硝煙の色彩、静寂のピアニッシモ

硝煙の色彩、静寂のピアニッシモ

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僕にとって、戦場は灰色の地獄などではなかった。

それは叫びだすような極彩色の嵐だ。

僕は引き金を絞る。殺すためではない。僕の鼓膜を食い破ろうとする、あの不協和な「赤」を黙らせるために。

第一章 無音の狂騒曲

「エリアン、九時方向。ノイズだ」

無機質な通信音が、脳内の神経リンクを直接叩く。

僕は操縦桿を握る手を、じっとりと濡れた手袋の中で握りしめた。

怖い。

吐きそうだ。

だが、僕の目には「それ」が見えていた。

灰色の荒野の向こう、瓦礫の陰から立ち昇る、毒々しいほどに鮮やかな紫色の蒸気。

敵のステルス戦車が発する、極微細な駆動音だ。

通常のセンサーでは感知できないその「音」は、僕の脳内では視覚として変換される。

共感覚(シナスタジア)。

かつてピアニストとして持て囃されたこの才能が、今では殺人兵器の照準器として使われている。

「視認しました。……紫、いえ、嬰ヘ短調(Fシャープ・マイナー)です」

「訳のわからんことを言うな。撃て」

隊長のヴァンスの声は、ザラついた焦げ茶色の岩のように重い。

僕は震える指で、コンソール上の鍵盤――攻撃プログラムのショートカットキーを叩いた。

ド、ミ、ソ。

和音を奏でるように、三発の誘導弾が射出される。

着弾。

音のない世界で、紫色の蒸気が一瞬にして真っ黒な墨汁のような爆発へと変わった。

衝撃波が遅れてコクピットを揺らす。

「ターゲット沈黙。次へ進む」

ヴァンスの淡々とした命令。

僕は息を吐く。

コクピットの閉塞感が、喉を締め上げる。

この戦争は「サイレント・ウォー」と呼ばれていた。

音響探知技術が極限まで発達した結果、戦場ではあらゆる音が死に直結する。

兵士たちは言葉を失い、エンジン音を殺し、ただ静寂の中で殺し合う。

だが、僕には聞こえる。

死にゆく鉄の悲鳴が。

焼ける肉の臭いが、黄土色の濁流となって視界を埋め尽くすのが。

「……神様」

僕は誰にも聞こえない声で呟いた。

どうか、僕からこの耳を奪ってください。

いっそ本当の聾者にしてくれれば、この極彩色の悪夢を見なくて済むのに。

しかし、皮肉にも僕のスコア(撃墜数)は部隊でトップだった。

「エリアン少尉、君は天才だ」

かつて音楽学校の教授が言った言葉が、今は呪いのように脳裏にこびりついている。

目の前で、また一つ、鋭利な青白い閃光が走った。

敵の狙撃だ。

「回避!」

叫びと共に機体を右へ滑らせる。

青い光線が、僕の機体の左肩を掠めていった。

装甲が焼ける嫌な「緑」が広がる。

僕は泣きたくなるのを堪え、再び鍵盤に指を這わせた。

第二章 子守唄の正体

作戦目標は、敵の前線基地にある「サイレン」と呼ばれる通信塔の破壊だった。

そこから発せられる特殊な周波数が、我々のドローン部隊を次々と狂わせているという。

夜。

静寂に包まれた敵基地への潜入。

僕の機体『ノクターン』は、足音一つ立てずに瓦礫の山を越えていく。

神経接続されたカメラアイが、闇の中の熱源を探る。

だが、僕が探していたのは熱ではない。

「色」だ。

基地の中心部に近づくにつれ、奇妙な現象が起きていた。

「……なんだ、これ」

いつもなら、戦場は汚れた色で溢れている。

苦痛の赤、恐怖の黒、憎悪の茶色。

けれど、その「サイレン」から溢れ出していたのは、透き通るような黄金色の粒子だった。

それは優しく、温かく、そしてどこか悲しい。

「エリアン、どうした。目標は目の前だ」

ヴァンスの声が焦げ茶色のノイズとして割り込む。

「待ってください、隊長。何かがおかしい」

僕は機体のセンサー感度を最大まで上げた。

黄金色の光の波。

その正体が、音として僕の脳に流れ込んでくる。

――ラ、ラ、ル……。

それは歌だった。

単純で、拙くて、けれど懸命な。

「子守唄……?」

僕は望遠レンズの倍率を上げる。

破壊目標である「通信塔」。

その基部に埋め込まれていたのは、無機質な機械ではなかった。

無数の、ガラスのカプセル。

その中に浮かんでいるのは、痩せ細った子供たちだ。

頭部に無数の電極を刺され、虚ろな目で口を動かしている。

「敵のジャミング装置は……生体演算ユニットか」

ヴァンスが吐き捨てるように言った。

「子供たちの脳波を使って、不規則なノイズを生成しているんだ。効率的だな」

「効率的……?」

僕の指が震える。

この黄金色は、彼らの祈りだ。

痛みを紛らわせるために、故郷を思い出すために、彼らは夢の中で歌っているんだ。

それを、ノイズとして処理しろというのか。

「撃て、エリアン。あれを破壊すれば、このエリアの制空権は我々のものだ」

「……できません」

「命令だ! 彼らはもう助からない。楽にしてやるのが慈悲だ」

慈悲。

僕の視界の中で、黄金色の粒子が、子供たちの鼓動に合わせて明滅している。

あれを撃ち込めば、この美しい色は消える。

