第一章: 灰降る空と焼きたての甘い匂い
光を喰らい尽くす鈍色の空。絶え間なく舞い落ちる絶望の灰。
王都の空を覆う巨大な半透明のドーム。その中心、冷たい石造りの聖堂の頂で、ルミアはひざまずく。
色素の薄い銀髪。雪のように積もる灰の欠片。悲哀を帯びたアメジストの瞳から、一筋の赤い雫が頬を伝い落ちた。
泥と灰にまみれ、黒く汚れきった豪奢な白い聖女のドレスの裾。喉の奥から這い上がるのは、錆びた鉄の血の味。結界を維持する代償。容赦なく彼女の命の灯火を削り取る。
[Pulse]ドクン、ドクン[/Pulse]
空間が脈打ち、ドームの外側にへばりつく巨大な影。五つの眼球を持つ異形の怪異、灰獣。ガラスを引っ掻くような不快な摩擦音が、王都全体を震わせる。
ルミアの細い肩が跳ね、結界にヒビが走る。
限界。薄れる意識の中、彼女は静かに目を閉じた。
「おや、こんな所でサボりかい?」
のんびりとした声。灰のノイズを切り裂く。
ルミアが目を見開く。
視界の端に立つのは、くせっ毛の黒髪を無造作に揺らす青年。底知れぬ深さを湛えた琥珀色の瞳が、無防備な弧を描く。
着ているのは土に汚れた素朴な農作業着。だが、肩や胸元には、鈍く光る神造兵装のオーパーツ的な装甲が無造作に縫い付けられている。
青年の手が、鈍く光る鋼鉄のクワを軽く握る。
次の瞬間。
[Flash]閃光[/Flash]
[Shout]ゴアァァァァァッ!![/Shout]
空間そのものが歪むような破裂音。
大気を震わせる衝撃波。街を覆っていた巨大な灰獣が、文字通り微塵に粉砕される。空から降り注ぐのは、怪異の肉片ではなく、キラキラと輝く光の粒子。
[A:アレン:驚き]「いやあ、すごい!都会はモグラもでっかいなぁ!」[/A]
青年——アレンは、額の汗を拭いながら満面の笑みを浮かべる。神を殺す一撃を放っておきながら、息一つ乱さない。
へたり込むルミアの前にしゃがみ込み、その顔を覗き込んだ。
[A:アレン:喜び]「こんな所で寝てたら風邪を引くよ。ほら、都會の人は働き者だね!少し休んでパンでも食べよう!」[/A]
アレンの粗削りな手。差し出されたのは、麻布に包まれた丸いパン。
凍てついたルミアの鼻腔をくすぐる、場違いなほど温かく、そしてひどく甘い小麦とバターの匂い。
アレンは彼女を、過労で倒れたただのパン屋の娘だと、微塵の疑いもなく信じ切っている。
[A:ルミア:驚き]「……え……?」[/A]
理解の及ばない事態に、ルミアの唇が微かに震える。
その光景を遥か後方の塔から望遠鏡で見つめていた男。一瞬にして彼の顔から血の気が引いた。
◇◇◇
第二章: 星空の幻影と胃痛の騎士
薄暗い執務室。王国最強の騎士団長ギルベルトは、震える指先で木箱から粉末の胃薬を鷲掴みにし、水も飲まずに噛み砕く。強烈な苦味が舌を焼く。
金髪のオールバック。白銀の甲冑。王国の象徴たる彼の鋭い三白眼の下には、濃い紫色のクマ。
[Tremble]カチ、カチ、カチ[/Tremble]
机を叩く指が止まらない。
[A:ギルベルト:恐怖]「……やはり、そういうことか!あの男、恐ろしい策を……!」[/A]
「モグラ退治」と称して王都の脅威をワンパンで消し飛ばしたあの青年。
間違いなく、神を殺す魔王の再来。あの無邪気な笑顔の裏には、世界を滅ぼす狡猾な儀式が隠されている。ギルベルトの胃壁が、再びギリギリと悲鳴を上げる。
一方その頃。
アレンは「ブラック企業からルミアを連れ出す」という名目で、休日返上のピクニックを強行。
王都の外れ。灰の降らない奇跡のような緑の丘。
[A:アレン:喜び]「外の空気は美味いだろう?ずっと店番じゃ、パンの焼き加減も鈍るからね」[/A]
[A:ルミア:照れ]「これも、世界のためですから……どうか、私に関わらないで」[/A]
ルミアの消え入りそうな声。だが、アレンは全く意に介さない。
