雲海の底に沈む街「ガラクタ谷」。空から落ちてきた文明の残骸でできたその街で、レオは小さな修理屋を営んでいた。彼の夢は、いつか祖父の遺した小型飛空艇「ウィングフィッシュ号」で雲を抜け、伝説の浮遊島「エデン」を見つけることだった。
嵐の夜だった。空を引き裂くような轟音と共に、何かが谷に墜落した。レオが駆けつけると、そこには美しい少女の姿をしたオートマタ(機械人形)が倒れていた。銀色の髪は泥に汚れ、白いドレスは焼け焦げている。だが、その胸だけは、まるで夜空の星屑を閉じ込めたかのように、青白い光を静かに明滅させていた。
レオは彼女を工房に運び、持てる技術のすべてを注いで修理した。数日後、オートマタはゆっくりと目を開いた。「……ここは、どこ?」
記憶を失っていた彼女に、レオは「ノア」という名をつけた。
奇妙な共同生活が始まった。ノアの胸で輝く「星屑の心臓」は、時折、空の一点を指し示すように強い光の筋を放った。その光は、レオが祖父の古文書で見た「エデンへの道標」と寸分違わぬものだった。
「ノア……君は、エデンから来たのかもしれない」
レオの胸は高鳴った。夢が、すぐそこにある。
しかし、その光は災いも呼び寄せた。悪名高い空賊団「スカイクロウ」が、ノアを狙ってガラクタ谷に現れたのだ。
「そいつの心臓は、無限のエネルギーを生む『天空の心臓』だ! 渡してもらおうか!」
空賊の頭目、鉄腕のバルガスが吼える。
レオはノアの手を引き、工房の奥に隠されたウィングフィッシュ号に飛び乗った。プロペラが唸りを上げ、古びた船体はガラクタの山を蹴って、蒼穹へと舞い上がる。
「しっかり掴まって、ノア!」
眼下には、みるみる小さくなるガラクタ谷。そして、どこまでも広がる白金の雲海。ノアは初めて見るその光景に、目を輝かせた。
ノアの心臓が示す光を頼りに、二人の冒険が始まった。巨大なクラゲのような浮遊生物の群れを避け、風を司る民が住む島で翼を休め、虹色に輝く滝を潜り抜けた。レオはノアに世界の広さを教え、ノアはレオに忘れていた純粋な好奇心を思い出させた。スカイクロウの執拗な追跡を振り切りながら、二人の間には確かな絆が芽生えていた。
嵐の空域「竜の巣」の先、ついにその島は姿を現した。緑に覆われ、いくつもの滝が雲海に注ぐ、神々しいまでの浮遊島。エデンだ。
だが、安堵も束の間、背後から無数の砲弾が飛来した。待ち伏せしていたバルガスの艦隊だ。ウィングフィッシュ号は黒煙を吹き、二人はエデンへと不時着した。
静寂に包まれたエデンの中央には、枯れかけた巨大な世界樹のような機械がそびえていた。追いついたバルガスが、ノアを捕らえる。
「これで伝説は俺のものだ!」
バルガスがノアの胸に手をかけた瞬間、ノアの瞳に強い光が宿った。失われた記憶が、奔流となって蘇る。
彼女はエデンを管理する「核」だった。この島そのものが、世界の天候や重力を司る巨大な生命維持装置であり、ノアの心臓はそのマスターキーなのだ。エネルギーが枯渇しかけ、助けを求めるために、ノアは自らを空へ放ったのだ。
「ノアに……触るな!」
レオは工具を手に、鉄腕のバルガスに立ち向かった。その姿を見て、ノアの中で強い感情が爆発する。レオを守りたい。その一心で、彼女は自らの意志で心臓の力を解放した。
「エデン、再起動します」
ノアの体から放たれた光が世界樹に注がれると、枯れていた機械の巨木がまばゆい光と共に脈動を始める。島全体が震え、膨大なエネルギーの奔流が空賊団を雲海の彼方へと吹き飛ばした。
やがて光が収まると、エデンはゆっくりと高度を上げ、再び雲の中に姿を消していく。
「行こう、レオ」
記憶を取り戻したノアが、微笑みながらレオの手を取った。
「私たちの冒険は、まだ始まったばかりなのだから」
修理したウィングフィッシュ号に乗り、二人は再び広大な空へと飛び立つ。伝説の島を後にした彼らの前には、まだ見ぬ無数の島々と、無限の物語が広がっていた。
天空の心臓と忘れられた島
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