オーロラを分け与えた少年
第一章 金色の残光
僕、高槻(たかつき)ユウキの体からは、時々、光の粒子が漏れ出す。親友のアキラと馬鹿みたいに笑い合った時、夕焼けに染まる教室の窓辺に佇んだ時、胸が締め付けられるような切なさを覚えた時。金色の塵のようなそれは「シャイン」と呼ばれ、僕らの世代にだけ許された、青春のエネルギーそのものだった。
シャインが強く溢れる瞬間、世界は僕だけのものになる。降りしきる雨粒は宙で静止し、街の喧騒は遠い潮騒のように掻き消え、目の前の友の笑顔だけが、永遠に引き伸ばされたフィルムのようにスローモーションで再生される。感情の振れ幅が、時間そのものを支配するのだ。それが僕らの「青春」だった。
「なあ、ユウキ。最近、時間が普通に過ぎていくんだ」
ある日の放課後、アキラがぽつりと呟いた。彼の肩からは、かつてのような鮮やかなシャインの揺らめきが消えていた。彼の声には抑揚がなく、その瞳は、まるで磨りガラスの向こう側を見ているかのように焦点が合っていない。
その数日後、アキラは完全に「大人」になった。感情の起伏を失い、時間の伸縮能力を失い、僕らと過ごした輝かしい日々の記憶さえ、色褪せた夢のようにしか語れなくなった。彼の机の上には、一枚だけ、くすんだ茶色の葉が残されていた。それが、僕らの間で「刻葉(ときば)」と呼ばれるものだった。
第二章 琥珀色の記憶
刻葉。それは、僕ら若者が経験した強烈な感情と、それによって伸縮した時間の記憶が、周囲の植物の葉に凝縮され、化石化したものだ。アキラが残したそれにそっと指で触れた瞬間、激しいイメージの奔流が僕の脳裏を駆け巡った。
焦燥感。急速に失われていくシャインへの恐怖。そして、最後に見たであろう夕焼けの、燃えるような赤色。アキラの最後の感情が、電気信号のように僕の神経を焼いた。彼は、抗っていたのだ。あまりにも早く訪れた青春の終わりに。
世界中で、同じ現象が起きていた。「青春短縮現象」。本来ならば数年間続くはずの、感情と時間が溶け合う魔法の季節が、わずか数ヶ月で終わりを迎えてしまう若者が急増していた。彼らは皆、アキラのように無気力な大人になり、社会の歯車へと組み込まれていく。
誰かが、僕らの青春を、シャインを盗んでいるのではないか? その疑念は、アキラの刻葉に触れた瞬間に確信へと変わった。失われた時間を取り戻すことはできない。だが、なぜ失われたのかを知ることはできるはずだ。僕はアキラの刻葉をポケットにしまい、他の刻葉を探す旅に出ることを決意した。乾いた葉の匂いが、微かに僕の決意を後押しした。
第三章 失われた時を求めて
僕は、青春を早々に終えた若者たちの痕跡を辿った。廃部になった文芸部の部室、閉鎖された海辺の映画館、誰も来なくなった公園のベンチ。そうした場所には、持ち主を失った刻葉がひっそりと落ちていることがあった。
一枚一枚、刻葉に触れるたび、僕は他人の青春を追体験した。初めて手紙を渡した時の、心臓が飛び跳ねるような時間加速。親友と喧嘩別れした夜の、世界が停止したかのような絶望。それらは断片的だったが、どれもが紛れもなく本物の輝きを放っていた。
「あなたも、探しているの?」
古い図書館の片隅で、一人の少女に声をかけられた。彼女の名前はミオ。彼女もまた、姉をこの現象で失い、原因を探して刻葉を集めているのだという。彼女の持つ刻葉に触れさせてもらうと、僕が見たビジョンと奇妙な共通点があることに気づいた。どの記憶の断片にも、決まって星空が映り込んでいる。そして、その星空はいつも、街外れにある古い天文台から見上げたものだった。
「シャインは、あの場所に集められているのかもしれない」
ミオの震える声に、僕は強く頷いた。僕らの目的地は、決まった。
第四章 星屑の墓標
古びた天文台は、まるで巨大な墓標のように静まり返っていた。錆びたドームの隙間から差し込む月光が、内部に設置された異様な機械を鈍く照らし出している。無数のガラス管が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、その中心には、僕らが集めてきた刻葉が何千、何万枚と接続されていた。葉脈から抜き取られたシャインの微かな光が、管の中を流れ、中央の巨大な水晶体へと注ぎ込まれていた。
