第一章: 終わりの始まり
音もなく空から降り積もる、死。
頭上の鉛色の雲から零れ落ちるのは、決して雪ではない。触れた者の記憶、存在の輪郭を容赦なく削り取っていく「星の灰」。
乾いた夜風にばたばたと翻る、幾重にも継ぎ接ぎされたボロボロの藍色のローブ。フードの隙間から滑り落ちた色素の薄い銀髪を鬱陶しそうに払い、アルトは夜空を見上げた。
虚ろに濁る翡翠色の瞳。そこに映り込むのは舞い散る灰色の結晶。色白で華奢な手のひらを差し出すと、冷たい灰が音もなく着地する。
[A:アルト:冷静]「大丈夫、まだ少しだけ覚えてるから」[/A]
呟きと共に、指先が淡い魔力を帯びる。
鼻腔を突く、古い羊皮紙が燃えるような焦げ臭さ。アルトの脳裏から『昨日の朝食のメニュー』というちっぽけな記憶が抜け落ちる。
代償として、手のひらの灰が形を変えた。一輪の『光る青い花』へと。これを街の浄化装置にくべれば、人々の命はまた一日延びる。
螺旋階段を下り、向かうは地下の最下層。
足を踏み入れた途端、ひんやりと湿った空気が肌にまとわりつく。鉄格子の奥、そこは世界の果てのような暗闇。
[A:ステラ:悲しみ]「……来ないで」[/A]
鈴の転がるような、しかしひどく掠れた声。
薄暗い牢獄。わずかに差し込む星明かりの下に浮かび上がる彼女の姿。古ぼけた白いワンピースから覗く四肢は半ばガラス化し、内側から淡く青白い光を放っている。
冷たい石の床に広がる長い夜色の髪。星屑を散りばめたような金色の瞳が揺れる。世界を滅ぼした大罪人、堕星の魔女ステラ。
星の重力をその身に受ける彼女の体は、今この瞬間もミシミシと悲鳴を上げていた。
[A:ステラ:恐怖]「私には、触れないで……あなたが壊れてしまうから」[/A]
身を縮めるステラ。その瞳から、ポロリと雫が零れ落ちる。
石畳にぶつかり、甲高い音を立てて砕け散る。本物のガラスの涙。
圧倒的な美しさ。
[Pulse]ドクン[/Pulse]、と。
アルトの胸の奥で、乾ききっていたはずの心臓が大きく跳ねた。
息が詰まる。喉が渇く。失われて久しいはずの熱が、暴風となってアルトの内側を吹き荒れる。
彼女を救いたい。この理不尽な重圧から、彼女を解放したい。
[A:アルト:愛情]「……君は、とても綺麗だね」[/A]
鉄格子越しに伸ばされたアルトの指先。微かに震えている。
[Impact]痛いほどの愛おしさ。[/Impact]
同時に背筋を這い上がる強烈な喪失の恐怖。この確かな熱すらも「星の灰」に削り取られてしまうのではないかという、底知れぬ恐れ。
第二章: 欠落と蓄積
灰の降る街。アルトの記憶は日々零れ落ちていく。
それでも彼は地下牢へ通い続けた。
冷たい鉄格子の前で交わす、他愛のない言葉。
[A:アルト:喜び]「今日のスープは、少し塩辛かったよ」[/A]
[A:ステラ:照れ]「……ふふ、お水、たくさん飲まないとですね」[/A]
削れゆく過去の空白。それを、薄暗い牢獄で共有する穏やかな「今」で埋めていく果てしない作業。
しかし、そのささやかな時間は無惨に踏みにじられる。
[A:ルカ:怒り]「アルト! またこんな魔女のところにいるのか!」[/A]
荒々しい足音。現れたのは、傷だらけの銀の軽鎧に身を包んだ若き騎士。焼け焦げたマントの裾を揺らし、赤茶色のショートヘアを振り立てる彼女の琥珀色の瞳は、異様に血走っている。
[A:ルカ:絶望]「お前、昨日の昼に話したことすら覚えてなかったじゃないか……! なぜだ、なぜ自分の命を削る!」[/A]
ルカの震える両手。それがアルトの華奢な肩をギリギリと掴む。
[A:アルト:冷静]「大丈夫だよ、ルカ。僕は平気だ」[/A]
[A:ルカ:怒り]「絶対に私がお前を守る。他のすべてを犠牲にしてでも! この女が死ねば、お前は助かるんだ!」[/A]
ルカの刃のような視線がステラを射抜く。ビクッと肩を跳ねさせ、自らのガラス化した腕を強く抱きしめるステラ。
