第1章:祝祭と虐殺の玉座

ひび割れた石畳。
鼻腔を突き刺すのは、鉄錆と腐肉が混ざり合ったような猛烈な悪臭。
魔王城の最深部。崩れかけたドーム型の天井を重苦しい暗雲が覆い尽くしている。だが、その雲の切れ間から、まるで神が下界を覗き込むかのような一筋の月光が、玉座の間を白く照らし出していた。
光の中心。
黄金の糸を紡いだような見事な金髪が、微風に揺れる。
誰の目にも眩しい白銀の聖鎧を纏った勇者、レオン。彼の両腕が渾身の力を込めて押し込んだ聖剣が、ついに魔族を統べる王の分厚い胸板を割り、その心臓を深々と貫いていた。
ゴアァァァッ。
断末魔と共に魔王の巨体が崩れ落ちる。強烈な地響きが空気を震わせ、舞い上がった土煙が月光を遮った。
静寂。
そして、爆発。
「……やった、終わったぞ!」
「勝った! 俺たちの、人類の勝利だ!」
背後で、泥と血にまみれた仲間たちの歓声が爆発する。
薄暗い後衛の片隅。
重大な荷物を抱えていたアレンも、胃の腑がせり上がるような疲労感に耐えきれず、膝から崩れ落ちそうになる体を必死に支えた。
大きく、深く、息を吐き出す。
くすんだ白髪にこびりついた砂埃を乱暴に拭い、ひどいクマの浮いた三白眼を細める。
胸の奥で張り詰めていた太い糸が、ぷつりと切れる音がした。
これでやっと、薄汚れた王都の貧民街から続いた地獄の旅が終わる。泥水ではなく、暖かいスープを飲める。誰にも命を狙われない、平穏な日常に帰れるのだ。
だが。
そのぬるい安堵は、耳を劈くような不協和音によって無残に切り裂かれた。
[Pulse]ドクン、ドクン。[/Pulse]
異様な脈動音が、玉座の間全体を不気味に揺らす。
見上げる先。レオンの身体の底から、コールタールのようにどす黒く濁った瘴気が、間欠泉のように噴き出していた。
[A:アレン:驚き]「レオン……? おい、どうした……!」[/A]
声をかけた瞬間。
光り輝いていた白銀の聖鎧が、メシャァッという悍ましい音を立てて捻じ曲がっていく。
純白の金属が濡れたように黒く染まる。無数の刺々しい棘が生え、まるで金属そのものが生きた肉であるかのように、おぞましい漆黒の異形へと姿を変えていく。
振り返ったレオン。
その蒼い瞳は、虚ろに濁りきっていた。まばたき一つしない両目からは、とめどなく血の涙が溢れ出している。
[Shout]「ガァァァァァッ!!」[/Shout]
獣のような、いや、地獄の底から響くような咆哮。
漆黒の剣と化した凶刃が一閃する。
先ほどまで歓喜の声を上げていた前衛の戦士。彼の胴体が、呆気なく上下に分断された。
生温かい内臓。鮮血の飛沫。
それらが石畳にぶち撒けられる湿った音が、玉座の間に響き渡る。
「ヒィッ……!?」
「逃げろ、レオンが、レオンがおかしく——」
悲鳴を上げる間すらない。
漆黒の凶行が、かつての仲間たちを次々と細切れの肉塊に変えていく。
狂気の血の海。
その中心で、ゆったりとした純白の法衣を纏った銀髪の女が、静かに両手を組んでいた。
聖女エリス。
彼女の無機質な金の瞳には、微塵の動揺もない。それどころか、血に濡れた唇が歪な弧を描いている。
[A:エリス:狂気]「素晴らしい自己犠牲です。女神様もきっとお喜びになりますよ。……さあ、祝福を。新魔王の誕生です」[/A]
[Impact]新魔王。[/Impact]
その単語を脳が認識するより早く、アレンの視界がぐらりと反転した。
腹部に、焼け付くような熱。
見下ろす。
黒く染まったレオンの刃が、アレンのボロボロの革鎧ごと、己の腹を深々と貫通していた。
「あ……」
口からゴボリと、生暖かい鉄の味が溢れ出す。