永遠の黒に塗りつぶされる。

「嫌だ……」

「エリアン!」

ヴァンスの機体が、僕の横を通り過ぎ、砲口をカプセル群に向けた。

茶色い殺意が膨れ上がる。

その瞬間、僕の中で何かが切れた。

いや、繋がったのだ。

かつてピアニストだった自分と、人殺しの兵士である自分が。

第三章 色彩の夢

「どけ、エリアン!」

「撃たせません!」

僕は『ノクターン』をヴァンスの射線上に割り込ませた。

「貴様、反逆する気か!」

「違います。僕は……ただ、調律をするだけです」

僕はコンソールのリミッターを解除した。

機体の外部スピーカー。

隠密性を最優先するこの戦争で、絶対に使用を禁じられている「音を出す」機能。

僕は神経リンクを最大出力にした。

脳が焼き切れそうなほどの熱を持つ。

イメージしろ。

ここは戦場じゃない。

コンサートホールだ。

指先が、空想の鍵盤を叩く。

ドーン!

僕の機体から、爆音のようなピアノの音が放たれた。

物理的な衝撃波を伴うほどの大音量。

「なっ……!?」

ヴァンスが驚愕し、敵基地の兵士たちも動揺する。

静寂の戦場に、音が戻ってきた。

僕は弾く。

かつて愛した、ショパンの『雨だれ』を。

黄金色の子供たちの歌に、僕のピアノを重ねる。

視界の中で、色が混ざり合う。

子供たちの歌う黄金色に、僕の奏でる蒼色が溶け込み、世界が美しい緑色に変わっていく。

敵も味方も関係ない。

すべてのセンサーが、この圧倒的な音響エネルギーによってオーバーロードを起こしていた。

ロックオンアラートが消える。

ミサイルの誘導が切れる。

ただ、音楽だけが響き渡る。

「エリアン、やめろ! お前の脳が保たんぞ!」

ヴァンスの叫び声さえ、今は美しいハーモニーの一部だ。

鼻から血が滴る。

視界が白く霞んでいく。

それでも、僕は弾き続けた。

子供たちの歌声が、苦痛のノイズから、安らかな旋律へと変わっていくのを感じた。

カプセルの中の彼らが、少しだけ笑った気がした。

ああ、なんて綺麗なんだ。

戦争なんて、この美しい和音の前では、あまりに無力だ。

最後の一音。

僕は渾身の力を込めて、その鍵盤を叩きつけた。

強烈な光が弾け、僕の意識はそこで途絶えた。

エピローグ 静寂の先へ

目が覚めたとき、そこには何もなかった。

文字通りの「無」だ。

音がない。

光もない。

僕は生きているのか?

『……ますか? ……ますか?』

微かに、直接脳に響く感覚があった。

テキストデータが、網膜投影される。

どうやら僕は、あの過負荷で視力と聴力を完全に失ったらしい。

軍法会議にかけられるはずだったが、あの日、僕が放った「演奏」は、敵味方双方の全通信網を焼き切り、結果として大規模な戦闘を強制的に停止させたそうだ。

それをきっかけに、停戦交渉のテーブルが用意されたという皮肉。

僕はベッドの上で、自分の手を見る。

見えないけれど、そこにある。

もう、あの毒々しい色は見えない。

嫌な音も聞こえない。

訪れたのは、本当の静寂。

けれど、僕は孤独ではなかった。

心の中で、あの黄金色の旋律がずっと鳴り響いている。

窓を開けたのだろうか。

頬に当たる風が、なんとなく「水色」のような気がして。

僕は久しぶりに、心からの笑みを浮かべた。

世界は、こんなにも静かで、美しかったのだ。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • エリアン: 主人公。元天才ピアニスト。強制徴用された兵士。臆病で繊細だが、共感覚により敵の駆動音を「色」として視認し、超人的な狙撃精度を誇る。音のない戦場を「極彩色の地獄」と感じている。
  • ヴァンス隊長: エリアンの上官。現実主義で冷徹な軍人。「茶色の岩」のような声を持つ。エリアンの才能を兵器として利用するが、最終的には彼の決断に心を動かされる。
  • 『歌い手たち』: 敵軍の生体演算ユニットとして利用されていた孤児たち。彼らの恐怖や悲しみを紛らわせるための鼻歌(ハミング)が、ジャミングウェーブとして利用されていた。

【考察】

  • 「音」と「色」のメタファー: 本作において「音」は通常、死を招くタブーとして描かれるが、主人公にとっては不可視の脅威を可視化する「色」である。クライマックスで彼が自ら「音(音楽)」を奏でる行為は、戦争という「死の静寂」に対する、人間性(=芸術、感情)の回復を象徴している。
  • 真の静寂とは: エリアンは物理的な聴覚と視覚を失うことで、皮肉にも彼が最も恐れていた「不協和音の色彩」から解放される。彼が得た障害は喪失ではなく、過酷な現実からの救済であり、内面的な平穏への到達点として描かれている。
  • 芸術の無力さと強力さ: 「戦争の前では無力」と思われたピアノの旋律が、結果として物理的な兵器(システム)を凌駕し、戦争を止める。これは「美は暴力に勝る」という古典的なテーマを、SF的設定を通して再構築したものである。
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