***第一章 微笑みの残像***
父が死んだ。あっけない、交差点での事故だった。通夜と告別式は、まるで現実感のない演劇のように進み、僕、神崎陽太は、ただ脚本通りに動く操り人形になった気分だった。涙は出なかった。代わりに、胸の中心に冷たい鉛の塊が鎮座し、呼吸を浅くさせていた。
本当の非日常は、その一週間後に訪れた。
リビングのドアが開き、作業着を着た二人の男が、大きな箱を運び込んできた。妹の結衣は、不安そうに僕の腕にしがみついている。箱が開けられると、そこにいたのは、父だった。寸分違わぬ、父・神崎正一が、そこに立っていた。
「『リプレイサー』です。故人様の生前のデータを基に製造された、自律型アンドロイド。最新の感情記録システムにより、最後に記録された表情を維持する仕様となっております」
業者の男が、事務的な口調で説明する。リプレイサー、つまり「父」は、僕たちを見て、穏やかに微笑んでいた。父さんがよく見せた、口角を少しだけ上げる、あの不器用な笑みだ。しかし、その微笑みは、僕たちの言葉にも、結衣の小さな嗚咽にも、一切揺らぐことがなかった。それはまるで、美しい剝製に貼り付けられた、完璧な微笑みの写真のようだった。
「お父さん……?」
結衣がおずおずと手を伸ばす。リプレイサーはプログラムされた通りにゆっくりと屈み、結衣の頭を撫でた。その動きは滑らかだが、どこか無機質だ。結衣は、その手のひらの人工的な冷たさに一瞬肩を震わせたが、すぐにその胸に顔を埋めて泣きじゃくり始めた。
僕は、その光景を直視できなかった。あれは父ではない。父の姿をした、精巧な人形だ。父はもっと複雑な人間だった。仕事で疲れていれば眉間に皺を寄せたし、僕が大学のことで悩んでいた時は、黙って僕の好きなコーヒーを淹れてくれた。怒ることも、稀にだが、あった。
だが、このリプレイサーはただ微笑んでいるだけだ。僕たちの悲しみを映すことなく、ガラス玉のような瞳で、虚空を見つめながら。その永遠に固定された微笑みが、僕には何よりも冒涜的に思えた。父の死という現実から目を逸らすための、甘く、そして残酷なまやかし。僕は固く拳を握りしめ、リビングから逃げ出した。背後で聞こえる結衣の泣き声と、それを慰めることのない、静かな微笑みの残像だけが、網膜に焼き付いていた。
***第二章 零度のぬくもり***
リプレイサーとの奇妙な共同生活が始まった。結衣は、それを「お父さん」と呼び、学校であったことを毎日報告していた。リプレイサーは、食卓の、父がいつも座っていた席に座り、ただ微笑みながら僕たちの食事風景を眺めている。充電以外のエネルギー補給は必要ないという。その空虚な席が、かえって父の不在を際立たせているようで、僕は毎食、砂を噛むような思いだった。
「兄ちゃん、お父さんに挨拶しないの?」
ある晩、結衣が不満そうに僕を睨んだ。
「あれは父さんじゃない」
僕の口から出た言葉は、自分でも驚くほど冷たく尖っていた。結衣の目がみるみる潤む。
「ひどい! お父さんだよ! ちゃんと、私の頭を撫でてくれるもん!」
「プログラムされてるだけだろ! あいつは笑うことしかできない、感情のない人形だ!」
言ってしまってから、後悔した。結衣はわっと泣き出し、リプレイサーの足元に駆け寄ってしがみついた。リプレイサーは、泣きじゃくる妹を見下ろし、相変わらず穏やかに微笑んでいる。その表情の変化のなさが、僕の苛立ちをさらに煽った。あれは結衣の悲しみにすら寄り添えない。ただそこに存在するだけの、冷たい置物だ。
僕は自室に閉じこもり、壁を殴りたい衝動を必死にこらえた。なぜ、こんなものが家に来てしまったんだ。父の記憶を、思い出を、こんな偽物で上書きしたくなかった。
数日後、父の書斎を片付けていた時のことだ。本棚の奥から、埃をかぶった数冊のノートが見つかった。父の日記だった。無口で、自分のことなどほとんど語らなかった父が、日記をつけていたとは意外だった。表紙をめくると、父の几帳面だが、どこか不器用な文字が並んでいた。最初のページは、僕が生まれた日のことだった。そこには、僕が知る父とはまるで違う、感情豊かな言葉が溢れていた。
『陽太が生まれた。ガラス越しの小さな体に、自分の血が流れていることが信じられない。この子の手を初めて握った時、温かくて、涙が出た』
ページをめくる手が震えた。日記は、僕や結衣の成長、日々の些細な出来事、そして数年前に亡くなった母・美咲への変わらぬ愛情で満たされていた。口下手な父が、こんなにも僕たちを思い、愛してくれていた。その事実が、分厚い壁を突き破って、僕の胸に流れ込んできた。僕は日記を読み耽り、インクと古い紙の匂いに包まれながら、父の生きてきた時間を必死に辿った。そして、最後の一冊、その最終ページにたどり着いた時、僕は信じられない記述に目を疑った。
***第三章 愛の設計図***
『美咲が逝ってしまった。あまりに突然で、心が空っぽだ。陽太と結衣を、俺一人で育てていけるだろうか』