レオンは無表情のまま剣を引き抜き、次の標的へと歩き出していく。その後ろ姿には、かつて「僕が全部背負うから」と笑いかけてくれた幼馴染の面影は、欠片も残っていなかった。
[Blur]視界が、急速に黒く塗りつぶされていく。[/Blur]
冷たい床に倒れ伏す。
這うように、血まみれの手を伸ばす。
崩れた瓦礫の陰。そこに、腰まで届く艶やかな黒髪を血で濡らした少女が倒れていた。
黒と真紅のゴシック調の戦闘ドレス。先ほど討伐された魔王の娘、セリア・ヴァン・ブラッド。
彼女もまた胸を深く斬られ、虫の息で瞳を血の色に染めている。
[Think]……なんでだ。なんで、あいつがあんな目に遭わなきゃいけないんだ。[/Think]
[Think]俺はまだ、あいつを助けなきゃいけないんだ。こんな所で、死んでたまるか……![/Think]
腹の傷口から激しくこぼれる自分の血。
それを震える指にこすりつけ、セリアの柔らかな胸口に強引に押し当てる。
アレンの持つ力。生命力を反転させ、対象の細胞を暴走・破壊する禁忌の力。
だが、今だけは。
そのベクトルを、執念で無理やり捻じ曲げる。俺の命の残骸と、こいつの命を強制的に結びつける。
[Magic]《生命反転・強制結合》[/Magic]
[Flash]バチィィィッ![/Flash]
アレンの指先から、赤黒い雷光が奔る。
それは二人の心臓を直接繋ぐ太い鎖となって、どくどくと脈打った。
細胞が千切れ、再生し、また千切れる凄まじい痛覚。
喉が裂けるほどの絶叫を上げながら、アレンはセリアの細く冷たい体を抱え上げる。
崩壊していく城の轟音。
その中、背後から「俺を殺してくれ」という、獣の鳴き声に混じった親友の悲鳴が聞こえた気がした。
第2章:腐海と共犯の火

喉の奥にねっとりとへばりつくような腐臭。
光の届かない腐海の森の奥深く。
アレンとセリアは、泥水に塗れながら倒れ込んでいた。
「ハァッ……ハァッ……」
傷は塞がっている。
だが、体内を駆け巡る異質な魔力のうねりが、内臓を雑巾のように力任せに絞り上げていた。
一方が死ねば、契約によってもう一方の心臓も止まる。呪いにも似た絶対の共犯関係。
[A:セリア・ヴァン・ブラッド:怒り]「……触らないで。下等な人間の血が混じるなんて、吐き気がするわ」[/A]
紅い瞳で憎々しげに睨みつけながらも、セリアの足取りはひどくフラついている。
[A:アレン:冷静]「俺だって好きで繋いだわけじゃない。……でも、今はこれしか生き残る方法がなかったんだよ」[/A]
言葉を返したその時。
頭上の分厚い樹冠が、凄まじい爆炎によって吹き飛んだ。
[Shout]「見つけたぞ、反逆者!」[/Shout]
パラパラと燃えカスが降ってくる中、着地したのは、かつてアレンが背中を預けていたパーティーメンバー。小柄な魔法使いの少女だった。
だが、その瞳には知性の光が一切ない。女神のシステムによって完全に神経を書き換えられ、ただの殺戮人形と化している。
杖の先端が赤く発光する。
容赦のない広範囲の業火が、森の湿気を蒸発させながら放たれた。
「やめろ……! 俺だ、アレンだぞ!」
必死の説得は、轟々たる熱波に呆気なくかき消される。
かつての仲間に力を向けることへの躊躇い。指が強張り、アレンの足が泥に縫い止められた。
次弾の炎弾が、アレンの顔面を正確に捉えた、その瞬間。
「……っ、この馬鹿!」
黒と真紅のドレスが翻る。
セリアがアレンの前に飛び出し、両腕を広げて立ちはだかった。
彼女の細い背中を、高熱の業火が容赦なく焼き焦がす。
[A:セリア・ヴァン・ブラッド:絶望]「ぐっ……あぁぁっ……!」[/A]
肉が焼ける嫌な臭いが鼻を突く。
セリアが痙攣し、その場に崩れ落ちる。
同時に、強固に結ばれた命の共有によって、アレンの背中にも焼鏝を直接押し当てられたような凄絶な激痛が走った。
