第一章: 終わりの始まり
酷く単調な濃淡だけで構成された、灰色の世界。
氷点下の風が、透き通るような青白い肌を容赦なく刺し貫く。
真っ黒なストレートヘアの毛先。肩を覆う分厚い無彩色のニットの上で、それはパキリと乾いた音を立てて凍りついていた。
黒曜石のように深く沈んだ瞳。白雪蛍はただ、灰色の雪が降り積もる廃駅の線路をじっと見つめている。
肺の奥底が焼けるように痛い。吸い込む空気は刃。余命半年の宣告を受けた心臓を、容赦なく締め付ける。
膝の上に広げたのは、古びた革表紙の手帳。
死ぬまでに見たい景色——バケットリスト。黒いインクで書き殴られた文字の羅列。
どうせ、私の目に映るのも、誰の記憶に残るのも、この雪と同じ白黒のまま。
ザク、ザク。
規則的な足音。静寂を切り裂くノイズ。
顔を上げると、そこに青年が立っていた。
色素の薄い灰色の髪。虚ろで静かな三白眼が、無遠慮に蛍を射抜く。着古したダッフルコートの裾には、蛍の目にはグレーのシミにしか見えない無数の絵の具の飛沫。
躊躇いもなく手を伸ばし、青年は蛍の膝から手帳を奪い取った。
[A:灰羽 朔:冷静]「なんだこれ。死ぬまでに見たい景色?」[/A]
[A:白雪 蛍:驚き]「返して……っ!」[/A]
[Tremble]喉の奥が引き攣り、かすれた声が漏れる。[/Tremble]
冷え切った指先を伸ばす。しかし青年——灰羽朔はひらりと身をかわし、手帳のページをパラパラと捲った。
僅かに跳ねる眉間。彼の視線が、虚空を見上げる。
[A:灰羽 朔:冷静]「青い海、か」[/A]
朔が、何もない空中のキャンバスに向かって右手を振り上げる。
震える大気。
見えない太い筆が、空間を切り裂くように一閃。
[Flash]視界が、爆ぜた。[/Flash]
網膜を物理的に殴りつけるような、強烈な光の奔流。灰色の空に、突如として叩きつけられた圧倒的な「海の色」。
息が止まる。跳ね上がる心臓。
白と黒しか存在しなかった蛍の世界。そこに、暴力的なまでの鮮やかな【青】が侵食していく。
[A:灰羽 朔:冷静]「君のリスト、俺が全部描いてやるよ」[/A]
ぶっきらぼうな声が、凍てつく空気に溶ける。
[Pulse]ドクン、ドクン、ドクン。[/Pulse]
狂ったように早鐘を打つ心臓。自らの爪を手のひらに深く食い込ませ、蛍は喘いだ。青く染まった視界の中、彼の灰色の瞳だけが奇妙な熱を帯びて蛍を覗き込んでいる。
ただ、その色彩の代償。それが彼の命そのものだということを、この時の蛍はまだ知る由もない。
◇◇◇
第二章: 染まりゆくキャンバス
腹の底を揺らすような重低音。キャンピングカーの古いエンジンが唸る。
車内に充満するのは、ブラックコーヒーの焦げたような苦い匂い。マグカップを握る蛍の指先は、車内の暖房で少しずつ血の気を取り戻していた。
窓の外でうねる、黄金の波。
朔が虚空に筆を滑らせるたび、色を失っていた麦畑が目が眩むほどの黄金色に爆発する。燃えるような夕焼け。空を赤と紫のグラデーションで焼き尽くす。
[A:白雪 蛍:喜び]「綺麗……本当に、綺麗だよ」[/A]
恍惚のあまり、蛍は窓ガラスに額を擦り付けた。
[A:灰羽 朔:照れ]「そうか。ならよかった」[/A]
そっぽを向く朔。その耳の端が、ほんのりと赤い。彼がダッフルコートのポケットに手を突っ込むたび、絵の具の乾いた匂いが蛍の鼻腔をくすぐる。
並んで座るシート。互いの肩が触れ合う距離。
だが、その平穏を切り裂くように。朔の喉の奥から重い咳が漏れた。
