空の残響、肌色の未来
0 3314 文字 読了目安: 約7分
文字サイズ:
表示モード:

空の残響、肌色の未来

第一章 カメレオンの憂鬱

僕、水瀬 蒼(みなせ あおい)の肌には、確固たる色がない。他人の感情が放つ微細な波長を、僕の身体は律儀に拾い上げてしまう。教室の喧騒は、僕にとって暴力的な色彩の洪水だ。誰かの焦りは僕の指先を鈍い灰色に変え、他愛ない冗談に沸く笑い声は頬に淡い黄色の斑点を散らす。僕は透明なカメレオン。自分の色を持たず、ただ周囲に染まるだけの存在。

自室の机の上には、一冊の古びた手帳がある。「スペクトル・ダイアリー」。僕が自分の身体に現れた色と、その時感じ取った感情の波長を記録し続けている、唯一の拠り所だ。ページをめくれば、ラベンダー、ミントグリーン、セピア、名付けようのない無数の色彩が、僕の混乱したアイデンティティの墓標のように並んでいる。

最近、世界中のニュースが「青春の輝き」の異常消滅を報じていた。思春期の感情が極まった瞬間に放たれ、数日間空に留まるはずの光の帯。それが、まるで誰かに盗まれたかのように、唐突に消え失せるのだという。特に、強く鮮やかな輝きほど、その命は短い。テレビの画面を見つめながら、僕は得体の知れない不安に胸を締め付けられていた。窓の外で吹く風が、まるで誰かのため息のように聞こえた。

第二章 オレンジ色の予感

親友の陽菜は、太陽みたいな女の子だった。彼女の感情はいつもストレートで、その波長は決まって暖かなオレンジ色をしていた。彼女が笑うと、僕の髪は陽光を浴びたように淡く金色に染まる。

その日は、彼女にとって高校最後のテニス大会の決勝戦だった。最後のワンセット、息を呑むようなラリーの応酬。誰もが固唾を飲んで見守る中、陽菜の放ったスマッシュが、空気を切り裂いて相手コートに突き刺さった。

勝利の瞬間。

スタジアムを揺るがす歓声よりも先に、僕は感じた。陽菜の身体から迸る、凄まじい熱量を伴ったオレンジ色の奔流。それはもはや単なる感情の波長ではなかった。喜び、達成感、感謝、そして微かな寂しさ。それら全てが溶け合った灼熱の光が僕を飲み込み、視界が白む。気づいた時、僕の肌は、髪は、瞳は、燃えるような夕焼けの色に染め上げられていた。

その夜、街の誰もが見上げた夜空に、ひときわ強く、美しいオレンジ色の「青春の輝き」が打ち上がった。陽菜の輝きだった。僕は自室の窓からそれを見上げながら、自分の掌に残る鮮やかなオレンジ色を、ただ黙って見つめていた。

第三章 掠奪者の刻印

翌日の昼休み、僕は信じられない光景を目の当たりにした。あれほど力強かった陽菜の輝きが、明らかにその輪郭をぼやけさせ、色を薄れさせていたのだ。まだ一日も経っていない。あり得ないほどの減衰速度だった。

「強い輝きほど、早く消える」

ニュースキャスターの言葉が、頭の中で不気味に反響する。僕は自分の腕を見た。そこにはまだ、陽菜から受け取ったオレンジ色の残滓が、痣のようにこびりついている。まさか。僕が? 僕が陽菜の輝きを、あの美しい青春の証を、吸い取ってしまったというのか?

廊下ですれ違った陽菜は、どこか上の空に見えた。僕の顔を見ると一瞬微笑んだが、その笑顔には昨日までの力強さがなかった。僕のせいだ。僕という存在が、彼女の大切なものを掠め取ってしまったのだ。罪悪感が冷たい鉛のように胃の底に沈み、呼吸が浅くなる。

その夜、僕は震える手で「スペクトル・ダイアリー」を開いた。昨日の日付のページに、万年筆でこう記す。『サンセット・オレンジ。陽菜の勝利。喜びと寂しさの混じる、世界で一番優しい色』。インクが紙に染みていく様が、まるで僕の罪の刻印のように見えた。

第四章 消えた輝きと褪せた日記

陽菜の輝きは、それから半日も経たずに、完全に空から消滅した。まるで初めから何もなかったかのように。街は元の静かな夜を取り戻したが、僕の心は暴風雨の真っ只中にいた。記録的な早期消滅。その原因が自分にあるという確信が、僕を苛んだ。

