勇者パーティを追放されたメンテナンス係、王都の心臓を止める

勇者パーティを追放されたメンテナンス係、王都の心臓を止める

主な登場人物

アトラス・ギアボルト
アトラス・ギアボルト
24歳 / 男性
油とインクで汚れた作業着、片眼鏡(モノクル)、猫背気味だが手先は極めて綺麗。
レオン・スターライト
レオン・スターライト
22歳 / 男性
煌びやかな黄金の鎧、整った顔立ちだが、常に人を見下す目つき。
ミミ・スクラップ
ミミ・スクラップ
15歳 / 女性
ボロボロのポンチョ、大きなゴーグル、煤けた頬、赤毛のショートヘア。
7 4630 文字 読了目安: 約9分
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第1章: 静寂の音

王都の地下に眠る、巨大な獣。

アトラス・ギアボルトの確信。耳を澄ませば、配管を流れる魔力液の脈動が、規則正しい心音となって鼓膜を叩く。油とインクの染みが地図のように広がった作業着。そこから伸びる手は、数多の工具を握り続けてきた証――硬く、節くれ立っていた。鼻梁に乗せた片眼鏡(モノクル)の位置を人差し指で直し、黒髪に混じった白髪の房を払う。二十四歳にしては深すぎる目の下の隈。それが彼の視界を、常に薄暗く縁取っていた。

「聞こえたか? 今の不協和音を」

誰に言うでもない呟き。回されるレンチ。だが、背後から響いたのは機械の駆動音ではなく、嘲笑を含んだ足音。

「相変わらず薄汚いな、アトラス。王城の美観を損ねるゴミ虫め」

振り返れば、そこには黄金そのもの。レオン・スターライト。勇者の称号を持つ男は、磨き上げられた鏡面装甲に地下室の貧相なランプを反射させ、眩い光の塊となってアトラスを見下ろしている。その碧眼に宿る、冷たい光。他者を生物として認識していない眼差し。

「予算委員会で決まった」革の手袋を噛み合わせる音。「お前のポストは廃止だ。ただ配管を眺めるだけの仕事に、我が国は金貨を払いすぎている」

「……配管ではありません。大動脈です」アトラスの淡々とした返し。「私が調整しなければ、三日で循環不全を起こします」

「ハッ! 魔導炉は全自動だ。貴様のような整備工が神聖なシステムに触れること自体、不敬なのだよ」

結ばれる唇。弁解の言葉を嚥下し、胃の腑に残る鉛のような重み。彼は無言で工具箱を閉じた。カチン。あまりに虚しく地下空間に響く金属音。

「わかりました。……鍵は置いていきます」

背を向け、出口へと歩き出すアトラス。背後で勇者が「二度とその薄汚い顔を見せるな」と喚いている。だが、アトラスの意識はすでに別の場所へ。

重い鉄扉を開け、地上への階段に足をかけたその瞬間。

――プツン。

世界からの、音の消失。

いや、鳥のさえずりや風の音はある。だが、アトラスの鼓膜を常に震わせていた、あの重低音――都市の「呼吸音」の停止。地下深くで唸りを上げていた循環ポンプの同期が、彼という指揮者を失った瞬間に崩壊したのだ。

王都の人々はまだ、笑いながら市場を歩いている。石畳の下で、血流が逆流し始めたことにも気づかずに。

一度だけの振り返り。王城の尖塔が、墓標のように蒼穹を突き刺している。

「心停止ですね」

片眼鏡を外し、胸ポケットへ。静かな決別だった。

第2章: 泥の中の黄金

王都を追われて七日目。辿り着いたのは、地図からも抹消された辺境の廃棄指定区画。

視界を埋め尽くす、紫色の粘液質。鼻腔を突く刺激臭に、思わず袖で口元を覆う。腐った卵と焦げた鉄。大気に充満する悪臭。生物の居住を拒む死の世界、通称「毒の沼地」。

「誰か……いますか?」

廃材を積み上げただけの粗末な小屋。その陰から顔を覗かせた一人の少女。

錆びた鉄屑のような赤毛は無造作に短く刈り込まれ、顔の半分を覆う巨大なゴーグルが、彼女の怯えきった眼差しを強調している。ボロボロのポンチョは泥に塗れ、その裾を握りしめる指先は白く変色していた。ミミと呼ばれたその少女。アトラスの姿を見るや、小動物のように肩を震わせる。

「す、捨てに来たの……? ここは、ゴミ捨て場だから……」

硝子の破片を踏むような、痛々しさを孕んだ声。

アトラスは少女を無視し、沼の淵に跪いた。紫色の液体を指ですくい、鼻へ。指先の痺れ。普通の人間なら毒と断じて逃げ出すだろう。だが、アトラスの片眼鏡の奥、収縮する瞳孔。

