第一章 鉄の墓標
「吐きそうだ」
カエルは呻き、湿った壁に背中を預けた。
そこは「壁」というより、何層にも塗り固められた樹脂と金属の積層面だった。地下五百メートル。地表の太陽が届かぬこの場所は、カビと錆、そして微かに焦げた油の臭いが充満している。
「情けないですね、探掘家(ダイバー)でしょう?」
涼やかな声が闇に響く。
青白い燐光苔(ルミネモス)の明かりに照らされたのは、白銀の法衣を泥で汚した少女、エララだった。彼女の手には、先端にクリスタルを嵌め込んだ杖――現代では『聖遺物』と呼ばれるエネルギー増幅器が握られている。
「閉所恐怖症なんだよ。……それに、ここにあるのは『霊気』じゃない。もっと質の悪い、病んだ光だ」
カエルは右目を覆っていた革の眼帯をずらした。
彼の右目、瞳孔が縦に割れたその瞳は、常人には見えない『回路』を視る。
壁の奥、床の下、天井の裏。かつてこの星を支配した『古代の神々』が張り巡らせた、血管のようなエネルギーライン。それらは死してなお微弱な脈動を続けている。
「病んだ光? ここは聖域ですよ。神代の知恵が眠る場所です」
「ああ、そうだな。神様ってのは随分と配線(ケーブル)が好きだったらしい」
カエルは皮肉を吐きながら、腰のツールポーチからバールのような工具を取り出した。
彼の才能は、この『視る力』だけではない。死んだ機械の言葉を理解し、その急所を突くこと。
「行くぞ、エララ。この先だ。とびきり太い血管が通ってる」
「血管……貴方のその表現、いつ聞いても冒涜的ですわ」
二人は暗闇の回廊を進む。
足元には、かつて人々を運んだという『鉄の箱』の残骸が散らばっている。長い年月で原形を留めていないが、カエルの目には、それが整然と並ぶ座席を持っていたことがわかった。
ここは墓場だ。
かつて文明と呼ばれたものの、巨大な死体袋の中に、自分たちはいる。
第二章 眠れる守護者
広大なホールに出た。
天井は遥か高く、そこから垂れ下がる無数のケーブルが、まるでジャングルの蔦のように絡み合っている。
「綺麗……」
エララが感嘆の声を漏らした。
ホールの中心、祭壇のような高台に、淡い青色の光を放つ立方体が浮いていた。
「あれが『神の心臓』……! 教典にあった通りです。あれさえ持ち帰れば、街の結界をあと十年は維持できる!」
エララが駆け出そうとする。
「待て! 動くな!」
カエルの叫びは遅かった。
エララが一歩踏み出した瞬間、床のタイルが赤く明滅する。
『――侵入者検知。排除モード起動――』
無機質な声が空間そのものから響いた。
ズズズ、と重低音が鳴り響き、壁の一部が剥がれ落ちる。現れたのは、六本の脚を持つ黒鉄の蜘蛛。
自動防衛機動兵器(オートマタ)。
その単眼が赤く輝き、エララを捉えた。
「ひっ……!」
「下がってろ、聖女様!」
カエルは前に飛び出しながら、懐から掌サイズの金属球を取り出した。
蜘蛛の前脚が唸りを上げて振り下ろされる。石の床が砕け、破片がカエルの頬を切り裂く。
「速いな、畜生!」
カエルは右目で蜘蛛を見る。
その装甲の下、エネルギーが流れる主要回路。心臓部にあたるバッテリー。そして、信号を受信するアンテナ。
(そこか)
カエルは金属球のピンを抜き、蜘蛛の足元へと転がした。
「エララ、詠唱だ! 雷撃(ボルト)を!」
「えっ、でも、私の魔力じゃあの装甲は……」
「いいから撃て! 今すぐに!」
カエルの剣幕に押され、エララは杖を掲げた。
「――轟け、天の怒り!」
杖の先から放たれた電撃は、本来なら蜘蛛の装甲に弾かれる程度のものだった。
だが、その瞬間、カエルが投げた金属球が作動した。
『ジャミング・グレネード』。
古代の遺物の中でも、特にカエルが愛用する『神殺しの道具』。強力なノイズを撒き散らし、一瞬だけ機械の防壁(シールド)を無効化する。
バチバチバチッ!
