炎上のカタストロフィ
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炎上のカタストロフィ

第一章 道化の眼鏡と見えない終末

掌のスマートフォンが、焼けた鉄のように熱を帯びていた。

「死ね」「詐欺師」「社会のゴミ」

通知音が途切れることなく重なり、一つの不快な耳鳴りと化している。画面を埋め尽くすのは、有象無象の呪詛。それらは物理的な重みを持って、俺の視神経をギリギリと締め上げた。

俺、天野焔は、痙攣しそうになる口角を無理やり吊り上げ、レンズの奥で乾ききった眼球を見開いた。

「ハッ、情弱どもが! お前らには見えねえだろうよ、この世界の『終わり』がさ!」

鼻に乗せた分厚い黒縁のスマートグラス。世間が『デマメガネ』と嘲笑するこの玩具の向こう側で、風景が悲鳴を上げている。

視界に走る赤い亀裂。それはAR映像ではない。罵詈雑言が増えるたび、空間そのものがガラス細工のようにヒビ割れ、そこからドクドクと鮮血のような赤光が漏れ出しているのだ。

吐き気がした。数千、数万の「死ね」という悪意が、俺の網膜に焼き付いた『かつて焼き尽くされた異界』の光景と二重写しになる。

俺が真実を叫べば叫ぶほど、その言葉は汚泥のようなノイズとなって、赤い亀裂に吸い込まれていく。亀裂は脈打ち、肥大化し、破滅の時をカウントダウンしていた。

「ほらほら、もっと叩けよ! 指先一つで世界を壊せる気分はどうだ?」

心臓が早鐘を打つ。胃液が喉までせり上がる。違う、俺が欲しいのは嘲笑じゃない。誰か一人でいい、この亀裂の向こう側にある地獄に気づいてくれ。

だが、流れるコメントは「草」「妄想乙」の文字の羅列だけ。

俺は孤独なピエロとして、画面の向こうの見えない断頭台に立ち続けていた。

第二章 繰り返される悪夢

配信を切った瞬間、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。

グラスを外すと、極彩色の警告色は消え、カビ臭いワンルームの薄暗がりだけが残る。

コンビニ弁当の蓋を開ける。冷え切ったパスタを口に運ぶが、ゴムを噛んでいるようで味がしない。鏡に映った自分と目が合う。動画の中のハイテンションな男はどこにもいない。そこには、隈だらけの眼窩に絶望を沈殿させた、死人のような男がいただけだった。

ふと、つけっぱなしのテレビが不協和音を奏でた。

『クロノス社、次世代エネルギー炉『ミネルヴァ』の稼働を明日に決定』

画面の中、建設中の巨大施設が映し出される。夕闇にそびえるそのシルエットは、天を突き刺す墓標にしか見えなかった。続いて現れたCEOの男。その整いすぎた笑顔は、爬虫類のように無機質で、瞬き一つしない。

ズキン、と脳が爆ぜた。

硫黄の臭い。焼け落ちる城壁。俺の足元にすがりつき、灰になって崩れていった人々の感触。

――あいつだ。

あのCEOの目は、かつて俺が救えなかった世界で、文明を焼き払った魔導炉の光と同じ色をしていた。

テーブルの上のスマートグラスが、誰に触れられたわけでもないのに明滅する。

レンズに浮かぶのは文字ではない。ドス黒く渦巻く『拒絶』のアイコン。

俺を嘲笑い、石を投げつける群衆の悪意こそが、皮肉にもあの炉を凍結させる唯一の冷却材になるというのか。

俺は残ったパスタを吐き出した。

代償は、俺の人間としての尊厳。

だが、迷っている暇はない。墓標の影が、もうそこまで伸びている。

第三章 嘘つきの最大火力

俺は震える指で、人生最後となる録画ボタンを押した。

照明を赤くし、精神を逆撫でするような不快なノイズ音をBGMに流す。

タイトルは『【緊急】明日、世界が滅亡します。クロノス社の陰謀を全て暴露www』。

あまりにも安直で、反吐が出るほど胡散臭い。

「いいかお前ら! ミネルヴァはエネルギー革命なんかじゃない! あれは地獄の窯の蓋だ!」

開始数分で、同接数は桁違いに跳ね上がった。

「不謹慎だ」「精神科行け」「人間として終わってる」

無数の悪意が、濁流となって俺を呑み込む。息ができない。全身の皮膚が粟立ち、視界の端が白く飛び始める。

だが、グラス越しの亀裂は、その悪意を吸い上げ、太陽のような輝きを放ち始めていた。

嘘だと思われれば思われるほど、否定されればされるほど、その反作用が『否定の檻』となって現実を縛り付ける。

もっとだ。もっと俺を蔑め。俺を社会的に殺せ。お前らのその「信じない力」だけが、あの墓標をへし折るハンマーになる!

