第一章: 無機質な星空
無数のモニターが放つ冷たい青光。空調の効きすぎた管制室を水底のように染め上げている。
目元を隠すように伸びた長い黒髪の隙間から、光を一切宿さない漆黒の瞳が画面を見据える。
仕立ての良い漆黒のスーツはあえて少し着崩され、首元から下がる青白い光を放つ社員証。それが一定の規則で明滅を繰り返す。
マグカップの縁に唇を押し当て、冷めきったブラックコーヒーを流し込む。舌の根に張り付くような鋭い苦味。ナギの乾いた喉をゆっくりと滑り落ちていく。
[System]『エリアD、生存者一名。第三次トラップ起動準備完了』[/System]
[A:ナギ:冷静]「規定通りだ。展開しろ」[/A]
[System]『了解。システム・ロック解除』[/System]
無機質な電子音。画面の向こう側の景色が切り替わる。
血と泥の飛沫にまみれたゲーム盤。広大な荒野に、一人の参加者が放り出されている。
肩で切り揃えられた銀髪が、ひどく汚れた白と灰色のジャージの背中で揺れる。擦り切れた膝。荒い呼吸。泥にまみれた細い手首には、色褪せた古いミサンガ。
[Think]シオン。[/Think]
モニター越しの翠の瞳が、監視カメラのレンズを鋭く睨みつける。
その瞬間。
[Flash]錆びた鉄骨。きしむ観覧車。頭上に降り注ぐ、息が止まるほど澄んだ星空。[/Flash]
脳の奥底で、永遠に封じ込めたはずの記憶がフラッシュバックする。
キーボードの上で、ナギの指先がわずかに硬直した。喉仏が不自然に上下に動く。
[Pulse]ドクン、[/Pulse]と心拍が跳ね上がり、骨の髄まで響くような重い音を立てる。
ゆっくりと息を吐き出す。爪の先が白くなるほど、彼は強く手を握りしめていた。
[A:ナギ:冷静]「……これもシステムの規定内だ」[/A]
自分に言い聞かせるような呟きは、排気音にかき消される。
彼は密かに牙を研ぐ。この狂ったシステムを根底から食い破り、彼女を太陽の下へ返すための反逆の牙を。
孤独な戦いの幕が、静かに開いた。
第二章: 美しきバグ
タバコの紫煙と、エナジードリンクの甘ったるい化学的な匂いの混合。
隣のコンソールに寄りかかったリカが、琥珀色の三白眼を細める。無造作に束ねた赤い髪が、モニターの光を反射する。オーバーサイズの白衣の下、タイトな黒のタートルネックと体に巻き付いたハーネス。息をするたびに、僅かに軋む音を立てた。
[A:リカ:冷静]「馬鹿みたい。また自滅的なコード書いてるっすね」[/A]
[A:ナギ:冷静]「不必要な発言だ、リカ。解析作業に戻れ」[/A]
[A:リカ:冷静]「ふーん。冷たい男」[/A]
リカの指が、ナギのキーボードの横を滑る。
[Sensual]
身を乗り出した彼女の体温。すぐ側まで迫る。エナジードリンクの強烈な匂いが鼻先を掠めた。
[A:リカ:興奮]「シオンって子一人を生かすために、自分の生存ルートを全部潰してる。最高に狂ったバグを見せてよ」[/A]
彼女の吐息が、ナギの耳元を撫でる。熱を帯びた声色が、ひどく甘く響いた。
[A:ナギ:冷静]「……規定通りだ。イレギュラーは排除する」[/A]
[A:リカ:照れ]「ふふっ。強がっちゃって。私も共犯者になってあげる」[/A]
[/Sensual]
リカの唇の端が、面白がるように吊り上がる。冷笑主義の裏側に潜む、火傷しそうなほどの義理堅さ。彼女はすでに、この美しすぎる反逆の片翼を担っている。
システムの中枢に向けて、ナギは十本の指を猛烈な速度で走らせていく。
