想い映しの鏡と、売れ残った私の記憶
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想い映しの鏡と、売れ残った私の記憶

【元原稿タイトル】: 想い映しの鏡と、売れ残った私の記憶

第一章 虚飾の女神、灰色の都へ堕つ

「……このとろみ、伝わりますか? まるで肌がごくごくと水を飲むような……」

網膜を灼くスタジオ照明の下、天沢結月は完璧な「24.5度」の角度で小瓶を傾けた。

モニターを流れるコメントの滝。《結月ちゃんの肌になりたい!》《ポチりました!》。

だが、結月の背中を冷たい汗が伝う。台本の残りは三行。喉が張り付く。笑え。口角を上げろ。お前は「ライブコマースの女王」だろ。中身が空っぽの、臆病な詐欺師だなんて悟られるな。

「はい、カット! お疲れー!」

ディレクターの声が鳴った瞬間、結月は操り糸が切れた人形のように崩れた。

スタジオの熱気が急速に冷えていく。誰も彼女の「素」になど興味はない。逃げるように楽屋へ戻り、鏡台の前で震える指先を見つめる。

(今日は三回噛んだ。明日はもっと上手く嘘をつかなきゃ)

メイク落としのコットンを手に取り、鏡の中の自分と目が合った、その時だった。

鏡面が、油膜のように虹色に歪んだ。

めまい。床が消失する浮遊感。

世界が裏返る不快な音と共に、結月の意識は闇へと吸い込まれた。

次に肺を満たしたのは、鉄錆と乾いた砂の味だった。

目を開けると、そこは色彩の死に絶えた世界だった。

空は重い鉛色。立ち並ぶ建物は墓標のように風化している。そして行き交う人々は皆、影のように輪郭が曖昧で、その瞳には一切の光がなかった。

「……水」

喉が焼けつくようだ。足元には、あの鏡台にあった手鏡だけが転がっている。

結月はよろめきながら、市場らしき場所へと足を運んだ。

そこは、奇妙な静寂に包まれていた。

屋台に並ぶのは、干からびた果実や、形の崩れた陶器。だが、誰も言葉を発さない。

目の前で、男が老婆にボロボロの布を渡した。老婆が無言で受け取り、その布を胸に抱く。

その瞬間、男の目からポロリと一粒の涙が零れた。

涙は空中でカチンと凍りつき、透き通った青色の宝石となって、老婆の手のひらに落ちた。

チャリン、という硬質な音が、死んだような静寂を切り裂く。

老婆はその宝石を愛おしそうに眺め、代わりに干し肉を男に渡した。

(涙が……宝石になった?)

結月は息を呑んだ。

比喩ではない。ここでは「感情の揺らぎ」が物理的な質量を持ち、対価として機能しているのだ。

彼女は震える手で鏡を握りしめた。映り込んだ自分の顔は、恐怖で蒼白だった。だが、周囲の誰よりも「濃く」、生々しい色をしていた。

第二章 共感の灯火

「感情が貨幣になる」。その法則を理解するのに、三日とかからなかった。

だが、それは残酷なシステムだった。感情が枯渇したこの世界の住人は、すでに泣くことも笑うこともできず、ただ緩やかに滅びを待っていた。

広場の隅、結月は渇きに喘いでいた。

隣では、無愛想な鍛冶屋が、赤錆だらけの鉄屑――かつて剣だったもの――を並べて座り込んでいる。誰も見向きもしない。ただのゴミだ。

だが、結月がふと鏡越しにその剣を見たとき、映像が奔った。

――熱気。鎚音。若き日の鍛冶屋が込めた『守り抜け』という祈り。

(見える……この剣の、記憶が)

結月の特技。「商品の背景にある物語を見抜く目」。それは異世界でも機能していた。

このままでは、この名剣はただの鉄屑として朽ちる。

もったいない。その想いが、職業病のように結月の体を突き動かした。

彼女は鏡を構えた。

(照明なし。自然光のみ。なら、角度は三十度。反射光で剣の刀身を際立たせる)

震える指で鏡の角度を調整する。彼女の脳裏にある「剣の物語」を、念写するように鏡へ叩きつける。

「見て……ください」

掠れた声。だが、鏡の角度は完璧だった。

鏡面から、プロジェクションマッピングのように光が溢れ出した。

空中に浮かぶ映像。燃え盛る炉の炎。汗まみれの職人の横顔。戦場で持ち主の命を救い、刃こぼれした瞬間の火花。

「……あ?」

通りがかりの男が足を止めた。

映像は、錆びた剣の「本質」を暴き出す。ボロボロの外見の下に眠る、忠義という名の輝き。

結月は、心の中でナレーションを入れる。

(これはただの武器じゃない。命を預けるに足る、相棒なのよ)