ゴホッ、ゴホッ。
口元を押さえた彼の手の甲。そこに、どす黒い赤が散る。強烈な鉄の臭気。
[A:白雪 蛍:恐怖]「朔……? それ、血……」[/A]
[A:灰羽 朔:冷静]「なんでもない。絵の具だ」[/A]
乱暴に袖で口元を拭う朔。直後、車のドアが外から乱暴に引き開けられた。
冷たい夜風と共に車内に滑り込んできたのは、無造作に後ろで結んだ長い黒髪。銀縁の丸眼鏡の奥で、鋭い眼光が二人を射抜く。
仕立ての良いダークスーツを気怠げに着崩した男——藍染湊。呆れたようにため息を吐く。
[A:藍染 湊:冷静]「お前ら、悲劇のお伽話の主人公にでもなったつもりか?」[/A]
[A:灰羽 朔:怒り]「湊……! 何しに来た」[/A]
朔を無視し、革靴のヒールで床を鳴らしながら湊は蛍の目の前まで歩み寄る。そして、氷のように冷たい声で事実を叩きつけた。
[A:藍染 湊:怒り]「あいつが色を出すたび、あいつ自身の命の時間が削られている。お前の視界が鮮やかになるほど、朔は死に近づいているんだよ」[/A]
[Impact]ドクン。[/Impact]
一瞬にして凍りつく、蛍の全身の血。
黄金の麦畑も、燃えるような夕焼けも。すべては彼の命を燃やした灰だったというのか。
奪われる酸素。眼前の鮮やかな世界の中、蛍はただ絶望的な酸欠に溺れていく。
◇◇◇
第三章: 降りしきる雨と罪
鼻を突くのは、アスファルトを叩き割るような激しい雨の匂いと、錆びた鉄の臭気。
土砂降りの雨。夜の闇を容赦なく打ち据えている。
泥水が跳ね、真っ白だったワンピースの裾を黒く汚す。髪から滴る水滴が瞳に入り、視界を歪ませた。
蛍の手にある、あのバケットリスト。
ビリッ、ビリリッ。
濡れて脆くなったページを、震える指で引き裂く。千切れた紙片。泥水の中に無惨に散らばっていく。
[A:白雪 蛍:絶望]「もう、何も見たくない!」[/A]
[Shout]私のために、あなたの命を削らないで![/Shout]
喉が裂けるほどの絶叫。雨音すらかき消す叫びが、朔の胸に叩きつけられる。
動かない朔。雨に濡れた灰色の髪が額に張り付き、三白眼の瞳孔が微かに揺れている。
[A:灰羽 朔:悲しみ]「……ふざけるな」[/A]
低く、かすれた声。
大きく上下する喉仏。握りしめられた拳が、小刻みに震えていた。
[A:灰羽 朔:悲しみ]「雨の匂いは嫌いだ。妹が死んだ日の記憶が、頭の奥にこびりついて離れない」[/A]
歪む唇の端。自嘲とも絶望ともつかない笑みがこぼれる。
[A:灰羽 朔:絶望]「俺のことはいいから、君が見たいものを言え」[/A]
[Tremble]君に色を見せることが、空っぽな俺の唯一の生きる意味なんだ![/Tremble]
泥濘んだ地面に膝をつき、朔が泣き崩れる。
誰かのために命を捨てることでしか、自分を許せない不器用な魂。
触れようと伸ばした蛍の手は、空中で行き場を失う。
[Pulse]ドクン、ドクン……ギュゥッ![/Pulse]
その瞬間。
太い鉄の杭で打ち抜かれたような、心臓への激痛。
急激に反転する視界。蛍の体が重力に引かれ、泥水の中へと沈み込んでいく。
◇◇◇
第四章: 灰色のオーロラ
[Blur]視界が、明滅する。[/Blur]
光と闇の不規則な入れ替わり。やがてすべてが、暗い白黒の底へと沈んでいく。
喉の奥からせり上がる、濃密な血の鉄の味。
荒れた山道を乱暴に跳ねる、キャンピングカーのタイヤ。激しい振動。
[Sensual]
後部座席で、朔が蛍の体をきつく抱きしめている。
