第一章:硝子の蝶
窓の外、世界を塗り潰す乳白色の霧。外界から隔絶されたこの洋館において、時間は粘度を増し、蜂蜜のようにゆっくりと滴り落ちる。
部屋の中央、ベルベットの寝台に腰掛けた少女――九条美月は、身じろぎもせずその時を待っていた。
丁寧に梳かされた色素の薄い茶色の髪。天井のシャンデリアの光を吸い、淡い琥珀色に輝くそれは、もはや無機質な宝石に近い。纏っているのは最高級のシルクで仕立てられた純白のネグリジェのみ。肌の温かみで透ける極薄の布地は、その下の青白い血管さえも幻視させる。剥製に嵌め込まれたガラス玉のように透徹なヘーゼル色の瞳。そこには、焦点というものが欠落していた。
音もなく開く、重厚なオーク材の扉。油を差されたばかりの蝶番が、主人の完璧主義を物語る。
[A:九条京介:冷静]「……待たせたね、美月」[/A]
入室してきたのは、銀縁眼鏡の奥に氷点下の知性を宿した男、九条京介。仕立ての良いチャコールグレーの三つ揃えに身を包み、その手には白亜の手袋が装着されている。指先には一点の曇りもなく、まるで外科医か、あるいは死体を扱う葬儀屋のような清潔感が漂っていた。
反射的に背筋を伸ばし、両手を膝の上で重ねる美月。
[A:九条美月:恐怖]「いいえ、お父様。……準備は、できています」[/A]
[A:九条京介:冷静]「いい子だ。では、『検品』を始めようか」[/A]
[Sensual]
京介が歩み寄る。それだけで、室内の空気密度が変質した。革靴が絨毯を踏む僅かな衣擦れの音さえ、美月の鼓動を支配するメトロノームと化す。
ベッドサイドに置かれた銀色のケース。中から取り出されたのは、冷たい光を放つノギス。
[A:九条京介:愛情]「昨夜より、室温が0.5度高い。湿度は適切だが……君の肌はどうかな」[/A]
白手袋に包まれた指が、美月の顎を上向かせる。冷たい。その温度差に、美月の喉の奥がひくりと鳴った。京介の視線は、娘を見るそれではない。欠けやひび割れを探す鑑定士の眼差し。
ノギスの冷たい金属片が、美月の二の腕に当てられる。金属の冷厳さと、締め付けられる微かな圧迫感。
[A:九条京介:冷静]「……ふむ。皮下脂肪の厚み、変化なし。素晴らしい維持管理だ」[/A]
鎖骨のくぼみを滑り、肋骨の浮き出たラインをなぞり、さらに下へと降りていくノギス。呼吸を止める美月。肺が酸素を求めて悲鳴を上げるが、吐息一つ漏らすことは許されない。それは『作品』としての瑕疵になるからだ。
[A:九条美月:恐怖]「……っ……」[/A]
[A:九条京介:冷静]「動かない。数値がブレる」[/A]
ゆっくりと捲り上げられるネグリジェの裾。露わになった太腿の内側に、彼は顔を近づけた。布越しではなく、直接の視診。その息遣いが肌にかかる距離で、彼は眉をひそめる。
[A:九条京介:狂気]「ここに、微細な鬱血がある。……どこかにぶつけたね?」[/A]
[A:九条美月:恐怖]「あ……その、庭の薔薇の棘が……」[/A]
[A:九条京介:冷静]「嘘はいけない。これは打撲痕だ。……君は本当に、私が目を離すとすぐに傷んでしまう。硝子細工よりも脆い」[/A]
置かれたノギス。今度は素手で――手袋を外したその指先で、太腿の赤い班をなぞる京介。彼の指は恐ろしく長く、そして熱かった。先ほどまでの無機質な冷徹さが嘘のように、指先から粘着質な熱が伝播する。
[A:九条美月:照れ]「お父様、あ、くすぐったいです……」[/A]
[A:九条京介:興奮]「我慢しなさい。修理が必要だ」[/A]
鬱血した箇所を揉みしだくように、あるいは形を整えるように深く沈み込む指。痛みと、背骨を駆け上がる痺れが同時に襲いかかり、美月の視界が白く明滅した。[Heart]
