視聴者0人の葬列、あるいは英雄の遺言

視聴者0人の葬列、あるいは英雄の遺言

主な登場人物

雨木カナタ (Amagi Kanata)
雨木カナタ (Amagi Kanata)
20歳 / 男性
ボサボサの黒髪で前髪が長い。常にクマがある三白眼。薄汚れた灰色のローブを纏っている。
レオン・スターリング (Leon Sterling)
レオン・スターリング (Leon Sterling)
24歳 / 男性
金髪碧眼、完璧に整えられた容姿。光り輝く白銀の聖鎧を着用。
シズク (Shizuku)
シズク (Shizuku)
不詳(外見は16歳前後) / 女性
透き通るような銀髪、琥珀色の瞳。死装束を現代風にアレンジしたドレス。
9 5764 文字 読了目安: 約12分
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第1章: 孤独な葬列

『視聴者数:0』

『酸素残量:3%』

網膜に映る赤い警告灯。……ああ、これが僕の人生の幕切れか。

肺が焼ける。ヒュー、ヒュー。粘着質な闇に、自身の吸気音だけが大きく反響している。

ダンジョン最深部、通称『死の胃袋』。ヘドロと鉄錆、そして濃厚な死臭が充満する奈落の底。

雨木カナタは、自身の顔に向けられたドローンカメラを虚ろに見つめた。

脂汗で額に張り付く、手入れされていない黒髪。伸びすぎた前髪の隙間から覗く、クマの刻まれた三白眼。かつて瞳だったものは、洞窟の湿気を吸って濁りきっている。継ぎ接ぎだらけの灰色のローブには、乾いた血痕のような染み。

同接0。当然の結末だ。

Fランク探索者、それも死体漁りを専門とする『掃除屋』の配信など、物好きすら見向きもしない。

足元の泥がずるりと滑る。

膝をついた拍子に、指先が何かに触れた。硬く、冷たい感触。

ライトを向ける。光の束が闇を切り裂き、そこに横たわる「それ」を浮かび上がらせた。

「あ……」

喉が鳴る。

白骨化しかけた遺体。だが、その装備に見間違えようはない。かつてテレビの向こうで輝いていた、伝説の『雷光の英雄』の鎧。表面の彫金は朽ちかけ、肋骨の隙間からはダンジョン蟲が這い出している。

英雄の成れの果て。

(これを売れば……)

心臓が早鐘を打つ。乾いた唇を舐める。この剣一本で、億は下らない。スラムの狭い部屋を出て、一生遊んで暮らせるチケット。装備を剥ぎ取れ。カメラを切れ。誰も見ていない。

震える手が、遺体の剣に伸びる。指先が柄に触れようとした、刹那。

『……寒い』

声。

いや、鼓膜ではない。脳髄を直接握り潰されるような圧迫感。

視界の端で、英雄の遺体の指が微かに動いた錯覚。物理的な動きではない。そこにある「未練」が、ヘドロのように渦巻き、訴えかけてくる。

「……すみません。僕なんかが、触れて」

カナタは剣から手を離し、泥だらけの手で合掌した。

そして、震える指でドローンの設定を操作する。タイトル変更。『英雄、最期の言葉』。

「装備は……持っていきません」

カメラに向かい、独り言のように呟く。呼吸が浅い。酸素欠乏で視界がチカチカと明滅する。

「聞こえますか、あなたの声。……僕が、届けますから」

カナタの瞳に、奇妙な熱が宿る。

呼応するように、遺体から立ち昇る蒼白い燐光。それらがカナタの胸郭へと吸い込まれていく。

肋骨の内側が膨張する感覚。血管の一本一本に、他人の熱い血液が無理やり流し込まれる激痛。

「ぐ、ぁあああッ!?」

喉が裂けるほどの絶叫。

脳裏に雪崩れ込む映像の奔流。愛する妻の笑顔。守りたかった娘の泣き顔。無念。悔恨。帰りたかった、帰りたかった――!

