第1章:泥雨の恩讐

雨粒が叩きつけるたび、地面の泥が跳ねる。
廃神社の境内。首のない死体や、内臓を撒き散らした肉塊が無数に転がっている。
濃密な鉄錆の悪臭が、鼻腔を容赦なく犯した。
ぬかるみに片膝をつく男。幻十郎。
ボロボロに擦り切れた黒い着流しは雨を吸って重く沈み、無精髭に覆われた頬には一筋の鮮血が伝う。
虚無を宿した鋭い三白眼は、眼前に突きつけられた白刃をただ静かに見つめていた。
刃を握る手が、小刻みに震えている。
泥に汚れた浅葱色の小袖。雨に濡れて肌に張り付く黒髪。
小夜の吊り上がった瞳には、どす黒い殺意が燃え盛る。
[A:小夜:怒り][Shout]「父の仇! お前だけは、私がこの手で斬り伏せる!」[/Shout][/A]
絞り出すような叫びが、夜の雨音を切り裂く。
だが、幻十郎は動かない。
柄に手をかけることすらせず、自らの首をすっと前に差し出した。
[A:幻十郎:冷静]「……好きにしろ。どうせ、地獄行きだ」[/A]
喉仏に冷たい鋼が触れる。
小夜が奥歯を噛み締め、両手に力を込めた、その瞬間。
幻十郎の鼻腔が、雨だれの中にかすかな異臭を捉えた。
生臭い血の匂い。殺気。
[Flash]闇の奥で、弦が弾かれた。[/Flash]
[A:幻十郎:驚き][Think]……上か![/Think][/A]
幻十郎の体が跳ねる。
白刃を素手で弾き飛ばし、小夜の華奢な体を泥だらけの地面へと力任せに押し倒す。
[A:小夜:驚き][Shout]「きゃっ!?」[/Shout][/A]
直後、空を裂いて無数の毒矢が降り注いだ。
鈍い音。
幻十郎の背中に三本の矢が深々と突き刺さり、肉を抉る生々しい音が響く。
[Sensual]
冷たい泥土の上。
幻十郎の重い体が、小夜をすっぽりと覆い隠すように密着している。
吐息が直接、耳を打つほどの距離。
雨に濡れた男の体温と、生暖かい鮮血が、小夜の白い首筋へとドロリと滴り落ちる。
[A:小夜:恐怖][Tremble]「な……なにを……っ」[/Tremble][/A]
[Pulse]ドクン、ドクン。[/Pulse]
幻十郎の荒々しい心音が、小夜の胸へと直接響いてくる。
泥と血にまみれた太い腕が、彼女の細い腰を強引に抱き寄せた。
首筋に這う、掠れた低い声。
[A:幻十郎:冷静][Whisper]「……声を出せば、死ぬぞ」[/Whisper][/A]
矢の突き刺さった背中を庇うこともなく、幻十郎は小夜の体を抱え上げる。
そのまま獣のような瞬発力で地を蹴り、黒い雨の降る闇夜へと一気に駆け出した。
[/Sensual]
仇であるはずの男の腕の中。
熱を帯びた鉄の匂いに巻かれながら、小夜の脈拍は暴走し、思考は泥のように濁っていく。
一方の幻十郎は、背中に刺さった矢の毒により、すでに視界が[Blur]赤黒く明滅[/Blur]し始めていた。
第2章:崩落する虚飾

雨漏りの音が響く廃屋。
腐りかけた板間に倒れ込んだ幻十郎は、荒い息を吐きながら膝をつく。
傷口から紫色の血が止めどなく溢れ、[Pulse]毒の回る鼓動[/Pulse]が耳の奥で鐘のように鳴り響いていた。
小夜は泥だらけの着物を握り締め、後ずさった。
仇に命を救われた事実を咀嚼できず、青ざめた唇を震わせる。
そこへ、静かな足音が近づいてくる。
チャプ、と水溜まりを踏む優雅な音。
暗闇から姿を現したのは、この場に似つかわしくない上質な絹の羽織を纏った男。