[/Sensual]
◇◇◇
第二章:泥と香水
完璧に調律された聖域、そこに異物が混入したのは翌日のこと。
庭の片隅、伸びすぎた蔦を刈り取るために雇われたアルバイトの青年、一ノ瀬蓮。彼は汗と土、そして強烈な夏の陽射しの匂いを纏っていた。作業着の袖をまくり上げ、泥に汚れたスニーカーで、手入れされた芝生を踏みしめている。
バルコニーからそれを見下ろしていた美月は、生まれて初めて嗅ぐ「外の世界の悪臭」に、鼻腔をくすぐられるような奇妙な感覚を覚えた。
[A:一ノ瀬蓮:驚き]「うわ、びっくりした。……あんた、ここのお嬢さん?」[/A]
顔を上げ、屈託のない笑顔を向ける蓮。その白い歯と、日焼けした肌のコントラスト。美月は後ずさりそうになったが、足が動かない。
[A:九条美月:驚き]「……あなたは、誰?」[/A]
[A:一ノ瀬蓮:喜び]「俺は蓮。庭師のバイトっすよ。へえ、近くで見るとすげぇ綺麗な髪してんな。お人形さんみたいだ」[/A]
「お人形」。その言葉は、京介がいつも使う賛辞と同じはずなのに、蓮の口から出ると、まるで別の意味を持つように響いた。体温のある、脈打つような言葉。
二、三の会話を交わしただけだ。天気のこと、咲いている花のこと。しかし、その数分間が、美月の表面に塗られたニスを剥がすには十分だった。
その夜の『検品』は、いつもとは違っていた。
[Sensual]
浴室のタイルに反響する水音。京介は美月をバスタブの縁に立たせ、スポンジを使わずに、彼自身の掌で全身を洗い上げていた。肌を滑り落ちる泡。その手つきは執拗で、特に蓮と会話をした唇、彼を見つめた瞳の周りを、何度も何度も拭い去ろうとする。
[A:九条京介:怒り]「……臭うね。下品な、泥の臭いだ」[/A]
[A:九条美月:恐怖]「ごめんなさい、お父様。窓を開けていたから……」[/A]
[A:九条京介:狂気]「違う。君の内側に入り込んでいる。……消毒が必要だ」[/A]
抱え上げられ、鏡の前に立たされる美月。背後から覆いかぶさるようにして、彼女の太腿――昨日「修理」した場所のすぐ横に、京介は唇を押し当てた。
キスではない。それは捕食者が獲物に噛み付くような、吸引。
[A:九条美月:恐怖]「ひっ……! 痛い、です……!」[/A]
[A:九条京介:冷静]「動くな。印をつけ直しているんだ。君が誰の所有物か、忘れないようにね」[/A]
[System]警告:被験者の心拍数が急上昇しています。[/System]
柔らかな内股の肉が、京介の唇に吸い上げられ、赤黒く変色していく。ジュル、という湿った音が浴室に響くたび、美月の膝が震え、タイルに崩れ落ちそうになるのを、京介の太い腕が腰を掴んで支えている。[Heart]
鏡に映る京介の瞳。昏い情欲と、それを上回る激しい独占欲で濁っていた。
[A:九条京介:興奮]「ああ、ようやく私の匂いに戻った。……美しいよ、美月」[/A]
[/Sensual]
◇◇◇
第三章:地下室の神
真夜中、走る美月。
蓮がこっそりと渡してくれたメモ。そこには裏門の暗証番号と、落ち合う時間が記されていた。『こんなとこにいたら、息が詰まっちまうよ。逃げようぜ』。その言葉が、美月の空っぽだった頭蓋に、熱い鉛を流し込んだのだ。
だが、裏門に手をかけた瞬間、けたたましいアラームが鳴り響いたのではない。
ただ、静かに、スマートフォンの通知音が鳴っただけだった。
[A:九条京介:冷静]「……どこへ行くつもりだい? 私の可愛い小鳥」[/A]
暗闇から現れた京介。息一つ切らしていない。
