第一章: 死線宣告の黒き塊
石造りの冷え切った回廊に、耳をつんざく金属鳴が響き渡った。
クロード・アシュフォード「ぐ、あああっ……! 退け、二人とも……我が命脈、もはや半刻も持たん……!」
漆黒の竜鱗装甲が、激しい痙攣とともに甲高い悲鳴を上げる。歴戦の体躯を支えきれず、銀髪をびっしりと冷や汗で濡らした聖騎士クロード・アシュフォードがその場に膝を折った。
セレスティア・フォン・ローゼンバーグ「な、何を言っていますのクロード!決戦を前にして、そのような冗談……!」
白銀の長髪を乱し、セレスティア・フォン・ローゼンバーグは宮廷魔道ローブの裾を無我夢中で踏みつけながら駆け寄る。その指先は血の気を失い、氷のように強張っていた。
クロード・アシュフォード「冗談なものか……喉が、内臓が、灼熱の業火に焼かれている……! 我が心臓が止まるその瞬間まで、貴様らだけは必ず生きて帰す!」
クロードの喉元が波打ち、分厚い胸当てを内側から押し上げるほどの激痛が走る。吐き出される息は焦燥と苦悶に濁り、浅い呼気ばかりが肺腑を空回りしていた。
ヴェルナー・バルツァー「動かないでください。終末預言第七節、滅びの兆候か否か……神聖聴診術式を展開します」
眼鏡の奥で怜悧な双眸を細め、神官戦士ヴェルナー・バルツァーが静かに膝をつく。純白のチェストアーマーを鳴らし、掲げた聖典の隙間から抜き放った左手が、クロードの腹部へ無慈悲に押し当てられた。
ヴェルナー・バルツァー「……神よ。腹腔内にて未曾有の破滅エネルギーが暴走しています。これは古代魔王の心臓片による終末呪詛に酷似していますね」
嘘でしょう……!? 先刻、決戦の活力にと無理やり口へ突っ込んだ私の特製強壮菓子……あれが呪毒に化けたというの……!?
セレスティアの背筋を、暴力的な悪寒が駆け抜けた。奥歯がガチガチと鳴り、喉の奥がカラカラに乾き上がる。
セレスティア・フォン・ローゼンバーグ「嘘……そんな、私の……」
クロード・アシュフォード「セレスティア、離れろ! 全身の毛穴から黒煙が噴き出しているのが見えんのか……! 我が臓腑は今、神をも滅ぼす漆黒の呪毒に食い破られている!」
男の喉から漏れるのは、もはや言葉の体をなさない獣の呻き。脂汗が顎を伝い、床石に黒ずんだ染みを作っていく。
ヴェルナー・バルツァー「開腹浄化しか救う手はありません。安心してください、どれほど凄惨に魂が砕け散ろうと、私が殉教録に刻みます」
ヴェルナーの手先が淡く発光し、儀式用ナイフの切っ先がクロードの腹帯へ迷いなく伸びる。聖職者の瞳に宿るのは、純粋な探求という名の異常な熱狂だった。
セレスティア・フォン・ローゼンバーグ「ふざけないで! 貴方を死なせはしません! この私が、その呪いごと焼き尽くして差し上げますわ!」
第二章: 絶対零度の外科結界

《極限凍結・絶対零度結界》
魔王城の扉前、四方を塞ぐ青白い氷壁が一瞬で立ち塞がり、外敵の咆哮を遮断する。吹き荒れる極微の吹雪が、瞬く間に石畳を純白の霜で覆い尽くした。
クロード・アシュフォード「な、何をするセレスティア! 私に触れるな、毒が感染するぞ!」
床から鋭利にせり上がった四本の氷柱が、クロードの両手首と足首を容赦なく固定した。重装鎧の合わせ目から暴力的な冷気が侵入し、火照り狂う皮膚を凍えさせる。
セレスティア・フォン・ローゼンバーグ「黙りなさい! 貴方が死ぬくらいなら、私がその毒ごと呑み干してあげますわ!」
白磁の頬を涙で濡らしながら、セレスティアがクロードの胸板へ強引に馬乗りになった。細い指先が、男の荒々しい顎骨を軋むほど強く引き寄せる。
ヴェルナー・バルツァー「おお……神話に謳われし魂の犠牲劇。背後の悪鬼共は私が戦鎚で粉砕しておきます、心置きなく愛の洗礼を」
クロード・アシュフォード「やめろ……我が最期を、ただ静かに見届けてくれ……!」