[System]>> Override Authorized. Injecting backdoors.[/System]
命を削るたび、画面上の微細なバグが花を開くように広がっていく。
[A:リカ:喜び]「いいわ、その調子。監視網の目を盗んで、抜け道を編み込んでいく……芸術的っすね」[/A]
[A:ナギ:冷静]「油断するな。ログの偽装を急げ」[/A]
キーボードを叩く硬質な音。密室に響き渡る。
だが、その背後で。氷のような視線が彼らの挙動を捉え始めていることに、二人はまだ気づいていない。
第三章: 決絶の通信
[Glitch]ZZZZZ……通信接続……ZZZZ[/Glitch]
スピーカーから走る、耳障りなノイズ。
泥と血にまみれたシオンの顔が、メインモニターに大写しになる。翠の瞳に渦巻くのは、焼け焦げるような殺意と憎悪。
[A:シオン:怒り]「答えてよ! 『N』って、ナギなの!? 私たちをこんな地獄に落としたのは、あなたなの!?」[/A]
ひび割れた声が管制室に反響する。
モニターを静かに見下ろすナギ。漆黒の瞳の奥で、無数の感情が千切れては消えていった。
[A:ナギ:冷静]「勘違いするな。お前もただの実験動物だ」[/A]
[A:シオン:絶望]「嘘つき! ナギは、昔のナギはそんなこと言わなかった!」[/A]
[A:ナギ:冷静]「無駄口を叩く暇があるなら、次のフェーズに備えろ。規定通りだ」[/A]
[Impact]通信切断。[/Impact]
画面が暗転。
静寂が降りた瞬間、ナギの膝から力が抜け、コンソールに手をつく。
[Tremble]指先が小刻みに痙攣する。[/Tremble]
胃袋の底からせり上がるどす黒い塊。ナギは咄嗟に口元を覆った。指の隙間から、赤黒い血がぽたぽたとキーボードに滴り落ちる。口の中に広がる、濃密な錆びた鉄の味。
[A:リカ:悲しみ]「……無理しすぎっすよ。吐血するまで自分を追い込んで」[/A]
[A:ナギ:絶望]「問題ない。……俺には誰も救う資格がない。ただの罪人だ」[/A]
内臓を引きちぎられるような痛みを噛み殺し、彼は血塗れた指で最終フェーズの起動キーを叩く。
[System]>> ERROR. ACCESS DENIED.[/System]
その時、背後の自動ドアが静かに開いた。
[A:クロム:喜び]「素晴らしい絶望だ。実に美しい」[/A]
プラチナブロンドのオールバック。純白の豪奢なロングコートを羽織った男が、先端にマイクが仕込まれた銀の杖を鳴らしてそこに立つ。氷のように冷たい青い瞳が、ナギとリカを射抜く。
第四章: 崩壊のプレリュード
[A:クロム:狂気]「予定調和の崩壊。あなたの裏切りは計算外でしたよ、ナギ。しかし、これこそが極上の悲劇」[/A]
銀の杖が床を叩く。モニター上のシオンの周囲に展開していく、無数の処刑トラップ。
[System]『最終処刑シークエンス、起動』[/System]
[A:リカ:怒り]「やらせるかよッ!」[/A]
叫びとともに、リカがメインサーバーのコンソールを叩き割るような勢いでハッキングを開始する。
[A:リカ:興奮]「ナギ、今すぐ全世界へ告発データを飛ばす! ここは私が抑える!」[/A]
[A:ナギ:恐怖]「リカ、退がれ! カウンタートラップが来る!」[/A]
遅かった。
[Flash]閃光。[/Flash]
床から突き出した高圧電流の槍。リカの腹部を、それは深々と貫いていた。
