第一章: 降星の夜
夜空が裂け、降り注ぐ致死の雪。
青白い光の結晶——星屑。
触れれば命を削り取る美しい災厄が、静寂の街を埋め尽くしていく。
冷たいアスファルトを蹴り上げ、翻る黒いパーカーの裾。
少し長めの黒髪を夜風に散らし、ソラは群青色の瞳で上空の光を鋭く睨んだ。
胸元で冷たい輝きを放つ、銀の星型ペンダント。
ソラ「逃げろ! 息を止めて!」
ルナ「……っ!」
背後を走る少女の細い肩が、小さく跳ねる。
透き通るような銀色の長髪が軌跡を描き、恐怖に見開かれる夕焼け色の瞳。
夜空模様のストールをきつく握りしめる彼女の指先は、血の気を失い雪のように白かった。
特異体質である彼女に引かれ、意思を持つかのように軌道を変える星屑。
逃げ場はない。
無数の光の矢が、白いワンピースの少女へと殺到する。
ソラ「させない」
喉の奥に広がる、血と鉄の味。
一歩前に踏み出し、両手を広げるソラ。
自らの「記憶」を焼べ、異能の炉に火を点ける。
《星詠み・天球反転》
視界が純白に染まる。
圧倒的な光の渦がソラを中心に吹き荒れ、致死の星屑を次々と相殺していく。
網膜を焼くほどの閃光。
鼓動がドクン、ドクンと異常な速度で警鐘を鳴らす。
脳の奥で、何かがプツリと千切れる鈍い音。
やがて光が収束し、舞い戻る静寂。
そこに残ったのは、焦げた空気の匂いだけ。
ルナ「ソラ……無事なの……?」
震える声で駆け寄り、ソラの袖をきつく握りしめるルナ。
荒い息を整えながら、ソラは胸元の銀のペンダントを指の腹でなぞった。
ひんやりとした金属の感触。
指先に伝わる刻印の溝。
ソラ「あれ……?」
ルナ「どうしたの?」
ソラ「このペンダント……すごく大切なものなのは分かるんだけど。これ、誰に貰ったんだっけ?」
夜風が、二人の間を冷酷に吹き抜けた。
大きく揺らぐ夕焼け色の瞳。
ルナの唇が微かに痙攣し、次の瞬間、彼女は自分の掌に爪を食い込ませ、血が滲むほどの痛みで悲鳴を飲み込んだ。
対価は支払われた。
一番大切なはずの記憶の欠片が、音もなく空に溶けていた。
第二章: 欠けゆく星座
その日から、砂時計の砂が落ちるように加速していく記憶の欠落。
街を襲う星屑を払うたび、脳内のアルバムからページが破り捨てられる。
「初めて手を繋いだ日」の温もり。
「一緒に見た夕焼け」の色彩。
ルナに関するものだけが、ピンポイントで白く塗りつぶされていく。
ソラ「ごめん、また忘れちゃったみたいだ。僕たち、昨日どこに寄って帰ったんだっけ」
ルナ「ううん、いいの。駅前の本屋さんに寄ったんだよ」
彼女は唇の端を引き上げ、完璧な三日月型の弧を作る。
だが、ストールの下で組まれた両手は、自らの皮膚を掻き破るほど無惨に震えていた。
雨上がりの路地裏。
鼻を突く、湿ったアスファルトの匂い。
ソラが自販機に甘い缶コーヒーを買いに行っている隙に、影の中から漂ってくる紫煙。
タバコの焦げた、苦い匂い。
ステラ「馬鹿な真似はよせ。あのガキはもう限界だ」
レンガの壁に寄りかかる、黒いトレンチコートを羽織った女。
短く切りそろえた金髪。
ハイライトの完全に消えた、虚ろな灰色の瞳。
かつて最強と呼ばれた元・星詠み、ステラ。
ルナ「でも、私がそばにいないと……彼は……」
ステラ「お前を守るために、己を食い破っているんだ。いずれすべてを忘れる。感情すらもな」
靴底で吸い殻を踏み躙るステラ。
ジリッと、火種が潰れる鈍い音。
ステラ「彼が完全に君を忘れる前に、その手から離れろ。それが彼への唯一の慈悲だ」
冷水を浴びせられたような沈黙。
ルナの喉仏が微かに上下し、夕焼け色の瞳から光が失われる。
戻ってきたソラが差し出した温かい缶コーヒー。
その熱が、彼女の凍てついた指先を溶かすことはなかった。
第三章: 忘却の嵐
空が、ひび割れた。
硝子が砕けるような耳障りな音とともに、天頂に走る巨大な漆黒の亀裂。