荒い呼気が重なり合い、胸元の白銀ペンダントが激しく揺れ動く。
セレスティア・フォン・ローゼンバーグ「口を開けなさい、クロード……私の魔力解毒水を、胃袋の底まで注ぎ込んであげますから……!」
ふたりが吐き出す息の白さが混ざり合い、熱と冷気が絡み合って濃密な霧を生む。
震える指先が武人の唇をこじ開け、氷属性の超高純度魔力が直接喉奥へと雪崩れ込んだ。
クロード・アシュフォード「ご、ぶっ……! つ、冷た……いや、熱い、腹が裂ける……!」
細い手首をクロードの剛腕がすがりつくように握り締め、荒々しい吐息が白く凍りつく。
拘束を軋ませるほどの激痛に、男の背筋が弓なりに反り、瞳孔が収縮を繰り返す。
首筋に浮き出た血管が脈打ち、冷涼な魔力の奔流が無理やり胃壁を洗い清めていく。
セレスティア・フォン・ローゼンバーグ「逃がさない……全部吐き出しなさい、貴方の命は、私のものよ……!」
クロード・アシュフォード「げほっ、ごふっ……!!」
胃腔の底から逆流したものが、冷気の中で黒褐色の飛沫となって石畳へぶちまけられた。
ぶちまけられた汚泥のような塊から立ち上ったのは、死の臭気などではない。鼻腔の粘膜を激しく刺激する殺人的な苦味と、極限まで炭化し尽くした香ばしい匂いだった。
第三章: 白日の下のカカオブレイク

ヴェルナー・バルツァー「……脈拍正常。体熱低下。魔力暴走の完全停止を確認しました」
銀縁眼鏡を指先で冷淡に押し上げ、ヴェルナーが床に散らばった黒い残滓を神聖法典の端で掬い上げる。鼻を近づけ、舌先で微量を舐め取った瞬間、神官の端正な顔がわずかに歪んだ。
クロード・アシュフォード「な……痛みが、引いた……? 我が臓腑を焼き尽くしていた、深淵の呪詛はどこへ消えたのだ……?」
拘束の氷がサラサラと音を立てて崩れ去る。クロードは呆然と自分の腹を撫で回した。あんなにも内臓を苛んでいた灼熱の地獄が、嘘のように消え失せている。
ヴェルナー・バルツァー「結論を申し上げます。この劇毒の正体は……異常濃度の竜香辛料と、カカオ豆を炭化するまで熱した未確認固形物。要するに、壊滅的に不味いお菓子です」
氷壁の内で、時間が止まったかのような静寂が落ちる。
吹き抜ける風の音すら途絶え、ただ床に転がる黒い炭化物がパチリと小さな音を立てた。
クロード・アシュフォード「……は? お菓子……? 魔王の呪詛片では、なかったのか……?」
セレスティア・フォン・ローゼンバーグ「言ったでしょう、私の活力増強剤だと!貴方が勝手に呪いだ何だと騒ぎ立てたのが悪いのじゃありませんの!!」
顔を耳の先まで林檎のように真っ赤に染め上げた令嬢が、裾を翻して猛烈な剣幕で食ってかかる。握りしめられた両拳がぷるぷると震えていた。
クロード・アシュフォード「だが貴様、私が死ぬくらいなら毒を呑み干すなどと泣き叫んでいたではないか!」
セレスティア・フォン・ローゼンバーグ「な、何を寝言を言っていますのこの筋肉野郎!聞き間違いですわ、即座に記憶から消し去りなさい!!」
ヴェルナー・バルツァー「記録完了です。第八節、英雄の腹痛、愛の手料理により鎮まる、と」
さらさらと羽ペンを走らせる神官の背後で、轟音とともに玉座の扉が粉微塵に吹き飛んだ。
立ち込める土煙の向こうから、巨大な漆黒の角を生やし、禍々しい覇気をまとった魔王が傲然と威容を現す。
「フハハ、我が玉座へよくぞ……って、貴様ら何なんだその空気は……?」
玉座の主が気圧されたように眉をひそめ、広がる異様な惨状に立ち尽くす。
クロード・アシュフォード「貴様、今いいところなんだ! 空気を読め!」
セレスティア・フォン・ローゼンバーグ「消えなさい低脳の魔王! 私の恥をこれ以上増やすんじゃありませんわ!!」
一瞬にして結託した二人の怒気と殺気に圧され、魔王は無言のまま一歩後ずさった。
世界の命運を懸けた決戦の地には今、何よりも恐ろしい痴話喧嘩の炎が燃え盛っていた。