手入れの行き届いた長い黒髪。蛇のように細く、冷酷な目。
血の通っていない白磁のような肌が、稲光に照らされて不気味に浮かび上がった。
[A:小夜:驚き]「鬼柳様! どうして……ああ、助けてください!」[/A]
すがりつこうとする小夜を、鬼柳刑部は芝居がかった仕草で制止する。
その薄い唇が、三日月の形に歪んだ。
[A:鬼柳 刑部:興奮]「素晴らしい。その顔が見たかったんだよ」[/A]
滑るような声色が、空気を凍らせる。
小夜の足が止まった。
[A:鬼柳 刑部:冷静]「君の養父を暗殺したのは、私だねぇ」[/A]
[Impact]空気が軋む。[/Impact]
鬼柳は絹の袖で口元を覆い、くつくつと喉を鳴らす。
[A:鬼柳 刑部:狂気]「君の母親も極上だった。私の慰み者になりながら、最後まで君の身を案じていたよ。……ああ、言っていなかったかな? 君はね、私が暇つぶしに産ませた、汚らわしい私の『実の娘』なんだよ」[/A]
[A:小夜:絶望][Glitch]「あ……うそ……だ……」[/Glitch][/A]
小夜の喉から、ヒューという引きつった音が漏れる。
信じていた世界が、音を立てて崩落していく。
復讐という唯一の生き甲斐。仇と信じた男。
すべては、この男の盤上の遊戯に過ぎない。
[A:鬼柳 刑部:興奮]「そして、あそこで這いつくばっている泥犬。君の養父の最期の戯言……『娘を頼む』という一言を守るためだけに、自ら外道の汚名を被って、君の憎しみを受け止めていた。いやぁ、滑稽で涙が出るねぇ!」[/A]
腹を抱えて笑う鬼柳の声が、廃屋に木霊する。
小夜の膝から力が抜け、泥水の中にへたり込んだ。
[A:鬼柳 刑部:冷静]「さあ、お遊戯は終わりにしたまえよ。お前のような出来損ないは、もう用済みだ」[/A]
蛇の目が細まり、白刃が滑らかに鞘を走る。
無慈悲な刃が、崩れ落ちた小夜の細い首筋へと振り下ろされた。
第3章:狂犬の咆哮

[Shout]ガァンッ!![/Shout]
火花が爆ぜる。
小夜の眼前、数寸の距離。
死の刃を間一髪で弾き返したのは、折れかけた鈍色の刀身だった。
[A:幻十郎:怒り]「……主君の命令は、絶対なんでな」[/A]
背中に三本の矢を突き立てたまま。
致死量の毒を全身に回しながら。
血反吐を吐き、足掻き、それでも幻十郎は立ち上がる。
三白眼に宿る虚無は消え失せ、狂気を帯びた獣の光が燃え盛っていた。
[A:鬼柳 刑部:怒り]「チッ……泥犬が。私の絹を汚すな!」[/A]
優雅な太刀筋が空を裂く。
冷徹な暗殺剣『蛇影流』。
見えない刃が、幻十郎の左目を縦に切り裂く。
[Flash]鮮血が噴き出す。[/Flash]
[A:幻十郎:狂気][Shout]「ガァアアアアッ!」[/Shout][/A]
激痛。視界の半分が赤黒く染まり、潰れる。
それでも幻十郎の足は止まらない。
右から迫る斬撃。避けずに左手を差し出す。
肉を断ち、骨を砕く音。
左手の指が三本、宙を舞って泥に落ちた。
[A:鬼柳 刑部:恐怖][Tremble]「な……なんだ、貴様は……!」[/Tremble][/A]
鬼柳の顔から、余裕の笑みが剥がれ落ちる。
片目を潰され、指を削がれ、全身から血を流しているというのに。
男は笑っている。
泥を啜り、自身の流す血の味を噛み締めながら、ただひたすらに前へと踏み込んでくる。
泥臭い、這いつくばるような生存の執念。
計算外の事態に、完全なる異常者の心に初めて恐怖が芽生えた。