「俺は……ハァ、ハァ……俺は、嘘つきだ……!」

道化の仮面が剥がれ落ちる。過呼吸で肺が軋んだ。

笑うはずだった。いつものように、小馬鹿にした態度で煽るはずだった。

けれど、口から漏れたのは、獣のような嗚咽と、情けないほどの涙だった。

鼻水で顔をぐしゃぐしゃにし、俺はレンズに向かって、なりふり構わず絶叫した。

「だから、俺の言うことなんて信じるな!! でもな……頼むから、死ぬな!! 生きろ、生きろよおおぉぉッ!!」

第四章 英雄なき夜明け

ブツン。

世界中のスマートデバイス、街頭ビジョン、あらゆるスクリーンが同時にブラックアウトした。

人々が息を呑んだ刹那。

彼らの脳裏に、映像ではない『体験』が炸裂した。

空が裂け、肌が焼け爛れ、愛する者が灰となって消える――かつて俺が見た、異界の最期。

それは数秒間の幻影。だが、全人類が同時に味わった『死の感触』は、理屈を超えた本能的な恐怖として心臓に刻み込まれた。

翌朝、世界は静まり返っていた。

説明不能な集団幻覚への恐怖から、世論はパニックに陥り、暴動寸前の抗議がクロノス社を包囲した。

午後には『ミネルヴァ計画』の無期限凍結が発表された。CEOの作り物の笑顔は、ニュース映像から消え去った。

数週間後。

俺のアカウントは永久停止され、ネット上には「あの幻覚はテロだ」「集団ヒステリーだ」という議論だけが残った。俺の名前を語る者はもういない。ただの狂人が消えた、それだけのことだ。

夕暮れの河川敷。俺はポケットから『デマメガネ』を取り出した。

そのレンズはもう、何の光も映していない。ただの薄汚れたプラスチックの塊だ。

俺はそれを放り投げた。水しぶきと共に、異界の亡霊も、道化の仮面も、川底へと沈んでいく。

世界を救ったのは英雄の剣ではない。人々の『疑う心』と、俺という生贄だ。

「……さてと」

大きく伸びをする。冷たい風が、火照った頬に心地よかった。

「ハローワークでも行くか」

ポケットの中で、スマホが短く震えた。

通知が一件。差出人は不明。

『嘘つきの予言者へ。またいつか、世界の危機に』

俺は短く息を吐き、ニヤリと笑うこともなく、無表情で画面をスワイプして削除した。

もう英雄は廃業だ。

俺はスマホをポケットにねじ込むと、ありふれた日常へ向かって、ゆっくりと歩き出した。

AIによる物語の考察

「炎上のカタストロフィ」深掘り解説

主人公、天野焔は、過去に異界で世界の終焉を経験した英雄でありながら、誰にも理解されず、自ら「道化」を演じる。彼の行動原理は、二度と同じ悲劇を繰り返さないための孤独な自己犠牲。世間の罵倒や嘲笑を「否定の力」として逆利用し、それが世界を滅ぼす「ミネルヴァ」を停止させる唯一の冷却材だと信じていた。最後に「嘘つきだ」と叫ぶのは、本心を吐露しつつ、嘘であることで人々の「信じない力」を最大限に引き出そうとする、悲壮な戦略である。

伏線として、「デマメガネ」は異界の危機を可視化し、人々の悪意を力に変える装置。クロノス社CEOの「魔導炉と同じ目」は、天野焔が経験した過去の破滅が現代で再現されようとしていることを示唆する。終盤の全人類が共有した「死の感触」は、彼の記憶と「否定の力」が一時的に人類の集合意識に接続した結果、危機を直感させたもの。最後の謎の通知は、彼の役割がまだ終わっていない可能性を残す。

本作は、真実が虚偽に覆われ、嘘が力を持つ情報社会のパラドックスを問いかける。ネットの「悪意」や「否定」が破壊と救済の両極を生み出す皮肉、そして、誰にも理解されず、自らの尊厳を犠牲にして世界を救う現代の「英雄」のあり方を深く考察する。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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