第一章: 透き通る雨と硝子の花
永遠に太陽が届かない巨大階層都市「アサイラム」。肺の奥までへばりつく、重油と錆の悪臭。
軋む鉄骨の山を、くすんだ銀色の前髪を揺らして登るルカ。首元には真っ黒に汚れきったゴーグル。風を孕み、バタバタと重い音を立てるキャンバス地の作業着。
泥と油に塗れた頬の奥。鋭く光る琥珀色の瞳だけが、暗闇を這う獣のごとくギラついている。
「バカバカしい。……しょうがねぇな」
[A:ルカ:冷静]「今日もハズレの山だろ、こりゃ」[/A]
湿った空気に溶ける、苛立ちの舌打ち。冷たく凍りついた真鍮の歯車を乱暴に弾く。
静寂。時折響くのは、遠くで蒸気管が破裂する低い呻き声。
ふと、視界の端。無機質な黒い鉄屑の海に、あり得ない色彩が瞬く。
[A:ルカ:驚き]「なんだ、あれ」[/A]
不規則に跳ねる脈拍。
[Pulse]ドクン、ドクン。[/Pulse]
滑る足場を蹴り、谷底へと真っ逆さまに滑り降りる。
そこにあったのは、淡い燐光を放つ一本の「花」。世界からとうの昔に失われたはずの、有機の植物。
そして、その硝子細工のような花を胸に抱き、泥の中で眠る少女。
透き通るような白磁の肌。所々、精巧な機械関節が剥き出しに。
擦り切れ、裾が黒く汚れた純白のワンピース。床に這う、長い翠色の髪。
そっと手を伸ばした瞬間。震える少女の長い睫毛。ゆっくりと持ち上がる眼瞼。
覗いたのは、深淵のようなエメラルドの瞳。
[A:エリス:驚き]「……ここは、どこでしょうか」[/A]
澄んだ声が空気を震わせた直後。
[Flash]頭上の錆びた鉄骨から、一滴の水が落ちる。[/Flash]
[A:ルカ:驚き]「雨……?」[/A]
最下層に降るはずのない、透き通るような美しい雨。
頬を打つ冷たい水滴。土と水が混ざり合う、ひどく懐かしい匂いが鼻腔を突き抜ける。
少女が触れていた鉄骨の表面。そこへ、信じられない速度で青々とした苔が這い広がる。
無機質な鋼鉄を、瞬く間に覆い尽くしていく柔らかい緑の産毛。
[Think]綺麗だ。[/Think]
ドブネズミには、見る資格さえない光景。
息を呑む琥珀色の瞳に、淡く光る翠色の髪が鮮烈に焼き付く。
彼女の出現が、この腐りきった都市の歯車を狂わせる致命的なエラーだということに。ルカはまだ、気づいていない。
◇◇◇
第二章: 鋼鉄に咲く軌跡
「太陽の降る場所へ行きたい」
エリスの願い。それを叶えるため、ルカは彼女の手を強く引き、都市の上層を目指す。
暗くじめじめとした通風孔を抜け、這い出た先は中層の居住区。
[A:ナディ:喜び]「ルカお兄ちゃん! 絶対、絶対だいじょうぶだよ!」[/A]
車椅子の車輪を軋ませ、三つ編みの赤毛を揺らすナディ。
中層のジャンク街、秘密の隠れ家。彼女の小さな手には、ルカが拾ってきた古い絵本が固く握られている。
[A:ルカ:冷静]「うるせぇな。あまり目立つ声出すなだろ」[/A]
[A:エリス:喜び]「とても綺麗な絵ですね。……温かいです」[/A]
絵本の表紙を、そっと撫でるエリスの指先。
そこから零れ落ちた淡い光が、薄暗い部屋の木の床板に触れる。
[Pulse]トクン、と。[/Pulse]
枯れ果てたはずの木材の隙間。ぽつりと顔を出したのは、名も知らぬ白い小花。
[A:ナディ:驚き]「わぁ……! お花、咲いた!」[/A]
[A:ルカ:照れ]「……触るな、ナディ。統治局の犬どもに嗅ぎつけられる」[/A]
忌々しげに言い放ちつつ、ルカの視線はエリスの翠色の髪から離れない。
幾度となく繰り返された、冷たい機械の番人たちとの死闘。
ワイヤーを射出し、パルクールで壁を蹴り砕く。破れた作業着から滴る、ルカの赤い血。
痛みに顔をしかめるルカの傷口。そこにエリスが触れるたび、指先から伝わる甘い花の香りと、痛いほどの熱。
ルカの冷えた内臓を、甘くドロドロに溶かしていく。
[Sensual]
夜の廃駅。身を寄せ合う二人。
エリスの白い指先が、ルカの額に張り付いた血塗れの銀髪をそっと避ける。
[A:エリス:愛情]「どうか、泣かないでください」[/A]
鼓膜を舐めるような、透き通る声。ルカの大きな手が、彼女の華奢な背中を強引に引き寄せる。
人工の翠色の血液が巡る機械の体。ひどく柔らかく、狂おしいほど熱い。