[A:アレン:驚き]「セリア……! なんで、俺なんかを……」[/A]
[A:セリア・ヴァン・ブラッド:怒り]「勘違いしないで……! あなたが死ねば、私も死ぬのよ。……それに」[/A]
セリアは口の端から血を吐きながら、震える手でアレンの胸倉をきつく掴み上げる。
[A:セリア・ヴァン・ブラッド:狂気]「私を生かした責任を取りなさいよ、この偽善者! あなたにはまだ、成し遂げるべき執念があるんでしょう!」[/A]
その瞳の奥で燃え盛る、強烈な生の渇望。
アレンは奥歯が砕けるほど、強く噛み締めた。
そうだ。ここで終われば、レオンはずっとあの暗闇の中だ。あいつだけを、あんな地獄に置いていくわけにはいかない。
[A:アレン:怒り]「……だから俺は、脇役だって言っただろ……!」[/A]
アレンは泥を激しく蹴り上げ、魔法使いの少女の懐へと一気に潜り込む。
少女の瞳孔が開き、反射的に治癒魔法の防壁を展開する。
だが、それこそがアレンの求める餌食だった。
[Magic]《生命反転・細胞崩壊》[/Magic]
アレンの手のひらが、光の防壁に触れた瞬間。
温かな治癒の光が、どす黒く反転する。
相手の肉体を癒すはずの魔力が、細胞を内側から異常増殖させ、自壊させる猛毒へと変わった。
グチャリ。
ひどく湿った音が響き、つい先程まで魔法使いだった肉塊が、泥の上に崩れ落ちて溶けていく。
夜。
腐海の奥深く、小さな焚き火がパチパチと爆ぜる音だけが周囲を満たしている。
[Sensual]
アレンは上半身裸になり、セリアの背中に薬草のペーストを慎重に塗り込んでいた。
大きく焼け爛れた、痛々しい白い肌。冷たい指先が触れるたび、セリアの細い肩がビクンと小さく跳ねる。
[Pulse]ドクン、ドクン。[/Pulse]
「……痛いか」
「……黙って手を動かしなさい」
不器用なセリアの手もまた、アレンの背中を濡れた布で拭っている。互いの体温が、血の契約を通して直接血管に流れ込んでくるような、生々しい錯覚。
心音が重なり合い、皮膚の境界線が溶けていくような奇妙な熱を帯びる。
「俺は、卑怯だ」
アレンの口から、ポツリとひび割れた声が漏れた。
「才能がないからって荷物持ちに甘んじて……レオンの後ろに隠れて、あいつが全部背負うのを、当たり前だって思ってた。自分の弱さを正当化して、あいつの優しさに寄生してたんだ」
吐き捨てるような、重い自己嫌悪。
セリアの指先が、アレンの背中でぴたりと止まる。
[A:セリア・ヴァン・ブラッド:愛情][Whisper]「……馬鹿みたい。でも、その底辺の泥水みたいな執念、悪くないわ」[/Whisper][/A]
背中に押し当てられた彼女の額。
その確かな熱が、冷え切っていたアレンの体温を、少しだけ引き上げた。
[/Sensual]
第3章:反逆の泥濘

腐海の森を抜けた先。
荒涼とした岩山の頂に立った二人の前に、突然、[Glitch]空間がノイズのように激しく歪んだ。[/Glitch]
ガラスが粉々に割れるような甲高い音。
共に現れたのは、純白の法衣を風に揺らす、聖女エリスの幻影だった。
無機質な金の瞳が、靴の裏の虫けらを見るような冷淡さで二人を見下ろす。
[A:エリス:冷静]「驚きました。システムのエラーとはいえ、まさかここまで生き延びるとは」[/A]
[A:アレン:怒り]「エリス……! お前、レオンに何をしやがった!」[/A]
アレンの喉から、血のにじむような声が漏れる。
エリスは聖母のような完璧な微笑みを微塵も崩さないまま、淡々と、恐るべき事実を告げた。