[A:鬼柳 刑部:恐怖][Shout]「死ね! 死に絶えろぉっ!」[/Shout][/A]
乱れた太刀筋。
だが、速度は乗っている。
幻十郎が渾身の力で振り上げた我流の一撃と、鬼柳の白刃が正面から激突する。
[Impact]カァンッ!!![/Impact]
甲高い破砕音。
限界を超えていた幻十郎の刀が、根元から無惨にへし折れた。
防御を失った幻十郎の胸元。
そこに、鬼柳の刃が真っ直ぐに吸い込まれていく。
肉を裂き、肋骨を滑り、心臓を完全に貫く。
致命的な、決定的な死の感触。
第4章:血塗られた忠義
[Pulse]ドクン……、……。[/Pulse]
心臓を貫かれた。
間違いなく、鼓動は止まる。
鬼柳は確信し、歪んだ安堵の笑みを浮かべようとした。
だが。
[A:幻十郎:狂気]「……捕まえたぜ」[/A]
血泡を吹く口元が、ニィッと吊り上がる。
幻十郎は倒れない。
それどころか、自らの肉体を刃のさらに奥へとねじ込んだ。
ゴキリ、と肋骨が砕け、刃の鍔が幻十郎の胸板にめり込む。
逃げ場を失った鬼柳の腕。
至近距離。幻十郎の顎が大きく開き、白磁のように美しい鬼柳の右腕に、獣のように噛み付く。
[Shout]メチャクチャに肉を食いちぎる音。[/Shout]
[A:鬼柳 刑部:絶望][Shout]「あ、ぐぁああああっ!? 離せ! 汚い! 離せぇぇっ!」[/Shout][/A]
骨が砕け、筋繊維が引き千切られる。
鬼柳が絶叫し、腕を引き抜こうと暴れる。
だが、遅い。
幻十郎の残された右手。そこには、先ほどへし折れた刀の切先が握られている。
[A:幻十郎:冷静]「……地獄で待ってる」[/A]
下からのすくい上げ。
鈍い光を放つ折れた鋼が、鬼柳の喉笛を深々とえぐり取った。
[Flash]ゴボァッ![/Flash]
気管を断ち切られ、大量の鮮血が夜気を舞う。
言葉にならない泡を吹きながら、鬼柳の体が白目を剥いて崩れ落ちた。
重なり合うように、幻十郎の巨体もまた、血と泥の海へと沈む。
戦いの終わり。
雨の音だけが、やけに静かに響いている。
[A:小夜:悲しみ][Shout]「いや……ああああっ! 幻十郎! 幻十郎ぉぉっ!」[/Shout][/A]
小夜が這いずり寄り、血だまりの中で動かなくなった男の胸にすがりつく。
憎悪の対象だった。
だが、自分のために泥をすすり、全てを投げ打ってくれた、ただ一人の男。
幻十郎の閉じた瞼が、わずかに震える。
血に塗れ、指を失った不器用な手がゆっくりと持ち上がる。
そして、泣き叫ぶ小夜の黒髪に触れた。
ポン、と。
たった一度だけ、優しく撫でる。
[A:幻十郎:冷静][Whisper]「これで……やっと……死ねる……」[/Whisper][/A]
喉の奥でかすかに笑うと、手が力なく泥の上へと滑り落ちる。
凄惨で、けれどどこか満足げな笑みを浮かべたまま、狂犬は息絶えた。
雲が切れ、夜明けの冷たい光が廃屋に差し込み始める。
静寂の中。
動かなくなった男の亡骸を見下ろし、小夜の喉からひきつった音が漏れる。
もはや、涙すら流れない。
親の死、復讐の虚構、そしてこの男の血まみれの忠義。
すべてを飲み込み、狂気がじわりと彼女の脳髄を浸していく。
血塗られた折れた刀を拾い上げ、小夜はぬかるみの中にぬらりと立ち上がる。
背負わされた業。血で贖われた命。
その瞳には、もはや人としての迷いは存在しない。
ただどす黒い烈火だけが、静かに、そして確実に燃え盛っていた。