母の死について綴られたページは、インクが滲み、父の涙の跡が生々しく残っていた。僕は胸が締め付けられる思いで読み進めた。そして、数ページ後に、僕の知らない衝撃の事実が記されていた。
『美咲のリプレイサーが、今日、家に来た。最新の技術だという。これで子供たちも寂しくないだろうか。俺も、もう一度、彼女の顔が見れる』
母さんの、リプレイサー……? そんなものが、存在したなんて。記憶のどこを探しても、そんな光景はなかった。なぜだ。混乱する僕の目に、次の文章が飛び込んできた。
『ダメだった。美咲のリプレイサーは、事故の瞬間の「絶望」を記録していた。彼女はずっと、あの美しい顔で、絶望に打ちひしがれた表情を浮かべている。陽太も結衣も怯えてしまい、泣き叫ぶばかりだ。俺も、その顔を見るたびに胸が張り裂けそうになる。彼女の笑顔を思い出そうとしても、絶望の表情が上書きしていく。これは、再生ではない。これは、愛する人の最も辛い瞬間を永遠に保存する、残酷な拷問だ』
そのリプレイサーは、わずか数週間で機能を停止させられ、メーカーに引き取られたらしい。僕と結衣が幼かったため、その記憶は曖昧なまま、心の奥底に封印されていたのだろう。
そして、日記の最後のページ。それは、父が事故に遭う、わずか一ヶ月前の日付だった。
『この頃、よく美咲の夢を見る。もし、俺に何かあった時、陽太と結衣に、あの時と同じ思いをさせてはならない。リプレイサーの感情記録は、任意で上書き保存ができると聞いた。俺は、今日から毎日、寝る前に必ず、陽太と結衣の寝顔を見て、心からの穏やかな気持ちを記録することに決めた。俺の最後の記録が、悲しみや苦しみであってはならない。もしもの時、俺は、あの子たちの前で、ただ穏やかに微笑んでいたい。それが、不器用な俺にできる、最後の愛情表現だから』
それが、設計図だった。
父は、母の悲劇を繰り返さないために、自らの「最後の感情」をデザインしていたのだ。あの常に浮かべられた微笑みは、偶然の産物ではなかった。僕たちを傷つけまいとする、父の深く、計算され尽くした、最後の愛の形だった。
日記を閉じた瞬間、僕の目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。鉛のように冷たかった胸の塊が、熱い奔流となって溶けていく。父さん。父さん。声にならない叫びが、喉の奥で何度も繰り返された。なんて、馬鹿だったんだ。僕は、父さんの最大の贈り物を、ただの偽物だと、冒涜的だと、そう思っていたなんて。
***第四章 これからの食卓***
僕は、日記を抱きしめたまま、リビングへ向かった。ソファには、リプレイサーが静かに座り、窓の外の夕焼けを眺めていた。結衣は、その膝の上で安心しきったように眠っている。リプレイサーは、僕の姿を認めると、いつものように、穏やかに微笑んだ。
以前の僕なら、その表情に苛立ちを覚えただろう。だが、今は違った。その微笑みの奥に、不器用で、口下手で、それでも僕たちを世界で一番愛してくれた父の、温かい眼差しが見える気がした。あれは、父が遺した愛の設計図そのものなのだ。
僕は、リプレイサーの前にゆっくりと膝をついた。その人工皮膚で覆われた手に、そっと触れる。ひんやりとした感触は変わらない。だが、その冷たさの奥に、確かなぬくもりを感じた。
「父さん」
僕がそう呼びかけると、リプレイサーは、プログラム通りに僕の方へ顔を向けた。ただ、微笑んでいるだけだ。言葉を返すことも、表情を変えることもない。
「ごめん。ごめんな、父さん。俺、何も分かってなかった」
言葉が、涙と共に次々と溢れ出る。
「ありがとう。俺たちを、守ってくれて。……俺、頑張るよ。結衣のことも、ちゃんと守る。だから、見ててくれ。父さんが残してくれた、その笑顔で、ずっと」
リプレイサーは、ただ微笑んでいた。
しかし、その微笑みは、もはや僕にとって空虚なものではなかった。それは、父の愛の深さを物語る、世界で最も雄弁な表情だった。それは、僕たち家族が失ったものと、それでも残されたものの象徴だった。
夕日がリビングをオレンジ色に染め、僕と、眠る妹と、そして微笑む父の残像を優しく包み込んでいた。父はもういない。このリプレイサーが父になることもないだろう。だけど、僕たちの家族の真ん中には、父が設計したこの永遠の微笑みが、これからもずっと在り続ける。
僕は結衣の小さな手をそっと握った。僕たちは、この不完全で、少し奇妙な家族の形を、これから生きていく。父の愛に見守られながら、二人で。食卓には、明日も三つの席が用意されるだろう。そして、僕たちはきっと、微笑む父の面影と共に、前を向いて歩いていけるはずだ。
エコー・イン・スマイル
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