[Sensual]
夜の帳が下りる。
アレンの無意識の魔力が大気と干渉し、鈍色の空が嘘のように晴れ渡る。頭上に広がるのは、満天の星空の幻影。
[A:アレン:喜び]「ほら、綺麗だね」[/A]
アレンの大きな手が、ルミアの細く冷たい指をそっと包み込む。
ゴツゴツとした農夫の指先から、圧倒的なまでの熱。凍りついていたルミアの体温が、じんわりと上昇していく。
指と指が絡み合い、吐息が触れ合うほどの距離。
ルミアのアメジストの瞳に、星々の瞬きが反射する。
胸の奥で、今まで知らなかった甘く切ない疼きが弾けた。
[/Sensual]
[Blur]ポロポロと[/Blur]
気づけば、ルミアの瞳から大粒の涙が溢れ落ちていた。
冷たい灰色の世界。ただ部品として死を待つだけだった命。
しかし今、彼女の喉仏が震え、嗚咽が漏れる。自分の指を強く噛み、溢れ出す感情を必死に殺す。
[A:ルミア:絶望]「……死にたくない……」[/A]
[Whisper]この人と、生きたい[/Whisper]
痛切な願い。夜風への融解。
その美しい情景を、遠くの樹上から赤い瞳が冷徹に見下ろす。
[A:エリス:冷静]「アレンはただの農家です。異論は認めません。……設定の綻び。修正が必要です」[/A]
メイド服に身を包んだ戦闘人形エリスの指先。鈍い銀色の刃が冷たく光る。
◇◇◇
第三章: 狂気の日常と崩れゆく箱庭
空に走る、巨大な亀裂。
ステンドグラスが砕けるような鋭い音が、王都中に響き渡る。
ルミアが「生きたい」と願った瞬間。彼女の自己犠牲を動力源としていた結界が、急激な弱体化を始める。
剥き出しになる世界の真実。
青い空も、王都の美しい街並みも、すべては幻影。
ここは既に過去に滅亡し、ルミアの悪夢の力で維持されているだけの「停滞した箱庭」。その空洞の底から、底なしの暗闇が姿を現す。
黒髪のボブカットを揺らし、エリスが虚空から音もなく舞い降りる。
クラシカルなメイド服——旧世界の超耐熱・対魔装甲が、軋むような駆動音を立てる。彼女の赤い瞳には、一切の感情が宿っていない。
[A:エリス:冷静]「対象ルミアの感情変動により、箱庭の崩壊率が規定値を超過。アレンの『日常』に支障をきたします」[/A]
[A:ルミア:驚き]「あなたは……アレンの幼馴染の……?」[/A]
[A:エリス:怒り]「気安くその名を呼ばないでください。あなたのせいで、主様の精神防壁が揺らいでいる」[/A]
エリスの口から淡々と語られる残酷な真実。
アレンの正体。
かつてルミアに似た少女を救えず、絶望のあまり世界を破壊し尽くした「狂気の元勇者」。
彼はその凄惨な過去から逃避するため、自らの記憶を封印。強引に「ただの村人」を演じ続けることで、この崩壊した世界を歪な形で維持している。
アレンの底抜けの優しさは、無自覚な狂気。
彼の「日常」がルミアの悪夢を壊せば、この箱庭そのものが完全な死を迎える。
[Impact]ゴゴゴゴゴゴ……![/Impact]
大地の底から、世界そのものの防衛機構(理)が悲鳴を上げて起動する。
バグであるアレンを排除し、ルミアを完全な生け贄として取り込むための、無数の黒い触手。空を覆い尽くす。
凍りつくような冷たい灰の嵐が、二人の体を打ち据える。
[A:エリス:冷静]「認める者は排除します。世界も、あなたも」[/A]
無数の刃が、ルミアの喉元へと迫る。
◇◇◇
第四章: 剥き出しの叫び、理への反逆
吹き荒れる灰の嵐の中、ルミアは静かに立ち上がった。
アメジストの瞳から、もはや迷いは消え失せている。
自分が生きたいと願えば、アレンが守ろうとしているこのちっぽけな世界が消滅する。彼の心が再び壊れてしまうのだ。
[A:ルミア:悲しみ]「私のために、世界を壊さないで」[/A]
黒い触手が彼女の白いドレスに巻き付く。
