世界の果てで、君とだけの物語を

世界の果てで、君とだけの物語を

3 3589 文字 読了目安: 約7分
文字サイズ:
表示モード:

第一章 致死量の恋心

教室の空気は、湿った灰色の綿埃(わたぼこり)みたいだ。

シャープペンシルの走る乾いた音。

遠くで響く運動部の掛け声。

私の世界はいつも、彩度の低いフィルター越しにある。

私は「天沢 結」。

座席表のシミみたいな、背景の一員。

あくびを噛み殺し、窓の外へ視線を逃がす。

その時だった。

ガララ、と引き戸が開く。

瞬間、世界の色が変わった。

灰色だった空間に、極彩色のインクをぶちまけたような鮮烈な「異物」が侵入してくる。

「おはよう、みんな」

声が、空気を震わせる。

それだけで、クラスメイト全員の視線が磁石のように吸い寄せられた。

星宮 奏(ホシミヤ カナデ)。

現役高校生にして、国民的トップアイドル。

発光しているかのような金髪、作り物めいた長い睫毛。

この世界の「主人公」である彼が、教室に足を踏み入れた。

(まぶしい……)

直視できない。

あまりの輝きに、網膜が焼け焦げそうだ。

私は反射的に顔を伏せ、自分の存在を消しにかかる。

私はモブだ。

彼と目が合うイベントなんて、私のシナリオには存在しない。

はずだった。

コツ、コツ、コツ。

規則正しいローファーの音が、迷いなくこちらへ近づいてくる。

一歩ごとに、私の心臓が早鐘を打つ。

嫌な予感が背筋を這い上がる。

やめて。

来ないで。

私の平穏を乱さないで。

足音が、私の机の真横で止まった。

「……見つけた」

甘く、とろけるような声音。

けれど私の肌が感じたのは、鳥肌が立つほどの「熱」だった。

ズキン、と胸の奥が痛む。

比喩ではない。

物理的な激痛だ。

「結ちゃん」

彼が私の名を呼んだ瞬間、痛覚神経が悲鳴を上げた。

熱湯を浴びせられたような、あるいは無数の針で刺されたような感覚。

彼からの好意が強すぎる。

質量を持った執着が、許容量の狭い私の器を内側から食い破ろうとしている。

「逃げないでよ。ずっと、君を探していたんだから」

冷たい指先が、私の頬に触れる。

「ひっ……!」

接触箇所から、パチパチと静電気が爆ぜた。

教室の風景が、ガラスの破片のように一瞬だけズレて見えた。

第二章 バグだらけの脚本

キーン、という耳鳴りが止まらない。

「おはよ、おはよ、おはよ、おはよ――」

隣の席の男子生徒が、壊れたスピーカーのように同じ言葉を繰り返している。

その口元が、妙に歪んでいる。

唇の端が耳まで裂けそうなほど引きつり、瞬きのリズムが人間離れした速度で明滅する。

おかしい。

何かが、決定的に狂っている。

「か、奏くん、離れて……痛い、の……!」

「嫌だ」

星宮奏は、私の手首を万力のように掴んで離さない。

至近距離で見る彼の瞳。

宝石のように美しいその奥で、とぐろを巻くような暗い情念が渦巻いている。

「どうして……私なの? 私はただの、冴えないモブなのに」

「モブ?」

彼は小首をかしげる。

その動作の背景で、教室の壁がドロドロと溶解し始めた。

コンクリートが溶け、極彩色の油絵具のように垂れ下がっていく。

「君がモブなわけないだろう。だって、君が僕を『星宮奏』にしてくれたんじゃないか」

鼻をつく異臭。

古い紙と、焦げた鉛筆の匂いが充満する。

「……え?」

「君が見てくれたから、僕はここにいる。ねえ、結。思い出して」

彼の指が、私の鞄からはみ出していたスケッチブックを引き抜く。

ザラリとした表紙の感触。

私が転生した時から、片時も離さず持っていたもの。

パラパラパラ……。

彼が触れると、ページが勝手にめくれた。

そこに描かれているのは、星宮奏。

笑う奏、泣く奏、歌う奏。

線の勢いはページを追うごとに荒くなり、狂気じみた筆圧で紙を削っている。

私の手首を掴む彼の力が強まる。

痛い。骨が軋むほどに。

「これは、僕の設計図(スクリプト)だ」

奏の言葉が、スケッチブックの隅に書かれた走り書きと重なる。

『彼は、私だけを見てくれる』

その文字が、赤い光を帯びて浮かび上がった。

ドォォォォン!!

校庭の方角で爆発音が轟く。

窓の外を見ると、空の色が反転していた。

青空が剥がれ落ち、その下から現れたのは、無機質な黒い空間ではない。

ざらついた、画用紙の白。

世界が、めくれ上がっていく。

第三章 創造主の罪と罰

視界が揺らぐ。

逃げ惑うクラスメイトたちの輪郭が、鉛筆の線になって崩れていく。

「あ……ああ……」

悲鳴を上げようとした生徒の口から、声の代わりに黒鉛の粉が吹き出した。

彼らは人間じゃない。

書き割りの背景だ。

私の呼吸が浅くなる。

心臓の鼓動に合わせて、世界全体が収縮と膨張を繰り返す。

(これ、は……)

