「空に浮かぶ島なんて、絵本の中だけの話よ」
工房に響いたのは、幼馴染リリィの呆れたような声だった。僕、カイトは油と埃にまみれたゴーグルを額に押し上げ、彼女に笑いかけた。
「絵本じゃない。これは、じいちゃんの記録だ」
僕の手には、古ぼけた革張りの手記があった。そこには、常人には到底信じられないような冒険譚と、奇妙な機械の設計図がびっしりと書き込まれていた。伝説の天空島『アトラス』。そして、そこへ到達するための鍵となる、風の力をエネルギーに変える鉱石『風晶石』。
世間の誰もが一笑に付すこの伝説を、僕は信じていた。なぜなら、じいちゃんは嘘をつくような人じゃなかったからだ。
「見つけたんだ、リリィ。手記に記された『嘆きの洞窟』で、本物の風晶石を」
僕がポケットから取り出した石は、一見ただの青みがかった水晶だった。しかし、僕がそれに息を吹きかけると、石は淡い光を放ち、ふわりと手のひらの上で数センチ浮き上がった。
リリィの目が、驚きに見開かれる。「うそ……本当に?」
それから一ヶ月。僕たちは寝る間も惜しんで、じいちゃんの設計図を元に一人乗りの飛行機械、グライダーのような翼を持つ『スカイホッパー』を組み上げた。風晶石を動力炉にセットし、工房の扉を全開にする。外から吹き込んできた風を受けて、風晶石がまばゆい光を放ち始めた。翼が震え、機体がゆっくりと浮上する。
「飛ぶぞ、リリィ!」
僕は操縦桿を握りしめ、地面を蹴った。スカイホッパーは驚くほど軽やかに空へと舞い上がる。眼下で豆粒のようになっていくリリィが、手を振っているのが見えた。風が頬を撫で、全身が歓喜に打ち震える。空を飛ぶ。ただそれだけのことが、こんなにも心を躍らせるなんて!
しかし、僕たちの冒険はまだ始まったばかりだった。手記によれば、天空島アトラスは、強力な乱気流の壁に守られているという。そこを突破するには、年に一度だけ発生する巨大な上昇気流、『竜の咆哮』に乗るしかない。
そして、その日は来た。空は不気味な暗紫色の雲に覆われ、風が唸りを上げている。人々が家に閉じこもる中、僕たちは丘の上にスカイホッパーを運び出していた。
「無茶よ、カイト!こんな嵐じゃ、木の葉みたいに飛ばされるだけだわ!」リリィが僕の腕を掴んで叫ぶ。
「じいちゃんは書いている。『嵐を恐れるな。嵐こそが、空への道標だ』と。僕はこの風を掴んでみせる!」
僕はリリィの不安を振り払うようにコックピットに乗り込み、キャノピーを閉じた。風晶石が嵐のエネルギーを吸収し、これまで以上の輝きを放つ。機体が激しくきしみ、今にもバラバラになりそうだ。
「行っけええええっ!」
断崖から飛び出した瞬間、凄まじい風が機体を叩きつけた。視界は雨と雲で真っ白になり、計器が狂ったように数値を表示する。まるで巨大な獣の腹の中にいるようだ。何度も意識が遠のきかけたが、そのたびに操縦桿を握りしめ、じいちゃんの言葉を心の中で繰り返した。
どれほどの時間が経っただろうか。突然、機体を叩きつけていた暴力的な衝撃が、ふっと消えた。まるで分厚いカーテンを突き抜けたように、スカイホッパーは静寂の世界に飛び出していた。
僕は息を呑んだ。
眼下に広がっていたのは、嵐の雲海。そして、その遙か上空。陽の光を浴びて神々しく輝く、巨大な島が浮かんでいた。緑豊かな大地に、見たこともない結晶質の建造物が立ち並び、巨大な滝が雲海へと流れ落ちている。
「……あった」
無線機から、ノイズ混じりのリリィの声が聞こえる。『カイト!?無事なの!?』
僕は込み上げる興奮を抑えながら、マイクに叫んだ。
「リリィ、見つけたぞ!天空島アトラスだ!でもな、どうやらここはゴールじゃないみたいだ!」
島の中心にそびえ立つ塔の頂が、かすかに光っている。それはまるで、さらにその先、星々の海へと続く道を示す灯台のようだった。
「ここが、僕たちの冒険の本当の始まりだ!」
僕の心は、これから始まる未知の冒険への期待で、風晶石よりも眩しく輝いていた。
風掴みの翼
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