異世界帰りの勇者、ブラック企業を「編集(デバッグ)」する

異世界帰りの勇者、ブラック企業を「編集(デバッグ)」する

主な登場人物

九条 新 (Kujo Arata)
九条 新 (Kujo Arata)
26歳 / 男性
常にクマのある死んだ目だが、覚醒時は瞳がデジタルな青色に発光する。安物のスーツを着崩している。
毒島 健蔵 (Busujima Kenzo)
毒島 健蔵 (Busujima Kenzo)
48歳 / 男性
脂ぎった肌、高圧的な鷲鼻、ブランド物で固めた成金趣味。
牧野 ヒナ (Makino Hina)
牧野 ヒナ (Makino Hina)
23歳 / 女性
ボサボサの黒髪、丸眼鏡。本来は美人だがやつれきっている。
3 5450 文字 読了目安: 約11分
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第1章: 終電へのダイブと覚醒

地下鉄のホーム。吹き込む冷たい風。湿ったコンクリートと埃の混じった臭いが、容赦なく鼻腔を突く。午前0時を告げる電子ベルは、まるで水底で聞く音のように遠く、歪んで鼓膜を叩いていた。

九条新。彼は点字ブロックの凹凸を、革靴の薄いソール越しに感じていた。ふらりと傾ぐ重心。量販店のポリエステル混紡スーツは汗と湿気で重く、肌への張り付きが不快だ。視界の端で鬱陶しく揺れる、伸び放題の黒髪。ショーウィンドウに映る、自分の姿――無精髭が浮いた青白い頬、生気を失った泥のような瞳。

(まるで、廃棄寸前の産業廃棄物だな)

カフェインの過剰摂取で小刻みに震える指先を、ポケットに押し込む。

「電車が、参ります」

無機質なアナウンス。闇の奥から膨張する二つのヘッドライト。ブレーキの金切り音と、圧倒的な風圧。新の膝がカクンと折れた。

思考よりも早い、重力への服従。迫りくる鋼鉄の塊、線路の砕石。それらがスローモーションで網膜へ焼き付いていく。

(ああ、これで明日の会議に出なくていい)

漏れ出したのは、安堵にも似た吐息。その刹那。

視界がノイズ混じりの青色に染め上げられる。

『SYSTEM REBOOT... COMPLETE.』

『Welcome Back, Hero.』

脳髄を直接鷲掴みにされる衝撃。網膜に羅列される文字列。かつて異世界で魔王の喉元に剣を突き立てた記憶、世界そのものを記述する感覚。それらが奔流となり、神経回路を焼き切る勢いで逆流した。

衝突まで、あと0.1秒。

新の瞳孔が開く。濁った泥の色は消し飛び、その奥で炸裂する、幾何学的な青い燐光。

「……編集(エディット)」

乾いた唇から漏れた言葉。それは地下鉄の轟音にかき消されることはない。

世界が、凍りつく。

火花を散らす車輪。宙に舞う埃。悲鳴を上げようと口を開いたサラリーマンの唾液。すべてが静止画として固定された世界。

新は空中に浮かぶ半透明のキーボードを叩いた。

【対象:九条新】

【パラメータ:疲労度 9999 → 0】

【パラメータ:精神汚染度 85% → 0】

【ステータス異常:睡眠不足、栄養失調、過労 → 全消去(Clear)】

弾かれるエンターキー。

重りをつけていたような四肢は、羽根のように軽い。鉛のようだった瞼は、冴え冴えと開かれる。血管を巡るドロドロの血液が、清冽な清水へと置換されたかのような全能感。

「……魔王を倒す気力はないが」

時間を再始動させる直前、自らの身体座標を『満員電車の空席』へと書き換える。

世界が動き出した。轟音、風圧。しかし、新の身体はホームにはない。

彼は涼しい顔で、奇跡的に空いていた優先席に深く腰掛けていた。

ポケットから取り出したスマホ。画面には、未読の業務連絡が50件。新は口角をわずかに上げ、迷いなく押した。

「全件削除」のボタンを。

第2章: 圧倒的な事務処理無双

翌朝のオフィス。そこは独特の腐臭に満ちた密室だった。焦げたコーヒー、稼働し続けるサーバーの熱気、そして死んだ眼をした社員たちが放つ絶望のフェロモン。

「おい九条! 昨日の議事録はどうなってる! てめぇは息をするのと同じ速度で仕事ができねぇのか!」

毒島健蔵の怒声がフロアを震わせる。脂ぎった額、テラテラと光る鷲鼻。口角に泡を溜めたその顔面が、新の目前数センチまで迫っていた。飛ぶ唾。胃液の混じった不快な口臭。

新は瞬き一つせず、空中に指を走らせる。

毒島の周囲にだけ展開される、不可視の音響フィルター。

【Skill: 防音結界 (Soundproof Barrier) → Mode: Classic Orchestra】

「(――♪〜)」

毒島の口はパクパクと動いている。だが、新の耳に届くのは優雅なモーツァルトの旋律のみ。新はリズミカルに頷き、「承知しました、直ちに対応します」と完璧な営業スマイルを返した。気味悪そうに顔をしかめ、舌打ちをして去っていく毒島。