降り注ぐのは雪ではない。
瀑布のような、高密度の星の嵐。
狂ったように鳴り響く街のサイレン。
アスファルトが融解し、建物が光に触れて砂のように崩れ落ちていく。
ソラ「ルナ、僕の後ろから絶対に離れないで!」
暴風に煽られ、バタバタと音を立てる黒いパーカー。
宙を舞う銀のペンダント。
ソラの群青の瞳が、かつてない輝きを帯びる。
これを防げば、もう自分の中には何も残らないかもしれない。
それでも構わないと、魂が狂ったように警鐘を鳴らし続ける。
ルナ「駄目、ソラ! もうやめて、これ以上は……!」
ソラ「大丈夫、僕が全部どうにかするから」
《星詠み・限界突破:超新星》
視界のすべてが、純白に焼き尽くされた。
細胞の一つ一つが千切れ、再結合するような激痛。
脳髄を直接バーナーで炙られるような感覚に、ソラの意識がブラックアウトする。
◇◇◇
消毒液の匂いがする病室。
規則的に明滅する、白い天井の蛍光灯。
パイプ椅子に座り、両手で顔を覆うルナ。
シーツの擦れる音がして、ソラがゆっくりと身を起こした。
ルナ「ソラ……! よかった、目が覚めて……」
飛びつこうとしたルナの動きが、空中で凍りつく。
振り返ったソラの群青色の瞳。
そこには、何の光も宿っていなかった。
硝子玉のような無機質な眼差しが、彼女を冷たく見下ろす。
ソラ「君は、誰だ?」
心臓を素手で引き裂かれたような衝撃。
夕焼け色の瞳が見開かれ、彼女は自らの髪を乱暴に掻き毟りながら、声にならない絶叫を床に叩きつけた。
ソラ「生体認証エラー。記憶領域に該当なし。ただし、第一優先指令『この対象を護衛する』を確認」
抑揚のない、機械のような声。
対象への執着すらも対価として奪われ、残ったのは冷徹な使命感のみ。
二人の世界は、この瞬間、完全に崩壊した。
第四章: 魂の残骸
翌日から、ソラは完璧な「機械」になった。
ルナの数歩後ろを歩き、周囲を警戒するだけの存在。
話しかけても、返ってくるのは事務的な報告だけ。
ルナ「ソラ、これ、昔一緒に作った押し花……覚えてない?」
ソラ「植物の死骸だな。任務に不要な物品だ。廃棄を推奨する」
容赦なく鼓膜を打つ、冷たい声。
ルナは自らの唇を血が流れるまで強く噛み締め、喉の奥から込み上げる嗚咽を必死に飲み込む。
部屋の隅、ソラの机の上に置かれた一冊の古いノート。
震える指で、彼女はその表紙を開いた。
そこに詳細に綴られていたのは、几帳面な字で書かれたルナとの日々。
彼女が好きな紅茶の温度。
笑ったときの癖。
ページをめくるごとに文字は乱れ、筆圧は弱くなっていく。
そして、最後のページ。
『もし君を忘れても、僕の魂が君を覚えている』
透明な雫がノートの紙面をぼかし、文字を滲ませた。
自分を失う恐怖と戦いながら、最後までルナを繋ぎ止めようとしていた痕跡。
窓枠に音もなく降り立った、黒いブーツ。
タバコの煙とともに、ステラが部屋に姿を現す。
ステラ「お遊びは終わりだ。空のひび割れが、限界を迎える」
ルナ「ステラ……ひび割れを塞ぐ方法は、ないの?」
初めて微かに揺らいだ灰色の瞳。
彼女は深く煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
ステラ「ある。特異体質であるお前が、星の海の中心に身を投げることだ」
ルナ「……私の、命」
ステラ「馬鹿な真似はよせ! あのガキがお前を生かすためにどれだけ……!」
語気を荒げるステラを遮る、ルナの静かで異常な微笑み。
夕焼け色の瞳には、一握りの迷いもない。
ただ、歪んだ悦びのような光が宿っていた。
ルナ「私が彼のために死ねば、彼は永遠に私を刻み込んでくれるよね」
残酷な決断が、静かな部屋に落ちた。
白いワンピースの裾を翻し、破滅の待つ空の下へと歩き出すルナ。
