■ 第1章:血の雨が降る Zenith ■
赤黒い雨が、冷え切ったコンクリートを無慈悲に叩きつけている。
巨大地下都市アビスの最上層。
そこは、錆びた鉄の匂いと硝煙、そして咽せ返るような血の臭いが混ざり合う、息の詰まるような墓標。
視界の端から端まで、ちぎれた肉片のように治安維持部隊の死体が転がっている。
凄惨な地獄の中央で、カイル・イグニッションは崩れ落ちるように膝をついた。
煤とオイルに汚れたオーバーオール。
肩から羽織ったオーバーサイズのレザージャケットが、べったりと雨を吸い込み、鉛のような重さで肩に食い込んでいる。
カイルの傷だらけの拳が握りしめるのは、一本の重厚な大口径拳銃。
震える銃口は、親友であるリュカ・ヴァンルージュの額へ、まっすぐに向けられていた。
リュカ・ヴァンルージュ「……撃てよ、カイル」
血を吐くような静寂を破り、声が響く。
リュカの月の光のような銀色の髪が、生々しい赤黒い血に濡れそぼっている。
肌に張り付く黒いタクティカルスーツは幾重にも引き裂かれ、乱れた呼吸に合わせて、胸元で銀の認識票が鈍く揺れた。
冷徹なはずのアイスブルーの瞳が、今はカイルをひどく愛おしそうに見つめている。
薄く笑う唇から、血の混じった飛沫がこぼれ落ちた。
リュカ・ヴァンルージュ「俺を殺して、この胸の認証キーを奪え。そうすれば、お前が焦がれた空が手に入る」
カイル・イグニッション「なんで……なんでこんなことになっちまったんだよ……!」
カイルの金色の三白眼から、止めどなく熱い雫がこぼれ落ちる。
凍てつく雨と混ざり合い、鋭いアゴのラインを伝って滴り落ちた。
首元に刻まれた、黒いバーコードのような不気味な痣が、ドクドクと異常な脈動を打ち、警鐘のように熱を帯びる。
脳裏をよぎるのは、こんな地獄とは無縁だった、あの錆びついたゴミ山の記憶。
ただ不味いスープを分け合い、天井の星の絵本を眺めて笑っていた、温かく、かけがえのない日々。
カイル・イグニッション「俺は、お前と一緒に! あそこに行きたかったんだッ!」
カイルの絶叫が、雨音を乱暴に切り裂く。
リュカ・ヴァンルージュ「……馬鹿な奴だ。お前のそういうところが、たまらなく邪魔だった」
偽悪的な言葉とは裏腹に、リュカは安堵したように静かに目を閉じた。
カイルは嗚咽を噛み殺し、引き金にかかった指に力を込める。
カチリ。
金属が噛み合う、冷徹な死の音が、雨音の中に吸い込まれていく。
すべての始まりは、あの薄汚れた、最下層のスラム街だった。
■ 第2章:ゴミ山に咲く希望の歌 ■
巨大地下都市アビスの最下層、第99廃棄区画。
そこは太陽の恵みなど永遠に届かない、分厚い鉄の天井に覆われた暗黒の檻。
鼻をつく腐臭と、絶えず鳴り響く排気ファンの重低音。
だが、カイル・イグニッションにとって、そこは退屈だが愛すべき我が家だった。
カイル・イグニッション「おいリュカ! これを見てくれよ! 超A級のジャンクだぜ!」
赤髪を激しく揺らしながら、カイルはガラクタの山から軽快に飛び降りた。
身の軽さはスラムの野良猫そのもの。
手にした錆びだらけのシリンダーを誇らしげに掲げ、悪戯っぽく笑いかける。
リュカ・ヴァンルージュ「ただのスクラップだ。そんなもので明日のスープ代が稼げるとでも?」
隣に立つリュカ・ヴァンルージュは、一切の汚れもない足取りで、不快な泥濘を避けて歩く。
銀の髪が乏しい人工光を浴びて、うっすらと白金色に輝いていた。
その整った顔立ちと、無駄のない所作は、ゴミ溜めには全くそぐわない。
カイル・イグニッション「へへん、これがあれば、俺の特製コンプレッサーが完成するんだよ。笑えよリュカ。空が俺たちを呼んでるぜ!」
カイルは鼻の頭を親指で擦り、屈託なく笑う。
リュカ・ヴァンルージュ「……お前は本当に救いようのない馬鹿だな。俺がいないと、すぐに死ぬぞ」
やれやれと大げさに首を振るリュカ。
だが、その視線はカイルの無邪気な横顔に固定され、一瞬だけ、張り詰めた糸が緩むように柔らかく弛緩した。