スケッチブックの最後のページ。

そこに書かれていた言葉が、脳裏にフラッシュバックする。

『この夢が、永遠に覚めませんように』

記憶の蓋が吹き飛んだ。

狭いワンルーム。

散らばる消しゴムのカス。

深夜の孤独。

推しへの愛だけを燃料に、私が泣きながら描き殴った理想の世界。

ここは転生先なんかじゃない。

私の妄想(創作)の檻だ。

「違う、奏くん……あなたは、みんなのアイドルでしょ? こんな歪な世界で、私なんかと……!」

私は叫び、全身を焼くような頭痛に耐えながら彼を突き飛ばそうとする。

私が彼を閉じ込めている。

私の身勝手な願望が、彼という存在を鎖で縛り付けている。

「戻って! あなたの輝くべき場所に!」

「僕の場所は、君の隣だ!」

奏の絶叫が、崩壊する空間を引き裂いた。

彼はアイドルとしての完璧なマスクをかなぐり捨て、なりふり構わず私に縋り付く。

「君が望んだんじゃないか! 『私だけの推しでいてほしい』って! 君のその鉛筆で、僕の心臓にそう刻んだくせに!」

彼の胸に、私の走り書きと同じ言葉が、痣のように浮かび上がっている。

呪いのような、愛の刻印。

「あぁ……」

涙が溢れた。

罪悪感で押しつぶされそうになる。

けれど、それ以上に――彼が私だけを求めている事実が、たまらなく甘美だった。

私が、彼を創った。

そして彼もまた、創造主(カミサマ)である私に焦がれている。

空の画用紙が破れ、すべてを無に帰す白い光が降り注ぐ。

物語が終わる音がする。

「選んで、結」

奏が、崩壊の光の中で手を差し伸べる。

「世界を描き直して、僕を『みんなのアイドル』に戻すか。それとも、このまま二人で堕ちていくか」

彼の瞳は、もう痛みを感じないほどに優しかった。

体温が伝わる。

私の妄想が生んだ幻影のはずなのに、その熱だけは、確かに生身のものだった。

モブとして生きるか。

創造主として愛されるか。

私は、ボロボロになったスケッチブックを抱きしめ――そして、それを白い虚空へと放り投げた。

「……いらない」

「え?」

「台本なんて、もういらない」

私は彼の手を、強く握り返した。

最終章 カーテンコールのない舞台

光が収束する。

学校も、街も、顔のない友人たちも、黒鉛の粉となって消え失せた。

残されたのは、見渡す限りの白い地平線。

そして、私と、奏だけ。

「……全部、消えちゃったね」

奏がポツリと言う。

けれど、その声はどこまでも穏やかだった。

「うん」

「これからどうするの? ストーリーはもう、どこにもないよ」

彼は私の髪を愛おしそうに撫でる。

先ほどまで感じていた、皮膚を焼くような激痛はもうない。

世界というノイズが消え、彼と私の魂が直接触れ合っているような、じんわりとした温もりだけがある。

痛みは、愛おしさに溶けたのだ。

氷が水になるように。

痛覚が、快楽へと昇華されていく。

私は、白紙の世界を見渡して、微笑んだ。

「はじめようよ。ここから」

「ここから?」

「うん。誰のためでもない、読者のいない、私たち二人だけの物語」

スケッチブックはもうない。

決められたセリフも、守るべき設定もない。

永遠に続く白い時間の中で、私たちはインクのシミになるまで混ざり合うのだ。

「それは……素敵な地獄だね」

奏はとろけるような笑顔を見せ、私の唇に自身の唇を重ねた。

甘い、シトラスの香り。

それが今の世界のすべて。

「愛してるよ、結。僕の神様」

「私も愛してる。私の、最愛の推し」

世界は閉じた。

もう誰も、この場所に干渉することはできない。

私たちは永遠に、この白い箱庭の中で、二人きりの幸福な迷子になる。

これがハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか。

それを決める読者は、もうどこにもいないのだから。

AIによる物語の考察

この物語は、創造主である「天沢結」と、彼女の妄想が生み出した「星宮奏」の歪んだ愛と執着を描く。

**登場人物の心理**:
主人公・結は、自身の孤独から「私だけの推し」という願望をスケッチブックに描き続けるうち、彼を現実世界に転生させてしまう。当初はモブとしての平穏を望むが、奏の「致死量の恋心」に苦しみながらも、次第にその甘美さに囚われていく。奏は、結の願望そのものが具現化した存在であり、創造主である結への絶対的な執着を剥き出しにする。彼の痛みは、結の強すぎる愛が物理的に現象化したものだ。

**伏線の解説**:
結の「彩度の低い世界」という認識や、クラスメイトが「壊れたスピーカー」のように描写される点は、この世界が現実ではない、結の創作物であることを示唆する。特に、結のスケッチブックに書かれた「彼は、私だけを見てくれる」という言葉が、奏の胸に刻まれる描写は、創造主の願望が被創造物の本質となるメタフィクション的な関係性を示している。

**テーマ**:
物語は、創造主と被創造物の間に生まれる、自己中心的で排他的な愛の極致を問いかける。推しへの純粋な愛が、やがて世界を破壊し、二人だけの閉鎖空間へと導く「幸福な地獄」を描写することで、愛と執着、創作と現実の境界線を曖昧にし、読者に「物語の終焉」と「真の幸福」の定義を委ねる。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

0 / 200
本日、あと...

TOPへ戻る