新はデスクを見下ろす。積み上げられた、高さ三十センチはある書類の塔。

指先を、鳴らす。

【Inventory: Store】

物理法則の無視。紙の束は虚空へと吸い込まれ、消滅した。

次いでPCの画面へ。プログラミング言語ではない。世界の構成コードを直接書き込む。

【Target: Project_DeathMarch → State: Completed】

エンターキー一発。

数週間かかると言われていたデバッグ作業。それが瞬きする間に「完了」のステータスへと書き換わる。一瞬で100%を叩き出すプログレスバー、輝く緑色の「SUCCESS」の文字。

「……あ、あの、九条先輩」

背後から、蚊の鳴くような声。

振り返れば、牧野ヒナが立っている。ボサボサの黒髪の隙間から覗く丸眼鏡。その奥の瞳は涙で潤み、真っ赤に充血していた。手には、コーヒーの染みがついた重要な契約書。

「や、やっちゃいました……。これ、部長の大事な……どうしよう、私、もう……」

白く変色するほど震える指先。過呼吸気味に上下する肩。土気色の顔面は、今にも床に崩れ落ちそうだ。

「貸して」

新は彼女の手から書類を抜き取る。

【Time Leep: Object Only (-10 min)】

青い光の粒子が紙面を覆った。中央へ収束し、蒸発するように消え去るコーヒーの茶色い染み。伸びるシワ、鮮明さを取り戻すインクの滲み。

一秒後。そこには新品同様の契約書があった。

「え……?」

眼鏡をずり上げ、信じられないものを見る目で新を見上げるヒナ。

「ミスなんて、最初からなかった。そうだろ?」

淡々と告げ、ヒナの頭にポンと手を置く。その手つきは無機質。だが、ヒナの頬に微かな朱色が戻るのを、彼の『解析眼』は見逃さなかった。

第3章: 編集できない『心』

システムは万能ではない。あるいは、人の悪意というバグが、処理能力を超えていたのか。

「牧野ォォッ!! てめぇ、クライアントにどんな口きいた!!」

数日後。毒島の咆哮が、防音結界すら貫通して響き渡った。

フロアの中央、パイプ椅子に座らされたヒナ。彼女は毒島の革靴の先を見つめ、縮こまっている。膝に叩きつけられた、濡れ衣のようなクレーム報告書。

「違います、私はただ、仕様の確認を……」

「口答えすんじゃねぇ! お前のその陰気な声が先方を不快にさせたんだよ! 土下座だ! 今すぐここで額を擦り付けて謝意を示せ!」

蹴り飛ばされる肩。パイプ椅子ごと倒れるヒナ。床に打ち付けられた肘から、鈍い音が響く。

立ち上がろうとする新。指先を組み、毒島の座標を天井裏に転送しようとコードを紡ぐ。

しかし、ヒナの表情が彼を止めた。

痛みに顔を歪めながらも、床に這いつくばる彼女。「申し訳、ありませんでした……」と震える声。瞳から消えかける光。心が、砕け散る寸前のガラス細工のように軋んでいる。

(辛すぎる。彼女の記憶を、感情を、一時的に消去すれば……)

新はヒナに向けて指をかざす。

【Target: Makino Hina → Delete: Emotion(Sadness)】

『ERROR: 警告。対象の尊厳(Humanity)を著しく損ないます。実行不可。』

視界を埋め尽くす赤い警告ウィンドウ。

新は息を呑んだ。

悲しみの消去。それは彼女を、ただ命令に従うだけのNPCに変えること。毒島がやっていることと、何が違う?

