クロノスタシスの残響

クロノスタシスの残響

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第一章 静寂の追体験

俺の仕事は、墓掘りに似ている。ただし、掘り起こすのは骨ではなく、死んだ星々の記憶だ。クロノ・アーキビスト――時空記録官。それが俺、リオの肩書だった。連邦宇宙アーカイブに所属し、特殊な感応装置「レミニスケイプ」を用いて、消滅した文明の最後の瞬間を追体験し、客観的なデータとして記録する。それが俺たちの使命だ。

感情はノイズだ。アーカイブの教官は、そう口を酸っぱくして言った。追体験する対象の感情に同調すれば、記録の客観性は失われる。だから俺は、心を無にしてきた。喜びも、悲しみも、絶望も、すべてはただの観測すべきデータ。何百もの文明の終焉を、俺はガラス越しに眺めるように体験してきた。無機質なコンクリート打ちっぱなしの自室は、そんな俺の精神を体現しているかのようだった。

新たな指令は、りゅうこつ座イオタ星系第3惑星、通称「セレスティア」の記録。約三百標準年前に主星の超新星爆発に巻き込まれて消滅した、高度な植物工学文明の星だ。最後の住民は、ただ一人だったという。

レミニスケイプのヘッドギアを装着すると、意識が冷たい水の底に沈んでいく。やがて視界が開けた。一面に広がるのは、ガラス質のドームに覆われた巨大な植物園。空には、不気味なほど赤く膨張した恒星が不吉な光を放っている。風の音、土の匂い、肌を撫でる湿った空気。五感情報が脳に直接流れ込んでくる。そして、そこに彼女はいた。

記録対象ファイル073、識別名「エリアラ」。腰まで伸びた銀色の髪を揺らし、古びたワンピース姿で、光る苔の世話をしている。俺は彼女の視界を借り、彼女の手の動きを感じる。だが、心は繋げない。彼女の感情は、あくまでモニターの向こう側の波形グラフとして表示されるだけだ。

淡々とした日々が続く。水やり、土壌分析、ドームの補修。彼女は決して諦めず、たった一人で文明の残滓を守っていた。俺はそれを、無感動に記録していく。だが、セレスティア消滅まで残り七十二時間を切った時、異変は起きた。

エリアラが、ふと顔を上げた。その視線は、まるで記録装置の向こう側にいる俺を真っ直ぐに見つめているかのようだった。そして、彼女の唇が動く。

『――そこに、いるの?』

あり得ない。記録は過去の焼き直しだ。インタラクトなど不可能。だが、その声はヘッドギアの音声出力ではなく、俺の頭の中に直接、澄んだ鈴の音のように響いた。直後、俺の無機質な自室の空気が、ふわりと花の香りを帯びた。机の上に置いてあったはずの金属製のカップが、カタン、と微かに揺れる。俺は驚愕に目を見張り、強制的にダイブを中断した。

ヘッドギアを外すと、部屋は元の静寂を取り戻していた。だが、鼻腔の奥には、セレスティアに咲いていた「月光花」の甘い香りが、幻のように残っていた。記録されているはずのない声。現実世界への不可解な干渉。俺の仕事における絶対の禁忌――「未知との遭遇」が、今、死んだ星の記憶の中で始まろうとしていた。

第二章 響き合う孤独

アーカイブへの報告はしなかった。異常を報告すれば、俺はセレスティアの担当から外される。そうなれば、あの声の謎は永遠に解けないだろう。初めて覚えた「好奇心」という名のノイズに、俺は抗えなかった。規則を破り、俺は再びセレスティアへとダイブした。

『聞こえるなら、応えて』

エリアラの声が、また響く。俺は彼女の視界を通して、巨大な水晶が立ち並ぶ洞窟を見る。彼女は、その水晶の一つに手を触れていた。どうやら、これが彼女の独り言を拾う何らかの装置らしい。彼女は誰かに語りかけているのではない。未来の、誰とも知れない「観測者」の存在を信じて、一方的に記録を残しているのだ。

俺はエリアラの孤独を、日増しに強く感じるようになった。彼女は歌を歌った。誰も聴く者のいない歌を。彼女は物語を語った。誰も相槌を打つことのない物語を。そして、夜になると、ドームの天窓から膨張した赤い星を見上げ、涙を流した。その涙の熱が、俺の頬を伝うような錯覚さえ覚えた。

彼女の感情に、俺の心の防壁が少しずつ侵食されていく。客観的記録者であるべき俺が、エリアラの孤独に、自分の孤独を重ねていた。文明が滅びゆく中で、たった一人で希望を捨てずにいる彼女の強さに、心を揺さぶられていた。

エコー現象は、ますます顕著になった。俺がダイブしている間、自室の壁には彼女が見ている洞窟の水晶の燐光が揺らめき、床にはセレスティアの森の冷たい雫が染みを作った。かつてノイズとして切り捨てていた感情の奔流が、記憶の堰を越え、俺の現実に流れ込んできている。恐怖よりも、不思議な充足感が俺を支配した。無機質だった俺の世界が、彼女の記憶によって彩られていくかのようだった。

