朽ちた約束の地

朽ちた約束の地

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第一章 廃村の囁きと不穏な光

梅雨明け間近の湿った空気が、アスファルトの照り返しで熱を帯びる都市を離れ、私は故郷の隣町にある実家へ向かっていた。窓から見える景色は、どこまでも続く田園風景と、緑濃い山々。年に数回の帰省。心のどこかで安堵しながらも、ジャーナリストとしての嗅覚は、常に新しい「ネタ」を探していた。

「遥、元気だったか!」

駅で出迎えてくれたのは、幼馴染の慎吾だった。建設現場で働く彼の手は、ゴツゴツと分厚い。昔と変わらない笑顔に、私の心も少し和む。

「慎吾こそ、現場仕事大変でしょ」

「ああ、だけど最近はちょっと面白い話もあってな。夜、肝試しに行かないか?」

慎吾の誘いは、いつも突拍子もない。

「肝試し?どこへ?」

「霧島村さ。最近、あの廃村で妙な光を見たって噂なんだ。再開発だとか、秘密の何かだとか…」

霧島村は、私の故郷である「水底村」のさらに奥に位置する、ほとんど手つかずの限界集落だった。私の水底村は、ダム建設によって数十年前に水没し、地図からその名を消した。だからこそ、霧島村もいずれ同じ運命を辿るだろうと、漠然と思っていた。

その夜、月明かりが雲に隠れ、闇が深まった頃、私たちは慎吾の軽トラックで霧島村へ向かった。山道は舗装も疎らで、揺れる車体に合わせて、車内の沈黙が重くのしかかる。草木が生い茂り、朽ちかけた鳥居が幽霊のように現れた時、車は止まった。

「ここだ。ここから先は、歩いて行こう」

慎吾の声が、不気味に響く。私たちは懐中電灯を手に、廃墟となった集落の奥へと足を踏み入れた。湿った土と、埃っぽいカビの匂いが混じり合う。風もないのに、木の葉がざわめく音が、どこか遠くから聞こえてくる。

朽ちた木造家屋が、月のない夜空の下で黒い影絵のように並ぶ。窓ガラスは割れ、障子は破れ、かつての生活の痕跡は、時間の流れに飲み込まれていく。まるで、この世から忘れ去られた場所。

その時、私たちは見た。集落のさらに奥、深い森の向こうから、不穏な光が点滅しているのを。それは、決して村の明かりではない。まるで工事現場のような、機械的な、不規則な光。

「あれは…?」

慎吾が息を呑む。私も懐中電灯の光を弱め、息を潜めてその光景を見つめた。故郷の祖母が語った、水底村の古の言い伝えが脳裏をよぎる。「川の守り神と契約し、水の底に何かを隠した者たちがいた」と。

私はジャーナリストだ。この不自然な光景は、好奇心と、かすかな予感を刺激した。ただの噂ではない。この廃村で、何かが始まっている。そして、それはきっと、私の故郷とも無縁ではないだろう。私は、都市での冷めた日常を覆す、予期せぬ真実の扉が今、目の前で開かれようとしているのを感じた。

第二章 消えた記憶を追う者たち

あの夜以来、霧島村の不穏な光景は私の脳裏に焼き付いて離れなかった。慎吾は肝試しの一種だと思って流したが、私にはそうは思えなかった。私は東京に戻らず、実家に滞在して本格的な調査を開始した。まず手始めに、県庁や町の役場、そして図書館で、霧島村に関する資料を漁った。

霧島村は、数年前から大手総合開発企業「東亜開発」による大規模なリゾート開発計画が持ち上がっていた。しかし、地元の反対や環境アセスメントの遅延で頓挫したはずだった。だが、最近になって急に計画が再浮上し、秘密裏に土地買収が進められているという情報が浮上していた。その裏には、複数のペーパーカンパニーと、政治家の名前が見え隠れする。利権の匂いがぷんぷんする。

しかし、なぜ廃村寸前の霧島村なのか。周辺には他にも自然豊かな土地はいくらでもある。何か特別な理由があるのではないか。

疑問を抱えながら、私はかつて水底村に住んでいた、あるいは霧島村を知る老人たちを訪ね歩いた。彼らはみな口を閉ざすか、あるいは曖昧な言葉で煙に巻こうとする。

「霧島村は呪われている。水の底には何も残っていないはずだ」

「あの山には近づくな。昔から、悪いものが眠っていると聞く」

彼らの言葉の裏には、何かを隠蔽しようとするかのような、不自然な強さがあった。特に、私の祖父と同世代の老人が、私の視線を避けるように何度もそう繰り返すのを見て、私はさらに不信感を募らせた。

ある日、私は実家の納屋で、祖父の遺品を整理していた。祖父は私が幼い頃に他界し、彼に関する記憶はほとんどない。その中に、埃を被った古い木箱があった。開けてみると、水底村の精巧な手描き地図と、数冊の古びたノートが収められていた。ノートには、達筆な文字で何かが記されている。祖父の日記か、手記だろうか。

パラパラとページをめくると、いくつかの断片的な言葉が目に飛び込んできた。

「水の底の秘密」「村の存続」「守らなければならない」「罪と罰」

手記は、曖昧な言葉と、意味深な描写で満ちていた。特に、水底村がダムに沈む数年前の記述に、私は釘付けになった。それは、まるで秘密の計画を示唆するような、具体的な日付と、奇妙な場所の名前が記されていたのだ。そして、その場所は、霧島村の奥、あの夜、不穏な光を見た場所と、地図上で一致していた。

私は冷たい汗が背筋を伝うのを感じた。祖父は、一体何を知っていたのか?水底村のダム建設の裏に、何か隠された真実があったのか?そして、その真実が、現在の霧島村の再開発計画と、どのように繋がっているというのか。