[A:エリス:冷静]「何をした、ではありません。レオン様ご自身の選択です。人間という愚かな生き物は、共通の敵がいなければ自ら争い、自滅してしまう。だからこそ、女神様は定期的に最も強大な人間を『新たな魔王』として仕立て上げるシステムを創られました」[/A]
言葉の意味を理解しようとする脳が、激しく拒絶反応を示す。
耳鳴りが止まらない。
[A:エリス:冷静]「世界の平和のために、あの子は自ら贄となったのです。それを知った上で、彼はあなたたちを守るために運命を受け入れました。素晴らしい自己犠牲ではありませんか」[/A]
足元の地面が、底なし沼へと抜け落ちるような感覚。
レオンは、知っていたのか。
自分が魔王になることを。世界中の憎しみを一身に受けて、やがて殺されるために、勇者を演じていたというのか。
「あいつが……あいつがどんな思いで、夜中に一人で剣を振ってたと思ってんだ……!!」
[Tremble]アレンの両手が、爪が食い込み血が滲むほど固く握りしめられる。[/Tremble]
[A:エリス:冷静]「理解できませんね。ですから、あなたも世界の予定調和のために、大人しく死んでください」[/A]
エリスが指を鳴らす。
空が黄金色にひび割れた。
雲の隙間から、無機質な顔を持つ数十体の天使の群れが降臨し、二人を完全に包囲する。
圧倒的な神の威圧感。空気を震わせるほどの魔力が集束し、光の矢が一斉に弓に番えられた。
だが。
アレンの心を満たしていたのは、死への絶望ではなかった。
腹の底からグツグツと煮え滾るような、理不尽な世界に対するドス黒い殺意。
[A:アレン:狂気][Shout]「世界が……世界がレオンを犠牲にするっていうなら!」[/Shout][/A]
アレンは腰の短剣を引き抜き、躊躇いなく自らの腕を深く切り裂いた。
噴き出した鮮血を、隣に立つセリアに向けて乱暴に振り撒く。
[A:アレン:狂気][Shout]「俺がこんな狂った世界を、全部反転させてやる!!」[/Shout][/A]
[A:セリア・ヴァン・ブラッド:興奮]「ふふっ……あははははっ! いいわ、そのイカれた目! 私の血も、全部あげる!!」[/A]
セリアがアレンの血を舌で舐め取った瞬間。
彼女の背中から、真紅のコウモリの翼が爆発的に広がる。周囲の空気が血の匂いに染まり、突風が巻き起こる。
アレンもまた、己の命そのものを削りながら、生命反転のリミッターを完全に破壊した。
[Magic]《生命反転・限界突破》[/Magic]
空から一斉に降り注ぐ、無数の光の矢。
だが、アレンの周囲に展開された赤黒い反転のオーラが、聖なる光を触れた端からどす黒い汚泥へと変換し、天使たちへと容赦なく跳ね返す。
「ギィィィィッ!?」
神の兵器たちが、自らの力を反転させられ、肉体を腐らせて次々と墜落していく。
すかさず、セリアの放つ鮮血の槍が、落ちていく天使たちの心臓を的確に串刺しにする。
血飛沫が舞い、羽が燃え上がる。
神聖な光を泥と血で汚しながら。
底辺を這いずってきた二人の、神への反逆の狼煙が高らかに上がった。
第4章:祈りの果て、剣戟の雨

天使の死骸が山のように積み上がる。
その異様な頂から、天空の神殿へと続く眩い光の階段が、静かに降りてきていた。
大理石の柱が立ち並ぶ、神殿の最深部。
冷たい風が吹き抜ける広大な空間の奥に、エリス、そして――禍々しい漆黒の鎧を纏ったレオンが立っていた。
かつての黄金の髪は瘴気に黒く染まり、右腕と完全に一体化した大剣からは、触れるもの全てを死滅させる致死の魔力が垂れ流されている。
[A:エリス:冷静]「ここまで這い上がってくるとは。ですが、ここがあなたたちの限界です」[/A]
エリスが両手を高々と掲げる。
神殿の天井から、数百の天使が新たに実体化しようと光を放つ。
