許さぬ清潔さ。過剰な発光エフェクトが演出する「聖女」の虚像。宝石のような碧眼が、ゴミを見るような無機質な光でカイトを見下ろしていた。
「待っ……て……」
伸ばした手。だが、リアの純白のブーツ、そのつま先にさえ届かない。
彼女の背後、轟音と共に閉ざされゆく重厚な扉。パーティメンバーたちは、誰一人として振り返らない。荷持ち(ポーター)であるカイトの存在など、彼らにとっては道端の石ころ以下。
『カイトwwwマジで置いてかれてやんの』
『リアたんの判断ナイス! 足手まといは消えろ』
『死ぬとこ見せてー! 投げ銭するわ』
空中に浮かぶ半透明のウィンドウ。滝のように流れるコメント。全世界へ垂れ流されるライブ映像、同接数は二千万超え。
誰も助けようとしない。
誰も、カイトという人間を見ていない。
視界の歪み。涙ではない。極度の恐怖による眼球の痙攣。
扉が完全に閉ざされる。暗闇。いや、違う。
背後。重い、あまりにも重い「何か」が、巨体を揺らして立ち上がる気配。
「あ……が……」
合わない歯の根。カチカチと鳴る不快な音。
死ぬ。ここで死ぬ。
その時だった。泥水に浸かったポケットの中、ひび割れたスマートフォンが発する異常な高熱。
『通知:禁断アプリ【アビス・ライブ】のインストールが完了しました』
『条件達成:世界規模の悪意(ヘイト)を確認』
『生存戦略を開始しますか? YES / NO』
第2章: 悪食の怪人
肉を噛み千切る音。静寂な闇に、濡れた咀嚼音が響く。
「ぐ……っ、ぅぐ……ッ!」
嘔吐感。喉の筋肉を無理やり収縮させ、押し戻す。
目の前に鎮座する、脈打つ紫色の肉塊。先ほどまでカイトを殺そうとしていたボスの死体。今は、ただの餌。
口の中に広がる生臭い鉄の味。焼けるように熱い食道。
だが、喰らうしかない。
視界の端で点滅する『アビス・ライブ』のステータス画面、弾き出される異常な数値。
『炎上指数:MAX』
『受信コメント:死ね、ゴミ、キモい、ざまぁ……』
『魔力変換効率:4000%上昇』
世界中から降り注ぐ罵詈雑言。その一文字一文字が、どす黒いエネルギーとなり血管を駆け巡る。
本来なら精神を崩壊させるはずの悪意。だが、このアプリを通して暴力的なまでの生命力(マナ)へと変換されていく。
「もっとだ……もっと寄越せ……!」
叫び、再び肉塊に顔を埋めるカイト。
血と脂でべっとりと固まり、頬に張り付く黒髪。継ぎ接ぎだらけだった革鎧は、溢れ出した魔力によって内側から食い破られる。代わりに肌を覆うのは、漆黒の、まるで生きているかのように脈動する有機的な外骨格。
『うわなにこれグッロ』
『人間じゃねーだろこいつ』
『吐き気するけど見るのやめらんねえwww』
美しく整えられた表の配信界隈では決して許されぬ、原初的な「生」への執着。
血に塗れ、汚辱にまみれ、それでも生きようと藻掻く姿。安全圏から高みの見物を決め込む視聴者たちの、グロテスクな好奇心を鷲掴みにする。
「全部、喰ってやるよ」
顔を上げるカイト。
露わになる瞳。かつての怯えた色は消え失せ、そこには底なしの深淵が口を開けていた。
第3章: 英雄の帰還と社会的な死
地上への帰還。だがカイトを待っていたのは、安息ではなく、より冷酷な地獄。
「嘘だ……!」
街頭ビジョンの前、立ち尽くすカイト。
画面の中、宝石のような瞳から大粒の涙をこぼす星川リア。その姿、悲劇のヒロインそのもの。
「カイト君が……貴重なドロップ品を盗んで逃げたんです。私たちは彼を助けようとしたのに……っ!」
美しい嘘。
完璧な照明、計算された角度、そして揺れる銀髪。
大衆の熱狂。リアを擁護し、カイトを断罪する声が都市を揺らす。
『最低だなカイト』
『住所特定したわ。今から燃やしに行く』
『死んで詫びろ』
震え続けるスマホ。止まらない通知。
実家へと走るも、すでに遅い。
紅蓮の炎。木造のアパートを舐めるように包み込む熱波。崩れ落ちる屋根の下、聞こえた気がした誰かの悲鳴。祖母の姿は見えない。
膝から抜ける力。アスファルトに手を突く。
割れる爪。指先から滲む血も構わず、地面を掻きむしるカイト。
正しさなんて、どこにもない。
あるのは「映え」だけ。力とは「好感度」のこと。
「……バカね。計算通りよ」
