終わることのない灰色の雨。世界はその底に沈澱していた。
他者の濁った記憶が液状化して降り注ぐ、致死の「記憶の雨」。肌を焼くそれは白化病をもたらし、人々の輪郭から色彩と熱を根こそぎ奪い去る。
無機質なアトリエの窓辺。アレンはただ、無心に筆を走らせていた。
絵の具に塗れたシャツ。肩に食い込む、擦り切れた革のサスペンダー。湿った大気に重く垂れ下がる銀髪の下、虚無を宿した青い瞳が、色彩を失ったキャンバスを穿つ。
常に握りしめた手には、硬くひび割れた絵筆のタコ。喉の奥にこびりつく、ひどく錆びた鉄の臭気。
[A:アレン:冷静]「……無駄だ。塗っても塗っても、世界は白い」[/A]
誰もいない部屋に溶け落ちる、かすれた低音。
刹那。
[Shout]ドグンッ![/Shout]
鉛色の雨雲を裂く閃光。鼓膜を穿つ、硝子が砕け散るような絶響。
思考より速く。窓枠を木端微塵に粉砕し、「それ」がアトリエの床へ激突した。
舞い上がる埃。撒き散らされる雨飛沫。
瓦礫の直中。横たわっていたのは、一人の少女。
半透明のレインコート。その下には、泥濘に塗れた水色のワンピース。
透き通るほどの白肌。何よりアレンの眼球を灼いたのは、ステンドグラスの如く七色の光を乱反射する、その髪と瞳。
[A:リリア:驚き]「……ここは……」[/A]
[Sensual]
立ち上がろうとよろめく身体。アレンは反射的に、その華奢な肩を抱き留めた。
刹那。
氷のように冷たい指先が、アレンの頬を撫でる。
[Flash]――![/Flash]
脳髄を直接抉る、極彩色のノイズ。
錆びた鉄の臭気が吹き飛び、肺の奥底まで満ちていく『温かな陽だまりの匂い』。
[/Sensual]
[A:アレン:驚き]「君は、誰だ……?」[/A]
[A:リリア:照れ]「私は、リリア。……空から、降ってきたみたいです」[/A]
ふわりと、少女の唇が弧を描く。
[Pulse]ドクン、ドクン。[/Pulse]
鳴るはずのない残響。アレンの胸郭の奥で「失われた愛しい誰か」の幻影が、微かな熱を帯びて脈打ち始める。
第二章: 灰色の街と小さな光
強まる雨脚。白化病に侵され石像と化した人々を縫い、廃墟の街を歩く影が二つ。
他者の過剰な記憶を吸収し、色彩へと変換する。それが、リリアの持つ異能。
[A:リリア:冷静]「大丈夫、痛くなんてありません。だって私は、そのためにいるのだから」[/A]
泥水に倒れ伏す老婆の背に、白魚のような指が這う。
吸い上げられる、濁りきった絶望の泥濘。リリアの華奢な肩が跳ね、七色の瞳が深い闇へと沈み込む。
しかし直後。彼女の掌から零れ落ちたのは、目を射るほどに鮮やかな『茜色』の光の雫。
[A:アレン:冷静]「……じっとしていろ」[/A]
パレットに受け止めたその光。
すり減った筆先に茜色を絡めとり、老婆の足元から広がる風景の輪郭をキャンバスへと叩き込む。
迷いのないストローク。骨に刻まれた手首の躍動。
キャンバスに定着した茜色が現実を侵食し、老婆の石の頬に、微かな血の気と熱を呼び戻す。
[A:リリア:喜び]「凄いです、アレン。あなたの絵には、優しい命が宿っていますね」[/A]
[A:アレン:照れ]「僕には色を塗ることしかできない。世界がどれほど白くても」[/A]
そっぽを向き、吐き捨てるアレン。
だが、虚無だった青い瞳の奥底。そこには、確かな熱が燻り始めている。
廃屋の夜。リリアが差し出すスープの湯気。舌を焼く、微かな塩気。
他者の絶望を啜るたび、歪に張り付いていた彼女の笑顔。それがアレンの隣でだけ、年相応の柔らかい綻びを見せるようになっていた。
[Think](この時間が、永遠に続けば)[/Think]
脳裏を掠める、柄にもない感傷。
