第一章 底辺の3人
「あー、テステス。聞こえてますかー?」
スマホの画面に向かって、俺は作り笑いを浮かべる。
暗い。
臭い。
ジメジメしている。
ここは新宿駅地下、旧丸ノ内線ホーム跡に発生した『Dランク・ダンジョン』だ。
画面の右上の数字を見る。
『同接:3』
「……はは、今日も厳しいなぁ」
俺、佐藤健治(さとうけんじ)。32歳。
先月、リストラされた。
再就職先は見つからず、退職金をつぎ込んで探索者装備とGoProを買った。
今の俺は『探索者ライバー』だ。
底辺だけどな。
『> 草』
『> おっさん画角ゆがんでるぞ』
『> 早くモンスター探せよ』
流れるコメントは3件だけ。
ため息を押し殺し、俺は自撮り棒を握り直す。
「ごめんごめん! さあ、今日は奥まで行っちゃうよー! スパチャくれたら、あの『スライム溜まり』にダイブしちゃうかも!?」
テンションを無理やり上げる。
喉が渇く。
恐怖で足が震えているのがバレないよう、大げさに歩いた。
湿ったコンクリートの壁。
蛍光灯はとうの昔に砕け散り、頼りはヘルメットのライトと、スマホのバックライトだけ。
カサカサッ。
異音がした。
心臓が跳ねる。
「お? 何かいたか?」
カメラを振る。
闇の奥から、ギラリと光る二つの目。
『コボルト』だ。
犬の顔をした小鬼。錆びたナイフを持っている。
「で、出たぁあああ! コボルトだああ!」
俺は叫んだ。
演技じゃない。
マジで怖い。
『> きたきた』
『> 逃げんなよ』
『> 画質悪い』
同接が『15』に増えた。
人の不幸と争いは、蜜の味がするらしい。
コボルトが低い唸り声を上げ、飛びかかってくる。
俺は反射的に腰の安物ショートソードを抜いた。
キンッ!
火花が散る。
重い衝撃が手首に走る。
「ぐっ……つ、強い!」
嘘だ。Dランクのコボルトなんて、本来は雑魚だ。
でも、俺はただの元営業職。
剣なんて振ったこともない。
ザシュッ。
「あぐっ!?」
脇腹をかすめられた。
熱い。
焼けるような痛みが走る。
「い、痛ってぇええ!」
鮮血が飛び散り、スマホのレンズに付着する。
画面が赤く滲む。
その瞬間だった。
ピロン♪
『¥500 Naisesu: もっと血を見せろ』
『¥1,000 Kirito_Fake: いてええええw』
投げ銭(スーパーチャット)の音が鳴り響く。
同接の数字が跳ね上がる。
『同接:120』
脳内で何かが弾けた。
痛い。
死にそうだ。
なのに。
(金が……入った……?)
俺の血の値段。
俺の悲鳴の対価。
「あ……はは、ありがとうございます! ナイスパです!」
俺は血を流しながら、画面に向かってピースサインを作った。
第二章 遅延する世界(ラグ・フレーム)
俺には、秘密がある。
誰にも言っていない、奇妙な感覚だ。
コボルトが再度、ナイフを振り上げる。
その瞬間、俺の視界が『ズレ』た。
まるで回線の悪いオンラインゲームのように、世界が一瞬止まる。
そして、次の瞬間にはコボルトのナイフの軌道が『赤い線』として視界に焼き付いて見える。
俺はそれを『ラグ』と呼んでいる。
(右、斜め上からの斬撃。到達まで0.5秒)
思考が加速する。
身体は恐怖で竦んでいるのに、脳だけが冷え切っている。
避けるんじゃない。
(視聴者が求めているのは、ギリギリの攻防だ)
俺は一歩だけ引いた。
ヒュンッ。
鼻先数センチを、錆びた刃が通過する。
風圧で前髪が揺れる。
「うわあああ! 危ねええええ!」
わざとらしく尻餅をつく。
『> 今のかわした!?』
『> まぐれ乙』
『> 神回避w』
『> ¥2,000 Sniper: 運ゲーすぎて草』
同接『450』。
(見える……見えるぞ……!)
