第1章: 屑鉄の墓標
「悪いな、レオ。お前、レアドロップより重いんだわ」
乾いた破砕音。湿った洞窟の反響。
右足に走る熱と、脳髄を突き上げる激痛。喉の奥で悲鳴を噛み殺し、地面を転がる。泥と油に塗れた作業着が、冷たい岩肌に擦れる感触。ガムテープで固定した肩当てが、無様に音を立てて外れた。
長く伸びた前髪の隙間。そこから見える世界は、残酷なほど斜めに切り取られていた。
視界の先、ダンジョンの薄闇を切り裂く白銀の輝き。
豪徳寺リョウジ。完璧にセットされた金髪が、ヘッドライトの逆光を受けて光輪の如く揺らめく。端正な顔立ちに浮かぶのは、害虫を見るような侮蔑。そしてカメラに向けられた、作り物の哀れみ。
「視聴者のみんなも見てるだろ? 俺たちは助けようとした。でも、こいつが足を滑らせて……あー、クソ。ボスのヘイト買っちまったみたいだ」
リョウジの背後、羽虫のような駆動音を立てる小型ドローン。赤い録画ランプが、俺の「事故死」を世界中へ配信するための瞳のように瞬く。
「待っ……リョウジ、さん。俺は、まだ」
肺から空気が漏れる。言葉が形にならない。這いずろうとする指先が、地面の泥を虚しく掻くだけ。爪の間に入り込む砂利の感触。血の気が引いていくのがわかる。不健康に白い自分の腕、まるで死人のそれ。
「じゃあな。囮役、ご苦労さん」
踵を返すリョウジ。マントの裾が風を切り、俺の顔に砂を浴びせる。遠ざかる足音。笑い声。そして、背後の暗闇から響く、重油を煮詰めたような獣の唸り。
巨大な影が、俺の上に覆いかぶさる。
残されたのはドローン一機。俺が食い殺される瞬間を特等席で撮るために。
流れるコメント欄。
『荷物持ち乙w』
『リョウジきゅん優しい、最後まで助けようとしてた』
『グロ注意』
俺の命は、彼らにとって数秒の暇つぶし。
痛みで明滅する視界。俺はここで終わるのか。
スラムの路地裏で拾った残飯の味。才能なしの烙印。誰かの踏み台として消費されるだけの人生。
(ふざけるな)
奥歯が砕けるほど噛み締めた。
死にたくない。いや、違う。
このまま、あいつらの「演出」として消費されてたまるか。
獣の爪が振り上げられた、その時。
ダンジョンの床に入った亀裂、その底知れぬ暗闇から響く声。鈴を転がしたような、しかし氷のように冷徹な響き。
『――聞こえますか? 贄(にえ)として捧げられた、哀れな子よ』
第2章: 聖女の烙印
時間は泥沼のように粘度を増し、振り下ろされる獣の爪がスローモーションへ。
亀裂から溢れ出したのは、青白い燐光。
光は粒子となって収束し、俺と化け物の間に人の形を成す。
重力を無視して漂う、流銀の長髪。
古風で豪奢な修道服は、透き通るように半透明。だが、何より目を引くのはその胸元――心臓があった場所に刻まれた、光を噴き出す巨大な傷跡。
「貴方は、死にたいのですか? それとも、理不尽を呪いながら生きますか?」
幽霊と呼ぶにはあまりに神々しい。
彼女の問いかけに、引きつる喉。
恐怖で麻痺していた思考が、怒りの熱で焼き切れる。
「生きる……生きて、あいつらを……!」
「良いでしょう。その怒り、私が祝福しますわ」
女の霊――かつて聖女と呼ばれたエリーゼが、俺の胸に手を差し込む。
冷たさではない。沸騰した鉛を血管に流し込まれるような、魂が焼き尽くされる激痛。
脊髄を雷が駆け抜け、身体が弓なりに跳ねた。
『契約(エンゲージ)。スキル【霊媒(ミディアム)】、強制励起』
カッ、と熱を持つ左目。
視界の半分が黄金色に染まる。今まで見えなかった「情報の奔流」が脳内に雪崩れ込む感覚。敵の筋肉の動き、魔力の流れ、次に繰り出される攻撃の軌道。
「ガァアアアッ!」
ボスモンスター、ミノタウロスの戦斧が振り下ろされる。
さっきまでの俺なら、肉塊に変わっていただろう。
だが、止まって見える。
「遅い」
口から出たのは、俺の声であって俺の声ではなかった。
継ぎ接ぎだらけのブーツが地面を蹴る。砕かれたはずの右足、見えない力による補強。
リョウジたちが捨てていった安物の剣を拾い上げると、流れるような動作で懐へ。
『聖域展開』
俺を中心とした半径五メートル、包み込む白光。
