屑鉄使いの魔術師

屑鉄使いの魔術師

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絶望の色は、ブリッジのメインスクリーンに映し出された無数の赤い光点だった。連合帝国が誇る最新鋭の無人艦隊。その数、およそ五千。対する我ら、アステリア自由国の全戦力は、旧式の巡洋艦が三隻、駆逐艦が十隻、そして寄せ集めの戦闘機が五十機ほど。象に挑む蟻という比喩すら、生ぬるく感じられた。

「総員、第一級戦闘配置。もはやこれまでか……」

司令官が絞り出すように呟いたその時、気の抜けた声がブリッジに響いた。

「いやあ、よく寝た。司令、コーヒーのお代わりはありますか?」

全員の視線が、のっそりと現れた男に突き刺さる。寝癖のついた鳶色の髪、よれた軍服。戦術顧問、レオ・ヴァーミリオン。味方からは「怠け者」、敵からは「屑鉄(ジャンク)使いの魔術師」と呼ばれる、我が軍の最終兵器であり、最大の問題児だった。

「レオ!貴様、この非常時にどこをほっつき歩いていた!」

司令官の怒声にも、レオは欠伸で応じる。「ちょっとした仕込みですよ」と彼は言い、メインスクリーンを指差した。「見てください、あの壮観なゴミの山を」

彼の指し示す先は、かつての激戦区だった宙域。破壊された艦艇の残骸――スペースデブリが、無数に漂っている。

「帝国軍のAI『レギオン』は完璧です。完璧すぎる。だからこそ、計算できない『無価値なもの』が最大の武器になる。――エリアナ中尉、出番です。あなたの翼、お借りしますよ」

名を呼ばれたエースパイロット、エリアナ・ノヴァは、鋭い視線をレオに向けた。彼女は、規律を嫌うこの男が気に食わなかった。しかし、彼の瞳の奥に宿る、確信に満ちた光を無視することもできなかった。

レオが提示した作戦は、狂気の沙汰としか思えなかった。作戦名、「亡霊のワルツ」。

デブリの一つ一つに、微弱な推進装置と偽の識別信号を発信するだけの単純な装置を取り付ける。それを、エリアナ率いる戦闘機隊が、敵の索敵網を掻い括って設置するというのだ。

「馬鹿げてる!そんなもので、あの最新AIを騙せるとでも?」
「騙せますよ」レオは不敵に笑った。「レギオンは、戦闘能力の無いデブリにリソースを割くことを『非効率』と判断する。だから、索敵フィルターも甘くなる。そこに、我々が『意味』を与えるんです。無価値なゴミを、存在しない大艦隊という『情報』に変えるんですよ」

半信半疑のまま、エリアナは部隊を率いて漆黒の宇宙へ飛び出した。レーダーを避け、小惑星の影を縫うように飛ぶ。帝国軍の偵察ドローンとのスリリングなチェイスを潜り抜け、仲間と共に一つ、また一つとデブリに「魔法」をかけていく。

全ての設置が完了した瞬間、レオはブリッジで指を鳴らした。
「――ワルツの始まりだ」

起動された偽装信号は、帝国艦隊のセンサー上で、突如として出現したアステリアの大艦隊を幻出させた。赤い光点が、明らかに混乱した動きを見せる。

『敵AI、論理エラーを検知!敵主力、ゴースト艦隊へ進路変更!』

オペレーターの絶叫に、ブリッジがどよめく。レオの読み通り、完璧なAIは、予期せぬ巨大戦力の出現という「イレギュラー」に対し、それを排除するという「最適解」を選んだのだ。

「今だ!アステロイド・ベースのマスドライバー、照準、敵旗艦!エネルギー充填開始!」

レオの号令が飛ぶ。我らが最後の切り札、小惑星をくり抜いて作られた旧式の超長距離質量加速砲。エネルギー充填に十分以上を要し、一度しか撃てない、時代遅れの投石器だ。だが、その一撃の威力だけは、帝国軍の最新兵器をも凌駕する。

しかし、レギオンも馬鹿ではなかった。数分後、ゴースト艦隊が物理的な抵抗を示さないことから、欺瞞を看破した。帝国艦隊は即座に反転し、マスドライバー基地へと殺到し始める。

「間に合わない!」誰かが悲鳴を上げた。

「いいや、第二楽章の始まりだ」レオは落ち着き払っていた。「エリアナ中尉、聞こえますか?今から、一番危険なデブリに突っ込んでもらいます」

レオが指定したのは、偽装信号を発していない、ただの巨大な艦艇の残骸だった。
「奴らは無人機だ。だから、パイロットの『勘』や『恐怖』がない。命令通り、最短距離で密集して飛んでくる。その習性を利用させてもらう」

エリアナはレオの意図を瞬時に悟った。彼女は機体を翻し、帝国艦隊のど真ん中へと突っ込んでいく。敵の対空砲火が嵐のように降り注ぐ。だが、彼女の神業的な操縦は、その全てを紙一重で回避していく。

「――プレゼントだ、鉄クズども!」

エリアナが残骸の至近距離でミサイルを放つ。それは起爆スイッチだった。レオが仕込んでいた二つ目の罠――デブリに偽装された超強力なEMP(電磁パルス)爆弾が、帝国艦隊の密集陣形の中心で炸裂した。

閃光が宇宙を白く染め上げる。EMPの嵐を浴びた無人艦隊は、その電子頭脳を焼かれ、操縦不能な鉄の塊と化した。統制を失い、互いに衝突し、沈黙していく。

そして、その混乱のまっただ中にいる巨大な旗艦の姿が、完全に無防備な状態で晒された。

『マスドライバー、発射準備完了!』

「撃てッ!」

レオの絶叫と同時に、アステリアの小惑星基地から巨大な岩塊が射出された。それは原始的な砲弾だったが、亜光速にまで加速され、絶対的な破壊力を持って帝国艦隊旗艦へと突き進む。

歓喜に沸くブリッジで、レオはただ一人、静かに呟いた。
「古典的な手品だよ。相手の目を見すぎると、手元がお留守になる」

やがてブリッジに戻ってきたエリアナが、ヘルメットを脱ぎ、汗の滲む額を拭いながらレオの前に立つ。そして、完璧な敬礼をした。

「見事でした、屑鉄使いの魔術師殿」

レオは少し照れくさそうに頭を掻き、いつものように気の抜けた笑顔で応えた。

「さあて、次の戦争が始まる前に、最高のコーヒーでも淹れますかね」

これは、後に銀河の歴史を大きく塗り替えることになる戦争の、ほんの始まりの出来事。絶望的な戦力差を、知恵と勇気、そして一握りのガラクタで覆した、小さな国の、大きな勝利の記録である。

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