「受け取り……ました」

血の混じった唾を吐き捨て、ふらりと立ち上がる。

猫背だった背筋が、見えざる糸で釣られたように伸びていく。濁っていた三白眼の奥、宿るは雷光の如き鋭い光。

第2章: 涙のスパチャ

「おい見ろ、同接がバグってるぞ」

「なんだこいつ、動きが……英雄(アルヴィン)か?」

コメント欄、滝のごとし。

視聴者数、50万人突破。

カナタの四肢は、意思とは無関係に躍動していた。

立ちはだかるは階層主『腐敗の巨竜』。腐肉を垂れ流す顎が、眼前の獲物を噛み砕こうと迫る。

平時のカナタなら、恐怖で腰を抜かし、失禁していただろう。だが今、彼の右手は自然と剣の柄に掛かっていた。

(遅い)

思考よりも速く、筋肉が弾ける。

踏み込み、一閃。

泥と汚水が跳ねるより疾く、紫電が闇を焼き払った。

巨竜の首が、音もなく滑り落ちる。

ドサリ。

地響きと共に巨体が崩落。同時に、カナタの体から力が霧散した。

膝から崩れ落ちる。肩で息をするたび、肺がヒューヒューと鳴く。

だが、視聴者が息を呑んだのは、その圧倒的な武勇ではない。

カナタは、まだ痙攣する巨竜の死骸には目もくれず、カメラを拾い上げた。

レンズの向こう側。何千キロも離れた場所にいるであろう、英雄の遺族に向けて。

「……最期まで、彼は戦っていました」

掠れた声。

目元を覆う長い前髪が、汗で濡れて透けている。

「『リサ、誕生日おめでとう。プレゼントは渡せそうにない。ごめん』……それが、彼の最期の思考(ことば)です」

その言葉が発せられた瞬間、コメント欄の流れが止まった。

そして、爆発。

『ウソだろ、今日あの子の誕生日じゃん……』

『本物だ。今の剣技、今の言葉、全部本物だ』

『今まで遺品を盗む奴しかいなかったのに』

『ありがとう……届けてくれてありがとう……!』

画面を埋め尽くす虹色のスパチャ。

称賛、感謝、涙。

しかし、カナタは表情を変えない。ただ、薄汚れた袖で目元を乱暴に拭っただけ。

「……僕なんかに、礼なんて」

その時、カナタの隣に降り立つ、透き通るような影。

月光を紡いだような銀髪。琥珀色の瞳。死装束を現代風のドレスに仕立て直した少女が、ふわりと宙に浮いている。

「背筋が曲がっていてよ、カナタ」

彼女――シズクが、誰にも聞こえない声で囁いた。

半透明の指先が、カナタの頬を掠める。冷たさはなく、ただ微かな風のような感触。

「もう、仕方ない人ね。……でも、よくやったわ」

小さく頷き、逃げるように配信を切る。

暗闇に戻ったダンジョンで、膝を抱える青年。

世界中が彼を英雄と呼んでも、その耳には、まだ妹の断末魔がこびりついて離れない。

第3章: 偽善者の烙印

眩いフラッシュ。煌びやかなシャンデリア。

Sランク探索者、レオン・スターリングのパーティー会場は、天上の楽園のようだった。

「Hey Guys! 今日も伝説を見逃すなよ?」

完璧に整えられた金髪。光を反射する白銀の聖鎧。レオンが白い歯を見せて笑えば、コメント欄は黄色い歓声で埋め尽くされる。

その煌めきの端、借りてきた猫のように縮こまるカナタ。洗濯したはずのローブから、染みついた死臭が漂う気がしてならない。

「紹介しよう。最近話題の『掃除屋』くん、カナタだ!」

馴れ馴れしく肩を組んでくるレオン。香水の甘ったるさが、鼻をつく。

カメラがカナタの青白い顔をアップにする。

「……あ、どうも」

「彼は素晴らしい才能を持っている。だが、少し教育が必要だね?」

レオンの碧眼が、爬虫類のように細められた。

公開処刑の合図。

数日後。

編集された動画が世界を駆け巡った。

『衝撃の真実! 掃除屋カナタ、仲間を囮にして逃亡』

映像の中のカナタは、傷ついた仲間を見捨てて背を向けているように見えた。実際は、レオンが「引け!」と命令し、カナタが負傷者を背負おうとした瞬間が巧みにカットされていた。