一本の細い糸が、過去と現在、そして私のルーツと、目の前の社会問題とを結びつけようとしているような、奇妙な感覚に襲われた。私の中で、ジャーナリストとしての使命感と、一人の孫としての感情が、複雑に絡み合い始めていた。

第三章 血縁が紡ぐ過去の罪と贖罪

祖父の手記と水底村の古い記録を照合する作業は、想像を絶するものだった。図書館の閉館時間まで資料を漁り、夜は手記を読み解く。まるで、過去の亡霊と対話しているかのようだった。

手記に記されていたのは、水底村がダムに沈む数年前、村を襲った「奇妙な病」についての記述だった。最初はただの風邪と診断されたが、やがて原因不明の衰弱と皮膚の変色、内臓疾患が村人たちを苦しめ始めたという。特に、村の子供たちの間での発症率が高かった。

祖父は当時の村長として、この事態を重く見ていた。医者や専門家を呼んだが、根本的な原因は特定されず、治療法も見つからなかった。そんな中、村の若者たちが、村の奥にある廃鉱山から流れ出る水が汚染されていることに気づいた。その水は、霧島村の源流へと繋がっていた。

祖父は日記にこう記している。「我々は選択を迫られた。この事実を公表すれば、村は汚染された土地として見捨てられ、生き残った者たちも迫害されるだろう。公表しなければ、この病は広がり、やがて村は滅びる。」

そして、祖父たちが選んだ道は、「隠蔽」だった。

村の有力者たちと協議し、廃鉱山からの汚染源となるものを、秘密裏に鉱山の最深部に埋め、封印したのだ。その上で、水底村がダムに沈むという名目で、村人たちを移住させた。これにより、汚染の事実も、それに伴う病も、ダムの底に沈んだ村と共に「なかったこと」にされたのだ。

それが、あの「水の底の秘密」の正体だった。村を守るための、苦渋の、そして倫理的に許されざる決断。祖父は手記の最後のページに、「未来の者がこの罪を裁く時、どうか我々の苦悩を理解してほしい」と書き残していた。

私は震える手でその手記を閉じた。祖父は、村を守るための英雄ではなかった。しかし、単純な悪人でもなかった。彼は、愛する故郷と人々を守るため、未来への負の遺産を残すという、あまりにも重い選択を背負った一人の人間だった。その事実に、私の価値観は根底から揺さぶられた。

しかし、これで全ての点が線で繋がった。東亜開発が霧島村を狙った理由。それは、廃鉱山に眠る「汚染物質」を利用した、何らかの不法なビジネスのためだった。もしかしたら、その汚染物質を別の有害廃棄物とすり替え、処理費用を騙し取ろうとしていたのかもしれない。あるいは、その汚染を利用して、さらに大規模な環境破壊を目論んでいたのかもしれない。

祖父が隠蔽した「罪」が、現代の不正と結びつき、新たな悲劇を生み出そうとしている。私は、自分のルーツと、目の前の社会問題が、こんなにも深く絡み合っていることに、衝撃と同時に、激しい使命感を感じた。

第四章 真実の光、選択の岐路

真実を知った夜、私は一睡もできなかった。祖父の苦悩、村人たちの悲劇、そして現代の悪意。それらが複雑に絡み合い、私の心は重苦しい鉛のように沈んでいた。この真実を公表すれば、祖父の名誉は傷つき、村の過去は白日の下に晒される。そして、村人たちに新たな混乱と、もしかしたら過去への怒りを呼び起こすかもしれない。しかし、不正を放置すれば、さらに大きな環境破壊と、新たな病気の脅威が生まれるだろう。

私は迷った。ジャーナリストとしての「正義」と、一人の人間としての「血縁」と「郷土愛」の間で激しく揺れ動いた。しかし、祖父の手記の最後の言葉が、私の背中を押した。「未来の者がこの罪を裁く時、どうか我々の苦悩を理解してほしい」。祖父は、いつかこの真実が明るみに出ることを予期し、そしてそれを未来に委ねたのだ。

私は決意した。全ての事実を、偏見なく、しかし情熱をもって報じよう。祖父の選択の背景にある苦悩も、現代の不正も、そしてその不正によって脅かされる未来も、全てを。

私は都市の所属する編集部に連絡を取り、慎重に、しかし迅速に記事をまとめた。東亜開発の不正、政治家との癒着、そして水底村の知られざる過去。複数の情報源をクロスチェックし、確たる証拠を添えて記事を公開した。

反響は、想像をはるかに超えるものだった。記事は瞬く間に拡散され、世論は沸騰。東亜開発は直ちに再開発計画の中止を発表し、関係者の逮捕にまで発展した。祖父の過去も明るみに出たが、私はその記事の中で、彼の苦悩と、村を守ろうとした彼の悲壮な決意にも触れた。村人たちの反応は様々だった。怒り、悲しみ、そして遥への感謝。複雑な感情が渦巻く中、しかし多くの者が、過去と向き合い、未来へ進むための第一歩を踏み出した。

私は都市に戻らなかった。実家のある隣町に留まり、過疎地域の抱える問題と、その新たな可能性を探る活動に携わることになった。ダム湖畔に立つ。水底に沈んだ村、そして祖父の残した複雑な遺産を思い、私は静かに目を閉じた。湖面には、夕日が赤く染まり、波紋がゆっくりと広がっていく。

正義とは何か。幸福とは何か。絶対的な答えは、きっとどこにもない。しかし、私たちは、その問いかけを抱きしめ、過去から学び、未来へと、この複雑な世界の中で生きていくしかないのだ。

私は、この地で、新たな「約束の地」を築き始める。そこには、過去の痛みと、未来への希望が、静かに息づいている。

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