だが、無慈悲な雨音を裂き。水たまりを踏み砕く重厚な靴音が、背後へと迫る。
第三章: 記憶商人と残酷な真実
[A:カイト:冷静]「お熱い道中だな、ええ? 修復画家先生よ」[/A]
路地裏の闇から滲み出たのは、着古されたトレンチコートの男。
腰のベルト。ぶつかり合う無数のガラス瓶が、カチャカチャと骨鳴りのような音を立てる。無造作な黒髪の奥、鋭く冷ややかな三白眼が獲物を射抜いた。
記憶商人、カイト。
[A:アレン:怒り]「……何の用だ、カイト。お前の売るガラクタに興味はない」[/A]
[A:カイト:冷静]「記憶なんてのはただのガラクタだ。金になるなら売っちまえ。だがな……そっちの嬢ちゃんは別格だぜ」[/A]
紫煙を雨空へと吐き出し、残酷な弧を描くカイトの唇。
[A:カイト:冷静]「嬢ちゃん。お前さんが『世界の絶望をすべて吸い上げ、砕け散るために作られた生贄の器』だってこと、こいつに話したか?」[/A]
[Impact]絶対零度の沈黙。[/Impact]
リリアの白磁の肌から、さらに血の気が失せていく。
[A:アレン:驚き]「生贄……? 何を言っている。彼女は……」[/A]
[A:カイト:怒り]「まだ気づかねえのか、この唐変木! てめえの失われた一番大切な記憶……それはな、かつててめえ自身が、泣き叫ぶそいつの記憶を封じ、生贄として空へ捧げたって事実だ!」[/A]
[Glitch]脳髄が、沸騰し、爆散する。[/Glitch]
激しく明滅する視界。厳重に封印されていた記憶の破片が、網膜を内側から切り裂いた。
泣き叫ぶリリア。彼女を無慈悲に突き放し、空へ至る祭壇へと縛り付けた――真紅に濡れた、己の十指。
『ただの画家』。そんな安寧の嘘が、ガラガラと崩れ落ちる。
[A:アレン:絶望]「あ……ああ……! 違う、僕、は……!」[/A]
自らの喉仏を掻き毟り、石畳へとのたうち回るアレン。
逆流する胃酸。込み上げる激しい吐き気。口腔を満たす、生温かい鉄の味。
[A:リリア:悲しみ]「アレン、見ないで。私に、触れないで……!」[/A]
顔を覆うアレンの網膜に焼き付いたのは、後ずさるリリアの濡れた足先。
悲痛な叫びを残し。彼女は激しい雨の帳の向こう、元凶たる「積乱の塔」へと弾かれたように駆け出した。
伸ばした指先が掴んだのは、虚無の雨滴のみ。
第四章: 喪失の痛みと透明な愛
[Blur]世界から、すべての色が消え失せた。[/Blur]
リリアの消失。その翌朝、アレンの網膜は完全に色彩を失った。
完璧なモノクロームの世界。氷結した指先でどれほど強く筆を叩きつけようと、キャンバスに刻まれるのは虚無の灰ばかり。
アトリエの片隅。彼女の小さなベッドに残された、見慣れぬスケッチブック。
痙攣する指で、ページをめくる。
そこに残されていたのは、稚拙ながらも温かい鉛筆のストローク。
スープを啜るアレン。寝癖と格闘する彼の姿。雨上がりの空を仰ぐ、その横顔。
そこにあるのは、何気ない日常の美しさ。
そして、最後のページ。
『――それでもあなたを愛しています。どうか、ご自分を許して』
あまりにも透明で、不器用すぎる赦しの言葉。
[A:アレン:絶望]「……っ、ああぁぁぁぁっ!!」[/A]
[Shout]声帯を引きちぎるような絶叫。無人のアトリエがびりびりと震える。[/Shout]
床に額を叩きつけ、爪が剥がれ血が噴き出すまで木板を掻き毟る。
彼女を地獄へ突き落としたのは、自分。それなのに、彼女はこれほどまでに優しい瞳で、自分を見つめていた。
[A:カイト:冷静]「……泣く暇があるなら、筆を握れ」[/A]
入り口のドア枠。カイトが静かに煙草を踏み躙る。
その三白眼から、いつもの冷笑は消え失せていた。