『最低だな』

『死者の声? 全部やらせだろ』

『死ねよ詐欺師』

『住所特定したわ。妹も殺したらしいな』

鳴り止まぬ通知音。

スマホの画面を埋め尽くす罵倒の嵐。

自宅ドアに書かれた「人殺し」の赤文字。割られた窓ガラス。

「……やっぱり」

割れたガラスの破片を、素手で拾い上げる。指先が切れ、赤い血が滲む。痛みは遠い。

「僕は、生きていてはいけない人間なんだ」

かつて妹を見捨てて生き延びたあの日から、わかっていたこと。

英雄気取りで、少しでも償えると思った自分が愚かだった。

「カナタ! 聞こえる!? 早まるんじゃないわよ!」

シズクの声が響く。だが、カナタは耳を塞いだ。

灰色のローブを深く被り直す。

目指す場所は一つ。

生還率0%、最難関ダンジョン『奈落』。

死ぬなら、せめて誰にも見つからない場所で。

第4章: 無数の弱者たち

闇。

完全なる闇。

『奈落』の底には、光も音も存在しない。

あるのは、積み重なった死骸の山と、濃密な魔素の淀みだけ。

岩肌に背を預け、荒い息を吐くカナタ。

食料は尽きた。水もない。

意識が泥の中へと沈んでいく。

(これでいい。これで、やっと終われる)

重くなる瞼。

その時だった。

『……だ』

『……やだ』

『……まだ、死にたくねぇ』

声。

一つではない。十、百、いや、数千。

地面から、壁から、無数の腕が伸びてくる。泥のような、煙のような、名もなき亡者たち。

彼らは英雄ではない。Fランク、Eランク。誰にも顧みられず、レオンのような強者に踏み台にされ、ゴミのように捨てられた弱者たち。

「う、あああ……!」

頭蓋骨がきしむほどの頭痛。

数千人の「無念」が、カナタの精神を食い破ろうとする。

『なんで俺たちだけ』

『助けてくれ』

『痛い、痛い、痛い』

「ごめん、なさい……僕には、無理だ……」

耳を塞ぎ、うずくまる。

だが、その亡者たちの群れの中から、ひとつの小さな手が伸びてきた。

『お兄ちゃん』

見開かれる目。

幻聴かもしれない。だが、その声は確かに、あの日の妹のもの。

『生きて』

その言葉が、カナタの心臓を鷲掴みにした。

(生きて? 僕が?)

顔を上げる。

シズクが立っていた。彼女もまた、かつて世界に見捨てられた「敗北者」の一人。悲しげに、けれど力強くカナタを見つめている。

「カナタ。彼らは、あなたを呪っているんじゃない。……託しているのよ」

シズクが指差す先。

数千の亡者たちが、カナタを見ていた。

彼らの瞳に宿るのは、憎悪ではない。縋るような、祈るような光。

自分たちの生きた証を、理不尽に踏みにじられた最期を、誰かに知ってほしいという執念。

「……僕に、何ができる」

震える足で立ち上がる。

足元の泥を握りしめる。冷たく、臭い泥。だがそこには、無数の魂が混じっている。

「僕は英雄じゃない。……ただの、死に損ないだ」

ドローンが、奇跡的に再起動する。灯る赤いランプ。

「だけど、掃除屋(ぼく)にしか、できない仕事がある」

カナタの目が、深く暗い光を宿す。

《死者共鳴(ソウル・シンクロ)》、最大出力。

一人の英雄の力ではない。数千の弱者たちの、泥臭い執念の集合体。

漆黒のオーラが、カナタの灰色のローブを染め上げていく。

第5章: 静寂の1億人

「Shit! なんで死なないんだコイツは!!」

響き渡るレオンの絶叫。

『奈落』の深層部。彼が企画した「前人未踏の攻略配信」は、地獄絵図と化していた。

想定外の変異種。仲間たちは既に倒れ、レオンの白銀の鎧も砕け散っている。

「僕を見捨てるな! 僕はレオン・スターリングだぞ!!」

カメラに向かって喚き散らすレオン。

その背後に、巨大な爪が振り下ろされる。

終わりだ。

世界中が見守る中、最強の男が肉塊に変わる――。

ガギィィィン!!