混ざり合う荒い吐息。甘い花の匂いが肺の奥を侵食し、二人の境界線を曖昧にしていく。
[/Sensual]
微睡みを切り裂く、鼓膜を破るような警報。
[Shout]ヴゥゥゥンッ![/Shout]
[A:ルカ:怒り]「チィッ……来やがったか!」[/A]
暗闇を乱舞する赤色灯。武装した統治局のドローンが、窓ガラスを粉砕して突入してくる。
ルカはエリスの腕を掴み、硝子片が雪のように舞う夜空へと身を躍らせた。
◇◇◇
第三章: 絶望の天秤
中層と上層を繋ぐ、巨大な昇降機のプラットフォーム。
吹き荒れる突風。激しく煽られるルカの作業着。
口内に広がる赤黒い血を吐き捨て、ワイヤーガンを構え直す。
その視線の先。行く手を阻むように降り立った、一つの影。
一糸乱れぬ漆黒の軍服。タイトに撫でつけられた黒髪。
純白の手袋に包まれた指先が、冷たい銃口を正確にルカの眉間へ向ける。
[A:シオン:冷静]「無意味だ。規則に従え」[/A]
[A:ルカ:怒り]「統治局の執行官サマが、こんなところまでわざわざお出迎えかよ!」[/A]
シオンの氷のような青い瞳。一切の感情を欠いた、ガラス玉のような眼球。
背後で重低音を響かせ、巨大な排気ファンが回る。
[A:シオン:冷静]「その個体は、貴様が持ち歩いていい玩具ではない」[/A]
[A:ルカ:怒り]「エリスはモノじゃねぇ! 生きてるんだよ!」[/A]
嘲笑。シオンの薄い唇が、歪に引きつる。
[A:シオン:狂気]「生きている? 愚かな。それは都市の環境を強制リセットするために旧人類が造り出した『生態系爆弾』のコアだ」[/A]
[Impact]凍りつく空気。肺の酸素が奪われる感覚。[/Impact]
[A:ルカ:驚き]「……は?」[/A]
[A:シオン:冷静]「そいつが最上階で花を咲かせれば、この都市は完全に緑に飲み込まれる。今生きている人類は、一人残らず養分となって死に絶えるのだ」[/A]
鼓膜を容赦なく打ち据える、冷徹な宣告。
[A:シオン:冷静]「世界を滅ぼす気か、下層のネズミ。そいつを殺さねば、世界は終わる」[/A]
ルカの琥珀色の瞳が、ゆっくりと背後を振り返る。
細かく震えている、エリスのエメラルドの瞳。
風に千切れる白いワンピース。機械の関節から漏れる、翠色の光の瞬き。
[A:エリス:悲しみ]「……本当、です」[/A]
[A:ルカ:絶望]「エリス……お前……」[/A]
[A:エリス:悲しみ]「私の命を捧げれば、この世界は、再び美しい緑に覆われる。それが、私の役目です」[/A]
透き通るような声。そこに保身や嘘の欠片は存在しない。
膝から抜け落ちる力。
彼女を救えば、ナディも、この都市の全員も死ぬ。
突きつけられた究極の天秤。錆びついた空の底で、ルカの喉からひゅーっと渇いた音が漏れた。
◇◇◇
第四章: 虚無と暁光
翌朝。
目を覚ましたルカの隣。あるべきはずの温もりがない。
冷たい鉄板の床。そこに残された、丸く青々とした小さな苔。
[A:ルカ:絶望]「……エリス?」[/A]
返事はない。
自分が世界を滅ぼす存在だと知った彼女。愛するルカを巻き込まないために、夜明け前に一人で姿を消したのだ。
[Think]バカ野郎……ッ![/Think]
壁を力の限り殴りつける。破れる拳の皮。飛び散る鮮血。痛みなど、とうに麻痺している。
胸の奥にポッカリと空いた、真っ暗な巨大な穴。
過去に家族を守れなかった記憶。ノイズのように脳裏をフラッシュバックする悲鳴。
[Glitch]守れない。また失う。愛する資格なんてない。[/Glitch]
だが。
掌にこびりついて離れない、彼女の熱。
廃材の山で見た、透き通る雨。
不器用に笑った、あのエメラルドの瞳。
[A:ルカ:愛情]「……俺が本当に守りたかったのは」[/A]
世界なんかじゃない。
彼女が笑って生きる、ただそれだけの世界だ。
血まみれの拳を握りしめ、ゴーグルを深く被る。ワイヤーガンのシリンダーを乱暴に叩き込むルカ。
[A:ルカ:怒り]「待ってろ、エリス……ッ!」[/A]
上層へと続く螺旋の塔。
立ちはだかる統治局のドローン群。網の目のように交錯する無数のレーザー。