地下室。そこは美術品の修復アトリエであり、同時に拷問室でもあった。
薬品の刺激臭が鼻を刺す。作業台の上に座らされ、手首をリボンで拘束された美月。
[A:九条京介:悲しみ]「悲しいよ、美月。君がこれほどまでに『不良品』だったとは」[/A]
メスを手に取り、照明にかざす京介。鋭利な刃先が、美月の喉元で冷たく煌めいた。
[A:九条美月:絶望]「……蓮さんは? 蓮さんはどうしたの?」[/A]
[A:九条京介:冷静]「あの害虫なら、警察に突き出したよ。不法侵入と誘拐未遂でね。……それより、君の話だ」[/A]
メスの背で、美月の頬を冷なくなぞる。
[A:九条京介:狂気]「君は知らないだろうが、君の母親が死んだ理由……それはね、君が今日のように『外の世界』に興味を持ち、彼女の手を振りほどいて道路に飛び出したからなんだよ」[/A]
[A:九条美月:驚き]「え……? 嘘……そんな、聞いてない……」[/A]
[A:九条京介:冷静]「私が隠していたんだ。君を守るためにね。だが、やはり血は争えない。君のその無知な好奇心が、周りの人間を不幸にする。母親を殺し、あの青年を犯罪者にし、私を……こんなにも傷つけている」[/A]
[Think]私が、殺した? お母様を? 蓮さんを?[/Think]
回転する世界。天井が落ちてくるような圧迫感。美月の自我を支えていた細い糸が、ぷつりと音を立てて切れた。
自分が動くだけで、世界が壊れる。自分が望むだけで、誰かが死ぬ。なら、私は――。
[Sensual]
作業台から滑り落ち、床に膝をつく美月。拘束されたままの手で、京介の革靴にしがみついた。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃに歪ませ、なりふり構わず叫ぶ。
[A:九条美月:絶望]「ごめんなさい! ごめんなさいお父様ぁぁぁ!! 私が、私が悪い子だから! お願い、捨てないで、直して! 私を直してぇぇ!!」[/A]
冷ややかな目で見下ろしながら、ゆっくりと口角を吊り上げる京介。
彼は足先で美月の顎を掬い上げ、その濡れた瞳を覗き込む。
[A:九条京介:愛情]「……いいよ。何度でも、最初から組み直してあげよう。君が、二度と自分の足で立てなくなるまで」[/A]
[/Sensual]
◇◇◇
第四章:背徳の熱源
[Shout]「美月ちゃん!!」[/Shout]
硝子が砕ける音と共に、アトリエの明かり取りの窓が割れた。
ロープを伝って降りてきたのは、一ノ瀬蓮。顔には殴られたような痣があり、作業着はボロボロだが、その瞳には燃えるような怒りが宿っている。
[A:一ノ瀬蓮:怒り]「警察なんか怖くねぇよ! あんた、美月ちゃんに何吹き込みやがった!」[/A]
美月のもとへ駆け寄り、その拘束を解こうとする蓮。だが、美月はその手を激しく振り払った。
[A:九条美月:狂気]「触らないで!! 汚れる……私が、汚れてしまう!」[/A]
[A:一ノ瀬蓮:驚き]「は……? 何言ってんだよ、助けに来たんだぞ!?」[/A]
後ずさり、京介の背後に隠れるように身を縮める美月。その姿は、檻の中で飼い主に怯える小動物そのものだったが、同時に、飼い主の足元だけが安全圏だと信じ込んでいる狂信者のそれだった。
満足げに目を細め、美月の肩に手を置く京介。その手が、所有権を主張するように強く指を食い込ませる。
[A:九条京介:冷静]「見たろう? 彼女はここを望んでいる。君のような野蛮な人間には理解できない、高尚な秩序だよ」[/A]
[A:一ノ瀬蓮:怒り]「ふざけんな! お前が見てるのは人間じゃねぇ、ただのモノだろ!」[/A]