その夜、カイルの狭いアジトで、二人は膝を突き合わせていた。
凹んだ鍋の中でふつふつと煮えるのは、不純物だらけのひどく不味い合成スープ。
それを一口すするたびに、カイルは「うげえ」と顔を顰め、舌を出す。
カイル・イグニッション「不味い! でも、お前と食うと、なんかマシに思えるから不思議だな!」
リュカ・ヴァンルージュ「塩分濃度が計算上、致死量に近い。だが……悪くはない」
リュカは眉間を寄せながらも、文句を言いながらスープを最後の一滴まで静かに飲み干す。
窓の外には、配管から漏れる有害な煙と、遠くに見えるかすかなネオンの光。
カイルは壁に貼られた、ボロボロの星空の絵本を力強く指差した。
カイル・イグニッション「いつかさ、本物の星ってやつを、お前と一緒に見たい。この手で、あの分厚い天井をぶち抜いてよ」
リュカ・ヴァンルージュ「……ああ。その時は、俺が案内してやる」
穏やかな静寂が二人を包み込む。
だが、その平穏は、突如として響き渡った耳を劈く警報によって、無残に引き裂かれた。
■ 第3章:赤い雨、そして裏切りの銃弾 ■
「警告。第99廃棄区画において、有害生体反応を検知。これより、浄化作戦を開始する」
無機質な機械音声が、スラムの淀んだ空気を切り裂く。
同時に、天から降り注いだのは恵みの雨ではない。
赤く燃え盛る焼夷弾の嵐だった。
カイル・イグニッション「な、なんだこれ!? みんな、逃げろ!」
爆風が吹き荒れ、トタン屋根が紙屑のように吹き飛ぶ。
炎の中を、カイルはパルクールで駆け抜ける。
崩れ落ちる建物の隙間から、取り残された孤児をすくい上げ、必死に背中に庇った。
だが、行く手を阻むように、炎を切り裂いて一人の白い影が舞い降りる。
軍服をドレスのように着崩した、純白のロングコート。
それを翻し、身の丈を超える巨大な黒い大鎌を担いだ女。
シエル・ノワールが、口元のキャンディを舌の上で転がしながら、紅い瞳を三日月のように細めていた。
シエル・ノワール「あらあら、汚いネズミたちが慌てて逃げ回っているわねぇ。愛らしくて、壊したくなっちゃう」
大鎌が空を裂く。
ヒュガァァッ!
風切り音。ただそれだけで、周囲のコンクリート壁が豆腐のように両断され、粉塵が舞い上がった。
カイル・イグニッション「お前、ふざけるなーーッ!」
カイルは落ちていた鉄パイプを拾い上げ、怒りに任せてシエルに肉薄する。
しかし、大鎌の柄で軽く腹を突かれ、そのまま地面を無様に転がった。
口から苦い血が溢れる。
立ち上がろうとするカイルの胸元へ、シエルの冷酷な刃が迫る。
「そこまでだ、処刑人」
冷徹な声とともに、二条の銃弾がシエルの鎌を弾き飛ばした。
火花が散る。
リュカだった。
二丁のピストルを構え、一切の無駄のない立ち姿でカイルの前に立ちはだかる。
カイル・イグニッション「リュカ……! 助かった……!」
リュカ・ヴァンルージュ「……下がっていろ、カイル」
リュカはシエルから視線を外さず、胸元の隠された通信機を指で弾いた。
そして、氷のように冷徹な声で「特定のコード」を吐き出す。
リュカ・ヴァンルージュ「コード・ヴァンルージュ。これより、特異個体『コア』の確保に移行する。作戦名:『ゆりかごの終焉』。治安維持軍、射撃を停止しろ」
その瞬間。
スラムを焼き尽くしていた兵士たちの動きが、一斉に停止した。
カイルの耳の奥で、キーンという強烈な耳鳴りが響く。
視界が急速に狭窄し、肺から無理やり酸素が奪われていく感覚。
カイル・イグニッション「……え? リュカ……お前、何を……言って……」
ゆっくりと振り返ったリュカ。
その胸元には、スラムの住人が持つはずのない、上層部特務機関『白き庭』のエリート認識票が、青白い光を放って揺れていた。
リュカ・ヴァンルージュ「哀れだな、カイル。お前の『空』への夢想も、ここで終わりだ」
カイル・イグニッション「嘘だろ。」
親友の冷たい瞳に見下ろされながら、カイルの意識は、深い泥の底へと急激に沈んでいった。
■ 第4章:白亜の牢獄、剥がされる仮面 ■