ミノタウロスの皮膚が焼け焦げ、断末魔の悲鳴と共に動きが鈍る。その隙を、身体は逃さない。
剣閃一閃。
物理的にはなまくらの鉄屑が、黄金のオーラを纏ってボスの首を両断した。
ドサリ、と倒れる巨大な質量の死体。
静寂。
場違いに響くドローンの駆動音。
荒い息を吐きながら、前髪をかき上げる。カメラのレンズ越しに、黄金色に輝く左眼が世界を射抜く。
『え、なにこれ』
『合成?』
『リョウジたちが苦戦してたボスだろ? 瞬殺?』
『今の光、何?』
画面の向こうの困惑、肌で感じ取れるリアリティ。
「……見ているか、リョウジ」
声は、以前のような掠れた弱々しいものではない。
地獄の底から這い上がった亡者の響き。
第3章: 奈落への招待状
地上へ戻るゲートへの道すがら、ドローンの同接数は異常な数字を叩き出していた。
「無能な荷物持ちの逆転劇」。
掌を返す大衆。俺を讃え、リョウジを「見殺しにした卑怯者」として吊るし上げ始めている。
だが、俺の中のエリーゼが警告を発した。
『レオ、気をつけて。悪意の臭いがします。それも、とびきり腐った悪意が』
直後。
ダンジョン全体が、巨人の胃袋の中にいるかのように大きく揺れた。
「ッ!?」
天井から舞い落ちる粉塵、生き物のように波打つ地面。
モンスターの襲撃ではない。これは――人為的な崩落。
『ハロー、レオ君。生きてたんだ? すごいねえ、感動したよ』
ドローンのスピーカーから響く、リョウジの軽薄な声。
映像には映っていない。だが、その声には明らかな焦りと、殺意。
「リョウジ……てめぇ、何をした」
『何って? ダンジョンの管理権限を使って、地形のリセットをかけただけさ。老朽化したエリアの緊急閉鎖ってやつだ。……お前みたいなバグが生きて帰ってきたら、俺の物語(シナリオ)が狂うんだよ』
足元の石畳に走る亀裂。
支えを失った床が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。その下にあるのは、地図にも載っていない「未踏の深淵(アビス)」。
光さえ届かない、黒一色の奈落。
「貴様……ッ!」
エリーゼの力で防御壁を展開しようとするが、物理的な崩落には無力。
足場の消失。
内臓が浮き上がる浮遊感。
『英雄気取りのクズが。二度と上がってくんな』
リョウジの捨て台詞と共に、頭上の天井――地上への唯一の希望が、巨大な瓦礫によって塞がれた。
ドローンのカメラが、闇に飲み込まれる俺の姿を最後に捉え、信号が途絶える。
暗転。
『レオ!?』
『嘘だろ……』
『放送事故?』
『人殺し! リョウジ、説明しろ!』
世界中の画面がブラックアウトし、俺は無限の闇へと叩き落とされた。
第4章: 千の遺言
凍えるような冷気。
全身を駆け巡る激痛。
視界を埋め尽くすのは、絶望的な闇。
全身の骨が悲鳴を上げている。エリーゼの障壁がなければ、着地の衝撃で肉のジャムになっていただろう。
それでも、ここは深淵の底。生者が足を踏み入れてはならない場所。
『……レオ、しっかりなさい。レオ!』
エリーゼの声が遠い。
意識が泥の中に沈んでいく。もういいんじゃないか。一度は一矢報いた。これ以上、何を望む。
その時。
暗闇の中から現れた、無数の「目」。
青白い人魂。一つ、また一つ。百、千……数え切れないほどの光が、俺を取り囲んでいる。
『痛い、痛いよぉ』
『ママ……』
『なんで俺が』
『帰りたい、帰りたい』
怨嗟の声。慟哭。
彼らは皆、このダンジョンで死んだ冒険者たちの成れの果て。リョウジのような手合いに利用され、捨てられ、誰にも知られずに朽ち果てた魂たち。
彼らの絶望が、冷気となって俺の肌を刺す。
「……うる、さい」
身を起こす。ボロボロの身体に鞭を打つ。
恐怖はない。不思議と、親近感があった。
俺もまた、彼らと同じ「捨てられたゴミ」だったからだ。
「泣き言を……言うな」
俺の言葉に、ざわめき、静まり返る無数の霊たち。
血の滲む唇を歪めて笑った。
「泣いて済むなら、とっくに救われてるはずだろ。……悔しくないのか」
『悔しい……』
『許せない』
『あいつらが、のうのうと生きているのが、許せない!』