[A:カイト:怒り]「俺はダチを見殺しにして、一生この泥水をすする羽目になった。……てめえも同じ道を歩く気か、アレン」[/A]
乱暴に掴み上げられる胸ぐら。
カイトの瞳の奥で荒れ狂う、痛切な悔恨と業火。
ゆっくりと、アレンは顔を上げる。モノクロームの地獄の中、その青い瞳だけが、妖しくも鋭い刃の輝きを放つ。
[A:アレン:興奮]「……行くぞ。世界を敵に回してでも、彼女の色を取り戻す」[/A]
握りしめた一本の絵筆。
天を貫く積乱の塔へ。二人の男が、死地へと踏み出した。
第五章: 雨空に溶けた君の色彩
暴風雨が吹き荒れる、積乱の塔・最上階。
祭壇の特異点。リリアの身体は、重力を無視して宙空へ浮かび上がっていた。
白磁の肌を走る無数の亀裂。そこから漏れ出す過剰な「悲嘆」の記憶が、漆黒の瘴気となり渦を巻く。
[A:リリア:絶望]「こないで……! わたしは、もう、砕け散る……!」[/A]
[Sensual]
カイトの絶叫を背に受け、暴風を切り裂き跳躍するアレン。
崩壊寸前のリリアの身体。ひび割れた硝子細工を抱きすくめるように、その両腕で強く、強く包み込んだ。
肌を刺す、死のような冷たさ。
だが、アレンの心臓から脈打つ業火が、彼女の絶対零度を侵食し、溶かしていく。
[/Sensual]
[A:アレン:愛情]「もう逃がさない。君の悲しみも、絶望も、僕がすべて塗り替える」[/A]
己の鼓動、魂の残滓、そして脳髄に刻まれたすべての「記憶」。アレンはそれらを直接、引きずり出す。
脳血管が沸騰し、焼き切れる絶痛。
視界の端から崩落していく、己の名前、過去、そして世界。
それがどうした。
[A:アレン:狂気]「描け……! 僕の命を、色に変えて……!」[/A]
[Magic]《魂の修復(オーバーライト)》[/Magic]
アレンの指先から噴出する、眩いばかりの純白の色彩。
それをリリアのひび割れた魂の深淵へと、容赦なく叩き込む。
幾千、幾万のストローク。狂気的な色彩の奔流。
彼女の亀裂を埋め、絶望を蹂躙し、新たな色彩を強制的に定着させる。
[Shout]塔の内部から爆散する、致死量の光の奔流。[/Shout]
鉛色の雲海が光の槍に貫かれ、跡形もなく消滅。
降り注ぐ、何百年ぶりかの陽光。
天を突く幾千の虹が、灰の街を極彩色へと反転させていく。
呪われた「記憶の雨」はただの清冽な水滴へと還り、アスファルトを優しく濡らした。
◇◇◇
[FadeIn]頬を撫でる、真新しい風。[/FadeIn]
ゆっくりと見開かれるアレンの双眸。
脳髄は、完璧な空白。己の名も、ここにいる理由も、一切の記憶がない。
ただ網膜を焼くのは、吸い込まれるような蒼空。
傍らに倒れ伏す、一人の少女。
水色のワンピース。七色の光を宿す、不可思議な髪。
[A:アレン:驚き]「……君は」[/A]
[A:リリア:喜び]「……おはようございます」[/A]
身を起こし、咲き誇る花のように微笑む彼女。
その瞬間。アレンの瞳から、意思に反して熱い雫が溢れ出した。
理由は、無い。
ただ、魂の最奥が、どうしようもなく共鳴を上げている。
[Sensual]
そっと伸ばされた手が、アレンの冷たい指先を包み込む。
伝わる熱。
陽だまりのような、ひどく懐かしくて、柔らかい温度。
[/Sensual]
アレンの記憶のキャンバスは、完全なる白紙。
だが、掌から流れ込むこの確かな「色」だけは、彼の魂で永遠に燃え続ける。
蒼空の彼方へ溶けていく、雨上がりの虹。
瞳を閉じても決して消えない、鮮烈な光の軌跡。
これからまた、二人で新しい色をキャンバスに重ねていけばいい。
繋いだ小さな手が、ほんの少しだけ、強く握り返された。