意識を取り戻したとき、カイルはひどく冷たい金属の台の上にいた。
四肢を厳重な拘束具で固定され、指先一つ動かせない。
眩しい蛍光灯の暴力的な光が、金色の目を容赦なく刺す。
カイル・イグニッション「出せ! ここから出せ、リュカァ!」
手首から血が滲むほど拘束具を暴れさせるカイル。
部屋の隅から、硬質な靴音が響く。
現れたのは、スラムの泥を綺麗に洗い流し、完璧な黒の軍服に身を包んだリュカだった。
その表情には、一切の温かみもない。能面のような冷酷さ。
リュカ・ヴァンルージュ「暴れるな。エネルギーの消耗を早めるだけだ」
カイル・イグニッション「お前、ずっと俺を騙してたのか? あの不味いスープも、空を見るって約束も、全部嘘だったのかよ!」
リュカはカイルの横に立ち、無機質なホログラムディスプレイを展開した。
空間に浮かび上がったのは、カイルの心臓部に脈打つ、青い光の塊の立体映像。
リュカ・ヴァンルージュ「お前は人間ではない。この都市アビスを維持するための『生体機関コア』のクローンだ。お前が活動することで、スラムの人間たちの生命力が搾取され、都市のエネルギーに変換されている」
ドクン、と心臓が跳ねる。
呼吸が浅くなる。喉の奥がカラカラに乾き、唾液を飲み込むことすら困難だった。
カイル・イグニッション「俺が……みんなを、殺してた……?」
リュカ・ヴァンルージュ「そうだ。俺の任務は、お前が余計な自我を持ち、『外』へ行こうとしないよう監視すること。反逆の兆候があれば、即座に脳を初期化する」
リュカは、鈍く光る注射器をカイルの首筋へ近づけた。
その銀色の針が、カイルの震える肌に触れる。
カイル・イグニッション「お前だけは……信じてたのに……。お前だけは、俺の味方だって……!」
カイルの目から、血の混じった涙がこぼれ、金属の台を濡らす。
リュカは無言で針を突き刺そうとする。
だが、その瞬間。
カイルには見えなかった。
リュカの軍服の袖の中で、その拳が、爪が手のひらの肉に食い込みドクドクと血が滴るほどに、激しく震えていたことを。
♥静寂の中で、リュカの激しい心音が、悲鳴のように反響している。[/Heart]
彼の背中が、まるで耐え難い重圧を一人で背負うかのように、小さく丸まっていたことを。
シエル・ノワール「あらあら、お取込み中失礼するわねぇ?」
チュドォォォン!!
突如、分厚い天井が凄まじい爆炎とともに吹き飛んだ。







■ 第5章:泥を這う天使の証明 ■
舞い散るコンクリートの破片。
黒煙の中から、巨大な大鎌を肩に担いだシエルが、退屈そうにキャンディの棒をペッと吐き捨てて現れた。
リュカ・ヴァンルージュ「シエル……! 何の真似だ。ここは特務機関の直轄エリアだぞ」
リュカが瞬時に銃を抜き放ち、銃口を向ける。
シエル・ノワール「そんなお堅いルール、アタシの鎌には通用しないわよ。それよりカイル君、面白いものを見せてあげる」
シエルは嗤いながら、大鎌の柄を床に叩きつけた。
《カオティック・エクリプス》
部屋の電子システムが一斉にショートし、青白い火花を散らす。
同時に、壁の巨大モニターに、膨大な暗号データが強制的に展開された。
カイル・イグニッション「これは……何だ?」
画面に映し出されたのは、リュカのアカウントによる極秘アクセスログ。
そこには、何年にもわたる『アビス脱出シミュレーション』の膨大な記録があった。
カイルの生体データを精巧に偽装し、上層部の目をごまかしながら、彼を無傷で外の世界へ逃がすための、完璧にして狂気的な裏切り計画の全貌。
シエル・ノワール「この冷血漢、あなたを裏切ったフリをして、自分一人だけで全人類を敵に回す準備をしてたのよ。自分が裏切り者として処刑され、あなただけを『外』へ逃がすためにね」
脳が、理解を拒絶する。
呼吸が止まる。全身の血が逆流するような感覚。
カイル・イグニッション「リュカ……お前、俺のために……」
リュカ・ヴァンルージュ「余計なことをするな、シエル! 俺の計画を邪魔する者は、誰であれ排除する!」