その絶望的な物量を前にして、セリアが一歩前へ出た。
彼女は自身の左腕の血管に鋭い爪を立て、躊躇いなく引き裂く。
[A:セリア・ヴァン・ブラッド:狂気]「勘違いしないで。私は私の誇りのために戦うだけよ!」[/A]
膨大な鮮血が空中に広がり、巨大な真紅の檻となって、エリスと天使たちの群れを完全に包み込んでいく。
全血を代償にした鮮血魔法の最終奥義、空間隔離結界。
[A:エリス:驚き]「なっ……魔族風情が、神の空間を切り取るなど……!」[/A]
[A:セリア・ヴァン・ブラッド:興奮][Shout]「ここは私が引き受けるわ! 行って、あなたの運命の鎖を断ち切ってきなさい!」[/Shout][/A]
血を吐きながら叫ぶセリアの背中を、一度だけ強く見つめ返す。
アレンは、大理石の床を蹴った。
目標は、目前に立つ親友ただ一人。
「ガァァァァッ!!」
獣の咆哮と共に、レオンの漆黒の剣が振り下ろされる。
アレンは短剣で受け流そうとするが、圧倒的な力任せの一撃に軽々と弾き飛ばされ、神殿の太い柱に激突した。
肋骨が数本、メキリと折れる嫌な音。
[A:アレン:絶望]「ぐふっ……!」[/A]
肺から空気が押し出される。休む間もなく、必必殺の追撃が来る。
肉が裂け、血が空を舞う。
アレンは致命傷を避けるのが精一杯だ。傷口から流れる血を生命反転で強引に細胞と結びつけ、無理やり肉体を縫い合わせていく。
[Impact]痛い。息ができない。[/Impact]
だが。剣を打ち合わせる至近距離で、アレンは確かに見た。
漆黒の兜の奥、濁りきった蒼い瞳。
その深淵に、ほんの僅かな光が残っているのを。
[A:レオン:悲しみ][Whisper]「……ア……レン……にげ……て……」[/Whisper][/A]
泣いていた。
世界中を救うふりをして、一人で全てを背負い込み。
今もなお、俺を殺したくないと、魂の奥底で泣き叫んでいる。
「……ふざけんなよ」
アレンは、構えていた短剣をその場に投げ捨てた。
カラン、と乾いた音が響く。防御を完全に捨てる。
[A:アレン:怒り][Shout]「一人で全部背負うとか……勝手なこと言ってんじゃねぇ!!」[/Shout][/A]
アレンは丸腰のまま、レオンの懐へと一直線に突進した。
迎え撃つレオンの漆黒の大剣が、アレンの左肩から胸にかけてを深く切り裂く。
鮮血が噴き出し、視界が激しく明滅する。
だが、止まらない。
肉を斬らせ、冷たい刃を自らの骨で挟み込んで止める。
そのまま強引に前へ出る。
血に塗れたアレンの右手が、レオンの胸の中央、激しく脈打つ漆黒の魔力核を直接鷲掴みにした。
[A:アレン:愛情]「もういい……もう十分だ、レオン。あとは俺が背負う」[/A]
アレンは己の命の残滓、その全てを右手に集約させる。
[Magic]《生命反転・完全出力》[/Magic]
[Flash]カァァァァァッ!![/Flash]
アレンの手から放たれた極大の生命反転の波動が、レオンの魔力核の奥深くへと、容赦なく叩き込まれた。
第5章:神殺しの荒野にて
「アアアァァァァァッ!!」
魔力核から注ぎ込まれた反転の力が、レオンの肉体を縛る魔王の呪いを、内側から粉々に破壊していく。
漆黒の鎧がガラスのように砕け散る。
どす黒い瘴気が、神殿の天井へと猛烈な勢いで噴き上がった。
[A:エリス:狂気][Shout]「……ありえない! 神のシステムが、人間の執念ごときに破壊されるなど!」[/Shout][/A]
背後の隔離結界が、限界を迎えて弾け飛ぶ。
血まみれになって倒れるセリアの向こうで、エリスの無機質な顔が初めて激しい怒りに歪んでいた。