コボルトの動きが、コマ送りのように予測できる。
俺の才能。
いや、これは多分、脳の処理落ちだ。
過度のストレスと承認欲求がバグを起こして、未来予測に近い演算をしているんだ。
「まだまだぁ! 俺は負けないぞぉおお!」
俺は立ち上がり、剣を構え直す。
コボルトが苛立ち、連続攻撃を仕掛けてくる。
すべて『赤い線』で見える。
左にかわして、カメラ目線。
しゃがんで避けて、コメント確認。
「みんな、見ててくれ! この一撃に人生賭けるから!」
大きく振りかぶる。
隙だらけの構え。
コボルトが胴体がら空きの俺に突っ込んでくる。
(今だ)
俺は『ラグ』の中で、あえて半歩踏み込んだ。
ドスッ。
「がっ……!」
左肩にナイフが突き刺さる。
激痛。
骨が軋む音。
だが、それこそが狙い。
「うおおおおおおお!!」
相手のナイフを肉で受け止め、動きを止めた。
至近距離。
俺のショートソードが、コボルトの喉元を捉える。
「死ねぇえええええ!!」
突き刺す。
肉を裂く感触。
コボルトが痙攣し、光の粒子となって消滅した。
残ったのは、肩から血を流して荒い息を吐くおっさんと、魔石が一つ。
静寂。
そして、スマホが爆発的な通知音を奏で始めた。
『¥10,000 GODO: やべえええええ!』
『¥50,000 OilKing: 命張りすぎだろwww』
『¥1,500 CatLover: 通報したほうがいい?』
同接『5,000』突破。
「はぁ……はぁ……やった……勝ったぞぉおお!!」
血まみれの顔で、俺は笑った。
アドレナリンが痛みを麻痺させている。
(もっとだ……もっと強い敵を……もっと痛みを……!)
画面の向こうの数字が、俺の生命維持装置になっていた。
第三章 視聴者という名の魔物
あれから一ヶ月。
俺のチャンネル『ケンジの特攻ダンジョン』は、登録者数10万人を超えていた。
今日の配信場所は、Bランク・ダンジョン『渋谷地下迷宮』。
「はいどーもー! ケンジです! 今日はなんと、あの中層ボス『ミノタウロス』にソロで挑みたいと思いまーす!」
『> 自殺志願者乙』
『> 装備更新した?』
『> 前回指飛びかけたのにもう復帰かよ』
『> 遺書書いた?』
同接は開始早々『30,000』人。
俺の装備は、相変わらず軽装だ。
防御力を上げすぎると「ハラハラしない」と視聴者が減るからだ。
身体中、傷だらけ。
治癒ポーションの過剰摂取で、最近味覚がない。
でも、やめられない。
(あの数字が……俺を肯定してくれる)
広場に出る。
巨大な斧を持った牛頭の巨人が、俺を見下ろしていた。
「グルルルルル……」
咆哮だけで空気が震える。
「で、でけぇえええ! でも、みんなの応援があれば勝てる! そうだよな!?」
コメントが加速する。
『> 行け!』
『> 殺れ!』
『> ¥100,000 RichBoy: 腕一本で10万出すわ』
(腕一本で、10万……)
安いのか高いのか、もう分からない。
戦闘開始。
ミノタウロスの斧が振り下ろされる。
地面が砕け、破片が弾丸のように飛んでくる。
俺の『ラグ』は、もう常時発動していた。
世界がコマ送りに見える。
避ける。
切る。
避ける。
切る。
地味だ。
『> 飽きた』
『> 動き悪いな』
『> もっと近づけよ』
同接が少し減る。
『28,000』。
焦りが生まれる。
減るな。
俺を見ろ。
俺から目を離すな。
(被弾しなきゃ……盛り上がらない……!)