蓮が京介に殴りかかろうとした瞬間、懐から取り出されたスタンガンが、無造作に蓮の首筋に押し当てられた。
バチッ、という不快な放電音と共に、その場に崩れ落ちる蓮。
痙攣する蓮を見下ろす京介の表情。それは先ほどまでの「冷静な修復士」の仮面が剥がれ落ち、どす黒い欲望が剥き出しになった「雄」の顔。
そして美月は見てしまった。その獣のような視線が、倒れた蓮ではなく、震える自分自身に向けられていることを。
[Sensual]
[Think]怖い。殺されるかもしれない。[/Think]
恐怖で胃が縮み上がる。だが、それと同時に、下腹部の奥底で、熱い塊が疼き始めた。
京介の瞳孔が開いている。呼吸が荒い。いつも完璧に整えられていた前髪が乱れ、額に汗が滲んでいる。
その「乱れ」が、自分への執着によるものだと理解した瞬間、美月の肌は粟立ち、秘所の奥がじわりと潤んだ。[Heart]
彼が自分を壊そうとする暴力的なエネルギー。それが愛おしい。それが心地よい。
[A:九条美月:興奮]「お父様……怒って……もっと、私を見て……」[/A]
自ら、京介の手に頬を擦り寄せる美月。京介の手が震えている。それは怒りか、あるいは歓喜か。彼は美月の髪を乱暴に掴み、その首筋に顔を埋めた。
[A:九条京介:興奮]「……ああ、そうだ。その目だ。恐怖と、服従と、劣情が混ざり合った、その目が見たかった……!」[/A]
[/Sensual]
◇◇◇
第五章:永遠の硝子細工
一ノ瀬蓮の姿は、いつの間にか消えていた。彼がどうなったのか、美月は問わない。京介も語らない。ただ、庭の土が一部だけ新しく掘り返され、そこに見事な薔薇が植えられたことだけが、唯一の変化。
屋敷は再び、静寂と霧に包まれた。だが、二人の関係は決定的に変質していた。
閉ざされた寝室のカーテン、昼夜の区別はない。
ベッドの上で、肢体を投げ出している美月。以前のようなネグリジェではない。何も纏わぬその身体には、無数の「検品済」の印――キスマークや、甘噛みの痕、そして蝋の滴った跡が、まるでタトゥーのように刻まれている。
[Sensual]
もはや手袋をしていない京介。素手で、汗ばんだ掌で、美月の全てを貪っている。
ノギスも体温計も床に転がったままだ。今の彼が必要とするのは、数値ではなく、美月が上げる悲鳴と、痙攣する肉体の反応だけ。
[A:九条京介:愛情]「……壊れているね。完全に、壊れてしまった」[/A]
美月の胸に顔を埋め、赤子のようにすがりつく京介。その声は震え、どこか安堵と絶望が入り混じっていた。
美月は虚ろな瞳で天井を見つめながら、京介の頭を優しく抱き寄せる。指を彼の髪に絡ませ、あやすように撫でた。
[A:九条美月:愛情]「ええ、そうです、お父様。私は壊れています。だから……貴方がいないと、一秒だって生きていけない」[/A]
剛直な熱い楔が、美月の最奥を穿つ。痛みと快楽の境界線はとうに溶解していた。彼女の蜜壺は、彼を受け入れるためだけに作り変えられた器官のように、熱く脈打ち、彼を締め付ける。[Heart]
[/Sensual]
京介は、美月を支配することでしか自己を保てない。
美月は、支配されることでしか自身の輪郭を感じられない。
二人は互いを映す鏡であり、互いを閉じ込める硝子の檻だった。
[A:九条京介:狂気]「愛しているよ、美月。私の、永遠の傑作」[/A]
[A:九条美月:狂気]「はい……私もです、共犯者様」[/A]
霧の向こうで、世界がどうなろうと関係ない。
ここには、狂気という名の完全な幸福だけが、永遠に保存されていた。