クロマティック・グラフィティ

クロマティック・グラフィティ

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第一章 虹色の転校生と無色の僕

僕、水島湊(みずしま みなと)の世界は、色で溢れている。ただし、それは僕にしか見えない特殊な色だ。人の感情、特に「青春」と呼ばれる刹那的な輝きが、オーラのようにその人の周りに立ち上るのが見える。必死にボールを追う野球部員からは燃えるような緋色、文化祭の準備に笑い合うクラスメイトたちからは弾けるような山吹色、廊下の隅で密やかに交わされる恋の会話は、淡い桜色の靄となって漂う。

僕は美術部に所属しているが、その能力のせいで、まともな絵が描けたためしがない。写実的な風景画を描こうとしても、楽しげに浜辺を駆けるカップルの放つアクアマリンの光が、穏やかな海の青をかき乱してしまう。僕は、彼らの青春を羨んでいるわけではない。むしろ、過剰な色彩情報にうんざりしていた。なぜなら、僕自身には、その色がまったく見えないからだ。鏡を覗き込んでも、自分の周りには色のカケラすらない。僕は、この鮮やかな世界の、無色透明な傍観者だった。

高校二年の初夏。僕の灰色の日々に、突然、極彩色の嵐が訪れた。

「夏川陽菜(なつかわ ひな)です。よろしくお願いします」

教室の扉を開けて入ってきた転校生は、僕が今まで見たどんな人間とも違っていた。彼女の周りには、一つの色では表現できない、虹色の光が渦を巻いていた。それはまるで、プリズムが太陽光をすべて集めて乱反射させているかのような、圧倒的な輝き。教室中の誰もが彼女の笑顔に息を呑んだが、僕だけは、その暴力的なまでの色彩に目を細めるしかなかった。

なぜだ。なぜ彼女だけが、あんなにも輝いている? それは、僕の静かな世界を根底から揺るがす、謎めいた問いかけの始まりだった。

第二章 灯台の秘密と近づく影

夏川陽菜は、その輝きに違わず、太陽のような存在だった。誰にでも屈託なく話しかけ、その場の空気を一瞬で陽性のものに変えてしまう。彼女はなぜか僕の描く、どこか醒めた絵に興味を持ち、放課後になると決まって美術準備室に顔を出した。

「水島くんの絵、なんだか遠い場所から世界を眺めてるみたいだね。静かで、綺麗だけど……ちょっとだけ、寂しい色」

僕の無色を見透かすような彼女の言葉に、心臓が小さく跳ねた。僕らは自然と話すようになり、彼女に誘われるまま、町の外れにある古びた灯台へ足を運ぶことが増えた。打ち捨てられて久しいその白い塔を、陽菜は「私たちの秘密基地」と名付けた。

錆びた螺旋階段を上り、踊り場の丸窓から潮風に吹かれながら、他愛もない話をした。彼女は僕の能力のことを知らない。だから、僕がなぜ人々を眩しそうに見つめるのか、その理由も知らない。陽菜と一緒にいると、不思議と世界の色彩が穏やかになる気がした。彼女の虹色が、僕の無色をそっと包み込んでくれるような、淡い錯覚。

「ねえ、湊くん。もし、この一瞬を永遠に閉じ込めておけるとしたら、どうする?」

ある夕暮れ、茜色に染まる海を眺めながら、陽菜がぽつりと呟いた。彼女の横顔を照らす光は、いつもより少しだけ揺らめいて見えた。その瞳の奥に、僕の知らない深い影が潜んでいることに、この時の僕はまだ気づいていなかった。彼女の放つ強烈な輝きは、時折、まるで何かを必死に隠すための光のカーテンのように感じられることがあった。

第三章 嵐の夜の告白

季節が巡り、夏祭りの夜がやってきた。人々の喧騒と、提灯の暖かな橙色、打ち上げ花火が放つ刹那のネオンカラー。僕はその色彩の洪水に眩暈を覚え、一人、灯台へ向かった。陽菜との約束の場所。やがて、遠くで雷鳴が轟き、空模様が急変する。激しい雨が、祭りの熱を叩きつけるように冷やしていく。