リュカが引き金を引こうとした瞬間、シエルは素早くカイルの拘束具を大鎌で叩き斬った。
ガシャン、と重い鉄枷が床に落ちる。
シエル・ノワール「さあ、どうするの? カイル君。このまま彼に守られて、優しい温室で死ぬ? それともーー」
カイルの胸に、かつてない熱い血が駆け巡る。
ドクン、ドクン、ドクン。
首の黒い痣が、赤く熱く燃え上がる。
生体エネルギーが、カイルの意思を無視して限界を超え、全身の細胞が悲鳴を上げる。
カイル・イグニッション「ふざけんな……。ふざけんなよ、リュカ!!」
《オーバードライブ》
カイルの体から、目も眩むような黄金の光が爆発した。
残った拘束台を粉々に粉砕し、彼は立ち上がる。
燃え盛る瞳で、親友を真っ向から睨みつけた。
カイル・イグニッション「誰が一人で逃げるかよ、大馬鹿野郎!!」
■ 第6章:反逆の狂宴、背中合わせの歌 ■
中央広場。
そこは、反逆者となったリュカ・ヴァンルージュの公開処刑場と化していた。
両膝を突かされ、首元に重く冷たい鉄の刃が迫る。
周囲を取り囲むのは、幾千もの銃口を向ける治安維持兵たち。
リュカ・ヴァンルージュ「……これで、いい。カイルさえ、生き延びてくれれば」
リュカが静かに目を閉じ、死の覚悟を決めた、その瞬間。
どおおおおおおん!!!
処刑台の遥か頭上、分厚いガラス張りの天井が派手にブチ破られた。
降り注ぐ無数のガラス片。
光の粒子を浴びて、空から降ってきたのはーー煤まみれの赤い彗星。
カイル・イグニッション「迎えに来たぜ、大馬鹿野郎ーー!!」
カイルは着地と同時に、処刑人の顔面を思い切り蹴り飛ばした。
そのまま流れるような動作で、リュカの拘束を鉄パイプで叩き壊す。
リュカ・ヴァンルージュ「なぜ来た! お前は生き延びて、空を見るべきだった! 俺の計画が、すべて無駄になる!」
激昂するリュカ。
だが、次の瞬間。
バキィッ!
カイルの硬い拳が、リュカの美しい顔面にクリーンヒットした。
リュカの体が、無防備に横へと吹っ飛ぶ。
カイル・イグニッション「お前が隣で笑ってねえ空なんて、見たくもねえんだよ!!」
リュカは腫れ上がった頬を押さえ、目を見開いた。
アイスブルーの瞳が、驚きと、そして初めて子供のようにクシャリと歪む感情で満たされる。
震える息を吐き出す。
リュカ・ヴァンルージュ「……本当にお前は、救いようのない馬鹿だ」
カイル・イグニッション「へへっ、知ってるだろ?」
二人は背中を合わせる。
四方から押し寄せる、鋼鉄の兵士たちの波。
リュカは奪い取った二丁拳銃を構え、カイルは即席の鉄パイプを肩に担ぐ。
血の匂いと硝煙が、彼らの闘争本能を煽る。
リュカ・ヴァンルージュ「死なせるなよ、カイル」
カイル・イグニッション「おう! お前もな、リュカ!」
二つの影が、光と影の凶悪なダンスを踊るように、圧倒的な軍勢の中へと飛び込んでいった。
■ 第7章:自己犠牲を、その手で撃ち抜け ■
ガアアァァンッ!!
ひしゃげた分厚い鋼鉄の扉が、凄まじい轟音とともに吹き飛ぶ。
白煙と火花が舞い散る中、カイルとリュカは、ついにアビスの最上層、外界を隔てる大扉の前へと足を踏み入れた。
だが、そこに至るまでの代償はあまりにも重かった。
リュカの息は絶え絶えだ。
カイルを庇って浴びた高出力レーザーが、彼の脇腹を深く抉っている。漆黒のタクティカルスーツは、どす黒い血で完全に濡れそぼり、歩くたびにべちゃりと嫌な音を立てていた。
物語は、あの始まりの雨へと繋がる。
カイルは、震える手で銃を向けたままだ。
リュカ・ヴァンルージュ「撃て……カイル。俺の体内の認証キーを読み込ませなければ、この扉は開かない」
カイル・イグニッション「できるわけねえだろ……! お前を殺して、俺だけが行くなんて、そんなの……!」
リュカ・ヴァンルージュ「行け。お前の夢は、俺の夢だ。お前が空に届けば、俺の魂も救われる」
吐血しながらも微笑む、ひどく美しい自己犠牲。
だが、カイル・イグニッションという男は、どこまでも身勝手で強欲なエゴイストだった。
ガシャァン!