彼のダッフルコートのザラついた感触。絵の具と、汗と、微かな血の匂いが混ざり合った、彼だけの匂い。
[A:灰羽 朔:恐怖]「蛍、起きろ! もう着く、目を開けろ!」[/A]
朔の声が、鼓膜の奥で遠く反響する。
蛍の青白い指先が、朔の頬に力なく触れた。異常なほど熱い彼の肌。まるで、命そのものが燃え尽きる直前の残り火。
[/Sensual]
急停車する車。
朔が蛍を抱きかかえたまま、北の果ての丘へと駆け上がる。二人の頬を殴りつける凍てつく風。
そこは、かつて朔が妹と約束した「満天のオーロラ」が見えるはずの場所。
しかし。
[A:灰羽 朔:驚き]「嘘だろ……」[/A]
丘の空を覆っていたのは、絶望的なまでの分厚い曇天。星一つ見えない、鉛のように重く冷たい灰色の空。
[A:白雪 蛍:愛情]「もう、いいよ」[/A]
かすれた声。血の混じった唾を吐き出しながら、蛍は微笑んだ。
[A:白雪 蛍:愛情]「あなたの傍にいられただけで、私の世界は温かかったよ」[/A]
重く垂れ下がる瞼。
曖昧に溶け出す朔の顔の輪郭。蛍の意識は、完全な暗闇へと滑り落ちようとしている。
途切れる脈拍。
永遠の静寂が、すぐそこまで口を開けて待っていた。
◇◇◇
第五章: 極彩色の空
[A:灰羽 朔:狂気]「まだ終わらせない」[/A]
地獄の底から響くような、低く唸る声。
朔が、蛍の体をそっと枯れ草の上に横たえる。
立ち上がり、鉛色の曇天を睨みつける。虚ろだった三白眼に宿る、狂気じみた執念の炎。
[A:灰羽 朔:狂気]「俺の命なんて、全部くれてやる」[/A]
[Shout]だから、こいつに光を見せろォォォッ!![/Shout]
虚空を引き裂くように、彼の手が高く掲げられる。
残る寿命、罪悪感、トラウマ。そして蛍への狂おしいほどの愛。そのすべてを一本の筆に込めて、空に向かって振り下ろす。
[Magic]《色彩付与・全開》[/Magic]
悲鳴を上げる大気。
[Flash]圧倒的な光の奔流。[/Flash]
中心から十字に裂ける、分厚い雲。
そこから溢れ出したのは、現実を超越した極彩色のオーロラ。
夜空を舞う、エメラルドグリーンの光の帯。星屑を飲み込む鮮血のような赤。宇宙の底まで透き通る深い群青。
閉じかけていた蛍の瞳に、その色彩が滝のように流れ込む。
網膜に焼き付けられる絶対的な美。
白と黒の世界が、完膚なきまでに打ち砕かれる。
[A:灰羽 朔:愛情]「綺麗だ」[/A]
[Whisper]本当にお前は、綺麗だよ。[/Whisper]
振り返った朔の姿。光に透けている。
彼の足元から。ダッフルコートの裾から。灰色の髪が、無数の光の粒子となって風に解けていく。
[A:白雪 蛍:絶望]「朔……っ! いや、いかないで!」[/A]
伸ばした手。だが、その指先が空を切り裂く。
[FadeIn]微かな温もりだけを掌に残し、灰羽朔という存在は、極彩色の空へと舞い上がる光の灰となって消え去った。[/FadeIn]
丘の上を吹き抜ける生ぬるい風。
息を呑むほど美しい、色鮮やかな世界。
蛍の目から溢れた涙。青白い頬を伝って枯れ草に落ちる。
胸の奥で鳴る、確かな鼓動。彼が命を懸けて色を焼き付けてくれたこの心臓が、力強く血を送り出している。
[A:白雪 蛍:愛情]「ありがとう……」[/A]
誰の記憶にも残らずに消えるはずだった白黒の少女。極彩色の空の下で、自らの胸をかきむしりながら一生分の愛の重さを抱きしめる。
喪失の痛みを永遠に刻みつけながら、彼女は鮮やかな世界を生きていく。