最果ての時計塔と、君のいない明日

最果ての時計塔と、君のいない明日

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第一章 錆びついた空の下で

目を開けると、そこは無限の歯車が噛み合う、鋼鉄の大地だった。

空には太陽の代わりに、巨大な振り子が揺れている。

「……ここは」

喉から出た声は、驚くほど張りがあった。

慌てて自分の手を見る。

ない。

昨日まで俺の指を覆っていた、醜い老人班も、関節の節くれも。

震え続けていた指先は、全盛期の職人のそれに戻っている。

「やっと目が覚めたのね、修理屋さん」

頭上から、鈴を転がしたような声が降ってきた。

見上げると、ガラクタの山の上に少女が座っている。

透き通るような銀髪。瞳は硝子細工。

けれど、その左腕は肘から先が欠損し、剥き出しの配線が火花を散らしていた。

「君は……」

「私はエル。この世界の案内人」

少女は軽やかに飛び降りると、俺の目の前にボロボロの懐中時計を突き出した。

「直して。これが動かないと、私の時間は永遠に止まったままなの」

その時計の裏蓋には、見覚えのあるイニシャルが刻まれていた。

『S & M』

俺と、三年前に亡くした妻のものだ。

第二章 凍りついた秒針

「知ってるわ。あなたが『直せる人』だってことも」

エルの案内で、俺たちはこの世界の中心にある『大時計塔』を目指した。

道中、彼女は楽しそうに歌う。

その旋律は、妻が台所でよく口ずさんでいた鼻歌と同じだった。

「なあ、エル」

「なあに?」

「この世界は、誰が作ったんだ?」

彼女は足を止め、寂しげに笑った。

「ここは『捨てられた時間』の墓場。誰かが後悔して、進むのを拒んだ時間が流れ着く場所よ」

心臓が早鐘を打つ。

妻が息を引き取ったあの日。

俺は工房にこもり、客の注文品を仕上げていた。

『あと少しで終わる』

その慢心が、最期の言葉を交わす機会を奪った。

俺は、自分の時間をあの日で止めてしまったのだ。

大時計塔の最上階。

そこには、部屋を埋め尽くすほどの巨大なメインスプリングがあった。

だが、それは赤黒い結晶に覆われ、完全に凍りついている。

「これが、あなたの後悔」

エルが呟く。

「これを動かせば、世界は再び時を刻み始める。でもね、ソウジロウ」

彼女は俺の頬に、冷たい硝子の指を添えた。

「時が動けば、この世界は消える。私も消える。あなたは、独りぼっちの現実に帰るのよ」

第三章 銀色の別れ

慣れ親しんだドライバーを握る。

若返った肉体は、思考より早く動いた。

赤黒い結晶を削り、錆を落とし、歪んだ歯車を調整する。

油の匂い。

金属が擦れる音。

それは俺が妻を放置して没頭し、そして最も愛した時間だった。

「……本当にいいの?」

エルの声が震えている。

「ここで暮らせば、あなたは若いままでいられる。私もずっと、あの子の代わりをしてあげられるのに」

俺の手が止まる。

エルは、妻の記憶から生まれた幻影なのかもしれない。

ここには苦痛も、老いも、孤独もない。

だが。

「代わりじゃ、駄目なんだ」

俺は最後のネジを回した。

「あいつは、俺が時計を直して客が喜ぶ顔を見るのが好きだった。『あなたの手は魔法使いみたい』って、笑うんだ」

カチリ。

小さな音が響き、巨大なスプリングが唸りを上げて回転を始めた。

ゴーン、ゴーンと、鐘の音が世界を揺らす。

エルの体が、足元から光の粒子になって崩れ始めた。

「……頑固な職人さん」

彼女は泣き笑いのような表情で、俺に抱きついた。

「行ってらっしゃい、あなた。晩御飯、冷めちゃうわよ」

その声は、完全に妻のものだった。

最終章 動き出す朝

消毒液の匂い。

重たい瞼を開けると、見慣れた天井があった。

「ソウジロウさん! 気がつきましたか!?」

看護師が駆け寄ってくる。

俺は、しわくちゃでシミだらけの自分の手を持ち上げた。

若さは消え失せ、節々は痛む。

「……夢、か」

サイドテーブルを見る。

そこには、修理を終えた客の時計と、妻の写真が飾られていた。

写真の中の彼女は、昨日の夜よりも少しだけ、優しく笑っている気がした。

窓の外から、朝日が差し込む。

「腹が、減ったな」

俺はベッドから身を起こした。

止まっていた時間が、ゆっくりと、けれど確かに動き出していた。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • ソウジロウ: 熟練の時計技師。現実では75歳の老人だが、異世界では全盛期の肉体を持つ。職人気質で口数は少ないが、亡き妻への愛と懺悔の念は深い。技術への誇りと、それが原因で妻を看取れなかった矛盾に苦しんでいる。
  • エル: 異世界の案内人。銀髪で、体の一部が機械化された少女。ソウジロウの妻(ミサキ)の若き日の面影と、妻が好きだった人形の要素が混在している。彼女の言葉は、ソウジロウ自身の内なる願望と、妻からの許しのメッセージを代弁する役割を持つ。

【考察】

  • 歯車と錆のメタファー: 本作における「錆びついた歯車」は、ソウジロウの「止まった時間」と「後悔」を象徴している。彼がそれを磨き、修理する行為は、単なる作業ではなく、自身の過去と向き合い、妻の死を精神的に乗り越えるための儀式(グリーフケア)として機能している。
  • 「代わり」の拒絶: エルが「妻の代わり」を提案した際、ソウジロウがそれを拒絶するシーンは、彼が「心地よい逃避(異世界)」よりも「痛みを伴う現実」を選んだ決定的な瞬間である。これは、喪失を受け入れた人間だけが得られる強さを描いている。
  • ラストシーンの救済: 現実に戻った彼の手は再び老いているが、精神的な「錆」は落ちている。「腹が減った」という結びの言葉は、死に向かっていた意識が、再び「生」に向かい始めたことを示唆する、ささやかだが力強い再生の描写である。
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