陽菜に合わせる顔がなく、僕は学校を休んだ。自室に閉じこもり、カーテンを閉め切る。僕は怪物だ。他人の大切な瞬間を食い荒らす、色のない捕食者なのだ。絶望の中で、僕は再び「スペクトル・ダイアリー」を手に取った。あの美しいオレンジ色を、もう一度だけ目に焼き付けておきたかった。

ページをめくり、昨日の記録を探す。

そして、僕は息を呑んだ。

そこにあるはずの「サンセット・オレンジ」が、どこにもなかった。インクで記された文字はそのままなのに、僕が感じ取った波長として染み込ませたはずの色彩が、まるで知らない色に入れ替わっていたのだ。そこに在ったのは、夜明けの草原を思わせる、穏やかで瑞々しい若草色だった。

何が起きている? 過去は変わらない。記録した色が、ひとりでに変化するはずがない。混乱と恐怖が僕の思考を麻痺させる。これは、単なる消滅ではない。何かもっと別の、僕の知らない法則が働いている。この謎を解かなければ、僕は僕自身のままでいられない。

第五章 波長の変換

僕は家を飛び出した。答えは陽菜しか持っていない。公園のベンチに座る彼女の姿を見つけた時、僕の心臓は張り裂けそうだった。何を言えばいい? どう謝ればいい?

「蒼くん」

僕に気づいた陽菜は、穏やかに微笑んだ。その表情には、僕が想像していたような落胆や悲しみはなかった。むしろ、何かを乗り越えた後のような、清々しささえ漂っていた。

「心配してくれたの? 大丈夫だよ」

「でも、輝きが……僕のせいで……」

「ううん」彼女は首を振った。「私ね、燃え尽きたって思ってた。でも、違ったんだ。あの輝きが消えた朝、目が覚めたら、すごくすっきりしてた。次に何をしたいか、はっきりと見えたの。大学でスポーツ科学を学んで、今度は誰かを支える側になりたいって」

陽菜がそう言った瞬間、彼女から放たれる波長が、僕の肌を優しく撫でた。それは、あの灼熱のオレンジ色ではなかった。ダイアリーで見たものと寸分違わぬ、希望に満ちた若草色だった。

雷に打たれたような衝撃が、僕の全身を貫いた。

そういうことだったのか。

僕の能力は「吸収」じゃない。「変換」だ。極まった感情のエネルギーを受け止め、それを次のステージへ進むための新たな感情の「種」へと変える触媒。早期消滅は「終わり」の合図なんかじゃない。誰よりも早く、次の始まりへの準備ができたという「証」だったんだ。陽菜の輝きは消えたんじゃない。僕を通して、未来への希望という新しい色に生まれ変わったんだ。

第六章 巡る色彩

僕は、もう自分をカメレオンだとは思わなかった。僕はプリズムだ。人々が放つ様々な感情の光を受け、それを分解し、新たな未来の色彩へと繋いでいく存在。孤独だと思っていたこの身体は、実は世界中の誰かの始まりと、深く結びついていた。

自室に戻り、「スペクトル・ダイアリー」を静かにめくる。そこには、僕がこれまで「盗んでしまった」と悔やんできた、無数の輝きの記録があった。数年前に消えた、見知らぬ誰かの深い悲しみを帯びたコバルトブルー。そのページは今、情熱的なスカーレットに変わっていた。

ふと、テレビのニュースが目に留まる。

「……南米で発見された新種の花です。この燃えるような赤色は、現地の言葉で『再生の炎』と呼ばれ……」

画面に映し出された花の赤は、ダイアリーのページに灯るスカーレットと、寸分違わぬ色をしていた。

ああ、そうか。消えた輝きは、決して無駄にはならない。世界のどこかで、誰かの未来で、必ず新しい始まりとして芽吹いているんだ。

僕は窓を開け、夜風を胸いっぱいに吸い込んだ。空には星が瞬いている。僕の肌が、世界中から届く無数の感情の波長を受け、虹のように淡く、そして複雑に色を変え始めていた。それはもう、僕にとって苦悩の証ではなかった。終わりなく変化し続けることこそが、僕という人間の、そして「青春」という季節の、本当の姿なのだ。

僕の旅は、まだ始まったばかりだ。

/
この物語の「別の結末」を創作する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

0 / 200
本日、あと3

TOPへ戻る