カイルは、手にした拳銃を、遥か下の暗闇へと放り投げた。
カイル・イグニッション「誰がそんな安い脚本に、乗るかよ」
カイルは、首の黒い痣に指を突き立て、自身の『生体機関コア』を最大出力で暴走させた。
黄金のオーラが、彼の命をガリガリと削りながら、周囲の防衛システムへと凄まじい勢いで逆流していく。
カイル・イグニッション「システムが何だ! 運命が何だ! 全部、俺が壊してやる!」
カイルの毛穴から血が吹き出す。
自壊を始め、火花を散らして崩壊していくシステム。
カイルは薄れゆく意識の中で、リュカに背を向け、大扉を力任せにこじ開けようとする。
カイル・イグニッション「お前が生きてりゃ、いつか空が見れるさ……。じゃあな、リュカ」
カイルの体が、崩壊の光の彼方へ消えかけようとした、その時。
「ふざけるな……!」
冷たい、けれど火傷しそうなほど猛烈に熱い手が、カイルの腕をガシッと掴んだ。
血まみれのリュカだった。
その顔は、冷徹な仮面をかなぐり捨て、狂気と執着に満ちていた。
二人の脈拍が、重なり合うように激しく跳ねる。
リュカ・ヴァンルージュ「お前が死んで世界が救われても、俺には何の意味もない! 俺は、お前と一緒に空を見るんだ!!」
強引に引き戻される。
二人の、お互いを生かしたいという身勝手で強欲なエゴが絡み合い、システムの限界値を完全に突破した。
爆発的な光が、すべてを飲み込んでいく。
■ 第8章:錆びた空に、二人の引き金を ■
静寂が、辺りを包んでいた。
アビスの分厚い天井が完全に崩壊し、二人は瓦礫の山の上に横たわっていた。
カイルはゆっくりと重い目蓋を開ける。
全身の骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げている。痛みは消えていない。
だが、隣を見れば、同じように泥と血に塗れたリュカが、微かに、しかし確かに呼吸をしていた。
カイル・イグニッション「リュカ……生きてるか?」
リュカ・ヴァンルージュ「……お前のせいで、全身が痛む。ひどい有り様だ」
掠れた声。カイルは痛みを堪えて這い上がり、顔を上げた。
そこには、二人が命を懸けて夢見た『外の世界』が広がっている。
だが。
そこに広がっていたのは、絵本にあるような青い空でも、緑の草原でもなかった。
見渡す限りの、灰色の荒野。
肺を焼くような有毒なガスを含んだ、錆びついた濁った雲。
世界は、とっくの昔に滅びていたのだ。
救済などない。緑の楽園など、初めから存在しなかった。
カイル・イグニッション「……そうか。世界は、もう終わってたんだな」
肺を刺すような冷たい風が吹き抜ける。悲痛な沈黙。
しかし、その時。
分厚い錆色の雲の隙間から、一筋の、強烈な太陽の光が差し込んだ。
それは、アビスのどの人工光よりも暖かく、痛いほどに眩しく、二人の泥だらけの顔を等しく照らし出す。
カイル・イグニッション「……なんだこれ。すげぇ眩しいな」
カイルの目から、涙がこぼれる。
だが、その表情は、スラムで見せていたあの最高に無鉄砲な笑顔だった。
リュカ・ヴァンルージュ「ああ……ひどく目に余る」
リュカもまた、人生で初めて、冷徹な仮面のない心からの微笑みを浮かべていた。
緑の楽園はなくても、誰かに管理される息苦しい檻はもうない。
二人の血まみれの手には、この無限に続く死の世界と、互いの命を削り合って証明した、呪いのような本物の絆だけが残されていた。
カイル・イグニッション「行くか、リュカ。この先へ」
リュカ・ヴァンルージュ「お前が迷子にならないよう、俺が付いていってやる」
傷だらけの肩を並べ、二人は果てしない錆びた荒野へと歩き出す。
その背中に、新しい時代の風が、静かに吹き抜けていった。