舌の上に残る、安物のワインのような錆びた鉄の味。ルカが力一杯噛み締めた唇から流れる血の味。
[Tremble]空気がビリビリと震える。[/Tremble]
その時、地上から響き渡る轟音。
壁のひび割れから漏れ入る光の色が変わる。青白い星の明かりが、どす黒い赤色へ。
[A:グレイ:冷静]「……特大の星が墜ちてくる。もはや猶予はない」[/A]
上階から響く、氷のように冷酷な声。
[Impact]異端審問官グレイの計画が、遂に動き出す。[/Impact]
魔女を火刑に処し、空を晴らすための狂気の儀式。
第三章: 処刑の夜と白紙の器
王都の広場。漆黒の軍服に豪奢な銀の刺繍を輝かせ、グレイが見下ろしている。黒縁の眼鏡の奥、冷徹な三白眼は一切の光を宿していない。
[A:グレイ:冷静]「大義の前では、個人の感情など星の塵に過ぎない。火を放て」[/A]
処刑台に縛り付けられたステラ。
彼女は抵抗しない。これ以上アルトの記憶を削らせないため、首を垂れて束縛を受け入れている。
討伐隊の先鋒として大剣を構えるルカ。近づく者を威圧する。アルトを救うという狂信。それが彼女の視界を極端に狭く塞いでいた。
だが、炎がステラの白いワンピースを舐めようとしたその瞬間。
[Shout]「やめろぉぉぉ!!」[/Shout]
鼓膜を劈く絶叫。
火の粉を散らして飛び込んできたのは、ボロボロの藍色のローブ。
[A:ルカ:驚き]「アルト……!? なぜ、どうして邪魔をする!」[/A]
アルトは答えない。ただ真っ直ぐに処刑台へと駆け上がる。
[Sensual]
迫り来る猛火と刃の壁。アルトはステラのガラス化した身体を、自らの胸に強く抱き寄せる。ひんやりとした硬い感触。そして、その奥底で脈打つ人間としての柔らかい温もり。ステラの金色の瞳が限界まで見開かれ、アルトの首筋に彼女の微かな息がかかる。
[A:ステラ:恐怖]「アルト、だめ……離して……!」[/A]
[A:アルト:愛情]「離さない。君だけは、絶対に」[/A]
[/Sensual]
包囲網を突破するためには、規格外の魔力が必要。
アルトは静かに目を閉じる。
ルカと共に過ごした孤児院の記憶。温かいスープの匂い。星空を眺めた夜。己の名前、確かな存在証明。
そのすべてを、一網打尽に燃やす。
[Magic]《星屑のイグニッション》[/Magic]
[Flash]世界が真っ白に飛ぶ。[/Flash]
焦げた肉と髪の毛の臭い。鼻腔を焼き尽くす。
爆発的な青い光の奔流が広場を飲み込み、重武装の兵士たちを木の葉のように吹き飛ばす。
もうもうと立ち込める煙。それが晴れた後、そこにはステラの手を引くアルトの姿があった。
しかし、ステラを振り返るその翡翠色の瞳には、もはや一切の焦点が合っていない。
完全な、空白。
[A:ステラ:絶望]「あ……あぁ……」[/A]
ステラの喉から漏れる、獣のような悲鳴。
アルトは、もう何も覚えていない。己の名前すらも。
第四章: 空白の歩みと血塗られた盾
星の灰が吹き荒れる荒野。
星が墜ちる地点「星の海」へと、二人はただ歩き続ける。
名前も、過去も、目的すら失った空白の器。ただ「この手を離してはいけない」という本能。それだけが、アルトの身体を突き動かしていた。
[Blur]視界が激しく明滅する。[/Blur]
ステラが膝から崩れ落ちて泣きじゃくる。そのたび、アルトは立ち止まり、不器用にそのガラスの涙を拭う。
[A:アルト:冷静]「…………」[/A]
声帯は震えない。ただ、親指の腹でそっと目元を撫でるだけ。
その無垢な仕草。それがステラの胸を鋭利なナイフのように抉る。
一方、崩壊した王都の書庫。
ルカは床にへたり込み、古い羊皮紙の束を握りしめていた。
『堕星の魔女が命を落とせば、抑え込まれていた星の重力が解放され、世界は即座に圧壊する』
[A:ルカ:絶望]「嘘、だ……じゃあ、私は……」[/A]
愛する者を救うための凶刃。それが、愛する者の生きる世界ごと粉砕しようとしていた。