[A:シオン:怒り]「正気か! 貴様は世界を滅ぼす気か!」[/A]
通信機から響き渡る、シオンの焦りを孕んだ怒声。
[Shout]「うるせぇぇぇ!! 知るかそんなもん!!」[/Shout]
宙を舞い、ワイヤーを射出する。
肩をビームが貫き、肉が焦げる異臭。血反吐を吐きながらも、足は止まらない。
ボロボロの作業着をはためかせ、血の尾を引きながら、最上階の光へと向かってひた走る。
死よりも恐ろしいのは、彼女のいない世界で息をし続けることだ。
◇◇◇
第五章: 鋼鉄の空に、君は硝子の花を咲かせた
最上階。
都市の頂点。そこにあるのは雲を突き抜けた、無限の青空。
そして、網膜を焼くほど圧倒的な太陽の光。
中央の巨大な制御塔の頂上。両手を広げるエリス。
[A:エリス:悲しみ]「……綺麗。これが、太陽」[/A]
彼女の足元。凄まじい勢いで爆発的に広がり始める緑の蔦。
砕け散る鋼鉄の床。巨大な花蕾が、都市そのものを飲み込もうと膨張していく。
純白のワンピースが眩い光に包まれ、その体が少しずつ半透明の粒子へと分解され始める。
[A:ルカ:興奮]「エリスゥゥゥッ!!」[/A]
[Impact]血だるまのルカが、蔦を切り裂き、狂ったように飛び込んでくる。[/Impact]
[A:エリス:驚き]「ルカ……!? どうして……来ないでください! 私はもう……!」[/A]
[A:ルカ:怒り]「ふざけんな!! 君が生きていない世界なんて、どんなに美しくても意味がねぇんだよ!!」[/A]
暴走するエネルギーの奔流。その中へ、身一つで突っ込むルカ。
網膜を焼く強烈な閃光。肌を刃物で削ぎ落とされるような激痛。
それでも、手は離さない。
[A:ルカ:愛情]「俺を置いていくな……ッ!」[/A]
消えかかるエリスの体。それをルカの腕が、骨が軋むほど強く抱きしめる。
咽返るような血と汗の匂。そして、大きな手のひらから伝わる、圧倒的な命の熱。
エリスの翠色の瞳から、とめどなく大粒の雫が零れ落ちる。
[A:エリス:喜び]「ル、カ……あぁ、温かい……」[/A]
[Flash]その瞬間。致命的なバグとも呼べる奇跡が、世界を書き換える。[/Flash]
エリスのコアに流れ込んだルカの命の熱。それが、冷酷なシステムのロジックを上書きしていく。
『破壊』のコマンドが崩壊し、『浄化』のプログラムへと再構築される。
[System]>> override_command: "purification" accepted.[/System]
[Magic]《システム・リライト》[/Magic]
都市全体を包み込む、優しく眩い閃光。
エリスの体が無数の光る種子となり、青空へと高く舞い上がっていく。
風に乗って散る種子。鋼鉄の都市に降り注ぐ、優しい緑の雨。
人を滅ぼす暴力的な自然ではない。寄り添い、共に生きるための柔らかな命の息吹。
[A:エリス:愛情]「……ありがとう、ルカ。大好きです」[/A]
[FadeIn]空に溶ける直前。彼女の最後の微笑みが、ルカの網膜に永遠に焼き付く。[/FadeIn]
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数年後。
かつて錆と重油の臭いが立ち込めていたアサイラム最下層。そこには今、暖かな太陽の光が降り注いでいる。
壁を這う緑の蔦。吹き抜ける風が運んでくる、柔らかな土の匂いと草木の擦れる音。
[A:ナディ:喜び]「ルカお兄ちゃん! 早く早く!」[/A]
遠くで駆け回るナディの声。彼女はもう、車椅子には乗っていない。
[A:ルカ:冷静]「うるせぇな。走ると転ぶだろ」[/A]
作業着の油汚れを払いながら歩く、少し大人びたルカ。
風に揺れる銀色の髪。琥珀色の瞳に、かつての鋭い棘はない。
彼の視線の先。
崩れた鉄骨の隙間。一輪の美しい青い花が、静かに咲き誇っている。
硝子細工のように透き通る、あの日の彼女の瞳と同じ色。
そっとしゃがみ込み、大きな手でその花を撫でる。
[A:ルカ:愛情]「……綺麗に咲いたな、エリス」[/A]
青い花が、応えるようにかすかに光を放つ。
見上げた鋼鉄の空。どこまでも澄み渡り、終わりのない青を湛えている。
化石となった機械都市に、確かな命の鼓動が響き続ける。