彼女の純白の法衣が異常なほど発光する。彼女自身の肉体を媒体にして、途方もない質量を持った「女神」そのものが、この空間に降臨しようとしているのだ。
空間が圧壊し、黄金の光の津波がすべてを飲み込もうと迫る。
「セリア!!」
アレンは叫びながら、レオンから溢れ出た膨大な魔王の瘴気に、両手を突き出した。
[A:アレン:狂気]「呪いだろうが何だろうが、俺が全部、生命力に反転してやる!!」[/A]
両腕の血管が圧力に耐えきれず破裂し、血が噴き出す。
だが、漆黒の瘴気はアレンの血に濡れた手を通ることで、純粋で強大な、黄金の生命力へと変換されていく。
その圧倒的な光の奔流を。
倒れていたセリアが、血塗れの腕でしっかりと受け取った。
彼女の残存する全魔力と、アレンが変換した無限の生命力が融合し、一本の巨大な真紅の槍を形作る。
[A:セリア・ヴァン・ブラッド:怒り][Shout]「消えなさい、薄っぺらい神様!!」[/Shout][/A]
放たれた真紅の槍は、迫り来る光の津波を真正面から引き裂いた。
そして、絶叫するエリスの胸の中央を、正確に撃ち抜いた。
[A:エリス:絶望]「なぜ……予定調和の、美しい世界が……」[/A]
理解不能な事象に目を見開いたまま。
エリスの肉体はガラスのようにひび割れ、無数の光の粒子となって、永遠に消滅した。
神殿を覆っていた重い雲が晴れ、本来の澄み切った青空が顔を覗かせる。
静寂が戻った神殿の中心。
アレンは膝をつき、本来の人間の姿に戻ったレオンの上半身を、静かに抱き抱えていた。
黄金の髪は色褪せている。その身体は既に限界を迎え、崩れるように冷たくなっていく。
[A:レオン:愛情][Whisper]「……ごめんね、アレン。君を、巻き込みたくなかったんだけどな」[/Whisper][/A]
[A:アレン:悲しみ]「喋るな……! 今、治すから。俺の力なら、まだ……!」[/A]
震える手で魔力を送ろうとする。だが、レオンは力なく首を横に振った。
[A:レオン:愛情][Whisper]「ありがとう、アレン。これでやっと……僕は、休めるよ」[/Whisper][/A]
その蒼い瞳から、一筋の透明な涙がこぼれ落ちる。
かつて世界を救おうとした完全無欠の勇者は。
一番の親友の腕の中で、静かに、安らかに息を引き取った。
「…………ぁ、ぁぁ……」
アレンの喉の奥から、言葉にならない音が漏れる。
温もりが完全に消えていく親友の体をきつく抱きしめ、天を仰ぐ。
[Shout]「あああああああああああああっ!!」[/Shout]
獣のような慟哭が、誰もいない崩壊した神殿に、いつまでもいつまでも響き渡っていた。
――それから数日後。
赤茶けた荒野を吹き抜ける乾いた風が、二つの人影の外套を揺らしている。
魔王を討伐した勇者を惨殺し、神の代行者たる聖女を消滅させた、前代未聞の大罪人。
世界最大の反逆者として全大陸から指名手配された、アレンとセリアの姿がそこにあった。
「ねえ、歩くのが遅いわよ。人間って本当に不便な生き物ね」
「誰のせいで命が繋がって、こんなに体が重いと思ってるんだよ」
アレンは皮肉交じりに返しつつ、三白眼を細めて眩しい夕陽を見た。
その顔に、かつての卑屈な影はない。誰かに依存するだけの弱さは、もうどこにも見当たらなかった。
セリアもまた、呆れたようにため息をつきながら、アレンの遅い歩幅にわざと合わせて歩を進めている。
神の理不尽なシステムが壊れ、これから世界は再び、血で血を洗う混沌に包まれるだろう。
決して、美しい平和など訪れない。
それでも。
狂った予定調和から解放され、血と泥に塗れてでも、自分たちの足で歩いていく。
果てしなく続く荒野の向こうへ。
二人は名もなき旅人として、泥まみれの、だが確かな一歩を踏み出した。