第1章:極限状態のパニックと絶望の底

[Shout]鼓膜が、破れた。[/Shout]
土塊と肉片の混じる泥雨が、顔面を容赦なく打ち据える。鼻腔を焼くのは焦げた硝煙と、吐き気を催すほど濃厚な鉄錆の悪臭。
泥と血を吸って鉛のように重い軍服を引きずり、アレン・ヴォルクは地べたを這いずり回った。アッシュブロンドの短い髪には味方の脳髄がこびりつき、頬の深い裂傷からどくどくと熱い赤が滴っている。
虚ろに濁る三白眼。その視線は、己の腕の中へ釘付けになっていた。
指の骨が白く浮き立つほど、きつく抱きしめているもの。
――見慣れた銀の指輪が光る、手首から先だけの左腕。
[A:アレン・ヴォルク:絶望][Tremble]「あ、あ、はっ……レオン……ッ」[/Tremble][/A]
[Pulse]ドクン、ドクン、ドクン。[/Pulse]
警鐘。浅すぎる呼吸。ひしゃげた肺が酸素を激しく拒絶している。
[A:グレイ・ランカスター:怒り][Shout]「地獄で泣き言を喚くな。息があるなら引き金を引け!」[/Shout][/A]
頭上から降り注いだのは、擦り切れた黒の将校コートを羽織る男の咆哮だった。
右目を隠す眼帯に、歴戦を物語る無数の傷跡。グレイ・ランカスター小隊長は泥まみれの煙草をくわえたまま、アレンの胸ぐらを軍靴で容赦なく蹴り飛ばす。
[A:グレイ・ランカスター:怒り]「腕は置いていけ!本体を担げ、この馬鹿野郎が!」[/A]
視線の先。崩落した塹壕のぬかるみで、レオン・アルジェが激しく痙攣していた。
サイズの合わないダボついた軍服は赤黒く染まり、栗色の癖っ毛が泥水に浸かっている。
右肩から先がない。ひどく不規則に断ち切られた肉の断面からは、砕けた白い骨と千切れた筋繊維が覗いていた。
[A:レオン・アルジェ:恐怖][Tremble]「痛い……痛いよぉ……アレン……」[/Tremble][/A]
[Impact]開始わずか三分。[/Impact]
敵軍の奇襲を受けた第7小隊は、すでに部隊としての原型を留めていない。
頭部を吹き飛ばされた仲間の死体を盾にしつつ、アレンはレオンの襟首を掴んで強引に引きずる。指先に伝わる友のわずかな体温だけが、正気を繋ぎ止める唯一の命綱だった。
弾雨の中を転がるように、コンクリート剥き出しの薄暗いトーチカへと逃げ込む。
命からがら辿り着いた密閉空間に、耳障りな電子ノイズが響いた。
[System]「……本隊後退完了。第四防衛線、破棄。全回線、通信遮断プロトコルへ移行」[/System]
通信機から吐き出されたのは、救いの手ではない。冷酷な死の宣告。
第2章:見捨てられた裏切りの怒りと圧倒的な無力感

[Think]……嘘だろ。[/Think]
沈黙が、鉛のように重くのしかかる。
アレンの三白眼が、ゆっくりと見開かれた。
[A:グレイ・ランカスター:冷静]「……チッ。そういうことかよ」[/A]
グレイが短く舌打ちし、火のついていない煙草を奥歯で噛み潰す。歴戦の勘が、あまりにも残酷な真実を叩きつけていた。
味方本隊を無傷で後退させるための時間稼ぎ。最前線の第7小隊は、最初から「囮」として配置されていたのだ。
[A:レオン・アルジェ:悲しみ][Tremble]「嫌だ、死にたくない、帰りたいよ……母さんの、シチュー……」[/Tremble][/A]
肩の傷口を必死に押さえ、レオンが泥水の中で丸くなりながら咽び泣く。
震える背中。それを見た瞬間、アレンの中で何かが音を立てて崩れ落ちた。
武功を立てれば、英雄になれる。
英雄になれば、この狂った戦争を終わらせられるのだと。
そんな薄っぺらい幻想がドブ泥に叩き落とされ、無残に踏みにじられていく音がした。
[A:アレン・ヴォルク:怒り][Tremble]「ふざけんな……上層部の豚どもッ……!俺たちは、使い捨ての肉盾なのかよ!」[/Tremble][/A]
歯を食いしばり、硬いコンクリートの床を幾度も殴りつける。拳の皮が破れて血が滲もうと、痛みなど感じない。
喉の奥から、ドロドロに煮えたぎる憎悪がせり上がってきた。
[Flash]直後、世界が白く染まった。[/Flash]
[Impact]ドゴォォォォォンッ!![/Impact]
トーチカの分厚い天井が、まるで紙くずのように吹き飛ばされる。
舞い上がる土煙。バラバラに降り注ぐ瓦礫の雨。その中心へ、戦場にはありえない色彩が舞い降りた。
汚れ一つない、純白の軍服。
膝まで届く長い銀髪が、風を孕んで優雅に揺らめく。氷のように冷酷で、底なしの青い瞳。
[A:ルナ・クロイツ:冷静]「ああ、嫌だ。鉄錆と、汚物の臭いが充満していますわ」[/A]
「白銀の死神」ルナ・クロイツ。
戦場の泥土に一切触れることなく、彼女は優雅な所作でレイピア型の軍刀を引き抜いた。
第3章:命の尊厳を踏みにじられる屈辱と憎悪