通行人の虚ろな瞳に、微かな光が宿った。

「熱い……懐かしい、熱さだ」

男の胸元が淡く発光する。次の瞬間、彼の胸から琥珀色の光の粒が溢れ出した。

『共感貨幣』。

チャリ、チャリ、チャリン。

光の粒が山となり、鍛冶屋の前に積み上がる。

鍛冶屋は目を見開き、震える手で自分の剣を撫でた。錆びついていた剣の表面が、人々の「価値あるもの」という認識に呼応するように、銀色の輝きを取り戻していく。

「売れた……」

結月はその場にへたり込んだ。

言葉巧みなセールストークではない。ただ「見せ方」一つで、価値を転換させたのだ。

だが、その時。

ズキン、と側頭部に冷たい痛みが走った。

まるで脳の一部をスプーンで掬い取られたような、奇妙な喪失感。結月はまだ気づいていなかった。鏡が何を燃料にして、あの映像を映し出したのかを。

第三章 失われゆく色彩と、究極の対価

結月は「鏡の語り部」として、市場で日銭を稼ぐようになった。

鏡を使って商品の魅力を引き出し、人々の心を動かして対価を得る。灰色の街に、少しずつ色彩が戻り始めていた。

しかし、違和感は確実に膨れ上がっていた。

ある晩、結月は市場で手に入れた赤い林檎を齧りながら、ふと、好きだった歌を口ずさもうとした。

『桜舞い散る、あの坂道で……』

そこまでは出た。だが、その続きが出てこない。

(あれ? サビ、どんなだっけ)

必死に思い出そうとする。だが、記憶の糸を手繰り寄せた先には、断崖絶壁のような「虚無」が広がっていた。

背筋が凍った。

歌詞だけではない。その歌を教えてくれた友人の名前。学校の帰り道に見上げた夕焼けの色。

思い出せない。

頭の中のアルバムから、写真が何枚も黒く塗りつぶされている。

(まさか……売ったの? 私が?)

結月は鏡を見た。

剣を輝かせたとき。古い織物の美しさを伝えたとき。

あの時、鏡に込めた「熱意」や「切なさ」はどこから来た?

――私だ。私の記憶を、感情のサンプルとして切り出して、商品に上乗せしていたんだ。

戦慄で指先が冷たくなる。

強い感情(=高い価値)を生み出すには、それに見合うだけの「私自身の記憶」を代償にしなければならない。

この世界は、他者の感情を喰らって延命するシステムなのだ。

その時、地鳴りが響いた。

広場の向こうで、色を失った時計塔が音もなく崩れ落ち、灰の山へと変わる。

「崩壊が……始まったのか」

誰かが呟いた。

世界の彩度は限界まで落ちていた。小手先の取引ではもう間に合わない。この世界を救うには、市場全体を飲み込むほどの、爆発的な「感情の奔流」が必要だ。

結月は震える手で自分の胸を抱いた。

彼女の中には、この世界にはない極彩色の記憶がある。

東京のネオン。満員電車の苛立ち。母の作った甘い卵焼きの味。孤独な夜の冷たさ。

それらを全て「商品」として放出すれば、きっとこの世界は蘇る。

だが、その代償は――「天沢結月」という人間の消失。

自分が何者で、どこから来て、何を愛していたか。すべてを失い、空っぽの器になる。

(嫌だ。怖い。私は帰りたい)

結月は鏡を抱えて蹲った。

だが、脳裏に浮かんだのは、あの鍛冶屋が剣を抱いて流した涙だった。

自分が誰かの心を動かし、世界に色を取り戻した瞬間。

嘘で塗り固めたライブコマースでは決して得られなかった、魂が震えるような充足感。

(……台本なんて、最初からなかったんだ)

彼女はゆっくりと立ち上がった。足の震えを、地面を踏みしめて殺す。

第四章 最後のライブコマース

鉛色の空が低く垂れ込める王都の中央広場。

数千、数万の民衆が集まっていた。彼らの肌は土気色で、今にも崩れ落ちそうだ。

結月は広場の中央にある瓦礫の山に登った。

そこが、彼女の最後のステージだ。

「……聞いてください!」

マイクはない。だが、腹の底から絞り出した声は、不思議と風に乗った。

結月は手鏡を高く掲げた。

(カメラ位置、フィックス。照明、私の魂。……アクション)