灯台の最上階で待っていると、ずぶ濡れの陽菜が息を切らして駆け込んできた。彼女の周りの虹色の輝きが、嵐の前の風のように激しく明滅している。

「湊くん、ごめん。話さなきゃいけないことがあるの」

彼女の表情は、いつもの笑顔とは程遠い、切迫したものだった。

「僕にしか見えない色があるんだ。君の周りには、虹色の光が見える」

僕は、覚悟を決めて打ち明けた。それが、彼女の秘密に触れるための、唯一の鍵だと感じたからだ。

陽菜は驚かなかった。むしろ、悲しげに微笑んだ。

「やっぱり、見えてたんだね。おじいちゃん」

「……おじいちゃん?」

理解が追いつかない。僕の思考は、雷鳴と共に完全に停止した。

陽菜は、震える声で語り始めた。彼女は、約八十年後の未来から来た、僕の孫なのだと。彼女の生きる時代、人々は高度な情報社会の中で感情の起伏を失い、かつて「青春」と呼ばれた瑞々しい心の輝きは、歴史上の概念と化していた。陽菜は、失われた感情を研究する歴史学者だった。そして、人類が再びその輝きを取り戻すための最後の希望として、特別な装置を使い、最も豊かな「青春の記録」が残る時代、つまり祖父である僕の高校時代にやってきたのだ。

「私が見ていたのは、湊くんの目を通して見た、この時代の青春の輝き。私自身が輝いて見えたのは、私が集めた膨大な感情データの『記録媒体』だから。私がここにいることそのものが、この時代の輝きを吸収する行為だったの」

僕が見ていた色は、他人の青春のエネルギーではなかった。それは、陽菜という未来の観測者を通してフィルターされた「青春の記録データ」が、僕の脳に可視化されたものだったのだ。

「じゃあ、どうして僕自身の色だけが見えなかったんだ?」

「それはね、湊くんが『観測者』であり、記録の『原点』だから。あなたの過ごす一瞬一瞬が、未来に送られるデータの『原石』そのものだったから。自分の青春は、自分では観測できない。だってあなたは、その真っ只中にいるんだもの」

嵐が灯台を揺らす。窓の外で稲妻が閃くたび、陽菜の体の輪郭が透けて、ノイズのように乱れた。

「でも、私がここに長く留まりすぎたせいで、歴史に歪みが生じ始めた。もう、帰らなくちゃいけない。この嵐が、時空のゲートが開く合図なの」

無色だと思っていた僕の日々が、未来の世界を救うかもしれない、かけがえのない宝物だった。傍観者だと思っていた僕は、誰よりもこの物語の主人公だったのだ。その事実は、僕の世界観を粉々に打ち砕き、そして、新しい光で再構築していった。

第四章 君がいた夏の色

別れの時は、突然やってきた。嵐が最高潮に達した瞬間、灯台の頂に、空から淡い光の柱が差し込んだ。陽菜の体が、足元からゆっくりと光の粒子になっていく。

「おじいちゃん。私が見てきたたくさんの青春の中で、あなたの青春が一番、不器用で、臆病で、でも……誰よりも眩しかったよ」

陽菜は涙を浮かべて微笑んだ。その虹色の輝きは、今までで一番優しく、そして切ない色をしていた。

「この絵、持っていっていい?」

彼女が指さしたのは、僕が描きかけで放置していた、この灯台の絵だった。何の色も乗っていない、鉛筆だけのスケッチ。

「ありがとう。未来で、ちゃんと色を塗るから」

僕は、何も言えなかった。ただ、頷くことしかできない。自分の無力さが悔しかったが、同時に、どうしようもないほどの感謝が込み上げてきた。君が、僕の無色の日々に、意味を与えてくれた。

「さよなら、湊くん」

「……さよならじゃない。また、未来で」

僕がそう叫んだ瞬間、陽菜の姿は強い光と共に完全に消え去った。嵐は嘘のように止み、雲の切れ間から、洗い清められたような月が顔を覗かせていた。灯台には、僕一人だけが残された。

あれから十年。僕は、海辺の町で絵を描き続けている。

もう、僕には人々の周りに輝く色は見えない。あの不思議な能力は、陽菜と共に未来へ去ってしまったのだろう。僕の世界は、かつてのように静けさを取り戻した。

だが、もう自分の世界を無色だとは思わない。キャンバスに向かう僕の背中に、午後の柔らかな陽光が降り注ぐ。僕には見えないけれど、きっと今の僕の周りにも、穏やかで温かい、何かの色が灯っているはずだ。

青春とは、他人に見せるための輝きではない。自分自身が不器用に、必死に生き抜いた時間の軌跡そのものだ。そしてその軌跡は、時に時空を超え、遠い未来の誰かを照らす光になるのかもしれない。

僕は筆を取り、新しいキャンバスに、夏の日の灯台を描き始める。あの日、陽菜が持っていったスケッチに、僕は僕なりの色を重ねる。空はどこまでも青く、灯台は白く、そして、そこに立つ二人の影には、虹のような無限の色が満ちていた。君がいた夏の色を、僕は永遠に忘れない。

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