「ようこそ、最後の輝きを持つ少年」
ドームの暗がりから、一人の初老の男が現れた。穏やかな物腰だが、その瞳の奥には底知れない渇望が渦巻いている。彼が、この現象を操る秘密結社のリーダーらしかった。
「なぜこんなことを! 他人の青春を奪って、永遠の若さを手に入れるつもりか!」
僕が感情を昂らせると、体からシャインが激しく溢れ出し、周囲の時間が粘性を帯びて引き伸ばされる。しかし、男は動じなかった。彼はただ、悲しげに首を横に振った。
第五章 歪んだノスタルジア
「永遠など、我々は望んでいない」男は静かに語り始めた。「我々が求めているのは……やり直しだ」
彼らは、青春時代に、それを享受できなかった大人たちの集まりだった。病でベッドに縛り付けられた者、貧しさから働くしかなかった者、いじめによって心を閉ざした者。彼らは、感情が時間を伸縮させるという奇跡の季節を、経験しないまま大人になってしまった。
「君のような、輝かしい青春を知る者には分かるまい。過ぎ去った時間は二度と戻らない。我々は、失われた過去を取り戻すことはできない。だから、創ることにしたのだ」
彼らが集めた膨大なシャインは、永遠の命のためではなかった。それは、誰も傷つかず、誰も後悔しない、「完璧な仮想の青春世界」を構築するためのエネルギーだった。彼らはその仮想世界に自らの意識を移し、経験できなかった理想の青春を、永遠に繰り返そうとしていたのだ。
それは搾取であると同時に、あまりにも痛切な願いだった。僕の怒りは、いつしか戸惑いと、そして深い共感へと変わっていった。彼らは悪人ではない。ただ、失われた時間に取り憑かれた、悲しい亡霊なのだ。
第六章 不完全なシンフォニー
僕は戦うことをやめた。代わりに、ゆっくりと巨大な水晶体へと歩み寄った。ミオが息を飲む気配がする。
「完璧な青春なんて、どこにもない」
僕は目を閉じ、これまでの全てを思い返した。アキラと笑い合った放課後。ミオと出会った図書館の静寂。刻葉から流れ込んできた、名も知らぬ誰かの喜びと痛み。そのどれもが、欠けたり、傷ついたりしていた。でも、だからこそ、どうしようもなく美しかったのだ。
僕は、自分の感情を、存在の全てを解放した。
喜び、悲しみ、怒り、愛しさ、そして、これから失われるであろう僕自身の青春への切なさ。全ての感情が混ざり合い、僕の体から人生で最大級のシャインが、金色のオーロラとなって溢れ出した。
その光は、仮想世界を破壊しなかった。代わりに、その完璧な世界に「不完全さ」という名の彩りを注ぎ込んだ。突然の夕立、喧嘩の後の気まずい沈黙、叶わなかった恋の痛み。光は、それら全てが青春の輝きの一部なのだと、言葉ではなく、圧倒的な体験として結社のメンバーたちに伝えた。水晶体に映し出された完璧な青空に、不意に雨が降り始め、やがて美しい虹がかかった。
彼らの頬を、涙が伝っていた。それは、仮想世界の雨ではなかった。
第七章 やがて夢になる
僕の体から最後のシャインが消え去った時、周囲を歪めていた時間の揺らぎが、ふっと消えた。世界は、冷たいほど正確な秒針の音を取り戻していた。僕は、物理的に「大人」になったのだ。
結社は活動を停止し、機械は解体された。青春短縮現象は、二度と起こらなかった。
数年後。僕はごく普通の大人として、一律に流れる時間の中を生きている。かつてシャインを放ち、時間を操った記憶は、ぼんやりとした夢のようだ。けれど、胸の奥には、消えることのない確かな温もりが残っている。
時折、ミオが僕のアパートを訪ねてくる。僕らは言葉少なにコーヒーを飲み、彼女が持ってきた一枚の古びた刻葉を眺める。それに触れても、もう何も感じることはない。
それでも、僕らは知っている。不完全で、傷だらけで、だからこそ愛おしいあの季節が、確かにそこにあったことを。僕が分け与えたオーロラの物語は、いつしか世代を超えて語り継がれる伝説となった。不完全さの美しさを伝える、ささやかな伝説として。