鏡が、太陽のような強烈な光を放つ。

結月は、自らの記憶の貯蔵庫を全開にした。

「私は、遠い世界から来ました。そこは、こんなふうに眩しくて……残酷で、美しい場所でした」

鏡から噴き出した光が、空中に巨大なスクリーンを描き出す。

映し出されたのは、渋谷のスクランブル交差点。

洪水のようになだれ込む色彩。信号機の緑、タクシーの黄色、ビルの巨大ビジョン。

「うわあ……ッ!」

民衆からどよめきが上がる。見たことのない鮮烈な色。

結月の中で、東京の風景が白くフェードアウトしていく。

(消えていく。私の日常が)

「そこでは、誰もが誰かと繋がりたくて……でも繋がれなくて、必死にもがいていました」

映像が変わる。真夜中のワンルーム。スマホの画面越しの、顔の見えない称賛と罵倒。

孤独。焦燥。承認欲求。

結月の胸をえぐるような「痛み」が、嵐となって広場を吹き抜ける。

民衆が胸を押さえる。彼らが忘れていた「痛み」という感覚。それが、逆説的に彼らの生を呼び覚ます。

「でも、私は知っています! 心は、言葉よりも深く繋がれることを! あなたたちが、教えてくれたから!」

結月は叫んだ。

幼い頃の記憶。母の温もり。初めて自転車に乗れた日。失恋の涙。

自分を形作るすべてのピースを、鏡というレンズを通して世界へ解き放つ。

頭の中が冷たくなる。名前が消える。母の顔が消える。恐怖さえも消えていく。

(ああ、いい商品だ。……よく、売れるなあ)

鏡が砕けんばかりに共鳴した。

結月の身体から放たれた七色のオーロラが、鉛色の雲を突き破る。

空から、光の結晶が豪雨のように降り注いだ。

それは莫大な量の『共感貨幣』であり、世界を再生させるための種子だった。

灰色の石畳が黄金色に輝き、枯れ木に緑が芽吹き、人々の瞳に生気が宿る。

世界が、鮮やかに塗り替えられていく。

その光景の中心で、結月はふわりと笑った。

なぜ笑っているのか、彼女自身にも、もう分からなかった。

終章 境界を越える祈り

春の陽光が、再生した王都を包んでいた。

市場は活気に満ち、色とりどりの果実や織物が並ぶ。

その一角に、小さな鏡屋があった。

店主の少女は、客が持ち込む古びた品々に鏡をかざし、そこに眠る「良さ」を見つけ出しては、嬉しそうに微笑む。

「ユヅキ、今日は何を仕入れたんだい?」

常連客に問われ、少女――記憶を失った結月は、首を傾げた。

彼女には過去がない。自分が何者だったのか、ここがどこなのかも知らない。

けれど、胸の奥には、陽だまりのような温かさだけが残っていた。

「今日はね、とっても素敵な笑顔が見つかったの」

彼女はそう言って、曇りのない瞳で笑った。

彼女は知らない。

あの日、彼女が手放し、次元の彼方へ放出した「想い」の奔流がどうなったかを。

――現代、東京。

帰宅ラッシュの満員電車。死んだような目でスマホをスクロールしていた一人のOLが、ふと指を止めた。

画面には、行方不明になったインフルエンサーの過去のアーカイブ。

ノイズ交じりの映像。だが、そこに映る彼女の瞳は、必死で、何かを訴えかけていた。

音声は途切れている。何を言っているのかは分からない。

けれど、その映像を見た瞬間、OLの胸に、理由のわからない熱い塊が込み上げた。

頬を涙が伝う。

灰色のようだった車内の景色が、ほんの少しだけ、鮮やかに色づいて見えた。

「……明日も、生きてみようかな」

誰に言うでもなく、彼女は呟いた。

次元を超えたその祈りは、きっと、名もなき少女の元へも届いている。

AIによる物語の考察

天沢結月は、虚飾と自己嫌悪に苛まれる「ライブコマースの女王」から、自己犠牲によって世界を救う「鏡の語り部」へと変貌を遂げます。失われる記憶への恐怖と、誰かの心を動かす喜びの間で揺れ動く彼女の心理が、物語の核です。自己を犠牲にしても「価値」を伝えたいという、彼女の本質的な欲求が露わになります。

伏線としては、第二章での「脳を掬い取られるような喪失感」が、鏡が結月の記憶や感情を燃料にしていることを暗示。第三章での記憶の欠落は、その代償が具体的な形となって現れ始めた証拠です。終章で現代のOLが流す涙は、結月が次元を超えて放出した「想いの奔流」が、別の世界の人々の心に届いたことを示す美しい帰結です。

この物語は、「真の価値とは何か」を問いかけます。現代の消費社会における表面的な「価値」と、記憶や感情といった「本質的な価値」の対比。そして、自己を犠牲にしてでも他者に共感し、世界を救おうとする究極の愛と、言葉や記憶を超えて伝わる「想い」の尊さがテーマとして深く掘り下げられています。
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