「なら、力を貸せ。俺が連れて行ってやる。お前らの無念(こえ)を、地上に届けてやる」
左眼が、かつてないほど強く輝いた。
エリーゼだけではない。この場にいる数千の霊たちが、俺という「器」に殺到する。
『スキル【死者同調(ネクロ・シンクロ)】――多重展開(マルチ・アクセス)』
血管が破裂しそうなほどの力、奔流となって駆け巡る。
剣士の霊、魔術師の霊、盗賊の霊。彼らの技術(スキル)が、記憶が、俺の中に上書きされていく。
身体の輪郭が曖昧になり、黒い霧のようなオーラが全身を包み込む。
もはや、ただの人間ではない。
俺は、冥府の軍勢そのもの。
「行くぞ。パレードの時間だ」
深淵に巣食う異形の化け物たちが、本能的な恐怖に後ずさりする。
一歩踏み出した。
その一歩が、深淵を揺るがす。
数時間後。
地上の配信プラットフォームに、突如として「接続不能」だったはずのチャンネルが復活した。
そこに映し出されたのは、無数の青白い人魂を背負い、深淵の化け物をなぎ倒しながら浮上する、冥府の王の姿。
第5章: 遺言、完了
ダンジョンの入り口、Sランク探索者専用ゲート前。
リョウジたちは、記者会見の準備をしていた。「不幸な事故」についての釈明会見。完璧なメイク、悲痛な表情を作る練習。
だが、その茶番は轟音と共に粉砕された。
地面が爆ぜ、漆黒の瘴気が噴き出す。
煙の中から現れたのは、ボロボロの作業着を纏った悪魔――雨宮レオ。
その背後には、数え切れないほどの霊たちが、青白い炎となって揺らめいている。
「な、なんだお前……! 化け物か!?」
腰を抜かし、後ずさるリョウジ。
俺は一言も発さず、ただ歩み寄る。ドローンが俺の顔をクローズアップする。前髪の奥、黄金の左眼と、暗黒に染まった右眼がリョウジを捉えた。
「遺言、承りました」
指を鳴らす。
展開したスピーカーから、ノイズ混じりの「声」が響き渡る。
『リョウジ……約束が違う……助けて……』
『囮に使ったな! 貴様らぁぁ!』
『証拠は……私のロッカーに……』
それは、リョウジたちが過去に見捨て、殺してきた仲間たちの、死の瞬間の記憶(レコード)。
霊媒スキルによって抽出された「真実」が、全国ネットで垂れ流される。
「やめろ! 切れ! 配信を切れぇぇ!!」
剣を抜いて斬りかかってくるリョウジ。
だが、その剣速はあまりにも遅い。
避けることすらしなかった。
俺に重なった霊の一体が、実体化して剣を受け止める。かつてリョウジに盾として使われ、死んだ重戦士の霊。
「ひっ……!」
「彼らは言っている。『俺たちを見るな』と」
俺の言葉に呼応し、ダンジョンの壁から染み出すどす黒い「何か」。
リョウジたちの放つ腐臭漂う「悪意」に引き寄せられた、ダンジョンの自浄作用。
「う、うわあああ! くるな! 俺は英雄だぞ! Sランクだぞ!」
リョウジの自慢の白銀の鎧が、黒い泥のような魔物に食い破られていく。
仲間たちも蜘蛛の子を散らすように逃げ惑うが、死者の手(アンデッド・ハンド)が足首を掴み、引きずり倒す。
悲鳴。懇願。罵倒。
それら全てを、カメラは冷徹に映し続ける。
助けを求めるリョウジの手を、冷たく見下ろした。
「俺が輝くために世界はある、だったか?」
リョウジの目が絶望に見開かれる。
「なら、光栄に思え。お前の死は、俺たちの復讐劇を最高に輝かせてくれた」
黒い波がリョウジを飲み込み、その姿が見えなくなる。
後に残ったのは、スポンサーロゴの入ったマントの切れ端だけ。
静寂。
カメラに向き直る。
数億の視聴者が、息を飲んで見つめているはずだ。
「遺言、完了」
短く告げると、踵を返す。
地上には戻らない。
背中には、まだ成仏しきれていない数千の魂がある。彼らをあるべき場所へ送るまで、俺の仕事は終わらない。
『レオ、行きますの?』
心配そうに覗き込むエリーゼ。
微かに笑った。初めて、心からの笑みが浮かんだ気がした。
「ああ。ここからは、俺たちの物語だ」
ゲートの光に背を向け、再びダンジョンの闇へと足を踏み入れる。
その背中はもう、荷物持ちのそれではない。冥府の王、その威厳。
◇◇◇
【配信終了】