肉の焼ける悍ましい臭気が、一瞬にして部屋中に充満する。
[Sensual]
崩れ落ちるリカの体を、ナギが抱きとめる。
白衣が赤黒く染まっていく。彼女の口から吐き出された血沫が、ナギの白い頬を汚す。
[A:リカ:悲しみ]「……バカ、みたいな結末……っすね」[/A]
琥珀色の瞳が焦点を失いかける。血に塗れた震える指先が、ナギの頬にそっと触れた。ひどく冷たい感触が、ナギの肌を刺す。
[A:リカ:愛情]「最高に狂ったバグ……完成させてよ……」[/A]
[/Sensual]
リカの手から力が抜け、だらりと床に落ちる。
[Impact]息絶えた。[/Impact]
ナギは目を閉じる。頬に残る彼女の血の感触。
目を見開いた時、その漆黒の瞳孔は限界まで拡大し、深い泥のような熱を帯びていた。
[A:クロム:喜び]「ああ、なんと美しい自己犠牲! 録画の準備はできていますよ!」[/A]
[A:ナギ:狂気]「クロム……。お前のシステムごと、地獄へ連れて行く」[/A]
崩壊のサイレンが鳴り響く。彼は単身、火の海と化した中枢エリアへと歩を進める。
第五章: アルカディアの星が降る夜に
完全に崩壊を始める中枢エリア。
火の粉が舞い、ひしゃげた鉄骨が次々と崩れ落ちる。熱波と煙で視界が歪む中、シオンは足を引きずりながら出口を探していた。
そこへ現れる、暗闇からの一つの影。
[A:シオン:驚き]「ナギ……?」[/A]
傷だらけになり、漆黒のスーツがボロボロに引き裂かれたナギ。彼が彼女の腕を乱暴に掴む。そのまま脱出ポッドの内部へと、彼女の体を力強く押し込んだ。
[A:シオン:悲しみ]「な、何をするの!? あなたも一緒に……!」[/A]
[A:ナギ:冷静]「規定通りだ」[/A]
[A:シオン:絶望]「いやだ、一人にしないで! ナギッ!」[/A]
厚い防爆扉がゆっくりと閉まり始める。
その隙間の向こう側。炎に照らされたナギの顔に、シオンは息を呑んだ。
冷酷な幹部『N』の仮面はそこにはない。
かつて貧民街で、錆びた観覧車の下で見せていた、不器用で底抜けに優しい微笑み。
[A:ナギ:愛情]「……」[/A]
[Whisper]生きろ[/Whisper]
声にはならない。口の動きだけが、シオンの目に焼き付く。
[Impact]ガシャンッ!![/Impact]
扉が完全に閉ざされ、ポッドが天頂に向けて猛烈な勢いで射出される。
直後、背後の巨大なメインサーバーが大爆発を起こした。
眩い光の渦の中。アルカディアの中枢システムと共に、ナギの体は完全に消滅する。
◇◇◇
夜明けの冷たい空気。それがシオンの頬を撫でる。
荒野に不時着したポッドの傍らで、彼女は崩れ落ちる。
ポケットの中の端末が、無機質な振動を伝えた。
画面を開く。全世界のネットワークへ一斉送信された、アルカディアの真実と告発データ。
そして、シオンの端末にだけ届いた、一つの添付ファイル。
震える指で再生ボタンを押す。
画面いっぱいに広がるのは、満天の星空のシミュレーション映像。
あの日、二人で見上げた景色。
[System]『星空を見せるという約束、遅くなってすまない』[/System]
ノイズ混じりのナギの遺言が、空の彼方へ溶けていく。
[Shout]「うああああぁぁぁぁぁッ!!」[/Shout]
シオンの喉から引き絞られる、獣のような慟哭。泥と涙のしょっぱい味が、震える唇を濡らした。
昇り始めた朝陽が、彼女の銀髪を金色の光で縁取る。
アルカディアの星が降る夜。それはこうして美しく、残酷な終わりを告げた。