「……純度90%」

震える手で、懐から取り出す一本の鉄杭。

これは毒ではない。管理されず、行き場を失って腐敗した、高濃度の液体魔力。王都が垂れ流した余剰エネルギーの澱み。

「計算が合いませんね。こんな宝の山を、ドブとして放置するなんて」

打ち込まれる三箇所の鉄杭。ハンマーを振るうたび、泥水が作業着に跳ねるが、瞬き一つしない。頭の中に浮かぶ、複雑怪奇な回路図。青白い発光。

詰まり。滞り。ねじれた血管。

宙を舞う指先。編み上げられる、即興の魔導術式。

「接続(コネクト)。バイパス形成」

最後の杭を打ち込んだ瞬間、轟音と共に揺れる大地。

渦を巻く紫色の沼。中心への吸引。泥の底から噴き出す、眩いばかりの蒼い光。濾過され、清浄なエネルギーとなって循環を始める魔力。消え去る悪臭。満ちるオゾンと雨上がりの匂い。

「う、わぁ……!」

ずらされたゴーグル。見開かれたミミの目。

死の沼だった場所に流れる、宝石を溶かしたような蒼い水路。その輝きが枯れ木のような彼女の頬を優しく照らす。

「な、直った……? 壊れてたのに、直ったの?」

「直していません。ただ、詰まりを通しただけです」

無造作に拭われる汚れた手。整備されたシステムが奏でる、規則正しい駆動音。その心地よいリズムに、アトラスの強張っていた肩の力がようやく抜けた。

第3章: 略奪者の論理

平穏を破る暴力。

王都の機能不全――風呂の水が沸かず、照明が点滅し、防御結界が霧散した――への苛立ち。魔力反応を辿り、この村に現れたレオンたち。

「見つけたぞ、ドブネズミ」

村の広場に舞う土煙。煤けた黄金の鎧。かつての輝きはない。だが、その手にある聖剣だけが放つ不気味な赤光。

背後には、縛り上げられたミミの姿。腫れ上がった頬。割れたゴーグルのレンズ。

「ミミ!」駆け寄ろうとするアトラス。だが、地面に突き立てられた剣の衝撃波に吹き飛ばされる。

「我々が困っている時に、貴様はこんな場所で魔力を独占していたのか? 盗っ人猛々しい!」

押し入られた小屋。なぎ払われた机の上のもの。割れたインク瓶。広がる黒いシミ。そして、レオンの手に握られた一枚の古びた図面。アトラスの亡き師匠が遺した、未完の「永久循環機関」の設計図。

「返せ……! それは、私の……!」

泥の中を這うアトラス。爪の間に食い込む土。レオンの足元へすがりつく。

「こんな紙切れが何になる?」

嗤うレオン。指先から生み出される小さな火球。

炎が、乾燥した紙に食いつく。

師匠の筆跡。数多の書き込み。アトラスが夜を徹して引いた補助線。チリチリと音を立て、黒い灰へと変わっていく記憶。

「ああ、あああ……!」

喉から漏れる空気の音。

燃える世界。

大切なものが、理不尽な暴力によって、ただの炭素の塊に還っていく。

猿轡の下で叫ぶミミ。踏みつけられるアトラスの頭。頭蓋がきしむ音。口いっぱいに広がる泥の味。

「技術など、力の前では紙屑だ。さあ、この浄化装置の制御権を渡せ。そうすれば、この小汚いガキの命だけは助けてやる」

冷たい泥の中、赤く明滅する視界。

耳鳴りのように響く脈拍。

効率? 数値? そんなものはどうでもいい。

踏みつけられた泥の中で、低く、獣のような唸りが漏れた。

第4章: 都市そのものが武器

「……メンテナンスは」

アトラスの口から漏れた、掠れた囁き。

「あ? 命乞いか?」踏みつける力が増す。

「お前のその鎧、その剣……前回のメンテナンスは、いつだと言っているんです!!」

咆哮。その声の圧に、一瞬たじろぎ、浮く足。

逃さぬ隙。泥まみれの手で叩かれる大地。いや、接続(ジャック)。

この一帯に張り巡らせた魔力パイプ、その全てが彼の手足となる。

「認証コード確認。管理者権限(アドミニストレーター)、アトラス・ギアボルト」

右腕に浮かび上がる青白い幾何学模様。皮膚の下、血管が焼き切れそうなほどの熱。発光。

「お前たちが振るっているその力、誰が管理していたと思っている? 僕だ。僕が最適化して、安全装置をかけて、馬鹿でも扱えるように出力を絞っていたんだよ!」

開かれる五指。同時に、レオンの聖剣から消える赤い光。

ドスッ。響く鈍い音。

魔力補助を失った聖剣は、ただの数十キロの鉄塊。レオンの手から滑り落ち、地面にめり込んだ。

「な、なんだ!? 剣が、重い……!?」

「鎧もだ」

弾かれる指。

ガシャン!

