『逆さまの愛と、永遠の砂時計』

『逆さまの愛と、永遠の砂時計』

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第一章 嘘つきな視界

路地裏のカフェ。

湿ったコートから立ち上る雨の匂いと、深煎りのコーヒーの香りが混じり合う。

窓際の席で、レンがスマートフォンを構えていた。

彼は私にレンズを向けたまま、強張った笑顔を作る。

「アリス、こっち見て。今の君を記録しておきたいんだ」

彼の声は震えていた。

テーブルの上には、すでに三つのSDカードと、黒革の手帳が積まれている。

彼は必死だった。

私たちが「他人」に戻る瞬間を、何とかして食い止めようとして。

「……レン、もう十分よ」

私が彼の手をそっと下ろさせると、レンの喉が小さく鳴った。

「愛してるよ、アリス。一秒だって忘れたくない」

その美しい声と同時に、私の視界が歪む。

彼のアゴのあたりに、どす黒いノイズ混じりの明朝体が浮かび上がった。

『鬱陶しい女だ。顔を見るのも反吐が出る』

私は息を呑み、視線を逸らす。

これが私の「病」だ。

本心が見える瞳。

そして、愛する相手であればあるほど、その言葉が極悪な罵倒に変換されて表示される、皮肉な代償。

ふと、隣の席で笑い合っていたカップルが立ち上がった。

彼らの手首にある「刻印」が赤く明滅する。

一瞬の静寂。

次の瞬間、二人は他人行儀に会釈をした。

「では、またどこかで」

「ええ、機会があれば」

先ほどまで絡ませていた指は冷たく離れ、二人は別々の方向へ歩き出す。

愛が消滅し、ただの「知人」へと書き換わったのだ。

私の背筋を、冷たい汗が伝う。

あれが、明日の私たち。

この街のシステムは残酷だ。

ピークに達した愛は、一年で強制的に初期化される。

レンが私の震えに気づき、身を乗り出した。

「大丈夫だ。僕たちは特別だろ?」

『お前との時間なんて、人生の無駄だった』

視界を埋め尽くす罵詈雑言。

彼が私を深く愛するほど、私は彼の「殺意」を見せつけられる。

吐き気がした。

愛されていると頭では分かっていても、視覚が心を殺していく。

私は逃げるように立ち上がった。

「行かなくちゃ、レン」

「どこへ?」

「……希望を探しに」

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第二章 終わらない砂

雨は激しさを増していた。

傘を叩く雨音が、焦燥感を煽る。

迷路のような裏路地を、私たちは一時間以上も彷徨っていた。

地図アプリは圏外を示したままだ。

「アリス、もう戻ろう。こんな場所にあるはずがない」

レンが私の腕を掴む。

雨に濡れた彼の前髪が、目にかかっている。

『こんな馬鹿げた散歩に付き合わせやがって。死ねばいいのに』

視界に浮かぶ文字が、かつてないほど大きく、鋭利なフォントで私を刺した。

彼は、泣きそうなほど私を心配している。

それが分かってしまう自分が、何よりも疎ましい。

「あった……!」

古びたレンガ造りの建物の隙間。

看板すらない、地下への階段。

カビと古い紙の匂いが充満する店内は、薄暗く、ひんやりとしていた。

カウンターの奥から、片目の潰れた老人がぬらりと現れる。

「客か。珍しいな」

「『無限の砂時計』を、譲ってください」

私の言葉に、老人は濁った瞳を細めた。

「噂を信じて来たのか。あれは、お嬢ちゃんが思うような便利な道具じゃないぞ」

老人が顎でしゃくった先。

ガラスケースの中に、その砂時計はあった。

落ちた砂が底に溜まらず、煙のように消えては上部に戻っている。

永遠の循環。

「記憶のリセットに抗うためのアーティファクト……ですよね」

「半分正解で、半分間違いだ」

老人は枯れ木のような指で、カウンターを叩いた。

「あれは記憶を残すんじゃない。魂に『傷』をつけるんだ。脳がリセットされても、傷の痛みだけは残るようにな」

「傷……」

「対価は高いぞ。金じゃない。お前のその、一番大切で、一番邪魔な『感覚』を差し出すことになる」

レンが割って入った。

「行こうアリス! こんな胡散臭い話、聞く価値もない!」

『さっさと買え。これしか道はない』

私はハッとした。

レンの口は否定しているのに、視界の文字は――彼の深層心理は、この砂時計に縋り付いている。

彼は限界だったのだ。

記録も、動画も、無意味だと悟ってしまっていた。

それでも私のために、気丈に振る舞っていただけだ。

私は財布を取り出し、カウンターに叩きつけた。

中身は全て入っている。

「買います。私の『視覚』の一部を、対価にして」

老人はニヤリと笑い、ショーケースの鍵を開けた。

「商談成立だ。覚悟しな、お嬢ちゃん。魂を引きちぎる痛みだぞ」

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第三章 魂の引力

日付が変わるまで、あと五分。

アパートの部屋は静まり返り、時計の針の音だけが響く。

テーブルの上には、砂時計。

レンが私を抱きしめた。

彼の体温が痛いほど伝わってくる。

「アリス……」

彼は私の顔を覗き込み、悲痛な表情で眉を寄せた。

「ずっと聞きたかったんだ。僕が『愛してる』と言うたび、どうして君は、ナイフを突きつけられたような顔をするんだ?」

心臓が跳ねた。

彼は気づいていたのだ。

私の怯えに。私の矛盾に。

「ごめんね、レン。私の目が、悪いの」

私は彼の方へ向き直る。

これが、最後の視界。

「レン、愛してる」