重い金属音。

恐る恐る目を開けるレオン。

眼前に、ボロボロの灰色の背中があった。

「……え?」

カナタだった。

だが、その姿は異様。

背中から、無数の黒い影が翼のように立ち昇っている。何百、何千もの手や顔が、揺らめく影の中に浮かんでいる。

「カ、カナタ……? 貴様、生きて……」

カナタはレオンを振り返らない。

ただ、変異種を見据え、一歩踏み出す。

「お前たちが殺した、彼らの分だ」

振るわれる腕。

剣ではない。影そのものが巨大な杭となり、変異種を貫いた。

圧倒的な暴力。しかしそれは、華麗な光魔法ではない。泥と怨嗟が凝縮された、重く、苦しい一撃。

変異種が断末魔を上げて霧散する。

静寂。

カナタはゆっくりと振り返り、レオンのカメラを見た。

現在の視聴者数、10億人。

人類の歴史上、最も多くの人間が、泥だらけの青年を見つめている。

カナタはレオンに剣を向けない。

ただ、ポケットから一冊の手帳を取り出した。ボロボロで、血に濡れた手帳。

そこには、このダンジョンで死んでいった「名もなき探索者」たちの名前がびっしりと記されていた。

「聞け」

カナタの声が、マイクを通して世界中に響く。

いつもの自信なさげな声ではない。地獄の底から這い上がってきた修羅の声だ。

「トウジ・ヤマダ。Fランク。母への仕送りのために盾となり、見捨てられた」

「サラ・ウィリアムス。Eランク。負傷した仲間を助けようとして、レオン、あんたに囮にされた」

「ケンジ……」

一人、また一人。

読み上げられる名前。

レオンの顔色が青ざめていく。

「や、やめろ! 放送を切れ! 切断しろ!!」

飛びかかるレオン。だが、シズクの展開した《霊的防壁》に弾き飛ばされる。

カナタは止まらない。

喉が枯れ、血を吐きながらも、彼は読み続ける。

その名前の一つ一つが、レオンの築き上げた虚構の英雄像を突き崩していく。

コメント欄から、罵倒が消えた。

流れるのは、涙の絵文字と、祈りの言葉だけ。

「……以上、3412名」

最後の一人を読み終えた時、カナタは手帳を閉じた。

カメラを真っ直ぐに見据える。その瞳から、一筋の涙が頬の泥を伝って落ちた。

「彼らは、確かにここに生きていた。……忘れるな」

その場に崩れ落ちるカナタ。

意識が途切れる寸前、シズクが優しく微笑み、彼の頭を抱きしめるのが見えた。

「おやすみ、カナタ。……よく、頑張ったわ」

数年後。

ダンジョンから遠く離れた、日当たりの良い街角。

小さな花屋の軒先で、一人の青年が水を撒いている。

前髪は短く切り揃えられ、かつての陰鬱な影はない。目元のクマは消え、穏やかな光を宿している。

「いらっしゃいませ」

ドアベルが鳴り、客が入ってくる。

店内の壁には、写真が一枚も飾られていない代わりに、数え切れないほどの「ありがとう」と書かれた手紙が貼られていた。

そしてカウンターの特等席には、誰にも見えないが、銀髪の少女が足をぶらぶらさせながら座っている。

「今日の花も綺麗ね、カナタ」

「ああ、そうだね。シズク」

雨木カナタは微笑み、一輪の白い百合を手に取った。

もう、死臭はしない。

ここには、優しい花の香りだけが満ちていた。

クライマックスの情景

AI物語分析

【物語の考察:泥と花】

本作は、華やかな「英雄」という虚構と、泥にまみれた「掃除屋」という真実の対比を軸に描かれています。カナタが扱う「泥」は、社会から忘れ去られた敗者たちの歴史そのものです。彼が最終章で振るう力は、個人の武勇ではなく、踏みにじられた者たちの集合的無意識(怨嗟と願い)です。ラストシーンで彼が「掃除屋(死を扱う者)」から「花屋(生を愛でる者)」へと転身するのは、彼自身が過去の呪縛(妹の死)から解放され、死者の声を届ける役割を終えて、自分自身の人生を歩み始めたことを象徴しています。

【メタファーの解説:ドローン】

冒頭でカナタが持つドローンは、単なる配信機材ではありません。それは、深く暗いダンジョンの底(社会の最下層)と、地上の光(大衆の認識)を繋ぐ唯一の架け橋です。カナタがカメラを通じて「真実」を届ける行為は、現代社会における「見えない弱者」への光の当て方を寓話的に示唆しています。

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