折れる膝。自動姿勢制御と重量軽減の術式、切断。総重量八十キロの黄金装甲は、ただの拘束具となって彼を地面に縫い止める。

「う、動かん! 貴様、何をした!」

「契約解除です。君たちの力は、僕が貸していた『レンタル品』に過ぎない」

立ち上がるアトラス。泥だらけの作業着、ボサボサの髪、血走った目。だが、その姿は王都の誰よりも、破壊的なまでの威圧感を放っていた。

「ミミを離せ。さもなくば、このエリアの全魔力を逆流(バックドラフト)させる」

唸りを上げる地面。

先ほどまで清浄な水を流していた水路、今は怒り狂う龍のように白濁し、バチバチと放電を始めている。

「ふ、ふざけるな! そんなことをすれば、貴様もただでは済まんぞ!」

「計算済みだ。僕の右腕一本で、お釣りが来る」

限界を超えた魔力負荷。赤熱する右腕。焦げる袖、炭化していく皮膚の臭い。脳髄を焼く激痛。だが、彼は笑っていた。歯をむき出しにして、獰猛に。

「食らえ、これが『雑用係』の仕事だぁぁぁッ!!」

第5章: 新たな心臓

閃光。世界が白く染まる。

大地から噴出した魔力の濁流。それは物理的な衝撃波となり、レオンたちを襲う。しかし、巧みな制御。ミミのいる場所だけが、台風の目のように静寂を保っていた。

「うわあああああッ!」

鎧の重さに縛られたまま、泥流に飲まれるレオンたち。村の外へと無様に押し流されていく。遠ざかる悲鳴。やがて、無音へ。

戻る静寂。

だが、先ほどまでとは違う。熱を持った、生きた静寂だ。

「……ッ、ぐぅ……」

その場に崩れ落ちるアトラス。

右腕の感覚消失。肘から先が黒く炭化し、神経も回路も完全に焼き切れている。もはや、二度と動くことはないだろう。

「アトラス!」

泥を跳ね上げて駆け寄ってくるミミ。溢れる大粒の涙。煤けた頬に作る筋。

「腕、腕が……! あたしのせいで……!」

「泣くな。……うるさい」

残った左手で、ミミの頭を乱暴に撫でる。

激痛はある。失ったものは大きい。師の図面も、自分の腕も。

だが、顔を上げると、そこには光。

暴走させた魔力は、アトラスの最後の調整によって安定していた。村全体を包む巨大なドーム状の結界への変化。外界の干渉を拒絶し、内部に無限のエネルギーを供給する、完全な循環システム。

「綺麗……」

空を見上げて呟くミミ。

王都の方角は、黒い雲に覆われ、沈黙している。インフラが崩壊し、闇に閉ざされたのだろう。

対照的に、この辺境の地には、暖かく、力強い光が灯り続けている。誰にも支配されず、誰の許可も必要としない、独立した「心臓」。それが今ここで、鼓動を始めたのだ。

「計算とは、違う結果になりましたが」

動かない右腕を見つめ、自嘲気味に口の端を吊り上げる。

不思議と、後悔はなかった。

左手で胸ポケットから折れたペンを取り出し、地面の泥の上に新しい線を引く。

「さあ、始めましょうか。新しい都市の設計を」

その瞳に宿る、かつてないほど鮮やかな理知の光。

クライマックスの情景

AI物語分析

【物語の考察:不可視の血流】

本作の根底にあるのは「インフラ=血流」というメタファーである。アトラスが聴く「音」は、都市という巨大な有機体の心音に他ならない。勇者レオンが象徴するのは「表面的な栄光」や「装飾」であり、彼らは土台たる血管(配管)を軽視したことで、文字通り循環不全(壊死)を招く。対してアトラスは、汚泥の中にこそ価値(純度90%の魔力)を見出す。これは「社会を支える不可視の労働」への賛歌であり、真の王権は剣を持つ者ではなく、システムを理解し維持する者に宿るという痛烈な皮肉を含んでいる。

【メタファーの解説:右腕の喪失】

クライマックスで失われるアトラスの右腕は、「過去の技術体系(師の図面)」との決別を意味する。彼は既存のシステム(王都)を維持する手ではなく、自らの身を削って新たな循環(結界)を生み出す手を選んだ。炭化した腕は、彼が単なる整備士から「創造主」へと変貌するための代償であり、泥の上に左手で引く新たな設計図は、既存の権威に頼らない独立国家の萌芽を暗示している。

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