「ああ、愛してるよ。世界中の誰よりも」

『大嫌いだ。消えてなくなれ、化け物』

視界を埋め尽くす、暴言の嵐。

真っ黒な文字が、私のレティナを焼き尽くす。

それが、彼からの最上級の愛の証明。

私は砂時計を手に取り、強く握りしめた。

ガラスの冷たさが、掌に食い込む。

――私の『真実を見る目』を捧げます。

――だから、彼の中に、私という痕跡を焼き付けて。

パリン。

音がした気がした。

砂時計が割れた音ではない。

私の頭の中で、何かが弾け飛んだ音だ。

「が……っ!?」

激痛。

眼球の奥に、焼きごてを押し当てられたような熱さが走る。

視神経が引き抜かれるような感覚。

私は悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。

「アリス!? おい、しっかりしろ!」

レンの絶叫。

視界が赤く染まり、ノイズが走る。

『死ね! 死ね! 死ね!』

文字が乱舞し、そして――プツンと消えた。

痛みの中で、私は最後にレンの顔を見た。

文字はない。

ただ、涙を流して私を呼ぶ、愛しい人の顔だけがあった。

「ありがとう……」

意識が、ホワイトアウトする。

世界が書き換わる音が、遠くで聞こえた。

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第四章 初めまして、運命

小鳥のさえずりと共に、意識が浮上する。

目を開けると、見知らぬ天井があった。

いや、知っているはずの天井だ。

けれど、そこにある思い出が、ごっそりと抜け落ちている。

「……頭が、痛い」

こめかみを抑えて起き上がる。

何か、とても大切なものを失った喪失感。

けれど、爽やかな朝の光が、その穴を優しく埋めていく。

キッチンから、トーストの焼ける香ばしい匂いがした。

リビングへ向かうと、エプロン姿の男性がコーヒーを淹れていた。

背の高い、優しそうな人。

レンだ。

昔からの友人……だったはず。

彼が振り返る。

私を見て、少し驚いたように目を丸くした。

「あ、おはよう。……昨日は、飲みすぎたかな」

彼は照れくさそうに笑った。

私もつられて微笑む。

「そうかも。何も覚えてないや」

不思議だ。

彼の顔を見ても、何も浮かばない。

空中に漂う文字も、私の心をえぐる言葉もない。

ただ、窓から差し込む陽光が、彼の茶色い瞳を透かしているのが見える。

その瞳が、私を真っ直ぐに映している。

なんて綺麗な目なんだろう。

「ねえ、レン」

「ん?」

彼がコーヒーカップを二つ、テーブルに置く。

その時、彼の手が止まった。

テーブルの端に、古びた砂時計が置かれていたからだ。

中身の砂は空っぽで、ガラスには細かいヒビが入っている。

レンは震える手で、その砂時計に触れた。

「ッ……」

彼は突然、胸を強く押さえてうずくまった。

「レン!?」

駆け寄る私を、彼は手で制する。

彼の顔は苦痛に歪んでいるのに、その瞳からは、ボロボロと涙が溢れ出していた。

「分からない……分からないんだ」

彼は掠れた声で呟く。

「これを見ると、胸が張り裂けそうになる。痛いんだ。すごく痛くて……たまらなく、愛しい」

彼は濡れた瞳で、私を見上げた。

そこには、理屈も記憶も超えた、魂の渇望があった。

私の胸の奥も、呼応するように疼いた。

失ったはずの記憶の淵で、傷跡だけが熱を持っている。

「私も……」

私は彼の手を包み込んだ。

「私も、同じ痛みを感じる」

言葉はいらなかった。

「好き」や「愛してる」なんて記号は、もう必要ない。

ただ、この痛みが、私たちがかつて一つだった証拠。

そして、これからも離れられないという運命の鎖。

「コーヒー、冷めちゃうね」

私が泣きながら笑うと、レンも涙を拭って、くしゃりと笑った。

「ああ。飲み直そうか」

「初めまして、レン」

「初めまして、アリス」

砂のない砂時計が、朝日を浴びてキラキラと輝いている。

それは止まった時間ではなく、ここから始まる永遠を祝福しているようだった。

AIによる物語の考察

『逆さまの愛と、永遠の砂時計』深掘り解説文

**1. 登場人物の心理**
アリスは「本心が見える目」に苦悩し、レンとの愛を守るため視覚を犠牲に。レンは口での愛と裏腹に、システムへの絶望やアリスの病への無力感を抱えていた。砂時計購入時の「これしか道はない」という本心は、彼の真の切望の表れ。二人の愛は記憶を失っても、魂の痛みとして残り続ける本質的な絆へと昇華された。

**2. 伏線の解説**
レンの口と視界の文字の乖離は、彼の表層と深層心理の葛藤を示す。罵倒は深い愛の裏返しであり、砂時計購入時の肯定的本心は、アリスの病への理解と最後の希望を託した証。老人の「魂に傷をつける」という言葉は、記憶を超えた愛の痕跡として、結末で二人が感じる「痛み」として回収される。

**3. テーマ**
本作は、記憶や言葉といった表層的な「愛」の定義に疑問を投げかける。真実を見る目を失う自己犠牲を通じ、魂の奥底に刻まれた本質的な愛へと辿り着く逆説を描く。強制的なリセットシステムに抗い、理屈や記憶を超えた「永遠の魂の繋がり」を探求する、深遠な哲学的な問いを提示する。
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あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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