効率のために心を殺す。それはかつて、自分が最も憎んだ「社畜」の論理そのものではないか。

「おい九条! 何突っ立ってんだ! お前も教育係として連帯責任だ。隣で土下座しろ!」

飛ぶ怒声。

魔法は使えない。使ってはいけない。

新は唇を噛み切り、鉄の味を口いっぱいに広げながら、ゆっくりと膝を折った。

冷たいフロアの感触、毒島の嘲笑。そして隣で嗚咽を漏らすヒナの、布擦れの音。それだけが、鼓膜にこびりついて離れない。

第4章: 魔法の代償と人間宣言

深夜二時。

オフィスの照明は消え、非常灯の緑色の光だけが亡霊のように揺らめく。止まった空調、耳鳴りのように押し寄せる静寂。給湯室で冷え切った缶コーヒーを握りしめる新。

「……私のせいで、すみません」

入り口に立つヒナ。

洗面所で顔を洗ったのだろう。前髪は濡れて張り付き、眼鏡は外されている。酷く青白い素顔、新よりも濃い目の下のクマ。

彼女の指には、いくつものあかぎれと、修正液の白い汚れが付着していた。

「九条先輩は、すごいですね。魔法使いみたいに、なんでも解決して……。私なんて、生きてるだけで迷惑かけて」

糸が切れる寸前の楽器のような、危うい響き。

新は、彼女の『パラメータ』を見た。

【SAN値: 3 / 100】

【状態: 自我崩壊寸前】

「……違う」

握り潰される缶コーヒー。アルミのひしゃげる音が、静寂を引き裂いた。

「俺はすごくない。ただ、逃げていただけだ。感情を殺して、効率よく処理して……それが大人だと思っていた。だが」

新はヒナの方を向く。震える肩。それは拒絶ではなく、助けを求める信号。

かつて異世界で、魔王に立ち向かった時の力。それはスキルのおかげではなかった。

「守りたい」「許せない」という、熱くて泥臭い、理不尽への『怒り』がトリガーだったはずだ。

「ヒナ。泣いてもいい。怒ってもいい。……俺たちは、機械じゃない」

新の胸の奥で、凍りついていた何かが音を立てて砕ける。

同時に、激しく明滅する視界のインターフェース。

青い光が赤く、そして黄金色へと変質していく。

『SYSTEM UPDATE... Emotion Drive: ON』

『New Mode: JUDGEMENT (断罪執行) Unlocked.』

新の瞳が、再び輝き始めた。今度は冷徹なデジタルの青ではない。血管を流れるマグマのような、赫灼たる黄金の光。

「バグだらけの現実は、俺がデバッグする。……徹底的にな」

新はヒナの肩を抱き寄せた。その体温は熱く、確かに脈打っていた。

第5章: 楽園の創造

翌朝、全社員が出社した午前九時。

毒島がいつものように、ゴルフバッグを担いで悠々とオフィスに入ってきた瞬間、世界が反転した。

「おはようございます、毒島部長。……いえ、『元』部長」

新が指を鳴らす。

【World Edit: Global Broadcast → True】

【Target: All Monitors & Smartphones】

一斉にジャックされるオフィスの数百台あるPCモニター、社員全員のスマホ、果ては壁面の大型プロジェクターまで。

画面に映し出されたのは、毒島の裏帳簿。横領の証拠。部下への暴言を録音した音声データの波形。下請け会社への違法なキックバック要求のメール履歴。

「な、なんだこれは!? 消せ! 今すぐ消せぇぇ!!」

顔を真っ赤にして叫ぶ毒島。だが、誰も動かない。社員たちは呆然と、しかし次第に軽蔑の眼差しを向けていく。

新は毒島の前へ進み出る。その足取りは、もはや社畜のそれではない。勇者の凱旋だった。

「消去不能です。これは『事実』ですから。改竄されたのはあなたの虚栄心だけだ」

毒島が新に掴みかかろうとする。

しかし、新は動じない。毒島の拳が届く直前、新の瞳が黄金に輝き、空間そのものが拒絶するように毒島を弾き飛ばした。尻餅をつく毒島。かつての威光は見る影もなく、ただの怯えた小太りの中年男がそこに這いつくばっている。

『Execution Complete. 対象の社会的ステータスを【抹消】しました。』

遠くから聞こえてくる警察のサイレン。

新は振り返り、ヒナを見た。口元を両手で覆い、涙を流す彼女。それは絶望の涙ではなく、安堵と解放の涙。

「……最後だ」

新は空を見上げる。オフィスの天井を超え、青空が見える気がした。

彼は自身の内側にある『異世界チート能力』のコアを掴み出し――握り潰した。

【Sacrifice: World Edit Skill】

【Effect: Area Heal (Last Elixir)】

まばゆい光の粒子が、オフィス全体に降り注ぐ。

それは雪のように優しく、春の日差しのように温かい。

光に触れた社員たちの顔色が戻る。ほぐれる肩の凝り、消えゆく目の下のクマ、心にこびりついたヘドロのようなストレスが浄化されていく奇跡。ヒナの頬にも、健康的な薔薇色が咲いた。

光が収まった時、新の視界からデジタルなログは消えていた。

身体は少し重い。眠気もある。明日からはまた、満員電車に揺られる日々が始まるだろう。

だが。

「……おはようございます、先輩」

ヒナが、眼鏡を外した素顔で、花が綻ぶような極上の笑顔を向けた。

新はネクタイを少し緩め、人間らしい、少し不器用な笑みを返した。

「ああ。……おはよう」

窓の外から差し込む朝日。埃舞うオフィスは黄金色に染め上げられている。

世界はまだバグだらけかもしれない。けれど、今日という日は、悪くない。

クライマックスの情景

AI物語分析

【物語の考察:効率と人間性のパラドックス】

本作の根底に流れるのは、「効率化(チート)」と「人間性(不便さ)」の対立だ。主人公・九条新は当初、異世界の力を用いて業務を効率化し、感情を排して「完璧な社畜」として振る舞う。しかし、ヒナの悲しみを前に「感情の削除」という究極の効率化をシステム(理性)に拒絶される。これは、人の尊厳が「非効率な感情」の中にこそ宿るという逆説的な真理を示唆している。

【メタファーの解説:黄金の光】

物語終盤、新の能力が「青(デジタル・冷徹)」から「黄金(有機的・情熱)」へと変化する描写は、彼がシステムの一部から「人間」へと回帰したことを象徴する。最後の「ラスト・エリクサー」の使用は、異世界から持ち帰った「万能の力」を捨て去り、不完全だが温かい現実世界を受け入れるための通過儀礼(イニシエーション)である。

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