その背中を、無機質な瞳のソラが影のように追従していく。
第五章: 星屑の対価、君がいた空白
街の郊外にある巨大なクレーターに広がる、星の海。
空のひび割れから漏れ出す光が、底知れぬ深淵で渦を巻く。
狂乱のダンスを踊るように舞い上がる、致死の星屑。
強風に銀色の髪を波打たせ、崖の縁に立つルナ。
一歩踏み出せば、光の渦に飲み込まれ、粒子となって消滅する領域。
振り返り、ルナはソラの首に細い腕を絡ませた。
冷たくなった彼の頬に、そっと自分の熱い唇を這わせる。
体温の交換。微かな紅茶の香りが、ソラの鼻腔をかすめた。
彼女の濡れた舌先が彼の耳朶を甘く甘噛みし、ぞくりとするような快感が無機質なはずの背筋を駆け上がる。
ルナ「ありがとう、ソラ。全部忘れても、私を守ってくれて」
背伸びをして、彼の耳元で濡れた声を響かせる。
その密着した肌の熱さは、凍りついた時間を一瞬だけ溶かすように甘く、そして決定的に切なかった。
狂おしい微笑みを浮かべ、ゆっくりと後ろへ倒れ込むルナ。
重力に引かれ、花びらのように舞う白いワンピース。
深淵へと落ちていく彼女の姿が、ソラの網膜に焼き付く。
ドクンッ!!
ソラの胸の奥で響く、激しい爆発音。
無機質だった群青の瞳が、限界まで見開かれる。
心臓が焼け付くような激痛。
詰まる呼吸。
生体認証エラー? 任務対象?
違う。
そんな言葉では説明できない。
歪む視界。理由のない熱い液体が、両目から溢れ出す。
ソラ「ああああああああっ!!」
星の海に響き渡る、獣のような絶叫。
指先が痙攣し、全身の血が沸騰する。
彼女を失うという事実が、脳を物理的に破壊しそうなほどの拒絶反応を引き起こす。
ソラ「君が誰かは知らない! でも、君を失うことだけは、僕の魂が拒絶している!!」
崖を蹴り、空へ向かって跳躍するソラ。
記憶がない。感情がない。
ならば残っているのはただ一つ。
『ソラ』という個体そのもの。
自我という名の存在証明。
ソラ「全部持っていけ!!!」
《星詠み・絶対存在証明》
天地を繋ぐ、光の柱が立ち昇る。
ソラの体から溢れ出した圧倒的な光の奔流。
それが星屑の海を呑み込み、上空のひび割れへと逆流していく。
亀裂を縫い合わせるように光が満ち、強制的に停止する世界の崩壊。
落ちていくルナの腕を、ソラの手が力強く引き寄せた。
光の中で融け合うように重なる二人の姿。
そして世界は、完全な静寂に包まれた。
◇◇◇
頬を撫でる、柔らかな風。
見上げれば、どこまでも澄み切った青空が広がっていた。
星屑は消え去り、かつての惨劇は跡形もなく消散している。
公園のベンチ。
ぼんやりと空を見上げる、群青色の瞳の少年。
彼の中に異能の力はもうない。
己が何者であったかという記憶も、ぽっかりと空洞になっている。
サクッ、サクッ。
近づいてくる、落ち葉を踏む音。
白いワンピースに、夜空模様のストールを羽織った少女。
彼女もまた、ここに来るまでの記憶を持っていなかった。
空中で交差する、二人の視線。
夕焼け色の瞳と、群青色の瞳。
胸の奥で立つ、静かな波。
お互いに名前も知らない。
どんな時間を共有したのかも分からない。
ただ見つめ合うだけで、喉の奥が焼け付くように熱くなる。
ゆっくりと立ち上がり、少年は不器用に口を開いた。
ソラ「初めまして。君を見ると、なんだか泣きたくなるんだ」
少女の瞳からこぼれ落ちる一筋の涙。
太陽の光を反射して輝くその雫。
彼女は唇を震わせながら、自らの胸をぎゅっと掴み、花がほころぶような笑みを浮かべる。
ルナ「私も……あなたを見ると、胸が苦しくて、でもすごく温かいの」
空白のキャンバスに落ちた、一滴の絵の具。
失われた過去は戻らない。
けれど彼らの魂は、強烈な引力で互いを認識し合っていた。
青空の下、風に揺れる銀の星型ペンダント。
甘く優しい紅茶の香りが、二人の間を通り抜けていった。