第八の不協和音

第八の不協和音

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第一章 抹消された悲鳴

雨ざらしのコンクリートが、湿った異臭を放っている。

現場を囲う黄色いテープの向こうで、通りがかりの女子高生が分厚いイヤーマフをさらに強く耳に押し当て、足早に駆け抜けていった。

誰もが口を真一文字に結び、視線をアスファルトに固定している。

「余計な音」を聴くことが、この国では何よりの禁忌だからだ。

私は眉間の皺を揉みほぐし、高性能ノイズキャンセリングヘッドホンを、ほんの数ミリだけずらした。

途端、脳髄を錆びたナイフで抉られるような激痛。

「――ぐっ」

「おい、大丈夫か柊(ひいらぎ)。顔色が悪いぞ」

依頼人の刑事が、胸元の銀製の鈴――魔除けのチャーム――を握りしめながら私を覗き込む。

私は胃からせり上がる酸っぱいものを飲み下し、脂汗の滲む手で壁のシミを指さした。

「……聴こえます。ここで、誰かが死んだ」

「よせ。ここは二十年前の『七人殺し』の現場の一つだが、この部屋はただの物置だ。遺体など記録にない」

「いいえ。記録が間違っている」

耳の奥で、音が暴れている。

肉が裂ける濡れた音。喉が潰れたような、掠れた呼吸音。

そして、その背後で規則的に鳴り続ける、硬質で冷たい金属音。

カチ、カチ、カチ……ザリッ。

これは、怨念ではない。

もっと人工的な、作為的な響き。

「『第八の音』がある。……それも、誰かが意図的に隠した、不協和音が」

私は再びヘッドホンを耳に押し当て、外界の雑音を遮断した。

だが、一度聴いてしまったそのリズムは、呪いのように鼓膜に焼き付いて離れなかった。

第二章 模倣された罪

数日後、その廃墟で新たな死体が見つかった。

手口は二十年前と同じ。

街頭モニターでは、キャスターが声を潜めて「過去の罪が音となって共鳴した」と報じている。

カフェの客たちは一斉に食器を置く音を殺し、怯えたように周囲を見回した。

『沈黙は金、聴取は罪』

この社会に根付く不文律が、空気を鉛のように重くしている。

「馬鹿げてる……」

自室の防音室で、私はそのニュース映像を睨みつけた。

画面の向こう、警察車両の赤色灯が照らすその場所は、私が「第八の音」を聴いた部屋そのものだった。

現代の模倣犯は、警察すら知らない「真の殺害現場」を正確になぞっている。

ふと、視線を机の端へ落とす。

そこには、埃を被ったアンティークのオルゴールがあった。

蓋には星のモチーフ。

「音」の正体を探ろうとして消された父と、それを追った母。二人が残した唯一の遺品。

「……親父」

蝶番は壊れ、メロディは奏でない。

私は無意識に、錆びついたゼンマイキーに指をかけた。

ガリッ、ガリッ、ガリッ……。

空回りする不快な音。

私は手を止めた。

あの廃墟で聴こえた「金属音」。

カチ、カチ、カチ……ザリッ。

オルゴールの空回りするリズムと、完全に同期していた。

ただの故障じゃない。

このオルゴールには、特定の周期で「引っかかる」箇所がある。

私は工具箱から、精密ドライバーを取り出した。

第三章 星の裏側の真実

カチリ。

微かな手応えと共に、オルゴールの底板が外れる。

露わになった真鍮のシリンダー。

その表面を見た瞬間、私の特殊な耳が、視覚を超えた「違和感」を捉えた。

無数に植え付けられたピンの中に、人為的に削り取られたものが数本ある。

本来あるはずの音階が、物理的に抹消されている。

「『ソ』と『レ』……いや、これは音階じゃない」

私は震える手でシリンダーを回し、欠落した音が作り出す「空白のリズム」を指先でなぞった。

トン、ツー、トン、トン。

モールス信号でもない。もっと複雑で、感情的な波形。

私はその微細な振動を、自身の鼓膜で増幅する。

脳内で、削られた金属の断面が擦れる音が、人の声へと変換されていく。

『……カナタ、聴こえるか』

「ッ……!?」

ヘッドホン越しでも防げない、直接脳に響くノイズ混じりの声。

二十年間、夢にまで見た父の声だ。

『……怖いか? ああ、私も怖い。奴らの足音が近づいている』

声は震えていた。

英雄的な告発者のトーンではない。

死を目前にした、一人の弱い人間の、生々しい恐怖の吐露。

『だが、この音だけは消せない。……裏帳簿のデータは、このリズムの中に隠した。……愛している、カナタ。どうか、私のようには……』

最後は、激しい打撃音と、シリンダーが床に叩きつけられる音で途切れた。

父は、殺されるその瞬間まで、恐怖に震える指でシリンダーを削り、真実をこの「沈黙」の中に刻み込んだのだ。

廃墟で聴こえた「第八の音」は、父が最期に残した、命の打刻音だった。

私の目から、熱いものがこぼれ落ちた。

ずっと追い求めていた「失われた音」は、私の手の中にあったのだ。

第四章 新たなノイズの中で

PCの画面には、「送信完了」の文字が無機質に浮かんでいる。

私は、父が命懸けで残した政府の不正データを、全世界のサーバーへばら撒いた。

指先が氷のように冷たい。

心臓が肋骨を砕かんばかりに早鐘を打っている。

吐き気が止まらない。

明日、私は消されるかもしれない。

あるいは、社会全体がパニックという名の巨大なノイズに飲み込まれ、私を押し潰すかもしれない。

かつてない恐怖が、津波のように押し寄せる。

けれど、後悔はなかった。

ビルの屋上。

風が強い。

私はゆっくりと、長年身につけていたノイズキャンセリングヘッドホンを外した。

ゴオオオオオ……。

車の走行音、遠くのパトカーのサイレン、人々の怒号、誰かの笑い声、誰かの泣き声。

世界はこんなにもうるさく、乱暴で、そして鮮やかだったのか。

耳が痛い。頭が割れそうだ。

かつてないほどの音の奔流が、私の神経を逆撫でする。

そのすべてが、隠されることなく、ありのままに響いている。

私は柵に手をかけ、眼下に広がる混沌とした街を見下ろした。

無秩序なノイズの中に、確かな「変革」の音が混じっているのを、私は聴き取ることができた。

「……うるさいな」

私は小さく笑い、その騒がしい世界へ向かって、大きく息を吸い込んだ。

AIによる物語の考察

**登場人物の心理**
主人公・柊は、ノイズキャンセリングで過去のトラウマと社会の禁忌から耳を塞いできた。父の遺した「第八の音」を聴き、真実と向き合うことで、恐怖を克服。最終的にヘッドホンを外す行為は、自ら「ノイズ」となり社会に波紋を広げる決意と、精神的解放を象徴する。

**伏線の解説**
第一章の廃墟で聴こえた「カチ、カチ……ザリッ」という金属音と、第二章で柊が触れたオルゴールの「ガリッ、ガリッ……」という空回りする音は、父が命懸けで不正データを刻み込んだ場所を示唆する重要な伏線。社会が「音(真実)」を禁忌とする背景には、政府による情報統制と隠蔽があったことを暗示する。

**テーマ**
本作は、「沈黙は金、聴取は罪」という管理社会で、隠蔽された真実を暴く個人の勇気と犠牲を描く。主人公は、父が遺した「不協和音」を解読することで、情報統制下の社会の闇を暴き、変革の「ノイズ」を放つ。真実の探求、恐怖の克服、そして情報の自由と社会変革の可能性を力強く問いかける。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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