己の無知と狂信が、彼を「空っぽ」にしてしまった。その絶望。
[A:グレイ:怒り]「無能な犬め。魔女を追え、生きたまま八つ裂きにしろ!」[/A]
響き渡る、グレイの苛烈な怒号。
ルカはゆっくりと立ち上がり、傷だらけの大剣を握り直す。
口内に広がる、ひどく濃い血の鉄の味。
[A:ルカ:狂気]「行かせるかよ……! ここから先は、一歩も通さないッ!」[/A]
追撃部隊の前に立ちはだかる、たった一人の銀の盾。
無数の刃がルカの肉体を貫く。宙を舞う赤い血飛沫。
[A:ルカ:悲しみ]「ごめん、アルト……ステラ……どうか、生きて……」[/A]
[FadeIn]琥珀色の瞳から光が消え、ルカは静かに地に伏した。[/FadeIn]
ついに二人が辿り着いた、星の海。
[Tremble]空が、ガラスのように巨大な音を立ててひび割れる。[/Tremble]
圧倒的な質量を持つ星の本体。巨大な眼球のように二人を見下ろしていた。
第五章: 透明な僕が君に捧ぐ花
大気が軋む。重力が狂う。
地面が捲れ上がり、巨大な瓦礫が天へと逆流していく。
ステラはアルトの手を力強く振り払った。
[A:ステラ:冷静]「これで、終わらせます」[/A]
残された命をすべて燃やし、完全にガラスの塊となって星を砕く。それが、彼女が選んだ唯一の贖罪。
淡い光が彼女の全身を包み込む。人間としての輪郭がブレようとした、その瞬間。
[A:アルト:愛情]「君の泣き顔、嫌いじゃないけど」[/A]
背後からステラを包み込む、温かい腕。
空白だったはずの翡翠色の瞳。そこに、はっきりとした意志の熱が宿る。
[A:アルト:喜び]「笑ってる方が、ずっと好きだよ」[/A]
[A:ステラ:驚き]「アルト……? どうして、記憶は、全部……!」[/A]
[A:アルト:照れ]「全部なくなった。でも、君と過ごした『ここ数日間の記憶』だけは、どうしても消せなかったみたいだ」[/A]
冷たいスープの味。暗い牢屋の湿った空気。そして、初めて見たあの美しいガラスの涙。
たった数日間の新しく、何よりも愛おしい記憶。
アルトはそれを核として、己の魂を極限まで引き絞る。
己の価値を信じられなかった彼が、初めて切望した。「誰かを残して消えたくない」と。
[Magic]《無窮の星花》[/Magic]
[Flash]光が爆ぜる。[/Flash]
前代未聞の浄化術式。
押し潰してくる巨大な星の質量。そこにアルトの身体から溢れ出す星の魔力が真っ向から激突する。
音を立てて砕け散る、星の重力。
空を覆い尽くしていた巨大な星。それは一瞬にして、無数の『光る青い花びら』へと変換された。
視界を白く染め上げるような、美しく圧倒的な光の奔流。
夜空が鮮やかな青に染め上げられ、重たい雲が切り裂かれる。
降り注ぐ光の粒子。その中で、アルトの身体は足元から徐々に輪郭を失っていく。
[A:ステラ:絶望]「いや……いやぁっ! アルト、行かないで! 私を置いていかないで!」[/A]
[A:アルト:愛情]「ステラ」[/A]
アルトは優しく微笑む。
[A:アルト:喜び]「君の未来に、満天の星空を」[/A]
ふわりと。
アルトの身体は無数の青い光の粒子となる。ステラを包み込むようにして夜空へと溶けていった。
鼻腔をくすぐる、甘く優しい青い花の香り。
◇◇◇
後日。
星の灰は跡形もなく消え去り、世界は澄み渡る青空を取り戻した。
かつて星の海と呼ばれたクレーター。今や見渡す限りの青い花畑へと姿を変えている。
人間の姿に戻ったステラ。決して枯れることのないその青い花々に囲まれていた。
風に揺れる、古い白いワンピースの裾。彼女はそっと一本の花を胸に抱く。
金色の瞳から零れ落ちるのは、もう冷たいガラスではない。
温かい、確かな熱を持った本物の涙。
[A:ステラ:愛情]「ずっと、愛しています……私の、透明な星」[/A]
吹き抜ける風。花びらを天へと運び上げる。
まるで、見えない誰かが優しく彼女の髪を撫でたかのように。