俺は、見えるはずの斧の軌道に、あえて左足を差し出した。
グシャッ。
「ぎゃああああああああ!!!」
骨が砕ける音は、マイクを通して鮮明に配信された。
激痛で意識が飛びそうになる。
でも、スマホを見る。
同接『80,000』。
スパチャの嵐。
「あがっ、あああ! 足が、足があああ!」
這いつくばる俺。
迫るミノタウロス。
絶体絶命。
これが、最高級のエンターテインメント。
『> ¥500,000 SponsorA: 神回確定』
『> ¥1,000,000 Unknown: 殺せ』
「殺せ」?
誰を?
俺を? それとも牛を?
意識が霞む中で、俺は奇妙な光景を見た。
スマホの画面から、黒いモヤのようなものが溢れ出している。
それは視聴者のコメント、悪意、興奮、欲望。
そのモヤが、ミノタウロスに吸い込まれていく。
牛の筋肉が膨張し、目が赤く輝く。
(ああ……そうか……)
気づいてしまった。
ダンジョンのモンスターを強くしているのは、魔力じゃない。
こいつらの『視線』だ。
見られれば見られるほど、怪物は強くなる。
そして俺は、その怪物を育てるための『餌』だ。
「ふ、ふふ……」
笑いがこみ上げてくる。
「おい、お前ら……もっと寄越せよ……!」
俺は血を吐きながら、壊れた足で立ち上がった。
「もっと興奮しろ! もっと煽れ! 俺の命を消費しろぉおお!!」
ポーションを一気飲みする。
致死量ギリギリのドーピング。
『ラグ』の世界が完全に停止する。
俺は、止まった時の中で、ミノタウロスの懐に潜り込んだ。
最終章 バズ・エンド
剣を突き立てたまま、俺とミノタウロスは倒れ込んだ。
牛の巨体は消滅し、俺だけが残った。
『同接:1,200,000』
国内記録更新。
トレンド1位『ケンジ死亡』。
「はぁ……はぁ……」
仰向けになり、天井を見上げる。
スマホはまだ生きている。
『> 生きてる?』
『> レジェンドだわ』
『> 次は? 次どこ行くの?』
『> Sランク行こうぜ』
止まらない要求。
終わらない渇望。
俺の身体はもうボロボロだ。
足は動かない。
目も霞んでいる。
なのに、不思議と恐怖はない。
画面の向こうの120万人が、俺の中に流れ込んでくる感覚。
(俺は、空っぽだった)
仕事もない。
家族もいない。
趣味もない。
でも今、俺は120万人分の欲望で満たされている。
ズズズ……。
身体の奥底から、力が湧いてくる。
傷が塞がっていく。
いや、皮膚が硬化していく。
俺の肌が、ドス黒い、岩のような質感に変わっていく。
「あ……れ……?」
スマホを持つ手が、鋭い爪に変わっている。
『> え?』
『> 演出?』
『> CGすごくね?』
『> おい、なんかヤバくないか』
コメント欄がざわつく。
俺は理解した。
承認欲求の成れの果て。
他人の欲望を喰らいすぎた人間は、どうなるのか。
「みんな……見てる……?」
声が、獣のように低い。
「もっと見てくれ……俺を……俺だけを……」
俺はスマホを握りつぶした。
プツン。
配信が途切れる。
暗闇。
でも、俺には見える。
闇の奥から、新しい『探索者』たちがやってくるのが。
ライトの光。
怯える顔。
そして、彼らが持っているスマホの画面。
あそこにも、視聴者がいる。
俺は立ち上がった。
新しい『Bランク・ダンジョン主(ボス)』として、彼らを歓迎するために。
(ようこそ、俺の配信へ)
俺は咆哮を上げた。
それはかつてないほどの『いいね』を渇望する、悲しき怪物の叫びだった。