第一章: 氷獄の美と、狂える模造者
吐き出す吐息が、一瞬にして白い結晶となって漆黒の闇へと消え去る。
零下の静寂が支配する地下庭園には、凍結された青い薔薇が、不気味なほど鮮やかに、そして艶やかに咲き乱れていた。
銀髪を揺らし、銀縁の眼鏡の奥から冷徹な眼光を放つ男、神宮寺 司は、硝子の棺に細く美しい指先を這わせる。
仕立ての良い漆黒のロングコートが、微かな冷気を孕んで静かに、まるで死神の羽衣のように揺れた。
神宮寺 司「これこそが極致。完璧な不変を約束された、私の最高傑作です」
司は恍惚とした薄い笑みを口元に浮かべ、棺の中に横たわる少女の凍りついた白い肌にそっと手を伸ばす。
その指先には、常に彼が衣服の内側に隠し持っているエンバーミング用の極細のメスが、冷たく鈍い光を放ちながら隠されていた。
カチャ、と冷徹な金属音が静寂を切り裂く。
背後の暗闇から、大粒の涙をその瞳に溜めた少女が、銃口をまっすぐにこちらに向けていた。
透き通るような白い肌に、夜霧のように長い黒髪が、吹き抜ける冷気で激しく舞い踊る。
ドレスの胸元には、かつて司の手によって贈られた、深青色のサファイアブローチが妖しく、そして悲痛に輝いていた。
氷室 舞香「その汚れた手で、お姉ちゃんに触るな!」
氷室 舞香「お前が姉さんを殺した。その冷酷な手で命を奪い、凍らせたんだ。今すぐそこから離れなさい!」
引き金を引く指が、激しい怒りと、奥底から湧き上がる恐怖によって小刻みに震えている。
司は驚きを見せるどころか、静かに、そしてどこまでも慇懃無礼に口元を歪めた。
彼は歩みを止めることなく、ゆっくりと舞香の前に立ち、自らの冷たい額をその黒く冷たい銃口へと押し当てる。
神宮寺 司「命など、美しく朽ちるための前座に過ぎません。私は彼女の懇願に応じ、永遠を授けただけですよ」
神宮寺 司「それに……よく観察しなさい。その棺に眠る『モノ』の、一番大切な場所を」
舞香の鼓動が、静かな部屋に激しく響く。
トクン、と跳ね上がる心音。
促されるまま、彼女は震える視線を硝子の棺へと落とした。
違和感が脳を直撃する。
姉である玲香の首筋にあるはずの、双子を区別するための唯一の印――あの黒子が、そこには存在しなかった。
氷室 舞香「嘘……お姉ちゃんの、黒子が……ない……?」
これはお姉ちゃんじゃない。じゃあ、この中にいるのは誰なの?
目の前にあるのは、他人の肉体を極限まで精巧に加工し、姉の顔を模した、悪質な「模造品」だった。
あまりの衝撃に、舞香の膝から一瞬にして力が抜け、凍てつく床に崩れ落ちそうになる。
その背後から、重厚な扉が荒々しく開け放たれ、耳障りな笑い声が静寂を切り裂いた。
赤黒い炎が、暖炉の中で爆ぜるように音を立てる。
司はいつの間にか、舞香の指から拳銃を滑り落ちるように奪い去り、大理石のテーブルへ無造作に置いた。
彼は磁器のカップに、温かいアッサムティーを優雅な手つきで注ぎ、甘い香りを室内に漂わせる。
神宮寺 司「私の聖域に、このような不完全な汚物を紛れ込ませた愚者がいる。これは、死の美に対する許しがたい侮辱です」
氷室 舞香「じゃあ、本物のお姉ちゃんはどこなの? 誰がこんな、残酷な真似を……!」
舞香が爪を立ててテーブルにすがりついた瞬間、談話室の分厚い扉が激しく蹴破られた。
乱れた白衣を引きずり、無精髭を蓄えた男が、不気味な足音を立てて這い入ってくる。
蓮見 鏡介。目の下にある深い黒色の隈が、彼の異常性を何よりも雄弁に物語っていた。
蓮見 鏡介「ひゃははは! 大正解だよ、神宮寺! さすがは帝都一の検屍官サマだ、目の肥え方が違うねえ!」
鏡介は白衣を翻し、拍手をしながら不快な高笑いを響かせる。