ノイズに晒された蜘蛛が硬直し、その隙間にエララの雷撃が吸い込まれた。
過負荷。
蜘蛛の内部で回路が焼き切れ、ショートした火花が噴き出す。
『――システム、損壊。再起動……不可……』
巨体はガクンと膝を折り、煙を上げて沈黙した。
「はぁ、はぁ……」
エララがへたり込む。
「やりました……私の魔法が、通じた……?」
「ああ、いい腕だったよ。タイミングだけはな」
カエルは冷や汗を拭いながら、沈黙した蜘蛛の脇を通り抜けた。
第三章 禁忌の祭壇
祭壇へ続く階段を登る。
近づくにつれ、カエルの右目が激しく疼いた。
(光が強すぎる……)
立方体から溢れる光の奔流。それは『魔力』などという生易しいものではない。膨大な情報と、制御された電子の嵐だ。
カエルは祭壇の前に立った。
そこには、一枚のガラス板――コンソールパネルが斜めに設置されていた。
「これが、神の祭壇……」
エララが祈るように手を組む。
カエルはパネルに触れた。指先に冷たい感触。
ホログラムが空中に投影され、文字列が流れる。
それは、現代の言語とは異なる、角ばった記号の羅列。
だが、カエルには読めた。彼の家系が代々隠し持ってきた『翻訳辞書(ロゼッタ)』の知識が、脳内で意味を変換していく。
『――テラフォーミング・プロジェクト。フェーズ4「魔導環境」維持限界到達――』
『――環境再生システム「ガイア」。再起動待機中――』
カエルは息を飲んだ。
「どうしたのです、カエル? 神の心臓を持ち帰りましょう。これで皆が救われます」
「……持ち帰れない」
「え?」
「これは『心臓』じゃない。鍵だ」
カエルは震える指でコンソールを操作した。
画面に表示されたのは、この星の真実。
数千年前、環境汚染により滅びかけた人類は、ナノマシンによる大気浄化システムを構築した。そのナノマシンこそが、現代で『魔力』や『精霊』と呼ばれているものの正体。
そして、人類が魔法を使えるのは、大気中のナノマシンにアクセス権限(ギフト)を与えられているからに過ぎない。
だが、システムは限界を迎えていた。
『フィルター交換および、コアシステムの完全初期化(リブート)を推奨』
初期化。
それは、大気中に散布されたナノマシンを一度全て回収し、再構築することを意味する。
つまり。
「魔法が、消える」
カエルは呟いた。
「何を言っているのですか?」
「エララ、よく聞け。これを操作すれば、街の結界を維持するどころか、世界中の魔法が使えなくなる。お前の治癒魔法も、俺のこの目も、全てだ」
「な……」
エララの顔から血の気が引いた。
「そんな、嘘でしょう? 神様がそんな残酷なことを……」
「神様なんていないんだよ。ここにいるのは、責任を取りきれずに眠っちまった、ただの人間(エンジニア)の幽霊だ」
カエルはコンソールの『YES/NO』の表示を見つめた。
このまま放置すれば、いずれシステムは崩壊し、汚染された大気が世界を覆う。人類は緩やかに滅びる。
だが、ボタンを押せば、魔法というインフラを失った文明は大混乱に陥るだろう。
「やめて! 触らないで!」
エララがカエルの腕を掴んだ。
「魔法がなくなったら、どうやって魔獣から身を守るの? 病気の人たちは? 暗闇の中でどうやって暮らすの!?」
「……その代わり、空が晴れる」
「え?」
カエルは天井を指差した。
「このシステムが浄化を完了させれば、厚い雲が晴れて、本物の太陽が見えるようになる。そう書いてある」
「太陽なんて……お伽話でしょう?」
「お伽話にするかどうかは、今、俺たちが決めるんだ」
最終章 最後の祈り
カエルの手は汗で滑った。
視界の端で、エララが泣き崩れているのが見える。彼女の信仰、彼女の人生、その全てを否定する決断。
(俺は、どうしたい?)
閉所恐怖症のカエルはずっと願っていた。この圧迫感のある、天井に塞がれた世界から抜け出したいと。
魔法という名の欺瞞(ウソ)で塗り固められた、薄暗い箱庭。
「エララ。俺はな、ずっと見たかったんだ」
「……何を?」
「星を」
カエルは右目を閉じた。
回路を視る必要はもうない。これからは、ありのままの世界を見るのだ。
彼は指先に力を込めた。
『ENTER』。
その瞬間、地下遺跡全体が激しく振動した。
祭壇の光が赤から白へ、そして透明な輝きへと変わっていく。
『――システム・リブート承認。全ナノマシンの回収を開始します――』
エララの杖から、クリスタルの輝きが消えた。
カエルの右目から、走るような痛みが引いていく。視界から、あの煩わしい光の線が消え失せた。
「明かりが……消える……」
エララが怯えたように呟く。
燐光苔の光さえも弱まり、世界は完全な闇に包まれようとしていた。
だが。
ブゥン……という低い唸りと共に、頭上で何かが目覚めた。
パッ、パッ、パッ。
回廊の天井に埋め込まれていた、ガラスの管に光が灯る。
それは魔法の光ではない。
フィラメントが焼き付き、電子が駆け巡る、物理的な電気の明かり。
「眩しい……」
エララが目を細めた。
遺跡だけではない。地上の換気塔が唸りを上げ、数千年ぶりに汚染された雲を吹き飛ばし始めていた。
モニターには、地上のカメラ映像が映し出される。
分厚い雲の切れ間から、突き刺さるような黄金色の光が降り注いでいた。
「あれが……太陽……?」
エララが画面に魅入る。
「ああ。神様の奇跡なんかより、ずっと熱くて、眩しいな」
カエルは空っぽになったツールポーチを叩いた。
魔法は消えた。
これからは、剣と魔法の時代ではない。
知恵と、技術と、人間の時代が始まる。
「行こうか、エララ。新しい仕事(クエスト)の時間だ」
カエルは、錆びついた神々の庭に背を向け、白く輝く出口へと歩き出した。
もはや、閉塞感はどこにもなかった。