泥と灰にまみれた身体が、ゆっくりと空中の深淵へと引き上げられていく。自ら生け贄となることを受け入れた、静かな微笑み。
そこに、息を切らしたアレンが駆けつける。
[A:アレン:驚き]「ルミア!どこに行くんだ!」[/A]
[A:ルミア:愛情]「さようなら、アレン。あなたのパン、もっと食べたかった」[/A]
決定的なすれ違い。
アレンの耳には、その悲壮な別れの言葉が、まったく別の意味に変換されて届いていた。
[Think]……仕事に行かせて?[/Think]
彼の中で、何かがぶつんと千切れる音。
琥珀色の瞳孔が、極限まで見開かれる。大切なものを奪われることへの、言語化できない極度の恐怖。封じられた記憶の底で、狂気が泡立つ。
[Tremble]ギリッ、と奥歯が鳴る。[/Tremble]
[A:アレン:狂気]「ふざけるな……」[/A]
ただの農家としての、理不尽極まりない執着。
彼の手にある鋼鉄のクワが異常なほどの魔力を吸い上げ、太陽のように激しく発光を始める。
[A:アレン:怒り]「休日出勤なんかさせるかァ!あいつのパンが食えない都会なんて……ぶっ壊してやる!!」[/A]
[Shout]ドゴォォォォォォォォン!!![/Shout]
剥き出しの暴力。
振り下ろされたクワの一撃が、空間そのものを叩き割る。
世界の防衛機構が放つ絶対的な防壁も、神の理も。農作業の延長として放たれた「ただの物理攻撃」の前に、紙屑のように引き裂かれる。
[Glitch]システムエラー:存在の消失。理の崩壊。再構築不能。[/Glitch]
圧倒的な光の渦。黒い触手を根こそぎ消し飛ばす。
アレンは一歩踏み込み、虚空へと手を伸ばす。
[A:アレン:興奮]「ルミアァァァッ!!」[/A]
極光が視界を白く染め上げ、世界がガラスの破片のように砕け散っていく。
◇◇◇
第五章: 日だまりの食卓
パリン、という澄んだ音。
降り続いていた絶望の灰も、王都の街並みも、深淵の闇も。
すべてが光の粒子となって空へ溶けていく。
[FadeIn]ゆっくりと、視界が晴れる。[/FadeIn]
広がるのは、どこまでも青く澄み渡った空。
白い雲が風に流れ、新緑の匂いが鼻腔をくすぐる。
王都の跡地には、小さな美しい村だけがポツンと残されていた。
[Sensual]
柔らかな草の上に、二人は倒れ込んでいる。
アレンの太い腕が、ルミアの華奢な身体をしっかりと抱きしめる。
彼の胸元に押し付けられたルミアの頬に伝わる、力強い鼓動。
[A:ルミア:照れ]「……アレン……?」[/A]
ルミアが身じろぎすると、アレンはふわりと笑い、彼女の銀髪についた草の葉を優しい指先でそっと払い落とす。
肌と肌が触れ合う。互いの体温が、確かにそこに「在る」ことの証明。
[/Sensual]
ルミアのアメジストの瞳が、ゆっくりと瞬きをする。
呪いのような重圧は、もうどこにもない。
彼女はただの、一人の少女。
[A:アレン:喜び]「いやあ、ひどい嵐だったね!都会の天気は変わりやすくて困るよ」[/A]
自分が世界を破壊し、そして再構築した魔王兼勇者である自覚など皆無。琥珀色の瞳には、ただ目の前の少女の無事を喜ぶ、純粋な光だけが宿る。
[A:ルミア:愛情]「……ふふっ。本当に、変わり者」[/A]
ルミアの唇の端が上がり、初めての心からの笑みがこぼれる。
遠くの茂みから、エリスが無言で親指を立てる。
その隣では、どこからか飛ばされてきたギルベルト。白銀の甲冑を泥だらけにしながら、空になった胃薬の瓶を握りしめて白目を剥く。
アレンは立ち上がり、ルミアに向かって大きな手を差し伸べる。
[A:アレン:喜び]「帰ろう、ルミア。明日、一緒にパンを焼こう」[/A]
ルミアはその手を取り、力強く頷く。
木漏れ日の下、小さな家の煙突から、香ばしい小麦の匂いが風に乗って漂う。
狂気から生まれ落ちた、世界で一番優しくて、温かい日常の始まり。