蓮見 鏡介「あの氷の中の死体は、俺が最新の有機蝋を捏ね上げて作った最高傑作さ。本物の玲香ちゃんはねえ、今頃俺の地下室で、極上の防腐液を全身に流し込まれているところだよ!」
その言葉は、舞香の胸を鋭いナイフのように突き刺した。
氷室 舞香「そんな……嘘、お姉ちゃんが、そんな目に……っ!」
鏡介の濁った瞳が、司への底知れない嫉妬と憎悪で燃え上がっている。
蓮見 鏡介「お前の一番大事なコレクションを、俺の安っぽいおもちゃで汚してやった。どんな気分だ、神宮寺? ああ?」
蓮見 鏡介「さらに言えば、この部屋にはもう、俺の特製ガスが充満しているんだ。あと数分で、お前たちの肺は呼吸を拒絶する」
言われてみれば、指先が急速に冷たくなり、喉の奥が焼け付くように乾いていく。
呼吸をするたびに、じわじわと全身の感覚が麻痺していくのが分かった。
蓮見 鏡介「お前の負けだ、神宮寺! 永遠の美なんて幻想と一緒に、この煙の中で泥のように溶けて消えちまえ!」
激しい爆発音が響き、周囲の壁が真っ赤な猛火に包める。
鏡介が放った火の手は、地下庭園の冷気を一瞬で荒涼たる灼熱へと変え、凍れる薔薇を次々と黒い灰へ変えていく。
毒の麻痺により、司の膝がガクガクと震え、視界が急速に狭まっていく。
ぼやける視界。
だが、彼の銀縁の眼鏡の奥にある青き双眸は、いささかもその光彩を失ってはいなかった。
私の美意識を、これ以上汚させるわけにはいかない。
司は上着の内側から、死体防腐用の極細のメスを指の隙間に滑り込ませた。
標的は、鏡介が白衣の胸ポケットに収めている、透明な中和剤のガラス瓶。
鏡介は慌てて懐から拳銃を取り出そうとするが、司の放つ死神のような威圧感に、身体が硬直する。
蓮見 鏡介「な、なんだその目は……! 死ぬのが怖くないのか!」
ドン、と乾いた銃声が響き、司の肩から鮮血が噴き出す。
しかし、司は眉一つ動かさず、肉の裂ける痛みを置き去りにして距離を潰した。
その指先が、閃光のような軌跡を描いて鏡介の頸部へと奔る。
「が、は……っ!」
鏡介の喉元から紅蓮の鮮血が勢いよく噴き出し、彼は白衣を赤く染めながら床に崩れ落ちた。
司は息絶えゆく手から中和剤を奪い取り、床に倒れ込んで息も絶え絶えの舞香の元へ這うように進む。
神宮寺 司「これを飲みなさい。すべての苦痛が消え去ります」
冷たい指先で舞香の顎を固定し、強引にすべての液体をその唇へ注ぎ込んだ。
喉を鳴らして薬を飲み込んだ舞香は、涙に濡れた瞳で、血に染まる司を見上げる。
氷室 舞香「どうして……自分を救わないの? あなたは、お姉ちゃんしか愛していなかったはずなのに……!」
炎の赤が、司の端正な顔立ちを、この世の何よりも神聖に照らし出していた。
神宮寺 司「玲香は言いました。『私を凍らせる代わりに、妹を光の下へ』と。彼女の最後の願いがこれです」
神宮寺 司「私にとっての究極の美とは、形骸化した死体ではありません。己の限界に抗い、美しくあろうとする人間の魂そのものです」
司は、その細く強い腕で舞香を抱き寄せ、非常用のハッチへと力強く押し出した。
直後、轟音と共に巨大な天井の梁が崩落し、二人の間を炎の壁が完全に遮断する。
立ち込める煙と火柱の向こう側、司は崩れ落ちる瓦礫に囲まれながら、静かに帽子に手を添え、一礼した。
その顔には、一点の悔いもない、狂おしいほどに完璧な微笑が浮かんでいた。
さあ、これで私はあなたの心に、永遠の彫刻となって刻まれる。
舞香は燃え盛る洋館から這い出し、夜の冷気の中で一人、激しく咳き込みながら生き延びた。
その胸に輝くサファイアのブローチは、もはや彼女を縛る憎悪の証ではない。
一生、彼以外の男を愛せなくなるという、美しくも残酷な呪縛そのものだった。