[Pulse]死が、ドレスを着て歩いている。[/Pulse]
ルナの歩みは、舞踏会でワルツでも踊るかのように軽やかだった。
銀の軌跡が一閃する。ただそれだけで、背後の暗がりに潜んでいた残兵三人の首が、音もなく床へ転がる。噴き出す血しぶきすら、彼女の純白を汚すことはない。
[A:ルナ・クロイツ:喜び]「あなたたちのような汚い豚は、私の視界に入らないでいただけます?吐き気がしますの」[/A]
嗜虐的な笑みを浮かべ、ルナは軍刀の腹を弾いて血を払い落とした。
細く鋭い切っ先が、這いずって逃げようとしていたレオンの背中に向けられる。
[A:レオン・アルジェ:恐怖][Shout]「ひっ……!」[/Shout][/A]
[Impact]ザグゥッ。[/Impact]
肉を断ち、内臓を貫き、背骨を削る、ひどく生々しい音。
ルナのレイピアが、レオンの腹部を深々と貫通している。刃を乱暴に引き抜かれた瞬間、ぽっかりと空いた風穴から赤黒い臓腑が泥の上へ零れ落ちた。
[A:アレン・ヴォルク:怒り][Shout]「レオンッ!!この、クソアマァァァァッ!!」[/Shout][/A]
アレンは理性を完全に吹き飛ばし、小銃を構える。
引き金を力任せに引き絞った。薬莢が跳ね、鉛の雨がルナへと襲いかかる。
だが、そのすべてが空を切った。
[Blur]速すぎる。[/Blur]
瞬きする間に、ルナは弾道をすり抜け、アレンの懐へ入り込んでいた。
[A:ルナ・クロイツ:冷静]「這いつくばって死になさい」[/A]
見下ろしてくる氷の瞳。
アレンの首筋めがけ、銀の凶刃が容赦なく振り下ろされる。
死を悟り、三白眼を見開いた――その刹那。
[Impact]ガツゥゥゥンッ!![/Impact]
鈍く骨の砕ける音が、密閉空間に響き渡った。
アレンの前に立ちはだかった黒い背中。グレイの左肩に、ルナのレイピアが根元まで深々と突き刺さっている。
第4章:美しい狂気に対する、泥臭い意地と執念の爆発

[A:ルナ・クロイツ:驚き]「……は?」[/A]
完璧主義の死神の顔に、初めて微かな綻びが生じる。
致命傷を避けるどころか、自ら刃を深く肉へ食い込ませ、己の肩甲骨で刀身を完全にロックしているのだ。
[A:グレイ・ランカスター:怒り][Shout]「俺の部下を、また奪わせるかよッ!!」[/Shout][/A]
口から血反吐を吐き散らしながら、グレイは獣のような咆哮を上げた。
かつて自らのミスで部隊を全滅させた過去。その悪夢を振り払うように、彼は残された右腕でルナの細い首をガッチリと抱え込む。
[A:ルナ・クロイツ:怒り][Tremble]「離しなさい、この汚物ッ!私に触れるな!!」[/Tremble][/A]
冷静さを失い、ルナが激しく抵抗する。
しかしグレイの腕は鋼の万力となり、彼女を逃がさない。その口元には、いつの間にか一本の手榴弾が咥えられていた。
[Flash]カキンッ。[/Flash]
歯でピンを引き抜く乾いた音が、静寂に包まれた空間を劈く。
[A:ルナ・クロイツ:恐怖][Tremble]「な……っ、この、狂人ッ!!」[/Tremble][/A]
見下すような氷の瞳が、初めて見苦しい恐怖に歪む。
爆発まで残り三秒。
グレイは眼帯の奥の鋭い瞳でアレンを睨みつけ、その重い軍靴でアレンとレオンの体をまとめて蹴り飛ばした。
[A:グレイ・ランカスター:怒り]「地獄で喚くな!!生き残れ、アレン!!」[/A]
二人の体は、塹壕のさらに深い泥の底へと転がり落ちていく。
[Impact]そして、世界は光と轟音に塗り潰された。[/Impact]
第5章:全てを失った果ての重苦しい生への執着
鼓膜の奥で、甲高い耳鳴りだけが鳴り響く。
爆煙がゆっくりと晴れていく。半壊したトーチカには、粉々に吹き飛んだ黒いコートの破片と、焦げた肉の塊が散乱していた。
[A:ルナ・クロイツ:狂気][Shout]「あああああああッ!?私の……私の腕がぁぁぁぁぁぁッ!!」[/Shout][/A]
土煙の向こう側。純白の軍服を泥と己の血で真っ赤に染め上げ、ルナ・クロイツが狂乱して床をのたうち回る。
右肩から先がない。腕を根元から吹き飛ばされた彼女は、もはや優雅な死神ではなく、醜く喚き散らす一匹の虫けらに過ぎなかった。
アレンは臓腑が零れ落ちそうなレオンの体を背中に固く縛り付け、ひたすらに泥の海を這い進む。
[A:ルナ・クロイツ:狂気][Shout]「殺す……殺してやるぅぅ!お前らあぁぁぁぁッ!!」[/Shout][/A]
背後から降り注ぐ乱射の雨。泥が跳ね、耳元を熱風が掠めていく。
それでも、アレンは決して振り返らない。
[Think]死んでたまるか。死んでたまるか……這ってでも帰るんだよ。[/Think]
英雄にはなれなかった。
尊敬する隊長は粉々に砕け散り、背中の親友も息があるのかすらわからない。指先は擦り切れ、爪は剥がれ、泥水と生ぬるい血の味だけが口の中に広がっていた。
それでも、前へ。
地べたに這いつくばり、泥を啜ってでも。
視界の先。立ち込める硝煙の向こう側から、凄惨なほどに赤い朝日が昇り始める。
その光は救済でも希望でもない。ただ「生き延びた」という重苦しい虚無の事実だけを、アレンの網膜へ焼き付けていた。