不意にインカムから響く、ノイズ交じりの声。
路地裏の影。青白いモニターの光だけが漏れる一角。
膝を抱えた少女がそこにいた。目深に被った大きすぎるフード、血管が透けて見える青白い肌。分厚い眼鏡の奥の瞳だけが、カイトを真っ直ぐに捉える。
「シノ……」
「ログは全部洗った。あんたの婆ちゃんは、病院に運ばせたわ。意識はないけど、生きてる」
カイトと目を合わせることなく、高速でキーボードを叩き続けるシノ。
焼け落ちる家を見上げ、ゆっくりと立ち上がるカイト。
かつて「誰かに愛されたい」と願った少年の顔は、もうどこにもない。
炎の照り返しを受けて、ぬらりと輝く漆黒の生体鎧。
「人間、辞めるわ」
カイトの唇が描く、歪な孤。
「あいつらが望む通りの、最強の悪役(ヒール)になってやる」
第4章: 絶望のレイドジャック
「きゃああああああッ!!」
戦場を引き裂く悲鳴。
星川リアの引退記念レイド配信。華やかなフィナーレになるはずだったその場所は、今や阿鼻叫喚の地獄絵図。
制御不能となった神話級モンスター『黄昏の巨神』。その圧倒的な質量。リアの自慢の聖騎士鎧は紙屑のようにひしゃげ、泥と煤で薄汚れている。
崩れる化粧、乱れる銀髪。無様に這いずり回るかつての聖女。
「助けて! 誰か! 嘘でしょ、死にたくない!!」
その様子を、戦場の瓦礫の上から撮影する影。
特等席に座るカイト。漆黒の生体鎧が、周囲の闇と同化している。
『カイト何してんの!? 助けろよ!』
『人でなし! お前それでも人間か!』
『殺すぞクズ!』
コメント欄を埋め尽くす憎悪。秒間数万件の罵倒。
カイトの視界、鳴り続ける限界突破の警告音(アラート)。
全身の細胞が沸騰するような高揚感。血管の一つ一つにマグマが流し込まれる感覚。
「もっとだ……! 足りねえぞ、お前らの憎悪はそんなもんか!?」
哄笑。
腹の底から込み上げる、獣の咆哮のような笑い。
「もっと憎め! 俺を呪え! それが全部、俺の糧になるんだよぉぉぉッ!!」
リアの方へ振り下ろされる巨神の拳。
その瞬間、掻き消えるカイトの姿。
ドォォォォォンッ!!
大気が破裂する音。粉々に弾け飛ぶ神話級モンスターの巨腕。
砂煙の中から現れたのは、膨れ上がった魔力で禍々しく変貌したカイト。人助けではない。獲物の横取り。
「どけよ、羽虫」
腰を抜かしたリアの顔を踏みつけ、巨神へと跳躍。
黒い閃光。
たった一撃。
世界最強と謳われた怪物が、断末魔すら上げられずに霧散する。
圧倒的な暴力。
理不尽なまでの強さ。
止まるアンチのコメント。
罵倒の嵐が沈黙へと変わり、そして戦慄へ。やがてそれは――恐怖と畏敬の入り混じった、歪んだ「いいね」へと変貌していく。
第5章: 孤独な王座
世界の反転。
星川リアは失脚し、雨宮カイトは世界ランキング1位の探索者として君臨した。
莫大な富。数億のフォロワー。街を歩けば誰もが道を譲り、畏怖の眼差しを向ける。
だが、画面の向こうにあるのは虚無。
煌びやかなペントハウス。巨大なモニターに映る「同接数:500,000,000」という数字。
その中に、カイトという人間を見ている者は一人もいない。彼らが見ているのは「最強の悪役」というコンテンツだけ。
「……どうせ、誰も見てないだろ」
呟き。配信の終了ボタンではなく、設定画面を開く指先。
『アカウント削除』の項目。
迷いはない。
承認への渇望? そんなものは、あのダンジョンの底で食らい尽くした。
「俺が見てほしかったのは、数字じゃない」
クリック音。
部屋に響く虚しい音色。
ブラックアウトする画面。数億の悲鳴と混乱が、一瞬にして闇に消える。
立ち上がり、分厚いカーテンを開けるカイト。
そこには、大きすぎるパーカーを着た少女。
シノ。
モニター越しではない。初めて肉眼でカイトを見る彼女。震える手が、カイトの方へ差し出される。
「……バカね。本当に行っちゃうの」
「ああ。ここにはもう、俺の席はないからな」
有機的な鎧を脱ぎ捨てた生身の手で、シノの冷たい手を取る。
その温もりだけが、この世界で唯一のリアル。
二人はカメラのない、スポットライトの当たらない静寂の闇へと歩き出す。
そこには、フォロワー数も、いいねの数も、炎上も存在しない。
ただ、二人の足音だけが、確かなリズムを刻んでいた。