セレスティア消滅まで、残り二十四時間。エリアラは、植物園の中央にある最も巨大な月光花の前に立った。その花は、まだ固い蕾のままだ。

『お願い、咲いて。私の最後の希望。これだけは、遺さないと』

彼女の切実な祈りが、俺の胸を締め付ける。この星で最後に生まれる命。彼女はそれを未来に託そうとしているのだ。俺は完全に記録者であることを忘れ、一人の人間として、彼女の願いが叶うことを祈っていた。そして、俺はまだ気づいていなかった。彼女が遺そうとしている「希望」が、俺の想像を遥かに超えたものであることに。

第三章 星屑の遺言

運命の時が来た。セレスティア消滅まで、残り一時間。ドームの外では空が焼け落ちるように赤く染まり、大地が絶え間なく震えている。もはや、客観的な記録などどうでもよかった。俺はただ、エリアラの最期を見届けるために、彼女と意識を一つにしていた。

彼女は、例の水晶洞窟の中央にいた。周囲の水晶は、星の断末魔に共鳴するかのように激しく明滅を繰り返している。彼女はその中央にある装置に、植物園で育てていた様々な植物の種子や、文明の記録媒体を次々とセットしていく。やはり、生命の種子と文明の情報を、時空を超えて未来へ送ろうとしているのだ。俺はそう確信した。

だが、彼女が最後に手に取ったものを見て、俺は息を呑んだ。それは、小さな水晶の小瓶だった。中には、何も入っていないように見える。彼女はそれを装置の中核にそっと置くと、目を閉じて深く祈りを捧げた。

『私の声が聞こえる、未来のあなたへ』

エリアラの声が、かつてなく鮮明に俺の脳内に響き渡る。

『私たちは、心を失いました。長い進化の果てに、効率と論理を追求し、感情という非効率なシステムを捨て去ったのです。でも、それは間違いでした。喜びも、悲しみも、怒りも、そして――愛も。それら全てがあって、私たちは私たちでいられた。感情を失った文明は、生きる意味を見失い、ただ緩やかに滅びを待つだけでした』

彼女の言葉は、弾丸のように俺の心を貫いた。感情をノイズとして切り捨ててきた俺自身、そして、効率化を突き詰めた連邦社会そのものが、セレスティアの過ちを繰り返しているのではないか。

『だから、これだけは遺したかった。生命の種子でも、技術の記録でもない。私たちの文明が最後に思い出した、最も尊い宝物。私たちが失ってしまった、「感情」そのものを』

その瞬間、俺は理解した。彼女が守ろうとしていた希望とは、植物の種子ではない。彼女が水晶の小瓶に込めたのは、この星の最後の住民である彼女が抱いた、希望、絶望、孤独、そして、まだ見ぬ誰かへの愛――その全ての感情を凝縮した、純粋な情報データだったのだ。

ドームのガラスが砕け散り、超新星の光が全てを白く染め上げる。エリアラは、滅びの光に包まれながら、まっすぐに前を――俺を見つめていた。彼女の表情は、絶望ではなく、穏やかな微笑みに満ちていた。

『見つけてくれて、ありがとう』

閃光と共に、エリアラの記憶は途切れた。同時に、俺の意識も暗闇に引きずり込まれた。

第四章 色づく世界

はっ、と我に返ると、俺は自室の床に倒れていた。レミニスケイプのヘッドギアが頭からずり落ちている。窓の外は、いつも通りの灰色の合成スモッグに覆われた都市の空だ。

だが、部屋の中は違った。空中に、無数の光の粒子が、まるで蛍のように静かに舞っていたのだ。それは、エリアラが見ていた最後の星空からこぼれた星屑のようであり、彼女の感情の結晶のようでもあった。触れると、ほんのりと温かい。エコー現象が遺した、記憶の残滓。死んだ星からの、物理的な贈り物だった。

俺は立ち上がり、アーカイブに提出するレポートを作成し始めた。惑星セレスティア、文明レベル4.8、主星の超新星爆発により消滅。住民、一名。生存の可能性、ゼロ。淡々と、客観的な事実だけを打ち込んでいく。だが、最後の行で、俺の指は止まった。

しばらくの逡巡の後、俺は一行だけ、主観的な文章を書き加えた。

『追伸:記録対象ファイル073、識別名エリアラは、独りではなかった』

送信ボタンを押す。懲罰委員会にかけられるかもしれない。だが、後悔はなかった。

俺は窓辺に歩み寄り、灰色の空を見上げた。いつもと同じ、無機質な風景。しかし、今の俺には、そのくすんだ灰色の中に、いくつもの色彩が見えるような気がした。悲しみの青、希望の白、そして、エリアラが教えてくれた、温かい愛の色。

セレスティアは滅び、エリアラは消えた。だが、彼女が時空を超えて届けた「希望」は、確かにここに届いた。俺の心の中に、静かに、だが力強く芽吹いていた。光の粒子が舞う部屋の中、俺は、何百年ぶりかに誰かが流した涙の熱を、自分の頬に確かに感じていた。世界は、まだこんなにも美しかったのだ。

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